第83話:思わぬ縁談
現在、ランリエルでは海軍志望の若者が増加していた。
国力の増強と共に、陸軍、海軍の充実を進めるランリエルだが、陸軍の士官は経験豊富な兵士を引き上げ士官とする。それに対し、そもそも経験豊富な者など存在しない海軍では、航海技術さえ学べば実戦経験など無くとも軍艦の艦長となれる。陸軍でいえば大隊長に匹敵する階級が、やすやすと――少なくとも彼らの主観では――手に入るのだ。
それどころか、海軍の将来を担う人材を育成する為に作られた海軍士官学校に入れれば、師団長待遇と呼ばれる分艦隊司令官。将軍に匹敵する艦隊司令官も夢ではないのだ。ちなみに各艦艇は平時は国内各地の軍港に分散して配属され艦隊となる。つまりA港配属の艦隊はA艦隊であり、B港配属の艦隊はB艦隊である。戦時にはそれらが集結し、巨大な1つの艦隊。つまり連合艦隊となるのだ。ライティラの正式な役職は、平時にはバルバールで一番大きな軍港であるカニーヤのカニーヤ艦隊提督であり、戦時にはバルバール連合艦隊提督だ。連合艦隊提督は大将軍待遇である。
ランリエルに納入する艦艇の選定会議の翌日、ライティラは士官候補生達を招集した。実家が遠く連絡が取れない者には手紙を出し、王都近郊に住む候補生達がライティラの前に並んだ。選定会議はその名に反し艦艇の発注先を決める事が出来ず、サルヴァ王子の鶴の一声でバルバール艦、コスティラ艦で模擬戦を行いその性能を見極める事になったのだ。
厳しい訓得から開放され、久しぶりに家族の元で羽を伸ばしていた候補生達は、突然の号令に何事が起こったのかと緊張の色を隠せない。しかしその裏では、久しぶりに帰ってきた息子に山ほど甘いお菓子を食べさせようとする母を、もうお菓子で喜ぶ年齢では無いと、つい拒絶してしまったのを後悔する者も少なくは無かった。しかし、すべての母親にとって息子とはいつまでも子供のままであり、そして息子の方も、いい年齢になっても本当は結構甘い物が好きだったりするのだ。
真面目な顔をしながらも頭の中では食べ損なったおやつへの未練を断ち切れず一列に並ぶ候補生達を前に、ライティラは冷然と言い放った。
「コスティラ艦からなる艦隊と模擬戦を行う事になった。バルバール艦がコスティラ艦より優れているのを証明する為のものだ」
その断言に候補生達はどよめいた。いきなり模擬戦を行うという発言もそうだが、勝利を疑わないライティラに更に驚く。己の技量に絶対の自信がある人だとは分かっているが、ここまで言い切ると流石に唖然とする。
「私が今まで教えてきた事を君達が習得していれば負けるはずが無い戦いである」
その言葉にまたどよめいた。
「僕達が戦うんですか!?」
「そうだ。櫂≪オール≫はランリエル海軍の水夫が担当するが、君達にはバルバール各艦の航海士を任せる」
帆の向きを変え操船する帆船と違い、櫂を漕いで推進力を得る船の操船は、舵と櫂の操作で行う。基本、船の向きを変えたければ、それと反対側の櫂だけを漕げば良いが、小回りしたければ更に曲がる側の櫂を反対向きに漕ぐ。その判断と指示を行うのだ。
ちなみに数十隻が一斉に向きを変える時に大回りする艦と小回りする艦が混在すると、下手をすれば衝突し大惨事にもなりかねず、決して簡単な仕事ではない。
「相手となるコスティラ艦の航海士は誰が行うのですか? 私達の次の士官候補生達でしょうか?」
優等生ジェラルドが手を挙げ発言した。だとすれば自分達に一日の長があり有利だ。他の候補生達もそれならばと表情が明るくなる。
「いや、コスティラ艦は現職のランリエル海軍の士官が担当する」
「え!?」
候補生達が青ざめた。候補生の自分達と現職が戦えば勝敗は明らかではないか。
「君達は今までバルバールの艦艇で訓練を行ってきた。その君達と、初めてコスティラ艦を操船する現職のランリエル士官は同程度という判断だ」
