第79話:ロアンヌの戦い(2)
ロタ王国ロアンヌの地で、国王勢とサヴィニャック公ら諸侯勢との戦いは激しさを増していた。正面では歩兵同士の矢戦が行われ王家側が優勢である。南方、ブラン達から見て左側の戦いは諸侯勢に味方する王国騎兵隊が敵陣に突入したものの、押しつつまれ隊長ボネ以下多くの騎士を失い壊滅した。王国騎兵隊を血祭りに上げ巨人達が雄叫びを上げる。
「コスティラ人? いや、ケルディラ人か」
コスティラ人とケルディラ人。人種的には同一で見分けが付かない。リュシアンが彼らをケルディラ人を見たのは情勢を考えてだ。ケルディラ王国軍は参戦していないはず。コスティラ王国軍も不参加だ。だが、目の前の巨人達はどちらかの兵士に間違いない。ならば正規の軍隊に属さない者だ。
ケルディラはランリエルに征服され3分の1の領土を失い、その地域の領主に雇われていた騎士や兵士の大半も職を失った。征服者であるランリエルに雇われたいと思わないし雇ってもくれない。ランリエルと敵対する国に雇って貰うのが道理というものだ。ランリエルに征服されたのはコスティラも同じだが、数年の時を経て両国の関係は安定している。
「しかも、今までは金を惜しみ渋っていた歩兵の重装化も進めたか」
軍馬は貴重なものだ。いかな屈強の戦士でも主から馬を与えられるのは余程名が通った勇者だけで、大半の者は自前で用意しなければならない。彼らの中にも職を失った当時は馬を持つ騎士も居たのだが、物事を深く考えない彼らは貧窮すると早々に馬を売っぱらい酒代に換えていた。だが、ロタ王は馬の変わりに頑丈な甲冑を彼らに与えたのだ。
「騎兵の数で劣るのを重装歩兵で補おうというのか。元々槍兵は騎兵と相性が良いが、更にあの巨人達に重装の甲冑。かなり厄介だな」
その対策に、また敵に勝つ事より権力争いが中心のあの軍議か。リュシアンの目が醒めたものに変わる。見る限りではボネは逃げ切れていないようだ。次は皆尻込みし自分達に任せるというかもしれないが、もしかすれば王国騎兵隊ですら失敗した任務をやり遂げれば比類なき武功と手を上げる奴がいるかも知れない。
そうなればまた持ち場で見物。これが出世というものか。敵が目の前にいて、さらに作戦を進言しても他の者が戦うのを指を咥えて見ているしかない。ブランは虎だ。孤高の虎だ。それが首に鎖を繋げられ飼い慣らされるのか。
「行くぞ」
ブランが行った。どこへ? とリュシアンは思った。軍議にか? いや、違う。
「来たい奴だけ、来い」
リュシアンの身体を歓喜が突き抜けた。そうだ! それでこそ虎だ! それでこそ俺のブランだ! 誰も虎を繋ぎとめる事など出来るものか!
アレットはリュシアンに、ブランを愛しているのかと問うたが、それは間違いだ。それ以上のものだった。それは憧憬。いや、崇拝。ブランと出会った少年の日に、誇りある虎に魅入られた。そして自分の役目は、いかなる時も虎を虎でいさせる事。
「ブラン騎兵連隊の者は隊長に続け! 他の者達は各自の判断に任せる! 主に問わねば己の進退も決められぬと言うなら聞いて来い! 但し我らは先に行く!」
リュシアンの言葉に諸侯の騎士達は青ざめた。強制ではなく自由にしろと言われ、敵を前にし一々主人の元に戻ってお伺いを立てねば自身の行動すら決められないとはまるで子供かと、それまで培ってきた武名が地に落ちる。
「無用!」
名誉を守る為、むしろ怒りを表し騎士が馬の腹を蹴った。次々と他の騎士達も続き、将軍達にお伺いを立てろと進言した初老の騎士も俯き無言で追いかける。
ブランが先頭を駆ける。王国騎兵隊が突入した敵陣の南側には目もくれず突き進む。これでは風上の優位は取れない。だが、リュシアンはブランの虎の嗅覚に賭けた。矢戦を行いもうすぐ槍を交えるほど敵と近づこうとする歩兵達の背を左手に見ながら更に駆ける。敵陣の北側。風下から攻めるというのか。余りにも無謀だ。しかし虎に命を預けた。
敵陣の北でブランが馬を竿立たせた。皆も倣う。皆無言だ。ただここまで駆ける。それだけでブランが放つ獣気に酔い、自らも獣の群れの一匹となりその目は鋭く、群れの頭≪かしら≫の命令を待つ。
