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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
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第77話:四方塞がり

 デル・レイ王国王都バリュース。その王宮の中央に位置する謁見の間を重苦しい空気が満たした。聖王とも呼ばれ人々から愛される国王アルベルドも余りに予想を超えた事態に、それを伝えた騎士に向ける視線はまるでその者に罪があるかのように激しい。騎士が身に付ける甲冑の内側には汗が滝のように流れていた。


「もう一度申してみよ」

 長い沈黙の後に搾り出された声は、重い空気に沈み地を這うように跪く騎士へと届く。僅かに顔を上げた騎士が慌てて俯き、自分の所為ではないのにと、理不尽さに青ざめた。


「は……。サヴィニャック公への加勢にと向かった我がデル・レイ軍とケルディラ軍は、ロタ王国手前のケルディラ領内カスクで合流。サヴィニャック公に使者を向かわせたところ、サヴィニャック公が申すには、デル・レイ、ケルディラからの援軍、真に感謝致しますとの事で……」

「その先だ!」

 アルベルドの怒声に騎士の身体がびくりと跳ね、甲冑が鳴った。


「は! 同じく援軍に来て頂いたランリエルの軍勢と共に戦って頂ければ、ロタ王家の軍勢など敵ではなく……」

「もう良い!」


 アルベルドの理不尽に眉をひそめる者は居ない。謁見の間に居並ぶ大臣や将軍達全てがアルベルドと同じ気持ちだった。


 反ランリエル同盟の盟主として、デル・レイ王国はランリエルを敵対国家としている。いや、ロタ王国も同盟の一員だ。それを、敵であるはずのランリエルから援軍を受けるとは、何をやっているのか!


 ふざけた真似を! ギリッと歯が鳴った。いっそロタ王家側に寝返ってやろうか。怒りに任せその誘惑が脳裏に浮かぶ。いや、駄目だ。サヴィニャック公に責があるが、だからといって手を組む相手を感情に任せて変えては、サヴィニャック公の信用もなくなるがこちらの信用にも傷が付く。そして更なる問題がある。今ロタ王家に付いたところで、ランリエルの加勢もあるサヴィニャック公勢に勝てぬのだ。


 どこかに抜け道は無いか。ランリエルとケルディラとの戦いに介入した時は、あえて負けて勢力を伸ばした。今回も負けて利する道筋は作れないか。


 跪く騎士を睨みつけたまま、アルベルドが思考を巡らす。放置された騎士は逃げ出す事すら出来ず、窮屈な姿勢のまま身体中から脂汗を滲ませるしかなかった。そして結局、王は騎士に声を掛けずに謁見の間を退席したのだった。


 濃い茶色の髪とそれより薄い茶色の瞳を持つ女性が、憂いを含んだ表情で廊下を進んでいた。デル・レイ王妃フレンシス。本来この王国で一番高貴な女性と呼ばれるはずの彼女だが、皇国宰相ナサリオの妻フィデリアがこの国に滞在している為、現在では2番手に落ちたと嘲笑する者も居る。


 国王アルベルドが常に無く不機嫌な顔で私室に戻ったと耳にした王妃は、侍女すら連れず夫の元へと向かっていた。


 どうして夫を案じるのか? フレンシス自身そう思う。誰にも優しい夫は、なぜか自分にだけ冷酷な顔を見せる。2人きりだと冷たい言葉を浴びせられ、抱かれる時は愛心に満ちたとは言いがたい。だが、それでも自分が夫に愛情を感じているのを自覚していた。


 精神科医が診察すれば、共依存、とその精神状態を判断するかも知れない。暴力夫からなぜか逃げない。周りからいくら別れろと言われても、いや、それでもと言って暴力夫から離れない。そのような状態だ。


 だが、彼女がそれを聞けば否定する。表面的にはそう見える。しかし違うのだ。夫が自分にだけ冷酷な姿を見せ、自分がなぜか夫に愛情を感じてしまうのには何か理由があるはずなのだ。でも、その理由が自分にも分からない。そしてフレンシス自身分かっていた。そのような自分を傍から見れば、おめでたい馬鹿な女に見えるに違いないという事を。


 その自称、馬鹿な女の白い手が扉を叩き、控えめな音が鳴った。部屋の主は居留守を使おうかと思案したのか、しばらくしてから声があった。


「誰か」

「フレンシスで御座います。陛下」

 また、少し間があった。

「入れ」


 フレンシスが扉を開け部屋に入ると、夫は忌々しげな視線を妻に向け、扉が閉じられると盛大な舌打ちが鳴った。


「共を連れていないならそう言え。ならば部屋に入れぬものを」

 アルベルドはフレンシスと2人きりの時のみ厳しい。逆に言えば、他に人が居ればたとえ不機嫌な時でもある程度は温和に応じる。侍女を連れてきていると考え部屋に入れたのだ。


