第82話:海軍提督の営業活動
風を受け大きく帆を張り船が波を切り進んでいた。潮風に肌を黒く焼いた男が乗り込んでいた。
その日、バルバール王国海軍提督ライティラは、約1年半ぶりにランリエル王都へ向かっていた。
前回と同様、途中までは海路を進み、その後の陸路は馬車に身をゆだねた。ランリエル王都の門を潜ったライティラの顔が早速不快げに歪む。記憶にあるよりも更に人が増え、それが彼の神経を刺激するのだ。
どれだけ人が増えれば気が済むのか。馬車の窓から目を向け吐き捨てた。バルバールの貴族、特に若いご令嬢などは大国の都に憧れる者が増えているが、人ごみを嫌う彼にとってはどこが良いのか分からない。
そんな彼にも、ランリエルの地を踏むのに期待とも喜びとも言えるものがあった。だが自身、その感情に気付き自嘲の笑みを浮かべる。前回出会えたのは偶然だ。そんな偶然など2度とある訳がない。無意識に服の上から胸元を押さえた。そこには少し汚れた一枚のハンカチが仕舞われていた。
前回ランリエルに訪問したのは、ランリエル海軍の将来を担う士官候補生の教育の為だった。
ランリエルは長年、西に国境を接するカルデイ帝国と、北のベルヴァース王国を巻き込んだ紛争に明け暮れていた。カルデイとの戦いは陸戦を中心に行われた。両国の王都は内陸部にあり、海軍による海上からの攻撃が効果的とは考えられなかった。その為、ランリエル海軍の艦艇、海兵の質は、コスティラ王国と陸海共に激しく戦っていたバルバールに大きく劣っていたのだ。
事実は、ランリエルとバルバールとの戦いではその海軍の質の差が大きく物をいい、バルバールに対し3倍の戦力を有するランリエルが敗北寸前にまで追い詰められた。これをもって海軍増強の必要を痛感したランリエルでは、艦艇の増産と合わせ海軍士官の育成に力を入れている。
今日のライティラの訪問もその一環である。ランリエルでは軍艦の建造を自国でも行っているが、他国にも発注をかけている。その多くはバルバールが受注しているが、その市場を奪おうとコスティラが手を上げたのである。
一般的にバルバール艦艇は旋回能力に優れ、コスティラ艦艇は速度に優れていると評される。コスティラはその速度を売りに受注しようとしていた。その選定会議にてバルバール艦艇の優位を証明するのがライティラの役目である。そして、それに伴い、預かっているランリエル士官候補生の一時帰国も兼ねた。
当初、候補生達を預かるのは1年間と考えていたが、たった1年では海軍技術の全てを叩き込むのは不可能であり、その後はランリエルで続きを学ぶ予定だった。だが、そこでライティラは気付いた。そうなっては、毎年ランリエルで新たな候補生に教え、更にバルバールに連れて帰らなくてはならなくなるではないか。
やってられん。そう考えライティラはランリエルに申し入れた。
「技術の底上げをするには人から教えて貰うだけでは駄目です。人に教えられる人材こそを育成すべきでしょう。今預かっている士官候補生を3年かけて鍛え上げ、その後は彼らを教官とするのです」
何やらもっともらしく言い、現在預かっている者達に時間をかけて教育する事で毎年の負担を回避したのだ。そして3年間ともなると、さすがに望郷の念にもかられる。ライティラがランリエルに行くのに便乗し、彼らも一時帰宅する事になった。
それぞれ実家へと向かう候補生達と別れたライティラは、ランリエル王宮に向かいバルバールの大臣ハウッカと顔を合わせた。ランリエルとの商談を担当するこの大臣は、丸々と突き出た腹を持ち黒い頭髪のてっぺんは禿げ上がり周囲を残すのみだ。如才ない目がくるくると動き、その役割通り政治家というよりやり手の商人を思わせた。
「お主の活躍如何で、54隻の受注が決まるのだ。明日はよろしく頼むよ」
と、その台詞も商人そのものである。
「善処しましょう」
ライティラの返答は素っ気無いものだ。バルバール艦にも長所もあれば短所もある。明日の説明では長所を強調し、あえて短所まで言う積もりは無いが、聞かれれば正直に答える。それを聞いてどう判断するかはランリエルの勝手だ。54隻の造船ともなれば莫大な金額だが、結果がどうなろうと自分には関係ない。だが、商才ある大臣はライティラのやる気の無さを敏感に察した。
「この取引が纏まれば、海軍の造船部門の予算も増える。艦隊規模の拡大は一時の事ではなく毎年の維持費もあるから難しいが、現有艦艇や設備の修繕は可能だ」
「なるほど」