理屈は分からないでもないが、本当に自分達に出来るのか。候補生達の幾人かは早くも胃の痛みを感じた。しかし、その彼らに鬼の教官は衝撃の言葉を放つ。
「私が君達に教えているのはバルバール流の技術である。だが、この戦いに負けコスティラ艦がランリエル海軍の主力となれば、当然、コスティラ流の海軍技術もランリエル海軍の主流となる。バルバール系海軍の君達は将来の海軍幹部どころか、閑職に追いやられるから、その積もりでいるように」
いるようにじゃない! 候補生達は頭を抱え叫びを辛うじて飲み込んだ。その様子にライティラが笑みを浮かべていた。
言うだけ言った後、ライティラはすぐに候補生を解散させた。模擬戦の前には訓練をさせるが、肝心の艦隊はバルバールからこちらに寄越すようにと早馬を出したばかりである。まだまだ先の話であり、家に戻って休暇の続きを過ごす時間はある。候補生達は、将来をかけた一戦に不安と緊張、そして模擬戦とはいえ実際に戦闘を行うという高揚感を胸に、大量のお菓子が待つであろう家へと向かったのだった。
大半の候補生が部屋から姿を消すと、ライティラもすぐさま背を向け、戦場となるランリエル王国沖に邪魔になる浅瀬や岩礁は無かったはずと記憶を探りながらも、正確な資料を閲覧する為にランリエルの海軍府へと足を向けた。
本来、自国の海の情報は機密であり他国の者が見るのは難しい。それを、今回の模擬戦に必要なのだと主張し強引にでも手に入れるのだ。
まあ、閲覧が断られれば候補生達に、これも訓練だと言って測量させよう。多少、精度は落ちるが仕方が無い。そんな事をさせれば、候補生達は休暇どころではないのだが、鬼の教官はそこは特に気にせず心に決めた。
実際、測量はバルバールでも候補生達に行わせている重要な技術だ。敵地への上陸時に測量を怠り無計画に浜辺に突入しては、思わぬ浅瀬に乗り上げ船が転覆しかねない。そうなれば救助もせねばならぬし大幅な時間の損失である。だが、前もってそれらの位置が分かっていれば、測量の手間と時間を省き上陸が更に早くなる。
ちなみにバルバール王国沖を候補生達に測量させた後は、その結果をバルバール海軍士官が測量した物と照らし合わせて評価してから取り上げ、候補生には返さない。
昨日の敵は今日の味方というが、今日の味方が明日の敵になっても不思議ではない。再度ランリエルと戦う事もあるかも知れないのだ。だが、ランリエルは日々海軍を増強している。それにどうやって打ち勝つか。それには出来るだけ多くの情報をバルバールに持ち帰らなくては。
バルバール王国軍総司令のディアスからも、可能であればランリエル国内の詳細な地図を入手してくれと頼まれていた。まあ、優先度は低いが一応は試して見る積もりだ。
ランリエルに対する裏切り行為ともいえるが、そもそもランリエルとて、バルバール国内のどう考えても戦略的価値はあっても人が住むような場所ではない盆地を、駅馬車の中継地にするのだと言って散々測量した挙句、やっぱり計画は中止だと言ったりしているのでお互い様である。
そんな事を考えながら足を進ませていると、その歩みを止める声が掛かった。
「ライティラ提督。少しよろしいでしょうか」
振り返ると、元ランリエル王国海軍提督マルコ・カロージオの甥で士官候補生でもあるエリオの姿があった。かつては自慢の叔父を戦死させたライティラを憎んでいたが、今では一転、ライティラを崇拝する事、神の如しである。
「何かね」
「はい。実は明日の晩餐に、是非ライティラ提督をお招きしたいと父が申しております」
どうして候補生と家族ぐるみで付き合わねばならんのか。意図せず懐かれてしまい、それは憎まれるよりは遥かに良いのだが、流石にそこまでの関係を築く気は無いのだ。
「残念だが、明日は模擬戦の戦場となる海域を調べる為、ランリエル海軍府に行く予定だ」