「申し訳御座いません」

 神妙に頭を下げる王妃から夫は顔を背けた。

「用があるならさっさと言え。用があるから来たのだろう」

 その言葉から、とっとと1人になりたいとの意思が伝わってくる。


「殿下のお加減が悪いと聞きましたので……」


 どうすれば夫の機嫌が良くなるかなどフレンシスも考えていたのではなく、つい来てしまっただけなのだ。フレンシスの歯切れは悪く、それが更にアルベルドを苛立たせた。


「別に悪くなど無かったが、今悪くなった」


 実際アルベルドにとっては、厄介な問題に頭を悩まさ解決の糸口を探ろうとしていたのを邪魔にされた気分だ。余りにも間が悪く。こいつはわざとやっているのか? と考えてしまうほどだ。しかも、

「失礼致しました」

 と頭を下げたものの、フレンシスは部屋から出ようとしない。それが更にアルベルドを激させた。用が無いなら失せろと言いたいところだったが、それでは飽き足らなくもなってくる。


「俺の気を良くしたいと言うなら、楽しませて貰おうか」


 妻の手を強く握り引き寄せた。本来ならば愛情に満ちたはずのその行為に、妻の腕に激痛が奔った。痛みに意識が向かいそれが消えたと思った時には既に夫の胸に抱かれていた。夫の腕が強く腰に巻かれたが、腰を覆う胴衣コルセットの為、痛みは無かった。


「また、こんな物を付けているのか。女というのは面倒なものだな」


 胴衣は高貴な女性のたしなみだ。かつてある国の王女は豊満な身体を胴衣によって絞り、128ミール(約109センチ)の胸と68ミール(約59センチ)の腰を持っていたという。


 鯨の髭で作られきつく締められた胴衣は容易には外せず、アルベルドはその苦労を放棄し王妃をそのまま長椅子に組み敷いた。


 皇国の衛星国家とはいえデル・レイ王国は他国に見劣りするものではない。それどころか、巨大皇国勢力の一員として一目置かれる存在だ。その王女として育てられたフレンシスにとっては、長椅子で抱かれるなど獣の行為に等しい破廉恥な振る舞いだ。


「殿下。せめて寝所で……」


 羞恥に声が震えた。その哀願はアルベルドの耳には届いたが、心には届かない。乱暴に衣服が引き剥がされ準備の整わぬ王妃の身体を激痛が突き抜けた。


「戻ります」

 妻への愛情を感じさせぬ夫との情事の後、フレンシスが控えめな動作で乱暴に剥ぎ散らかされた衣服に手を伸ばした。袖に腕を通そうと身をよじると胴衣にすれて血が滲んだ肌にちくりと痛みが奔った。夫の気に触らぬように音を立てずにゆっくりと身に付ける。


 私は何をやっているのだろう。夫を気遣って部屋に来た挙句その当人に犯されるという事の顛末に顔を背け自嘲し、次の瞬間曲がりなりにも自身が笑んだ事に驚いた。どんな質のものであろうと笑みが零れる状況ではないはずだ。にもかかわらず驚くほど心が落ち着いているのにむしろ狼狽した。


 その狼狽のまま機械的に服を身に着け終わると、微かに夫に頭を下げ静かに扉へと向かう。その背を夫の呟きが追いかける。


「馬鹿な女だ」

 侍女を連れてきていれば2人きりとならず、このような目にあわずに済むものを。これでは、ただ犯されに来ただけではないか。


 夫の声から侮蔑は感じたが苛立ちは感じなかった。夫の気晴らしに自分は役に立ったのだろうか。そう思いフレンシスは自身の表情が動くのを感じ頬を手で触れると、自身の顔が笑み作っているのを手の平で確認した。


 人を苛立てる才能に秀でた妻に欲望をぶつけ目の前からその妻が姿を消すと、アルベルドも幾分冷静になった。


「まったくあの女はまだ逃げ出さぬのか」


 妻の両親である前国王、王妃は避寒に使用していた小城に追いやり、妹達もその城に送ったり内外の有力者に嫁がせ誰一人として王宮には残っては居ない。前国王の家族と呼ばれる者で王宮に残っているのはフレンシス1人だ。


 国王を残し王妃が王宮を出るなど外聞が悪いが、それも理由による。体調が優れぬゆえ静かなところで療養したい。だが夫は国務を放りだせぬ為王妃のみ療養地で暮らす。そうであれば皆も納得する。なのに、どうして王妃は申し出ない。


 自分から王妃にそうせよと言う気は無かった。いつまで耐えられるか試してやる。それとも、それが考え付かぬほどあの女は頭が悪いのか。


「まあ良い」


 王妃にどんな考えがあろうとも、自分は自分の好きなようにするだけだ。多少、予定通りでなくとも、絶対的な力の差は揺るがない。そう結論付けたアルベルドは、頭を切り替え当初の問題で頭を埋め尽くし始めた。