外見通りやり手の商人のようだ。ハウッカはランリエルの前にライティラに商談を持ちかけた。海軍提督であるライティラにとっても、自らが率いる艦隊に利するとなれば力を尽くす他ない。
翌日行われた選定会議という名の商談には、ランリエル側は海軍大臣ブラマーニと軍務大臣、その他数名の官僚だ。バルバールからはハウッカとライティラ。コスティラも大臣が海軍提督を連れている。
通常は海軍も軍務省に属しその担当は、軍務大臣だ。しかし海軍増強を急ぐランリエルでは特別に海軍大臣を設けていた。ただし実働部隊の指令系統としては、海軍は総司令であるサルヴァ王子が統括する。
それぞれ簡単に挨拶を行った後、議長を務める海軍大臣が早速バルバール艦の優位性について説明を求めた。答えるは勿論ライティラである。
「海戦において重要なのは船足と旋回能力です。両方優れていれば理想的ですが、そのどちらかを選ばなければならないなら、私は旋回能力を取ります。衝角≪しょうかく≫戦は如何に相手の側面に回り込むかです。そしてそれは、小回りが利く方が有利であり、バルバール艦はその旋回能力に優れています」
この世界には火薬という物が無く、無論大砲も無い。速度を生かして敵に近づいては大砲を撃ち、撃っては引くという戦法が取れず、攻撃方法は、相手に近づいて衝角と呼ばれる鉄の角で相手の船横に穴を開け沈没させるというものだ。
「良く分かりました。コスティラの方はそれについてどうお考えですか?」
次に口を開くのは、やはりコスティラの海軍提督であるブルガコフだ。巨人の多いコスティラ人にしては小柄といえるが、それでも標準的なランリエル人、バルバール人よりは背が高い。
「私はそうは思いません。無論、ライティラ提督のお言葉の全てを否定する気はありませんが、船足で勝っていなければ戦いの主導権を握れません。素早く有利な位置取りをし相手の側面を突く。海戦とはそのようなものでしょう。位置取りで負けては、旋回能力は相手の攻撃を避ける為のものでしかなくなります」
有利な位置とは海流の上流や風上を言う。海戦の最中は火矢の攻撃を警戒し帆を張らないが、それでも風上を取る方が速度は出る。元々の船足の良さに加え位置取りに勝れば更に速度は増すのだ。
「バルバールは旋回能力が重要と言い、コスティラは船足が重要と言う。さて、テチス海の名将である御2人の意見が分かれたとなると、私などには判断がつきませぬ。どうですか。御2人で議論なされては」
要約すると、司会は放棄するので勝手にやり合えという事だ。もっとも、ランリエルの海軍大臣が艦艇の優劣を判断できるならば自分は呼ばれていない。まあ、やむを得ぬか、とライティラは改めてブルガコフに視線を合わせた。
「船足早く位置取りも有利となれば海戦の序盤は優位に戦えましょう。ですが、戦いが長引き乱戦となればその利点は失われ旋回能力がものを言います。序盤の勢いのまま勝敗が決する事など稀。長期戦となれば、旋回能力に優れている方が有利です」
無論、ブルガコフも応じる。
「乱戦になれば旋回能力が重要となるのは認めます。しかし優れた指揮官はそもそも乱戦にさせないものです。速度を持って有利な体勢から敵に一撃し、乱戦となる前に速度を活かし離脱。改めて有利な位置を取るのです」
一撃離脱戦法というものだ。船足の速い艦艇での理想的な戦術である。だが、それだけにライティラから見れば現実的ではない。
「そう上手く行けば良いでしょう。しかし、海の上では何が起こるか分からず、だからこそ旋回能力に優れ乱戦に強い方が臨機応変に対応出来るというものではありませんか」
「有るかどうか分からぬ何かに備えるより、確定された有利を取るべきではないですか。船足に優れている方が確実に有利な体勢で開戦出来るのですから」
体格が良く膂力に優れるコスティラ人は、打撃系の武器で力いっぱい相手を殴れば勝てると考えている節がある。事実、彼らの腕力の前には多少の技量の差など意味を成さない。その彼らと長年戦っていたバルバール人は、力に対抗するのに技巧と集団戦の技術を磨いた。その影響が海の上にまでおよび、海戦の思想の違いとなっていた。
そして議論の元となる思想が違えば、幾ら優劣を争っても話は噛み合わず議論は平行線だ。ならば実績の優劣を議論の争点とするしかない。
その時、背後でカチャリと音が鳴った。反射的に振り返るライティラの視線の片隅でランリエルの大臣達が慌てて椅子から立ち上がるのが見えた。
「こ、これは殿下」