嘘ではない。今日一日で終わる作業では無いのだ。もっとも、模擬戦の日まで毎日詰めなければならない作業量でもないので時間を作ろうと思えば作れるのだが、候補生の親と親睦を深める為にその労力をかける積もりは無い。
「そうですか……。父も海軍に勤めていてバンガーノ軍港所属の軍艦カブール号の艦長を任されているので、ライティラ提督とお会い出来るのを楽しみにしているのですが」
「そうか」
ライティラの返事はあくまで冷たい。
「それに叔母上も提督にはお礼を申し上げたいと言っておりました」
「叔母上?」
ライティラの口調が変わり、まるで緊張しているかのように少し硬かった。
「はい。夫の名誉を回復して頂いたと、得意料理を提督に食べて頂こうと楽しみにしていたのですが……」
「なるほど。お父上も海軍にお勤めだったのか。ならば、有意義な話も出来るかもしれないな。分かった。何とか時間を作り、お招きに預かろう」
「本当ですか!」
「ああ」
書類からばかりではなく、その海の船長から直接話を聞くのも重要だ。ランリエル海軍の情報を集める為であり、これも任務なのだから仕方がない。
翌日の夜、海軍士官候補生の教官としてランリエルからそれなりの待遇を受けているライティラは、ランリエルから専用に用意された馬車に乗り、郊外にある屋敷の門をくぐった。
晩餐に招かれたのだからと滅多に袖を通さぬ礼服に身を包み、2つの花束を抱えている。その内1つは屋敷の主人の奥方へであり、もう1つは元ランリエル艦隊提督カロージオの妻、カロージオ夫人の為だ。
もっとも、屋敷の主の姓もカロージオのはずであり、2人の女性は共にカロージオ夫人である。遅まきながらそれに気づき、どうにかしてファーストネームを聞き出さねばと心に誓った。無論、2人の女性を呼び間違える非礼を避ける為である。
玄関の前まで馬車に乗り、2つの花束を抱えた窮屈な体勢で扉を叩くと、初老と呼ぶには失礼だが、さりとて若いとは言いがたい侍女が扉を開けライティラを招き入れた。
「お客様がお見えになりました」
その声にエリオと屋敷の主人が姿を現した。思ったより年配の男で、頭髪のほとんどが白い。20歳近いエリオの父親ならば50歳過ぎでも不思議では無いが、カロージオ提督は30歳を少し超えた程度だったはず。かなり歳の離れた兄弟だったらしい。
「パオロ・カロージオです」
屋敷の主人が名乗って右手を差し出したが、複雑な感情がせめぎあっているのかその笑みはどこかぎこちない。
カロージオ夫人の夫を戦死させたと考えていたが、この男の弟を殺した事にもなるのだなと、遅まきながら気付きながらライティラも右手を差し出した。握り合った手が僅かに硬い。
「マティアス・ライティラです。本日はお招きに預かりありがとう御座います。これを奥方にお渡し下さい」
花束を受け取ったパオロは困惑の表情だ。いや、彼ばかりではなくエリオも、そして後ろに控える侍女もだった。もしかして、奥方の嫌いな花を選んでしまったか。しかし、そんな事を前もって分かりようも無く、自分に非は無いはずだ。
そこに料理の準備をしていたカロージオ提督夫人が遅れてやって来た。初めて会った時と変わらぬ美しい黒髪は、綺麗に結われその所為か落ち着いて見える。ライティラの姿を見付けた瞬間笑みを浮かべ軽く会釈し膝を折った。
「お久しぶりです。これを」
「まあ、私にですか? ありがとう御座います」
花束を手渡す時に微かに指が触れた。ライティラは慌てて手を引き、言い訳がましくならぬように努力して口を開いた。
「カロージオ殿の奥方にも同じ物をお贈りしました」
「そ……うですか」
夫人もやはり歯切れが悪い。このなにやら気まずい状況に、屋敷の住人達の視線が巡るましく交差した。何か責任を押し付けあっているようにも見えたが、ここはやはり屋敷の主人の出番だ。
「実は、妻は6年前に病で亡くなっているのです。ですが、ライティラ提督のお気持は妻も喜んでいるでしょう」
