第78話:ロアンヌの戦い(1)
ロアンヌ。ロタ人でも知らぬ者がいるほどの過疎の進んだ地域だ。それが、ロタ王国王都ロデーヴとサヴィニャック公の領地サヴィニャックとのほぼ中間に位置する。ただそれだけの理由で、ロタ王国史にその名を刻んだ。その地に数万の軍勢が集結したのだ。
南西に陣を敷くロタ王家の軍勢、騎兵2千、歩兵2万8千。北東に陣を構えるサヴィニャック公を旗頭とする諸侯の軍勢、騎兵7千に歩兵2万6千が草原にひしめく。兵士達が放つ殺気に大地が共鳴したのか強風が吹き荒れた。
「歩兵が多いな」
ブランが前方を睨み言った。いや、本人に睨んでいる積もりは無い。鋭い視線が常に相手を威圧するのだ。まだ戦いは始まらぬと兜は鞍に掛け、虎牙槍を片手に時おり身じろぐ愛馬を巧みに御した。
当初の予定では王家の軍勢は騎兵2千。歩兵2万2千と計算されていた。騎兵は予想通りだが歩兵は6千も多い。それでも総兵力では諸侯勢が上回る。
ブランの横には親友にして副官であるリュシアンが居た。槍と弓を鞍の脇に掛け、両手で手綱を握っている。本来文官であるリュシアンは武芸を身に着けておらず、槍を片手で振り回せる膂力も無ければ、片手で馬を操る馬術も無いのだ。
「ここで負けては全てを失うとなけなしの財をはたいて掻き集めたらしい。だが、所詮は急造の兵だ。ものの役には立たない」
リュシアンは冷静に分析したが、ブランは敵陣に目を向けたまま僅かに首を振った。
「自軍が優勢な時は、経験の無い者ほど勢いに乗り意外に厄介な時もある」
リュシアンが頷く。素人ゆえに深追いの危険が分からず、果敢な突撃をする事もあるのだ。
才はあるがまだまだ若いリュシアンは、頭の中の計算を優先して考えてしまう事が多い。それによって、戦場の感を優先させるブランを補う事もあるが、ブランに補われる事もあった。1人で出来なくても良い。2人で出来れば良いのだ。
不意にブランの額に汗が流れた。戦いの前の緊張の為ではなく興奮からでもない。純粋に暑さからの汗だ。だが、それゆえに不快だった。
「暑いな」
「土地の古老から聞いた話では、今年は春が来るのが早かったそうだ」
応じたリュシアンも不快げだ。
「いつもの年ならこの時期は風が無いか、吹いても北からなのだそうだが……」
「南からだな」
ブランの言葉に初めて緊張が浮かんだ。
両軍合図の鐘を打ち、前進を始めた。矢の射程距離に入れば矢戦が始まり、次に歩兵が槍を合わせる。敵軍が崩れれば騎兵が突入し止めを刺す。これが基本だが、騎兵に敵軍を突き崩させる事もある。どちらにしろ初めは矢戦からだ。
かなり遠い距離から国王勢が矢を放った。想定していたよりも遠方からの射撃に諸侯勢が狼狽する。
「た、盾をかざせ!」
万を超える矢が空を覆った。慌てて盾を頭上にかざすが乱れ隙間が多い。雨のように降り注ぐ矢が、その隙間を潜り抜け悲鳴が上がった。手足を射られた者はまだ幸運で、運の悪い者は心の臓を射抜かれた。早くも緑の草原が朱に染まり、不気味な模様を描き始めている。
「射返せ!」
士官の怒声が飛び、諸侯勢から反撃の矢が飛んだ。だが、
「おい! 届いていないぞ!」
士官が再度怒鳴った。諸侯勢の矢は、敵軍の遥か手前で全て地に落ちた。しかも、地面に突き刺さらないほどの弓勢の弱さだ。
矢の飛距離は風向きに大きく左右される。風上を占める国王勢の矢は強風により驚くべき飛距離を出している。矢戦において圧倒的に有利だった。
この状況にブランとリュシアンの表情は硬い。現在ブランが統べる兵力は2千騎。元々のブラン騎兵連隊の隊員と諸侯配下の騎士の混成軍だ。ブラン連隊の者達はともかく、諸侯の騎士達は、武名鳴るブランの元で戦えるのを光栄に思う者、まだまだ若いブランの下に付けられ不服な者と様々だ。
「まさか、天候を読み陣を選んだのではないだろう。運は向こうが掴んだということか。軍議でも進言し将軍達も頷いていたのだが、前線まで伝えられていなかったか、それとも握り潰されたか」
