第80話:論戦
ロタ王国国王ランベール率いる国王軍はロアンヌの戦いでサヴィニャック公ら諸侯勢に敗北。その数を減らしながらも王都を目指した。辛くも追撃を振り切ったが被害は大きく、更にそれを超える逃亡者が続出。その数は3千を割った。しかもロタ王国王都ロデーヴは要塞としての機能より、貿易国家としての利便性を考え置かれた都だ。守りに適さず勝敗は決した。
ランベール王から毎日のように使者がやってきた。ある日は諸侯が王に歯向かう非道を訴え、ある日は王の下に諸侯が従うのが秩序であると道を説き、ある日は王を親、諸侯を子に例えて情に訴え和睦を叫んだ。諸侯は歯牙にもかけず今後の対応を協議した。
「ランベール王は、いやランベールは既に王の資格無し! すぐさまその一族と王に組した者達を全て討ち取るべきです!」
政界の大物であるベタンクール公爵が叫んだ。王の一族を殺せと主張するこの白髪の多い痩せた老人も、実は祖母は当時の王の娘であり王家の血は流れているのだが、政略結婚の多い貴族社会においてそれを指摘しては自身に帰って来ると皆気付かない振りをしている。
「左様。王の一族を討ち漏らせば、王家再興などと言い出す輩も出てきかねません。ここは禍根を断つ為にもご決断を」
ボナール伯爵が賛同し更に彼方此方からも声が上がる。もはや王家の命運は尽き、その領土は料理され晩餐の席で切り分けられるのを待つばかりだ。しかし出席者は多く、王家の領土だけでは分け前が少なく腹は満たされない。腹を満たす為には料理の数を増やす必要があるのだ。
しかも主席者の中には摘み食いをし1人だけ満腹になろうという者もいた。
「ムーズの領主ビュファール子爵はサヴィニャック公に忠誠を誓うも、その領土を王党派に挟まれやむなく彼らに属したのです。なにとぞ討伐の対象から外すよう、お願いいたしまする」
ブルダリアス伯爵は裏で手を回し、ビュファール子爵の一人娘と自身の跡取りとの結婚を約束させていた。他からも利や敵味方に分かれた兄弟の情からなどの嘆願も続出する。
盟主であるサヴィニャック公も、纏め役であるバシュラール侯爵も諸侯を制御しきれず連日会議を行っても終わりを見せない。この状況を打開すべく、サヴィニャック公は会議の後部下を招集し意見を求めた。
「その方達の働きも有り王となれるのは良いのだが、皆好き勝手ばかり言いおる。どうすれば良いか考えのある者は申してみよ」
意見を求める者としては居丈高な物言いだが、公と彼らの関係は、彼らの能力や献策に見合った金や地位を公が与えるというものだ。客が商品を見せろというのに下手に出る必要は無い。
「前ロタ王家が今滅ぶのは、諸侯をないがしろにし我が身の富貴のみを求めたからです。同じ轍を踏まぬ為にも出来るだけ多くの領土を獲得し、それを諸侯に分配して彼らの心を掴むべきでしょう」
早速、中々一理ある意見が出されたが、我こそはと思う者は後につかえている。早々意見が取り上げられては彼らの出番がなくなってしまう。寄って集って足を引っ張り出した。
「余りにも多くの領土を諸侯に与えては、彼らの力が強まり、サヴィニャック公から更に王位を奪わんと考えるやもしれませぬ」
「その通り、全く愚にも付かぬ策ですな」
無論、言われた方も黙っては居ない。
「何を言うか。誰も得た領土全てを諸侯に与えろとまでは言っておらん。当然、サヴィニャック公自身も十分な領土を得た上でだ」
と反論するが、足を引っ張る者達の勢いは止まらない。姑が部屋の隅に指を擦り付け、埃が残っていると嫁の掃除にケチをつけるように執拗に攻撃し続ける。1人を撃退しても次々と現れ結局その者の意見は潰されてしまった。
それを眺めるリュシアンの視線は冷静だ。彼から見ても悪い策では無かった。悪かったのは発言する時期≪タイミング≫だ。皆自分の策こそをと考えている。会議の開始早々意見を述べれば集中砲火を浴びるのは目に見えていた。
だが、自分が献策するより先に他の者の策が取り上げられては遅い。焦り己の策を発言する者も後を絶たない。
「王の一族はすべて討伐するのは当然ですが、王に組しただけの諸侯はあえて罰せず恩を売って忠誠を誓わせ、サヴィニャック公直属の勢力とすべきです」
まあ、これも一理あるか。リュシアンは認めたが、
「だが、潰されるな」
と誰にも聞こえぬ小さな呟きを漏らした。
