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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
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第91話:リンブルクの歪

 歴史的会談と称されたランリエル陣営と反ランリエル陣営との協議は、ランリエル側の首脳部がロタ王国からの贈り物により体調を崩し会談途中で帰国するという消化不良の結末を迎えた。にもかかわらず大陸の勢力図に変化をもたらした。


 デル・レイへと帰国したアルベルドは、不機嫌な顔でしばらく王妃と部屋に篭った。夫婦の実情を知らぬ者達は、僅かばかりも離れがたいほど愛し合っているのかと好意的に受け止め、そして事実、再度皆の前に姿を現した国王は落ち着きを取り戻して見えた。


 今後の対応の指示を待つ部下を前に、幾つかの理由で若干の疲れを見せるアルベルドが座った。その様子に場違いにも、近々王妃懐妊の報がなされるのではと期待する者が僅かながら居た。そんな目で見られているとは露とも知らずアルベルドの思案した顔が彼らに向く。


「ランリエルから言質を取りたかったがやむを得まい。我がデル・レイはリンブルク南部の領地をその民に返す」


 リンブルク王国へと返すといえば、領土の主権を主張していたデル・レイの言葉が誤りだったとなる。あくまで返す相手は民であるとすべきだ。


 デル・レイはリンブルク南部を返し、ランリエルはケルディラ東部を返す。会談でそれを確約し誓約書に署名させたいところだったが、ランリエル陣営の突然の帰国でそれは叶わなかった。再度会談を申し込んでも、次は警戒し簡単には出てこない。


 その為アルベルドは強引な手を打った。デル・レイとランリエルは会談の席で、共に結果的にとはいえ領民から土地を奪ってしまったのを反省する言葉があった、と宣伝しリンブルク南部の返還を進めたのである。デル・レイが実施するのなら、ではランリエルは? という話になる。正式な確約ではない為、効果が弱まった感はあるが、それでも世論、信用面でランリエルには打撃だ。


 実際、自身に利害の薄いランリエル国内の貴族達の中からは、ランリエルの名誉の為、旧ケルディラ領を返還すべきではないか。との無責任な声も聞こえる。また、外国での評判が落ちれば経済活動にも支障がでる。サルヴァ王子は、貴族勢力、経済の両面からの声に苦慮する事態となった。


 だが、それ以上に揺れ動いたのは、領地を返還されたリンブルクと実質的にリンブルクを属国とするゴルシュタットである。


 大陸全土に情報網を張り巡らせるベルトラムも、流石に頭の中まで覗き込む事は出来ない。漏洩を警戒したアルベルドは策を誰にも語らず、リンブルク南部の返還を聞かされていなかったゴルシュタットは唖然とし、リンブルクは歓喜した。


「リンブルク万歳!」

「領土が戻ったぞ!」


 そして返還に際してデル・レイ王アルベルドの

「歴史的背景を見れば主権はデル・レイにあるのは明白だが、長年その土地に住み続けていたリンブルク国民の心情を理解し民に土地をお返しする」

 との言葉により

「アルベルド王、万事!」

 と、アルベルドへの賞賛の声も各地で聞かれた。


 侵略しておいて、それを返して恩を売ろうというのか。と批判的な意見も合ったが、では返還を断るのか! と一喝されれば黙るしかなかったのである。


 喜びに沸いたのは民ばかりではなくリンブルク貴族達もだ。特に南部の領主達は急ぎ城や屋敷に戻り、懐かしい自分の部屋へと走り込んだ。一部ではこの機に乗じ、デル・レイとの戦いで当主を失った領主の土地に、ここまでは我が領地であったと元より広い面積を主張し諍いが起こる事態まで発生している。


 そしてそれと同時に次のような声も囁かれ始めた。

「それでは、ゴルシュタットにはご退場頂こうか」



「なにやら面倒な事になっているようですな」

 揶揄する声の主は、明日のリンブルクを考える会とも称される貴族達の会合の主催者であるシュバルツベルク公爵だ。歳は若く30にも満たない。相手を馬鹿にする口調は常の事である。実際に相手をどう見ているかに関係なく、自分以外の者を人とも思わぬ態度が身体に染み付いているのだ。その証拠に、その言葉を受けた相手は、一般的な認識では公爵よりも格上であった。


 年齢は50歳を超えるが、肌に張りがあり白髪も少ない。その巨体は武人の風格を持ち鋭い眼光は他を威圧した。だが、その戦場の猛将を思わせる風貌に反し、彼の職務は文官である。しかもその最高位ともいえる宰相の座にあった。