リュシアンの声にうんざりした響きがあった。まだ戦いが始まったばかりだというのに既に次期王権での権力争いが生じていた。今ロタ王国の軍人で一番話題に上るのはブランとその副官のリュシアンだが、そうなると将軍達の中には、追い抜かれると恐れを抱き足を引っ張ろうとする者も居る。
「お前の進言が前線まで伝えられていれば、もう少し対応のしようもあったはずだ」
苛立つブランの視線の先に、狼狽し隊列を乱す味方の姿があった。盾を持つ者が1人倒れればそれを補う為に盾の壁は歪≪いびつ≫となり、それが更に被害を拡大させる。機先を制せられた諸侯勢は立て直しに必死だが、こちらの矢はまだ敵に届いてすらいない。
「騎兵で迂回し、敵の南側に回り込んで切り込むしかないな」
「南からなら、こちらが風を背に出来る。行くか」
ブランが馬首を南に向けつつ馬体を蹴り、リュシアンが背後に並ぶ騎士達に顔を向けた。
「南から敵の側面を討つ。続け!」
言い放ち自らもブランの後に続こうと馬体を蹴ったが、その背を声が押しとどめた。
「お待ちを! 軍を動かすならば他の将軍閣下達からのご指示を仰ぐべきです!」
手綱を引き振り返ると初老近い騎士の怒りを含んだ赤い顔があった。身に付ける鎧もその年齢に見合った年季があり、浅い傷、深い傷が無数に刻まれていた。
「我らは独立連隊だ。他から指示を受けるいわれは無い」
「それはブラン殿が率いる連隊の話で御座ろう。今は諸侯の軍勢も預かっておられる。諸侯の騎士の命を預かる以上、その主人らに意を通すのは当然ではありませんか」
騎士の言い分にも一理あるが、形としてはブラン騎兵連隊に諸侯の騎士を合流させたものだ。他の将軍の指揮下に置かれるという話も軍議では成されておらず、ブランやリュシアンが連隊の延長として考えるのも道理であった。
面倒な。リュシアンがブランに目を向けると、苛立ちを隠せず虎牙槍を持つ手が怒りで強張っている。来たい奴だけ来いと言いたいところだが、何とか自重している。だがそれも何時まで持つか。
この騎士は、ブランが目立った武功を立てぬように足を引っ張れと主人に命ぜられていた。リュシアンはそれを瞬時に悟り、この不利な戦況を前に権力争いかと怒鳴りつけたくなる。だが、言い争っても時間の無駄だ。主人に命ぜられているならこの騎士が折れる訳が無い。
「分かりました。本陣に向かい将軍の方々からご指示を頂きましょう」
勝ち誇る騎士の前で溜息を付いた。ブランの口元から歯軋りが漏れ、虎牙槍が軋んだ。
もし自分達の不在時に問題が生じれば貴公の責任だと、罪を問う積もりで初老の騎士に軍勢を任せブランとリュシアンは本陣へと向かった。その間にも形成不利な矢戦は続き、敵の大雨のような攻撃に盾の傘をかざして諸侯勢が進んでいる。味方の矢はまだ敵に届かず損害は増すばかりだ。
本陣には、王国騎兵隊や国王親衛隊、更に有力諸侯の軍勢を任された将軍達がひしめいていた。彼らは戦いの最中にも権力争いが重要なのか、率いる将兵を部下に任せ本陣に集まっているのだ。
「騎兵で敵の南側から突撃を行おうというのか」
サヴィニャック公爵家の軍事責任者ダゲールは、精一杯の威厳を出そうとその口調は重々しい。新王朝の総司令の座を狙い中央の椅子を確保している。だが、その席を狙う者も多く、一度尻を上げれば奪われると疑い本陣から出ようとしない。
不機嫌そうなブランの横で、リュシアンが淡々と述べた。
「はい。風下の我らは、風上から矢を放つ敵に苦戦しております。それを打開するにはこちらも風を背にして戦うしかありません」
「しかし南からの攻撃は敵も警戒していよう。何かしらの策を講じているのではないか」
「その危険はあります。ですが、敵の到着は我らとほぼ同時。大掛かりな罠を仕掛ける余裕は無かったはず。精々隊列を厚くするのが精々でしょう」
「なるほどの」
自身を大きく見せたいダゲールが鷹揚に頷き、やれやれとリュシアンは内心うんざりした。とにかくこれでやっと隊を動かせ――。