強い風が吹いている。サヴィニャック家の紋章を記した旗指物が激しくはためき、時おり止まり、またはためく。何かを待っているのかブランは動かない。風が止まり、またはためく。
「遅れるな。俺の前に出るな」
呟きブランが駆けた。その呟きが耳に届いた者は少なかったが、全員が理解した。頭に遅れず、頭の前に出ない。それが獣の群れの常識だ。
ブラン達の突撃に王国軍から矢が放たれた。正面での戦いは激しさを増しその数は決して多くは無いが、それでもブラン達2千を迎え撃つには十分だ。風上からの射撃は飛距離は出るが、遠ければ命中精度が落ちるのも当然。初弾の多くは的を外した。だが、それは距離感を掴む為。本番は2射目。しかしまだ距離が遠く精度は低い。それでも十数騎が打ち落とされた。次は更に精度が高くなる。
「続け」
ブランが速度を上げた。他も倣う。数千の矢が頭上を越えた。王国騎兵隊隊長ボネが使った手だ。ブランは瞬時にそれを我が物としていた。
敵陣は目の前。射手が次の矢を構える。同じ手は効かない。かなりの被害が出るはずだ。不意に風が止んだ。矢が放たれた。風が止み飛距離は短くなる。だが、的が近づけば風の影響は少ない。多少飛距離が短くなっても、ほとんどの矢がブラン達に届く。むしろ、先頭を行くブランに多くの矢が集中する。
風が吹いた。矢が降り注ぐ。ブランの愛馬が、地面に突き刺さった矢を踏み潰す。続く騎士達も踏み砕き矢が粉々になる。
矢は、先に重い鏃、後ろに矢羽を付け状態を安定させて遠くまで飛ぶ。追い風を受ければ飛距離は伸びる。だが、遠矢は斜め上に放ち弧を描いて落ちるのだ。その落下時に追い風を受ければ、矢羽で風を受けて矢は垂直になりむしろ飛距離は落ちる。虎の嗅覚で風を読んだ。何故分かったのかと問われればブランにも答えられない。今ならいける。そう感じた。
4本目の矢をかわし敵陣は目の前だ。敵騎兵が現れ行く手を阻む。王国騎兵隊と同じく乱戦に持ち込み敵陣に切り込むべきだ。その後、ケルディラ重装歩兵をどうするか。
「蹴散らせ!」
ブランが、両腿で馬の腹を挟み両手で虎牙槍を構えた。目の前の敵を斜め下からぶん殴った。切ったのではない。虎牙槍の背で殴った。騎士は吹き飛び同僚の騎士に激突した。その騎士も地面に落ち、味方の馬蹄に踏み潰され肉塊と成り果てる。
如何な強敵でも数十騎で取り囲めば討ち取るのは可能だ。味方がどれほど殺られても、疲れ果てた敵を最後には討ち取れる。冷静に考えれば、いや、他人事として考えればだ。始めの数名は捨石だ。その捨石になりたい者など居はしない。
ブランが進むところ、海が割れる神話のように敵が逃げ散り道が作られた。そこにリュシアン達も続き、逃げ出す敵の背を目掛け槍を繰り出す。
「静まれ!」
敵の騎兵隊隊長が叫んだ。勢いに乗る諸侯勢に向かって槍をかざし突き進み、一合の元突き落とす。さすが隊長に選ばれるだけの男。だが、我が隊の隊長ブランの武勇は更にその上を行くはずと、部下達の視線がブランを追う。ここでブランが敵の隊長を討ち取れば敵は戦意を喪失し、味方の士気は敵を飲み込む。
「捨て置け!」
ブランの叫びに、一瞬耳を疑った。しかし次の瞬間には敵の隊長には目もくれずブランの後を追う。頭の命令だ。群れは従うしかない。
「逃げるか! 虎将とは名ばかりか!」
敵の隊長が吼えた。屈辱。余りにもの屈辱。ブランが本当に逃げたのならいい。しかし周りの者達も、隊長自身も理解していた。本当に相手にされていないだけだ。ブランを懸命に追った。将としては、自分を無視して進む敵部隊の背を討って損害を与えるべきだが、騎士としての血がブランとの一騎打ちを望んだ。一騎打ちでブランを倒さなければ、騎士としての名誉、誇りを失う。
ブランが敵騎兵隊を突き抜けた。乱戦に持ち込まず、一気に切り裂いた。そのまま敵陣に切り込む。その先にケルディラ重装歩兵が居るはず。手綱を持つリュシアンの手に汗が滲む。
先頭を行くブランが敵の射手、槍兵を蹴散らす。ブランが作った傷口を付き従う騎士達が更に裂き、国王勢に混乱が広がった。ケルディラ重装歩兵はなぜ出てこない? リュシアンがいぶかしんだ。奴らなら我が隊の勢いも止められるはずだ。そうか!
