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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
176/443

第87話:勝利の条件

 大陸暦634年。ボルディエス大陸の勢力図には2つの巨大な勢力が記される。1つは大陸中央部に覇を唱え、つい数年前までは唯一の大勢力だったグラノダロス皇国。そしてもう1つは大陸東部に君臨するランリエル王国だ。


 神の視点で見れば皇国が他の大勢力の存在など許すはずも無く、早々にランリエルを潰そうと動くべきである。そこにはランリエルの外交の努力があった。皇国に腰を低くして大使を送り、カルデイ帝国を含め征服した国々は全て向こうから仕掛けてきた戦いを返り討ちにした結果と弁明した。


 無論例外もあり、ケルディラ侵攻はその主張に当てはまらない。それでも皇国から潰されずに済んでいるのは、皇国内にランリエルを影で擁護する者が居る為だった。その者の名はアルベルド・エルナデス。現皇帝の弟にしてデル・レイ王国国王。そして、反ランリエル同盟の盟主としても知られる。


 その日、アルベルドの執務室に腹心のコルネートが向かっていた。外交と情報戦略を担う男だ。30歳半ばだが、茶色の髪で実際の年齢より若々しく見える。一流の外交官の彼は進む足どりすら一糸乱れず美しく、衣服には皺一つ無い。執務室の扉を叩く4つの音も規則正しかった。入室の許可が下りると部屋に入り一礼し主の言葉を待つ。


 直立不動の腹心にアルベルドは椅子に座ったままだ。子供が好む童話の王子様を彷彿させる金髪碧眼の整った顔を、机の上に置いた右肘から伸びる軽く握った手の人差し指に乗せた。


「ランリエルの勢力を拡大させ、それに対する私の力も強まったのは良いが、負けて勢力を拡大するばかりでは芸が無い。そろそろランリエルに勝とうかと思う」

 人の悪い笑みを浮かべて、

「負けてばかりでは、さすがに私を褒め称える者達からも愛想を付かされるというものだからな」

 と付け加える。人々から仁愛の主君。義に戦う王とも言われる彼だが、一部の腹心の前ではこのような姿も見せた。


 ロタ王国の内乱では、新ロタ王の部下達にまんまと引っ掛けられた。だが、ただでは起きぬ。すぐさま人をやり新ロタ王サヴィニャックの部下達を調べ上げ、手を組めそうな者を捜し当てた。そして王位を剥奪された前ロタ国王の身柄を自分が預かるようにサヴィニャック王に進言せよと命じたのだ。


 これによってアルベルドはロタ王国にある程度の影響力を得た。こちらからの見返りとしては、その者への資金提供だ。彼はその金で味方を集め自身の権力を強化するのだ。将来、彼が宰相にでもなれば更に都合がいい。


 だが、これはあくまで裏取引。表立って公表できず、そろそろ分かりやすい功績が欲しいところだ。


「勝つ……。で御座いますか。すると遂に皇国軍を動かすと」


 ランリエル勢力の最大動員は30万を超える。ドゥムヤータが正式なランリエル勢力といえるかは微妙だが、それまで含めると最大40万近くにまでその軍事力は拡大するのだ。それに対する反ランリエル同盟の戦力は20万にも満たない。倍の敵にも勝ってみせる。などという妄言を吐かないならば、どうしても皇国軍の助勢が必要だ。


「いや。皇国軍など要らん」

「し、しかしそれでどうやってランリエルに勝つというのです。戦力では到底勝ち目はありません」


 コルネートは軍事の専門家ではないが常識は弁えている。それは戦いは軍勢が多い方が勝つという事だ。無論、戦力が劣る軍勢が勝利した有名な戦いは幾つもある。しかしそれは、それが珍しいからこそ有名になるのだ。人の記憶にすら留めない当たり前の戦いでは戦力の勝る方が勝利し、それは有名な戦いの何百倍もある。そしてその劣る側が勝つ僅かな戦いすらも、多勢側の油断が主な原因である事が多く、相手の油断を当てにしての開戦など馬鹿げた話だ。


 倍の敵にくらい簡単に勝てるなどという者が居れば、その者にはこう問いかければいい。それではお前は、半数の敵に簡単に負けるのか? と。


「コルネート。戦いの勝敗は、何で決まる?」

「わ、分かりません」


 戦力が勝る方が勝つのではないのか。そうは思っているが、皇国軍の力を借りずに勝つというならば、そうではないのか。コルネートは答えられなかった。しかしそれでは何が勝敗を決するのか。兵の練度か。士気か。確かに、正義を掲げるアルベルドの元、士気の高いデル・レイ軍は不退転の決意で戦い多数のランリエル軍に善戦した。だが、それでも勝てた訳ではない。


 戸惑うコルネートにアルベルドは皮肉な笑みを浮かべた。


「決まっている。戦力で勝る方だ」



 ランリエル王国の寵姫アリシアに仕える侍女のエレナは夢見がちな少女だった。


 ボルディエス大陸では、太古の昔から幾つもの王朝が興り、消えていった。特に大陸中央部の動きは激しく実はAという国の王家の血脈はB人だったり、Cという国とDという国は同じ人種だったりするのだ。