「その役目。私にお任せ頂きたい!」
皆の視線が声の主に集まった。国王親衛隊隊長バダンテール伯爵。国内では王国騎兵隊と並ぶ格式高い騎兵隊の隊長であり自身も有力貴族の当主である。見事な口髭を油で固めたなかなかの美男で、短めの黒髪を綺麗になで付け同じ色の瞳は自信に満ちている。銀に輝く甲冑に金細工の一角獣が駆けていた。
「常には王を守るのが我らの役目だが、それゆえ前線に出る事は少なく我らを格好だけの張子の虎などと陰口を叩く輩もいるとか」
騎士達の装備は基本自前だが、国王親衛隊はその性質から見栄えも重視された。隊員全員に揃いの甲冑が支給され容姿が醜い者は入隊できぬとすら言われる。彼らなりに訓練にも励んでいるが、綺麗なお顔をかばって戦っている奴らが強い訳が無い、などという陰口も確かにあった。
「そのような輩に目にもの見せる為にも、我が隊の力を示したいのです」
伯爵の言葉は、完全にブラン達の出番を横取りするものだが、恵まれて育った貴族特有の、望むものは叶えられて当然という伯爵の態度に皆も言葉がとっさに出ない。リュシアンですら思考が停止した。ブランは醒めた目だ。
そんな我侭が通る訳が無いと、皆が思いながらも有力者である伯爵に誰もがそれを言葉に出来ず、実質総司令であるダゲールにどうするのかと視線が集まった。だが、サヴィニャック公は次期国王と目されているが、現時点ではまだダゲールもその部下でしかなく、伯爵の暴走を止められない。
本来戦いの前に組織体系を確立すべきなのだが、これを機会に下克上を目論む者も多く、正式な身分はこの戦いでの活躍次第。そのような声が強かったのだ。
理不尽でも伯爵に任せるしかないかとの空気が場を包みつつある中、その伯爵に逆らう者が現れた。もっとも正面からではない。
「栄光ある親衛隊を張子の虎と称する者など居るはずない。親衛隊の武名は皆の知るところ。有りもせぬ戯言に心悩まされ軽挙する必要はありませぬ。それよりも、新国王たるサヴィニャック公、いやサヴィニャック朝の開祖リュディガー王をお守りするのが国王親衛隊の役目では御座いませんか」
王国騎兵隊隊長ボネ。王国騎兵隊は国内の最精鋭を集めた部隊であり、ロタ王国軍の象徴とも言える。彼らは家柄と武勇を兼ね備え、隊長のボネもバダンテールには劣るものの名門の端に名を連ね体格は逞しく歴戦の勇者でもある。
王国騎兵隊は対外戦争では軍の中核となる。王国の軍隊は王国保有の軍勢と諸侯の軍勢の混成軍だが、王国騎士団が居るからこそ王国軍であり、居なければたとえ王命で動いたとしても諸侯軍や派遣軍と呼ばれるのだ。今回の内乱でもサヴィニャック公が正統かのように言われるのは、タガンロの誓約と合わせ国王親衛隊と、この王国騎兵隊が公に味方しているからである。
ボネの言葉にさすがの親衛隊隊長も我を収めるしかなかった。サヴィニャック公を新国王と称され、それを守らないのかと言われれば国王親衛隊としてはその任を果たすしかない。だが、ボネの次の言葉にまたもや皆は言葉を失った。
「敵の側面を討つ役目は、我ら王国騎兵隊にお任せ頂きたい」
彼は、地位をブランに奪われるのではと危ぶんでいた。実際は、ブランとサヴィニャック公が対立し、それをリュシアンが取り成した結果、運命の歯車が噛みあいその後とんとん拍子に出世しただけであり、皆が思う程ブランとサヴィニャック公は蜜月という関係ではない。だが、表面だけ見れば、サヴィニャック公がブランの才能を見抜いて重用しているように見えるのだ。
この内乱でブランが目覚しい武勲を立てれば間違いなくまた大抜擢を受ける。それは公然の噂である。では、その大抜擢の結果、どの地位を得るのか。いきなり総司令は飛躍しすぎだ。公が王となり、そのお気に入りならば国王親衛隊という線もあるが、家柄、そしてそのブランの厳つい容姿に難がある。いやそれよりも、折角の武勇優れた者をほとんど戦わない部隊の長とするなど宝の持ち腐れである。ならば、王国騎兵隊しか無いではないか!