「何を言うか! そのような甘い対応を取れば、サヴィニャック公に逆らっても許されるのだと軽挙に走るものが続出してしまうわ!」
「今は、サヴィニャック公が王となりロタ王国に新しき秩序を作る時。いずれは規律を緩める事も必要であろうが、始めから甘い対応を取っては侮りの元となろう」
その後も意見が出されては潰され、数時間が経過した。皆疲れ果て意見を持つ者も少なくなり、活発だった議論も沈黙が多くを占め始めた。そろそろ頃合か。リュシアンが静かに歩み出た。
「王とその一族の領地は全て取り上げるのが宜しいかと。また王に組した者達は吟味し許すべき者は許し、ランベール王への忠誠が強き者はやはり領地を取り上げましょう。但し、王は殺さず国外追放にすべきです」
現在リュシアンは、ブランの副官として戦場に出ているが本来の才能は文官としてのもの。軍勢の駆け引きにおいてはディアスや他の国々の総司令達に及ばないが、逆に政治の話となればそれらの者達もリュシアンに一歩譲る。
今まで他者の意見を潰し続けていた者達も反対に自身の意見も潰され代案は尽きている。疲れ果ててもおり、気力、体力が充実している時ならばこの意見も皆で潰すところだが、最近リュシアンはサヴィニャック公のお気に入りだ。このままリュシアンの意見に同調し恩を売っておこぼれに預かった方が良いのではという雰囲気が場を包んだ。
「国外追放と簡単に申されるが、追放した王を旗印に我が国を侵略しようとする輩が現れぬとも限りませぬ。慎重になるべきではありませんか」
皆の視線がバルバストルに向いた。リュシアンを競争相手と認識し挑発的な視線をリュシアンに向ける。彼もこの時を狙っていたのだ。今まで議論は聞き流して体力、気力を温存し、声は疲れを感じさせず張りがあった。彼らにとって議論の場こそが戦場だ。最後まで手の内を明かさない者が優位な位置を占める。
「無論、その危険は重々承知。しかし物事に完璧はありえません。成す事による損より益が勝れば事を成すべきではありませんか。サヴィニャック公は諸侯からの支持とタガンロの誓約によって王位に就かれる。旧ロタ王家が王の資格を失ったゆえ、サヴィニャック公が王となられるのです。それは禅譲であるべきです。確かに王を追放すれば、追放した先の国に侵略の名分を与えますが、殺しては全ての国々からの侵略の理由となりかねません」
各国の王家にしてみれば王位簒奪などを許せば自国の体制すら揺るぎかねない。自分を守る為にも王位簒奪を行った不埒者はこの地上から抹殺すべきだ。だが、それにも攻める大義名分が必要である。とにかくランベール王の助命を条件に禅譲させる。その後追放されたランベール王が何を喚こうが、それは負け犬の遠吠えである。
「リュシアン殿。そう熱くなるものではありません。私は慎重になるべきと申しただけで、追放に反対しているのではありませぬ。人の話はよく聞いて頂きたい」
自ら挑発的な視線を向けて置きながら、バルバストルはリュシアンを諭す物言いだ。バルバストルの罠だ。このやり取りでは、バルバストルがリュシアンより一枚上手に見える。
「それは失礼致した。では、改めてバルバストル殿のお考えをお聞かせ願いたい」
リュシアンは内心の不快を抑えて矛を収めた。これも交渉の技術だ。時には自説にいつまでも拘らず素直に謝罪した方が器が大きく見えるものである。
「追放するにしても、それにどう意味を付けるかによって状況は大きく変わります。すなわち野に放つのか檻に入れるのか。無論、檻に入れるべきであり、それも出来るだけ強固な物がいい。そしてそれが檻に見えぬのなら理想的です」
バルバストルは一旦言葉を切り辺りを見渡した。サヴィニャック公を含め皆疲れ果て早く結論を出して欲しそうな雰囲気の中、リュシアンのみが真っ向から視線を受け止め、その瞳で続きを促した。
「デル・レイのアルベルド王にランベール王を預かって頂くのです」
なるほどな。リュシアンは言葉にならぬ呟きを漏らし、周囲もざわめく。現在、大陸ではアルベルドの名声は高く、彼に預けるなら他から非難は出にくい。
「形としては亡命となりますが、滞在の費用はこちらで持つ事になりましょう」
多くの者が頷く中、最後の気力を振り絞り反論を試みようと1人の男が口を開いた。
「しかし内乱への干渉を排除する為とはいえ、デル・レイ、ランリエル、共に援軍を頼み結局は彼らの顔を潰しておりまする。今更アルベルド王が我らの頼みを聞いてくれますでしょうか」