 ちなみに大陸に覇を唱えるグラノダロス皇国を築いた皇祖エドゥアルドは、その功績と知名度において他に類を見ないが、その出生はよく分かっていない。ゴルシュタット風の名前からゴルシュタット人なのではないかとも噂されるが、皇族達はほぼ全員が金髪碧眼である事から、黒髪、赤毛が多いゴルシュタット人ではないとも言われる。


 同一人種が2つに分かれたといえばコスティラとケルディラだ。元はクウィンティラという1つの大国で、その歴史はグラノダロス皇国よりも古く、1千年以上も前の文献に既にその名は残っている。


 もっとも今を生きる多くの人々にとってはどうでもよい話であり、クウィンティラなどという国名を記憶しているのは当のコスティラ、ケルディラ人ぐらいである。それ以外に他の国々の歴史などを一々覚えているのは、教養が求められる貴族達と一部の夢見がちな少女達だ。


「良いですか。アリシア様。アリシア様も後宮にお住まいになり、他のお嬢様方とお付き合いしているのですから、皆様方に負けない教養を見つけなくてはなりません!」

 とお節介にも自分の主人に忠告した。


「でも、今まで生きてて困った事ないし、別にいらないんじゃないかしら」

 見も蓋も無い言葉でアリシアは拒絶の意を表したが、心からの善意で忠告する侍女は諦めない。腰に手を当て物分りの悪い主人に詰め寄った。


「今までは、なんだか孤立していたのでそれで良かったかも知れないですが、ナターニヤ様のおかげでお友達も沢山出来、今までのようには参りません。特にナターニヤ様のお国であるコスティラの話題になった時、お話に入れなかったらどうするのですか!」


 今まで通り孤立していたかったな。お話に入れなくても良いのにな。と思いながらも、妹のように可愛がっている侍女に強く言われ、アリシアも渋々、大陸の歴史ある王朝の勉強とやらを始めた。


 もっともその教師は夢見がちな侍女である。自分の興味のある劇的な逸話だけが教材だった。


「コスティラ王エフィム4世は、当時大貴族の専横が激しかった国内の改革に乗り出しますが、貴族達の反発にあい王位を奪われケルディラに逃げました。その後10年間は無為に過ごしますが、当時のケルディラ王が跡取りを残さないまま崩御。同じクウィンティラ王家の血を引くエフィムに白羽の矢が当たったのです。こうしてなんと王位を奪われた流浪の貴人は、別の国で再度王位に就く事になったのです!」

「そ、それは、良かったわね」


「しかも、コスティラでは改革に失敗したエフィム2世でしたが、ケルディラではその改革に成功し中興の祖とまで言われ――」

「ちょっと待って。さっき4世って言ってなかった?」


「コスティラでは同じ名前の王様が3人いて4世でしたが、ケルディラでは1人しか居なかったから2世なんです!」

「そ、そう。ごめんなさい。続けて」


「その後、ケルディラは2百年近く平和に過ごしましたが、当時の国王が若くして亡くなると、野心を持つ3人の王族、大貴族が王位を賭けて争います」

 どうやら、その2百年間には面白い話が無いらしく侍女は飛ばした。


「1人は王弟アキム。もう1人はベロルソフ公アキム。そしてボガトフ公アキムです。まず王弟アキムは、ベロルソフ公アキムと手を結び――」

「ちょ、ちょっと。みんなアキムじゃないの」


「何を言ってるんですか。同じ名前の3人が王位を争うなんて、お芝居みたいで素敵じゃないですか。しかもこの3人。幼馴染で小さい頃は一緒に遊んでたんですよ! 運命のいたずらじゃないですか!」

「そ、そう。良かったわね」


 その後、如何にこの事件が劇的かだけを強調した講習は数時間続き、やっと開放されたアリシアは侍女を残し庭に散策に出た。日は既に傾き散策というには遅い時間だが、それだけに今は1人になりたいアリシアにとっては都合が良い。


 季節は既に春となり、草花が一番活き活きとする季節だ。蝶道≪ちょうどう≫を行きかう蝶もすっかり少なくなった時間だが、それでも色鮮やかな花々を愛でるには不自由はない。その中を深い緑色のドレスのアリシアが進む。


 まったくあの子にも困ったものね。


 夢見がちな侍女を微笑ましいと思いつつ、さすがに興味の無い話に何時間も付き合わされるのは苦痛だ。ずっと椅子に座りっぱなしだったので腰や肩がこり、それをほぐそうと歩きながら肩を回す。


「お前は何をやっているのだ」

 声がし振り向くと、後宮の主であるサルヴァ王子が何やら冷たい視線で立っていた。軍総司令とはいえさすがに普段は甲冑姿ではなく、また派手好みではない王子だが、それでも金糸、銀糸をあしらった品の良い衣装は煌びやかだ。廊下を歩いていてアリシアの姿を見つけてやって来たらしい。