無論、王国騎兵隊隊長とて家柄は必要だ。平時ならば如何にブランが功績を立てようとも王国騎兵隊の隊長にはなれない。だが、今はまさに王朝交代の戦。ここでブランが手柄を立てれば、倒した王の一族の領地や爵位を与えられ、一躍、興国の功臣名門ブラン家などとなりかねない。ボネが己の地位を守るには、ブランに手柄を立てさせず、自身が功績を立てる必要があるのだ。
「これはサヴィニャック公が王となる為の戦。我が王国騎兵隊が先頭に立ち戦う姿こそ、公の正当性を皆に知らしめるのです」
歴戦の兵≪つわもの≫だけあって、ボネの言葉は巧みだ。ブランの出番を奪うのではなく、自分が出演するのが脚本として正しいのだとの主張だ。そしてブランの出番を少なくさせたい者が他にも居た。何を隠そう、この演目の監督だ。
「ボネ殿のお言葉ごもっとも。それでは国王親衛隊のご武勇のほど見せて頂こう」
次期総司令と目されるダゲールにとってもブランは潜在的な競争相手。今回の戦いの後は自分が総司令になる。だが、その後は常にその地位を脅かされ続けるのだ。ここでブランに功績を立てさせず出来るだけ差を広げておきたいところだった。
敵への側面攻撃は王国騎兵隊が担当となった。顔を横に向けたリュシアンの瞳に、うんざりした親友の横顔が映った。
この間にも戦いは継続し、こちらの矢が届くまで自軍は進んでいるが、空を覆う矢は敵軍からの方が規律正しく勢いもあり劣勢は覆せない。盾を持つ者と矢を放つ者。それぞれ担当は別だが、盾が減れば自然矢を撃つ者の被害が増していく。諸侯勢の損害は敵のそれを大きく上回っている。
「今騎兵を動かすのが幸となるか不幸となるか。微妙なところだな」
隊に戻りブランが戦況を評した。
ブラン達が本陣に連絡せずそのまま突撃していれば、こちらの矢はまだ敵に届かず、そこに騎兵をぶつければ相手の矢は騎兵に向いていた。騎兵の危険は増すが、その間に歩兵は体勢を立て直せていた。今はその逆に、こちらの矢が届いている為、騎兵に向く矢は多くは無い。
作戦通り、王国騎兵隊千3百騎が馬蹄を響かせ大きく迂回し南側から敵陣を目指した。親衛隊のように統一された装備ではないが、裕福な者が多くその装備は煌びやかで勇壮だ。さすがに王国一の精鋭部隊。光り輝く槍をかざし見事な隊列を維持し突き進む。
国王勢が矢を構えた。国内最精鋭と呼ばれる騎兵の突撃を前にしても、はやって矢を放つ者は1人も居ない。射手は熟練の技が必要だ。素人と玄人では矢の飛距離に雲泥の差がある。戦場に出る者は皆熟練の兵士であり、冷静さを失い命令を守らぬ射手など居ないのだ。
騎兵が射程距離まで近づいた。一斉に矢が放たれるが、今まで風上から風下に向けて撃っていた為、風上への射撃に目測が謝り王国騎兵隊に届かない。だが、元々始めの矢で距離を掴み、2本目の矢からが本番だ。射手達は焦らず第2の矢を構える。
弓を限界まで引き絞り、矢が放たれた。その瞬間
「は!」
ボネが叫び手にした槍で馬を打った。隊員達も倣い打つ。激痛に馬が限界を越え速度を上げた。第2の矢が王国騎兵隊の頭上を通過し地面を穿った。
「上手いな」
ブランが呟いた。敵陣に突入するまで射撃は後1回あるかないか。それさえしのげば敵陣への突入は無傷のまま成功する。だが、敵陣を目前に敵の騎兵が現れた。槍を構え王国騎兵隊の横腹に突っ込む。流石は王国最精鋭の王国騎兵隊だ。側面からの攻撃にも混乱する事無く迎え撃つ。
「2千は居るか」
「敵の騎兵のほぼ全てだな。思い切った判断だ」
騎兵は歩兵の槍衾に弱いと言われるが、やはり戦場で一番打撃力の高い部隊だ。それを序盤で全て出し切り壊滅すれば取り返しが付かない。国王軍を指揮する総司令ドーバントンは、少なくとも臆病者では無いようだ。
「しかしあの場に限れば王国騎兵隊が数で劣勢なのに代わりは無い。兵を纏め一旦引くべきだな」
こちらにはまだ余裕はあり無理をする必要は無い。だが、リュシアンの言葉に反し、王国騎兵隊は兵を纏めず隊列は乱れ敵騎兵と絡み合い乱世の態をなしていく。
「ああなっては引くに引けんぞ。ボネ殿は何を躊躇しているのだ」
「あれはわざとだな」