ケルディラ重装歩兵はそう多くは無いのだ。幅2500サイト(約2.1キロ)程度の戦場だが動きが鈍い重装歩兵が動くには広大であり、状況報告、命令伝達の時間を考えればすぐさま駆けつけるのは不可能。味方の騎兵で足止めし、その間に襲撃地点に駆けつけるのが作戦だったのだ。
ブランは敵騎兵には脇目も振らず一気に駆け抜け敵陣に切り込み、ケルディラ重装歩兵が迎撃の準備を整える時間を与えなかった。
正面では、既に味方の槍兵も敵と槍を交えていた。ブラン達が陣内に突入し暴れまわると背後を脅かされた敵槍兵が浮き足立った。リュシアンが1隊を派遣し敵槍兵の後ろを突かせると一気に崩れる。正面の戦いも諸侯勢が敵の隊列を突き崩した。
ここに来てケルディラ重装歩兵が到着したが、既に国王勢は混乱の極み。隊列を組んでの組織立った動きは出来ない。ケルディラ人の個々の武勇は恐るべきもので、それでも諸侯勢の兵士を蹴散らしたが、ブランを先頭に進む騎兵の突撃に1人では太刀打ち出来ない。巨大な熊の群れも1匹1匹狩られた。
頼みの綱のケルディラ重装歩兵も破れ大勢≪たいぜい≫は決した。国王勢は総崩れし諸侯勢は追撃を開始する。今まで戦いに参加していなかった本陣に控えていた他の騎兵や後詰の兵もここが手柄の立て時と勇み追撃に参加する。お上品な国王親衛隊は、戦闘に参加せずに手柄だけを求める下品を嫌い動かなかった。
「ブラン殿! 正統なるロタの国王陛下ランベール王から騎兵を任されたクロヴィス・アズナヴールと申す。ブラン殿との一騎打ちを所望!」
ブランが目を向けると、敵騎兵隊の隊長が槍を振り回し諸侯勢の兵士と戦いながらも叫んでいた。味方が敗走する中ブランを追い続け踏み留まっていた。既に身体には数箇所の傷があり満身創痍だ。槍と甲冑が自分と敵の血で赤く染まっている。
「ブラン殿! 一騎打ちを!」
その姿は滑稽だった。勝敗は決し今更ブラン1人討ち取ったところで逆転は不可能。それに戦いぶりを比べて見てもこの男とブランとでは格が違う。無論、勝負に絶対はない。格下相手に思わぬ不覚を取る事もある。しかしだからこそ、ブランにとって一騎打ちを受ける理由がない。
「道を開けろ!」
ブランが叫んだ。これがブランだとリュシアンは思った。利で考えれば受ける奴は馬鹿だ。それでも受ける。格好を付ける為ではない。挑まれ頭に血が上り短慮に受けたのではない。満身創痍で一騎打ちを求める相手を哀れんだのでもない。相手が命を賭けているからですらなかった。命以上のものを賭けていた。誇りだ。誇りを賭け挑む者を無視する事は出来なかった。
「シャルル・ブラン。クロヴィス・アズナヴール殿の一騎打ちをお受けする!」
普段は女みたいだと嫌うシャルルを名乗った。アズナヴールは一瞬泣き笑いの顔を見せ、次の瞬間表情を引き締めた。
「ありがたし!」
アズナヴールが槍を手に駆けた。取り囲んでいた兵士達はブランの言葉に従い道を開けた。一直線にブランへと馬を奔らせる。槍を構えた。ブランの身体の中心を狙った。
ブランも馬の腹を蹴った。片手で虎牙槍を水平に構えた。2騎の距離が縮まる。虎牙槍と槍が太陽を反射させ光った。
更に距離が縮まる。あからさまに槍はブランの身体の中心を狙い。虎牙槍はアズナヴールの首を狙う。避けようと思えば避けるのは簡単だ。その代わりに自分の攻撃もぶれ相手に当たらない。
そのまま駆けた。構えは変わらない。近づく。虎牙槍が動いた。遅れて槍が突き出される。激突。金属が激しく打ち、削られる不快な音が鳴りすれ違う。
ブランの身体から槍が伸びていた。甲冑の中心を僅かに逸れ、表面を削りながら滑り脇腹の辺りを貫いた。内臓は避けられたものの骨は砕かれ滴り落ちた血が馬体を赤黒く染める。
アズナヴールの首が奇妙に傾げた。その重みに引き摺られるように身体が傾き地面に崩れ落ちた。首から赤い水溜りが広がる。
諸侯勢の兵士が、まるでこの一騎打ちで勝利が決したかのようにそれぞれの武器を頭上にかざし勝ち鬨を上げた。うつ伏せに倒れたアズナヴールの胴体と首は皮一枚で繋がり、首だけが上を向いてその光景を眺めていた。
その顔に満足の笑みを浮かべていた。