なるほど、そういう事だったのか。候補生達の家族構成などに興味が無いライティラにしてみれば仕方が無いのだが、屋敷に招かれたなら必要最低限の予備知識くらいは仕入れるべきだった。確かカロージオ家は子爵だかの爵位を持っていたはずだし、王都に屋敷も構えている。貴族名鑑を捲ればある程度の情報は載っていたはずなのだ。まあ、次は気を付けよう。
「そうでしたか。それは知らぬ事とはいえ」
「いえ。どうかお気になさらずに」
皆は気を取り直し食堂へと移動した。食卓の上には料理が所狭しと置かれ湯気を立てている。カロージオ夫人が腕によりをかけたという仔牛の煮込みをエリオは口一杯に頬張り、大人達も上品に舌鼓を打ちつつ会話を楽しむ。
「ライティラ提督には弟の汚名を返上して頂き、一度お礼を申し上げたいと考えていたのです。今宵、提督をお招き出来、本当に良かった。一族を代表してお礼申し上げます。ありがとう御座いました」
「いえ。それほどでも。あの時のカロージオ提督の判断は正しかった。それを誤って評価されていたので、正しただけです」
「いや、ご謙遜なさいますな。提督のお言葉でカロージオ家がどれほど救われたか。お前もそう思うだろう?」
「あ、はい」
パオロが言葉を向けそれに答えたのは意外にも息子のエリオではなく、カロージオ夫人だ。
一応は妹とはいえあくまで義理のはず。それにしては親しげというより、何か上からの言葉だ。そう、たとえば亭主関白の夫が自分の妻にかけるように。
思わず夫人に視線を向けると、何故か夫人は気まずそうに目を逸らした。それに気付かぬパオロは、機嫌良く肉を切り分けている。
「地に落ちていた我が家の名誉も提督のお陰で回復しました。実を申しますと、一族の者達も結婚相手を探すどころか、決まっていた縁談すら破棄されていたのです。それが今では、ランリエルを救う為名誉の戦死をしたカロージオ提督の一族と山のように縁談が持ち込まれております」
「それは、よろしい事で」
貴族にとって結婚とは本人同士ではなく、家と家を結ぶものだ。落ち目の者は相手にさらず、金銭、権力、名声に利益がある家との婚姻を望む。かつてある王家では、戦争ではなく結婚で勢力を拡大する政策を取り、大陸の大半を制したという。
「かく言う私も、後妻を娶ろうと考えていたのですが、それもかなわず難儀していたのですよ。それが、やっと後妻を迎えられそうです」
「なるほど」
ライティラの気の無い返事にパオロも気付いているが、礼儀正しく気付かない振りをした。相手の望まぬ話を続けるのは、話す方にそれを続けたい理由があるからだ。
「そこでなのですが、是非ともライティラ提督に、式に参列して欲しいのです」
「私にですか?」
問い返しライティラは考える時間を稼いだ。
つまりこの男は、テチス海最高の名将を式に呼び箔を付けたいという事か。まあ、名誉を重んじる貴族の事。大人物を招きたいと考えるのもやむを得まい。
「はい。ライティラ提督を今宵お招きしたのも何かの縁。是非とも参列して頂ければと」
「分かりました。喜んでお招きにあずかりましょう」
カロージオ夫人も出席するはずだと考えた訳ではなく、あくまで縁を大事にしたのだ。今後を考えれば、ランリエル海軍に知己を作っておくのも悪くは無い。
「提督が父の結婚式に来てくれるなんて、本当に嬉しいです。叔母上も喜びます」
エリオにとって叔母上とはカロージオ夫人だ。そうか。夫人も自分の出席を喜んでくれるのか。ライティラは、うんうん、と頷いた。
「叔母上の衣装はきっとすごく綺麗ですよ。提督も楽しみにして下さい」
「ああ。そうしよう」
確かに、美しいだろう。
「僕も、叔母上が母になってくれるなんて嬉しいです」
「はい?」
ライティラは、思わず間の抜けた声を出した。反射的に向けた視線の先でカロージオ夫人は俯き、その表情は見えなかった。