リュシアンが驚きの目を向けた。ブランにも何故かまでは分からない。分かるのは意図的に乱戦に持ち込んだという事だ。そして事実ブランには分からぬ理由があった。
どんなに被害を出そうとも、ここで武勲を立てる。それがボネの考えだ。乱戦に持ち込めば敵は矢を放てない。後は騎兵同士のどちらかが力尽きるまでの真っ向勝負。数では劣るが、王国一の精鋭部隊の名は伊達ではなく勝算は高い。多くの被害は出るが、最終的には打ち勝つ。逃げる敵騎兵と共に敵陣に切り込めば、陣内に敵を抱えた国王軍は混乱し諸侯勢の勝利だ。戦功第一は王国騎兵隊であり、その隊長のボネである。
「さすがは王国最精鋭と呼ばれるだけはあるか。引く必要は無かったようだな」
数の劣勢を跳ね返し互角以上に戦う王国騎兵隊の戦いぶりに、リュシアンはあっさりと前言を撤回した。リュシアンの長所は、知に優れた者にありがちな自身の正しさへの拘りが無いところだ。それゆえに己を客観的に見れた。
戦いは更に続き王国騎兵隊が敵騎兵を圧し始めた。このまま敵陣へと近づき切り込めば、内部に敵を抱えた国王勢は混乱し勝敗は決する。
敵騎兵が更に乱れた。王国騎兵隊が追撃の為隊列を整え始める。敵と入り乱れて突入する必要はあるが、多数の敵が居るところに飛び込むのだ。余りにもばらばらに戦えば1人1人取り囲まれ危険だ。敵騎兵との乱戦と突入に際しての秩序。歴戦の指揮官であるボネは、その配合を完璧なまでにやってのけた。
公爵のお気に入りだか知らんが、あんな若造にこれが出来るか!
ボネから見れば、ブランなど勢いだけの猪武者である。リュシアンという小知恵の利く者を副官にして、バルバールのフィン・ディアスと戦って奇跡的に生き延びただけ。実際指揮を取らせて見れば、自分の方が遥かに優れている。その自負があった。
敵騎兵が背を向け陣中に逃げ始め、ボネ率いる王国騎兵隊が追いすがる。味方に当たるのを恐れ国王勢は矢を放てない。槍兵も味方に槍を向けられず、自軍騎兵の後に続く王国騎兵隊の突撃を防げなかった。王国騎兵隊の騎士が次々と敵陣へ突入した。槍衾の内側に入れば騎兵の独壇場だ。王国騎兵隊が縦横無尽に敵兵を追い散らしているのか、多くの断末魔の叫びがブラン達のところまで聞こえてくる。
「どうやら、この戦いは王国騎兵隊が決めたか」
リュシアンの言葉にブランは無言だった。敵陣に向ける鋭い視線に怒りが宿る。気付いたリュシアンが意外そうに顔を向けた。
「戦功をボネ殿に奪われたのが気に食わないのか?」
自分達が進言した作戦を横からさらわれたのだ。気を害しても不思議は無いが、ブランは気にしていないと考えていた。
「違う」
「何?」
敵陣深く切り込んだ戦いの騒音と蠢≪うごめ≫きが、徐々に来た道を戻り始めた。そのまま陣の外に抜け出しそうに見えたが陣の渕でそれは激しさを増した。本来、敵兵に突入されるなど敗北が決定的ともいえる状況だ。にも関わらず国王勢は、むしろ王国騎兵隊を逃がさず取り囲んでる。
「陣形とは前方。精々外側の敵と戦うものだ。陣の内側に突入してきた騎兵を押し戻すのは難しい。どうやら敵は、始めから何か備えていたようだな」
だが、その備えとは何か。陣の内側にもう一枚槍衾でも作っていたか? しかしそれも、敵騎兵を追撃し続いて突入した王国騎兵隊にとっては意味を成さなかったはず。リュシアンが理で考えても答えは出なかった。答えはブランの嗅覚が出した。
「居るな」
「居る? 何がだ」
「強い。何かがだ」
槍衾で阻まれたのではない。力で押し返された。敵陣の蠢きをブランはそう見た。だが、王国一の精鋭、王国騎兵隊を押し返す力とは何か。
敵陣から抜け出そうともがく王国騎兵隊が遂に敵の包囲を破り飛び出した。その数は百騎程にまで激減している。隊列など存在せず必死に駆け逃げ散る。それを追い男が飛び出した。大きな男だ。手にする槍も巨大だ。振りかぶり投げ放たれた槍が逃げる騎士の背に吸い込まれ、鉄の甲冑を貫く。胸から槍先を生やし、槍の重さに引きずられ仰向けに落馬した。主を失った馬が身が軽くなった理由を理解せぬまま駆け続ける。
「どうやら国王は、財をはたき、いい買い物をしたようだな」
ブランの視線の先に、甲冑に身を固め咆哮を上げる巨人の姿があった。