「さて。仕事は増えましたが面倒とは思いませぬな。今までデル・レイに占拠されていた南部が戻ったのは真に喜ばしい話。リンブルクを憂い私を派遣したゴルシュタット王フィリップ陛下も、今までリンブルクを支援してきた甲斐があったとお喜びです。私もこれまで以上に、リンブルクの発展に尽くそうと心を新たにしました」


 ベルトラムの平然とした言い草にシュバルツベルクは面白げな視線を向けた。


 このじじい、役目が終わったのならとっとと帰れば良いものを、やはりこのまま居座る気か。


 反ベルトラムを唱え勢力を拡大したシュバルツベルクである。逆に言えば、ベルトラムが存在しなければ反ベルトラム貴族達を纏められないのだが、それも状況は変わった。


 勢力を拡大させた反ベルトラムの会合だったが、ベルトラム自身に乗り込まれその場を凌ぐ為に、あくまでリンブルクを憂う者達の会合と弁明したところ、それならば私も志は同じと、なんとベルトラムが参加を申し出たのだ。そして断り切れず参加を許可してみれば、公爵自身を含めベルトラムに対抗できる勢力は無い。


 しかも会合の場でベルトラムは、積極的に反ベルトラム派の有力者達に親しげに話しかけた。時には肩に手を回し談笑する姿も多く目撃された。実は、以前からベルトラムと繋がっていたのでは? いや、そうでは無くとも現在進行形で裏切りつつあるのでは。話しかけられた当人に問いただしたところで、真偽はどうであれ、はい、裏切りました。と言う筈も無く、誰が味方で誰が敵なのか、疑心暗鬼が彼らの心を満たした。


 こうなっては迂闊にベルトラムの陰口さえ言えぬ。リンブルク貴族社会の半分を占めていた反ベルトラム派をその5分の1でしかないベルトラム派が乗っ取ってしまったのである。残りは大勢に乗るしかない小物達と思えば、ベルトラムはリンブルク貴族社会を完全に掌握したと言って良い。


 折角築いた勢力を乗っ取られた公爵にしてみれば面白い話ではない。もっとも、それに拘っていては未来は無いと、当初は別の計算もあった。そして今でも、表向きはその計算の元設計された道を歩んでいる態をとっている。


「ベルトラム殿がゴルシュタットの国力でリンブルクを発展させ、リンブルク貴族に顔が利く私が彼らの調整役となる。リンブルクの未来の為に必要な体制です。ゴルシュタットには変わりない支援をお願いしたい」


 お前が居なくなったら居なくなったで、その後は国難の時に貴族達を纏め上げ国内を安定させたという功績を主張し、リンブルクの実権を握ってやるものを。その計画を胸に秘める公爵は、今のところは同調して見せた。貴族達の纏め役という立場は、今後の為にも確保する必要がある。


「調整役と仰るならば、南部の者達を押さえて欲しいものですな。多少浮かれるのは仕方ありませんが、過ぎれば混乱の元となりましょう」


 領地を取り戻した南部領主達はその興奮と勢いを失速させず、もはやゴルシュタットの軍勢など不要と唱え始めた。領地が戻ったのは彼らの努力の結果ではなくアルベルドの策略の一環でしかないのだが、やすやすとデル・レイの脅威が去ると、ゴルシュタットの威圧も簡単に除かれると錯覚したらしい。


 それに、実際に南部領主達が一致団結し立ち上がれば無視出来ない勢力となる。元々1万の軍勢を養える南部地方である。その領主達は一時領地を失い軍勢の大半も四散したが、領主が戻ると逃げた者達もずうずうしく再度集結しつつあった。


 更に、リンブルク北部の要衝はデル・レイの侵略に備える為と称しゴルシュタット軍が抑えたが、南部はまだ手付かずだ。南部領主達が先んじて要衝を固め、更に北部領主達も呼応してゴルシュタットに対抗すれば厄介である。


 早急に手を付けたいところだが、下手に刺激すれば南部領主達が暴発する危険があった。暴発しまず最初に狙うのはベルトラムの命である。豪胆ではあるが無謀ではないベルトラムは慎重だ。


 シュバルツベルク公爵にしても打倒ベルトラムの千載一遇の機会だが、南部領主に暴走されては制御しきれない。自身が主役でないと耐えられない彼にとっては避けたい事態だ。もっとも、現在、主役の座をベルトラムに奪われているのだが、その席を奪還するのは、やはり自分が主体でありたいところだった。


「分かっております。南部の者達に好き勝手に動かれては確かに都合が悪い。領地を奪われた彼らがなぜ貧しくとも今まで生きてこられたか。誰のお陰かを十分に言い聞かせましょう」