「いえ。別に」

 さすがのアリシアも、ちょっとはしたなかったかと少し頬を赤くした。もっとも、他の寵姫ならば赤くするどころか青くなり、二度と王子に顔向け出来ないと部屋に閉じこもるほどの失態だ。だが、そのような繊細な神経を持ち合わせない彼女である。むしろ失態を誤魔化そうと逆に攻撃に転じた。


「こんな時間に後宮に来るなんて、どうしたのですか? お部屋に行くには少し早い時間のようですけど」


 無論、アリシアの言うところのお部屋とは寵姫の部屋を指し、その意味するところも言葉通りではなく、こんな早い時間からお盛んですこと、との嫌味である。


 通常、寵姫がこのような嫌味を投げかける場合、私のところにお越し頂きたいのにと拗ねているのであり、ある種恋愛の駆け引きでもあるのだが、アリシアの場合、本当に嫌味以外の何ものでもない。


「寵姫のところに行こうとしていたのではない。お前に用事があったのだ」

「あら。私だって寵姫ですわよ」


 王子に嫌味を言う事だけに神経を集中するアリシアは、普段は忘れている自分が寵姫だという事実を都合よく思い出し、悪戯っぽい笑みで王子を追い詰める。


 ここで恋愛の駆け引きに長けた男なら、

「だったら一夜を共にして見るか?」

 と逆襲に転じアリシアをドキリとさせるだろうが、基本、王子は朴念仁である。


「ちっ」

 と小さく舌打ちし顔をしかめる事しか出来ない。


 王子の態度に勝利を感じ心に余裕が出来たアリシアは、途端、拗ねさせてしまったかと姉代わりの心境が顔を出した。無責任にも今までの会話をすっかり忘れ微笑む。


「それで、私に何のお話ですの?」

「あ、ああ。デル・レイのアルベルド王から話をしたいと連絡があった」


 ランリエルとデル・レイは共に同盟、従属国を多く持つ。それがケルディラを巡って戦い、さらにロタ王国の内乱では、ロタの不手際で双方知らぬまま共に援軍に向かい、しこりを残したまま両者が軍を引くという結果となった。そのアルベルド王が使者を寄越してきたのだ。


「デル・レイですか?」

「そうだ。我が国が西へ領土を拡張せんとの野心があると唱え、反ランリエルの盟主ともいえる国だ。それは誤解だと何度も使者を送り説明してきたが梨の礫だった。それが、向こうから会いたいと言って来た」


「まあ、それは良いお話ですね」


 アリシアは目尻に皺を作り大きな笑みを浮かべた。他の寵姫ならば、

「やっとデル・レイもランリエルに逆らってはいけないと思い知り、殿下に恐れを成したのでしょう」

 と王子に媚を売るだろう。だが、アリシアだけは王子の真意を理解している。王子は戦いを望んでは居ない。アルベルド王との会談がその平和への足がかりになればと思っている。その王子の喜びを我が事として喜んだ。


「ああ」

 と短く答える王子の視線がアリシアの目尻の皺を捉え、その欺瞞の無い笑みに心が満たされる。他の寵姫達だけではなく、他の誰もが王子に阿るのがランリエルの現状だ。ムウリやルキノ、ウィルケスら王子に媚を売ろうとは思わない人々でも、今度は純粋な喜びよりも国家戦略の話になってしまう。


 姉に褒めて貰おうと、学問で良い成績を取ったのを報告する弟のようにと指摘すれば王子は不機嫌になるだろうが、アリシアは王子の心境をそう受け止めた。そしてそうならば、とことん話しに付き合ってあげねばならない。


「折角ですから、お部屋でゆっくりお話をお聞かせ下さいな」

「ああ」


 王子も素直に答え、2人は並んで歩き出した。


「そういえば、紅茶の美味しい飲み方があるらしいのですが、ご存知ですか?」

「いや。聞いた事は無いな。特別な飲み方でもあるのか?」


「ええ。紅茶に牛乳≪ミルク≫を入れるより、先に茶杯≪ティーカップ≫に牛乳を入れて、それに紅茶を注ぐ方が美味しいらしいのです」

「馬鹿な。先に入れようが後に入れようが同じだ」


 どう考えても違いが出よう筈がない。と、王子は不信な目だ。


「本当なのです。ちゃんと分かる人には分かります。この前のお茶会でちゃんとそれを言い当てた人が居たのです」

「それは、偶然では無くてか?」


「勿論です。偶然ではありませんわ」

「しかし、2つに1つなら言い当てるのは難しくなかろう」


 王子はあくまで信じようとはせず、アリシアは始めは自分も信じなかったのを棚に上げ分からずやな王子に微笑む。


「いえ。彼女は飲み比べをする積もりは無くて、たまたま間違って出された紅茶の違いを言い当てたのです」

 本当はわざと違う紅茶を出させたのだが、馬鹿正直に言う必要は無い。


「面白い。そこまで言うなら試して見よう」


 王子も興味が出てきたのか微笑み、身体をアリシアの部屋の方角へと向けた。アリシアが近寄るとそのまま並んで歩き出す。傾いていた日は更に沈み、その反対側の空に、気の早い幾つかの星が輝いていた。

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