「少し時間が出来たので様子を見に来た。私は気にせず話を続けてくれ」
そう言いながらサルヴァ王子は部屋の隅にあった椅子に無造作に腰掛けた。バルバールとコスティラの大臣も突然の王子の出現に少し慌てた様子で椅子から腰を浮かせ挨拶を行っている。ライティラは王子の言葉通り気にしない事にした。ブルガコフも同じ考えなのか平然と椅子に座ったままだった。
「そ、それではお言葉に甘えまして、続けさせて頂きます」
「ああ」
海軍大臣への王子の返答は短く、だが突き放すふうではなく冷たくも無い。かと言って無機質でも無かった。自分が上位者であると相手に威圧を感じさせぬまま自然とそう認識させるものがあった。組織上の上下関係よりも、能力、実績の多寡で人物の優劣を判断するライティラにして、それを感じた。
負けず嫌いの気のあるライティラは、意図的にそれを頭から追いやり、王子の言葉通り本来の議題へと意識を向けた。
「バルバール艦とコスティラ艦。そのどちらが優れているかはその実績を見れば明らか。艦隊を率いる提督の指揮能力が同じならば、勝敗は艦艇の性能によって決まります。そしてバルバール艦隊がコスティラ艦隊に負けた事はありません」
目を僅かに細めブルガコフに視線を向け言い放った。逆に言えばコスティラ艦が優れているにもかかわらず負けたのなら、コスティラ海軍の提督の指揮能力に問題があるからだと、当のコスティラ提督に突き付けたのである。
会議の前、よろしく頼むと言ったバルバールの大臣も、ここまでやれとは言ってないと、ひやりと背中に汗を流した。他の大臣達もブルガコフが激高しないかと視線が落ち着かない。サルヴァ王子は興味深げだ。
「コスティラ艦隊がバルバール艦隊に常に遅れを取って来たのは認めますが、それはテルニエ海峡の地の利をバルバールが得ているからです。両手を縛っている相手に勝ち、剣が優れているからだと叫んだところで虚しいだけでしょう。それとも両手を縛っている相手に勝利するのに技巧を誇りますか」
バルバール艦隊の勝因はあくまで地の利のお陰。艦隊の性能の問題ではなく、ましてや提督の能力の差でもない。という言葉を、ブルガコフは毒入りの糖衣≪オブラート≫に包み投げ返した。
ランリエルの大臣がバルバール、コスティラの大臣に、どうしてこんな血の気の多い者達を連れて来たのだと非難の視線を向けた。それを受けた大臣達も、視線で自国の提督に自制を求めるが、ライティラはそれで大人しくするような手合いではなかった。
「バルバール艦隊が内海まで進出し、そこでの海戦でも我らが勝利したはず。自身の都合の良いところだけに目を向けても、真実は見えますまい」
「なるほど。全く見事な奇襲でした。我がコスティラ艦隊のほとんどの艦は出港すら出来ぬまま海の藻屑と消え、やっと集結した時にはバルバール艦隊の半数でしかなかった。我が海軍では、2度と同じ轍を踏まぬように大幅に組織を改編せねばならなかったほどです」
ブルガコフは一歩も引かない。あくまで奇襲での成果であり、正面から戦ったのではない。そして2度と同じ手が使えると思うなよ。と、ライティラから視線を外さない。
よりによってサルヴァ王子が来ている時に何をしてくれているのだ。ランリエルの海軍大臣ブラマーニは、目の前の慇懃無礼な者達と彼らを連れて来たバルバールとコスティラの大臣を呪った。王子さえ見ていなければ宗主国の大臣として怒鳴りつけてでも黙らせるのだが、サルヴァ王子はそのような態度を嫌う。さりとて2人の暴虐を許せば、ろくに会議も仕切れないのかとそれはそれで能力を疑われてしまう。
ここでズバッと誰もが納得する裁断を行い会議を仕切れれば良いのだが、ブラマーニに艦艇の知識は無い。だが、彼も大臣にまでなった政治家。奥の手の対処法も心得ていた。政治家の能力とは寝技の能力でもあるのだ。
「2人とも少し熱くなっておるようですな。これでは冷静な議論は出来ぬでしょう。今日はここまでにして、後日、頭を冷やしてから続きと致しましょう」
だだの問題の先延ばしだが、まあ、こう言って置けば、激高した短慮者を諌める冷静な人物と見られる。サルヴァ王子にも面目は保てる。
「面白い」
どこがだと、反射的に不機嫌な顔を向けたブラマーニが慌てて媚びた笑顔を作った。サルヴァ王子は気にしたふうも無く、バルバールとケルディラの提督に視線を奔らせ両者が怯まず視線を受け止めたのに満足して頷く。
「つまり、実際に戦って見なくては艦艇の良し悪しなど分からんという事だ。ならば同じ条件で戦ってみよ」