 南部が動く時は自分の制御下でなくてはならない。今、南部を押さえるのは公爵にとっても利する。それに南部を動かす前に打っておきたい手もあった。


「くれぐれもお願いしますよ。もっとも厄介なのは有能な敵ではありません。無能な者にこそ時には足をすくわれるものなのです。敵、味方問わずです」


 理性がある者の動きは、それゆえに理詰めで考えれば読める。だが、無能で誤った行動を起こす者がどう間違うかなど読みようが無い。それを読みきれる者が居るとすれば、その者はもはや神である。


「重々、承知しております」


 さて、自分は有能な敵と見られているのか。それとも無能な敵と見られているのか。まあ、味方とは思われてはいないだろう。シュバルツベルクは、公爵としての威厳が保てる角度まで腰を折って挨拶すると宰相の執務室から辞した。


 公爵が次に目指したのは王宮のとある人気の無い一室だった。宰相府から王宮までのほんの数百サイトの距離を見事な細工のなされた馬車で移動し、それからは護衛も連れずに目的の部屋に滑り込む。


 程なくし、次に現れたのは国王のお気に入りといわれる侍女シモンだった。動かぬ氷の美貌に、それとは不釣合いに膨らんだ胸元。腰も意外と肉付きが良い。王の部屋に呼ばれる時は長い黒髪を降ろしているが、今は王宮の仕事をこなす侍女として綺麗に纏められ頭の上で結われている。部屋に入るとすぐさま一礼したが、公爵は見ても居ないように彼女の頭が上がりきる前に口を開いた。


「陛下のご様子はどうだ」

「ベルトラムを討つのはまだかと、ほとんど毎日仰っておいでです」


 老いて耄碌した愚かな王だが、流石に秘事を語る場所くらいは弁えている。だがそうなると、ほぼ毎日シモンは王の部屋に呼ばれている事となり、そして部屋に入れたなら彼女を嬲るのもお約束というものだ。王自身は老いてものの役に立たぬが、それだけに己は果てること無く熟れた女体を嬲り続け、王の気が済み情事が終わるのは朝方となる。それを情事と呼ぶとすればだが。


 老いぼれが色に狂ったか。口には出さぬが、公爵の歪んだ口元と冷めた目がその思考を物語った。もし彼に部下を思いやる心が存在すれば、お前はいつ寝ているのだと部下を気遣うところだが、彼にその心は微塵も無い。


「いつまでも陛下をお待たせすると迂闊な事をなさるかも知れません。何とか宥めてはおりますが、南部の領主が戻ったのならベルトラムを排除するなど簡単であろうと仰っておいでです。これ以上は宥め続けるのも難しいかと」


 公爵が小さく頷いた。彼は部下を酷使し実績を上げてきた。出来ないという者に、とにかくやれと厳命しやらせて来たのだ。その彼が他の暴君達と一線を画すとすれば、それは、本当に出来なさそうな時には敏感にそれを察する嗅覚を備えている事だ。


 どうやら本当に限界そうだ。シモンを通じ国王と連絡を取り合っているのは、ベルトラムにも今だ秘している。これは切り札なのだ。このままベルトラムと手を組み続けるか、袂を分かつか。どちらにせよ強力な手駒となる。早々に手の内を見せる訳には行かなかった。だが、肝心の国王が暴走してしまっては元も子もない。


「陛下には、いずれ南部にお移り頂く事になるとだけお伝えしろ。ただし、くれぐれも他に漏らさぬようにと約束して頂くのを忘れるな」

「かしこまりました」


 シモンが頭を下げたが、きっちりと結い上げた黒髪は微塵も乱れない。


 人とは希望があれば多少の苦難には耐えられるものだ。実際に国王を南部に移すかはまだ分からないが、もしベルトラムと武力で争うならば、国王の身柄を確保する為にも南部に脱出させる必要があった。


 早急に南部領主達を改めて纏め上げる。折角築いた勢力をベルトラムに乗っ取られた状況ではあるが、その中でも南部の者達はベルトラムに取り込まれた可能性は低い。ベルトラム側に付く利点は、現在の地位の保証だ。だが、領地を失っていた彼らに保障される地位など存在しなかった。


 領地を回復した彼らにベルトラムも食指を伸ばすだろうが、現在、彼らのベルトラムへの感情は良いものではない。今の内に彼らを束ね、再度反ベルトラム派を再構築する。それが公爵の計画だった。


 ベルトラムすら予測出来なかった南部地方の返還。その激震に、一度は定まったかと思われたリンブルクの情勢は再度揺れ動いていた。

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