「何を仰る。アルベルド王にランベール王をお任せするは、むしろアルベルド王にとっても利となりましょう」
相手の顔を立てる為にあえて借りを作る。交渉の手段としてはよくある手だ。デル・レイとてロタを味方に付けたいのだ。
内乱時に他国からの軍事介入を嫌ったのは、それでは借りが大き過ぎ折角王権を得ても他国の傀儡政権になりかねないからだ。そのまま他国の軍勢が駐在し続ける事もありえる。それゆえ強引な手でデル・レイ、ランリエルの軍勢を門前払いしたのだが、現実問題、昨今の情勢ではどちらかに付くしかない。そして皇国との繋がりも考えればデル・レイを選択するのが無難だ。
前国王の身を預けるのは王朝再興の名分を与える事になるが、それによって現ロタ王家の実権が奪われるほどではない。傀儡とされるほどには大きくなく、しかし決して軽くはない借り。まさに絶妙の均衡だ。
「バルバストル殿の案で宜しいかと」
リュシアンがそう言ってサヴィニャック公に一礼した。バルバストルの眉がピクリと動く。リュシアンがあっさりと引いたのは良いが、攻撃的な彼にしてみれば何か裏があるのではと不気味に感じる。もっともこれはある種買いかぶりだ。彼が思うほど、リュシアンがここで功績を得ようとは考えていない。
サヴィニャック公も疲れ果てており、やっと結論が出たかと頷くと早々に部屋に戻り他の者達も続々と退出する。リュシアンもその人ごみに混じり席を立ったが、その背をバルバストルが最後まで見詰めていた。
リュシアンが屋敷に戻ると、ブランとアレットがまだ起きていた。リュシアンの姿を見つけアレットが酒の用意をしたが、何故か杯が3つある。
「なぜお前がそこに座る」
せめて2人の話の邪魔にならないように隅に座るならまだしも、当然のようにブランとリュシアンの間に座ったアレットにリュシアンの視線は冷たい。
「いいじゃない。お酒を注ぐのにやりやすいのよ」
アレットの言葉は何気ないが反撃を許さぬものがあり、国政を論じるほどの論客であるリュシアンが思わず口を閉ざした。どうにかならないのかとブランに視線を送るが、ブランは気にした風もない。
「それでどうなった」
とリュシアンを促した。気付くと既に杯から酒の半分が消えている。
「ランベール王はデル・レイのアルベルド王に任せる。後は、だいたい俺が考えた通りだ」
「へー。凄いね」
お前は喋るなと、リュシアンはアレットの賞賛を無視して目を瞑り杯に口を付けた。そのあからさまな態度にもアレットは動じない。
「じゃあ、ブランが独立何とかって騎兵隊の隊長になるっていうのも?」
と更に問いかけ、事がブランに関係するので忌々しく思いながらもリュシアンも無視出来ない。
「その話はまだだが、それも通るだろう。断られる理由がないからな」
武人の高位といえば頂点が軍務大臣、実働部隊の長が総司令。次に国王親衛隊隊長や王国騎兵隊隊長が続く。王国騎兵隊隊長だったボネは、その地位をブランに奪われてなるものかと功を焦って命を失ったが、ブランにその地位は似合わぬとリュシアンは考えていた。それを内乱時の戦いで嫌というほど分かった。
独立した騎兵隊の隊長でこそブランは力を発揮する。器が王国騎兵隊に足りぬのではない。ブランの器が王国騎兵隊を超えるのだ。ブランの虎の本能が縛られるのを嫌う。勝機をその嗅覚により嗅ぎ付け一気に敵の急所を食い破る。それがブランだ。
それから更に杯を重ね、ほとんど明け方になったころリュシアンが席を立った。続いてブランも立ち上がった。リュシアンの数倍は飲んでいるにも関わらず足取りはしっかりとしたものだ。危なげない足でリュシアンより先に部屋に戻った。
足元の危ないリュシアンも部屋に戻ろうとするとその背をアレットの声が追いかける。
「そういえばあんたさ。ブランの事愛してるかと思ってたんだけどさ」
またその話かと、リュシアンは振り返って睨んだが、当のアレットはこちらを向いておらず酒を片付けている。
「本当は、私の事好きでしょ?」
そう言い残し居間から姿を消した。その姿を呆然と見送る。明かりも落とされ暗闇の中1人で立ち尽くし、かなりしてから我に返った。
「あの女。頭おかしいんじゃないのか」
常に無く口汚く罵ったリュシアンだったが、しばらくその場から動かなかった。東の空が白み始めていた。