 翌日、デル・レイ王宮からロタ王国国境のランリエル軍とサヴィニャック公の元に抗議の使者が向かった。その少し前には、皇国へ意向伺いの使者が派遣されている。


 馬を乗り換え急ぎランリエル軍が駐屯するケルディラ最西端エリスタに到着した使者は、遠征軍の主将ムウリの前に通された。使者ならばまず跪くのが礼儀だが、周囲を敵対勢力の将兵に囲まれても膝を折らず、微塵も怯むところは無い。自身の王に心酔しその為には命も投げ出す覚悟だ。


「我がデル・レイと盟友ケルディラ両王国の軍勢は、かねてよりのロタ王国の同盟国として援軍に来ている。貴国は、先のロタ王国とドゥムヤータ王国との戦いではその配下たるバルバール王国の軍勢をドゥムヤータの援軍として派兵しながら、その記憶も薄れぬうちに今度はロタ王国の援軍とは厚顔にも程があろう」


 使者は怒声を上げデル・レイの正当とランリエルの不当を訴えたが、それを受けたムウリは確かに厚顔なのか、僅かにも感銘を受けた様子が無い。そのムウリの後ろにはルキノが控えていた。副将として遠征軍の実務は任されているが、このような事態に対処するにはまだまだ経験不足。ムウリの対応を勉強させて貰おうとしていた。更に他の幕僚達も使者の左右に並んでいる。


「ロタ王国の援軍と申されるが、我らはロタ王家へではなくサヴィニャック公への援軍である。そしてドゥムヤータと戦ったのはロタ王家。それと敵対するサヴィニャック公に援軍するのに何の不道理がありましょうか」


 デル・レイこそ、ロタ王家を見捨てサヴィニャック公に味方するは道理にあらず。とはあえて言わなかった。サルヴァ王子はやむなく戦っているだけで、積極的にデル・レイ、ケルディラと矛を交える気はない。ムウリはそれを察している。ランリエル、デル・レイ、ケルディラがそろってサヴィニャック公に味方するのは、国交回復の足がかりともなる。売り言葉に買い言葉でその機会をふいにするほどムウリの血は若くは無い。


 その後も使者は、ランリエル軍は撤退せよと主張し続け、ムウリはそれをいなし続ける。結局、日が暮れても双方納得せず議論は平行線を辿り、話は翌日に持ち越された。


「どうやら、時間稼ぎのようだ」

 使者が退席し幕僚達との晩餐も済んだ後、ムウリは改めてルキノを呼び寄せデル・レイの思惑を語った。


「それでは、我が軍に撤退せよとの主張は偽りと申されるのですか?」

「いや、そうではあるまい。我が軍が撤退するにこした事はないが、それが通らぬでも別の手があるのだ」

「その別の手とやらには、時間が必要だという訳ですか」


 夕方まで続いた使者とのやり取りからムウリはそう読んだ。使者の口舌は鋭かったが、不必要に時間を稼ぐ回りくどさも感じた。


「まあ、相手の思惑がどうであろうと、こちらは殿下のご指示通りに動くまでだ」

「ですが、殿下に送った伝令はまだ戻って来てはおりません」

「新たな命令が届くまでは旧命を厳守するまで。我らはサヴィニャック公への援軍を行い、余裕があれば上陸、乗船訓練を繰り返す」

「は。仰るとおりです。では、すぐの行軍もありえると考え、軍勢の10分の1程度を交代で訓練させましょう」

「頼む」


 こうしてデル・レイの使者に対応しつつ訓練を続けていると王子からの新たなる命令が届いた。やはりムウリが察した通り、王子はデル・レイ、ケルディラとの友好を望んでおり可能ならば共同でサヴィニャック公に援軍しろというものだ。但し、それが難しいならばデル・レイ、ケルディラを出し抜きランリエルだけでも援軍しろともあった。両国と友好を結べないなら、新ロタ王家だけでもこちらに取り込むべきである。


 だが、結局、王子の指示は皇国経由で来た新たなデル・レイの使者によって無意味なものとなった。


「皇国のご意向を改めて確認したところ、ロタ王国の内乱には不介入との事で御座います。つきましてはランリエル王国も内乱には加担せぬようご配慮頂きたい。無論、皇国のご意向に逆らう意思がお有りならばその限りでは御座いませんが」


 動じぬムウリの視線が使者を貫いたが、皇国の威を借る使者は薄ら笑いを浮かべている。その態度にルキノ以下同席した若き幕僚達の顔が朱に染まったが、さすがにここで使者の首を切り飛ばしては、皇国への敵対行為に取られかねないと必死でその衝動に耐えた。


「皇国が介入せずと仰るならば、当然、デル・レイ、ケルディラも軍を引くので御座いましょうな」


 こうなっては仕方が無い。ランリエルのみ軍を引く不利を認める訳にはいかず、デル・レイ、ケルディラも道連れである。


 元々の皇帝の指示は、皇国がロタ王国の内乱に介入しないというものだったが、武力でランリエルの軍勢を引き上げさせるのは不可能と判断したアルベルドが改めて皇帝から言葉を引き出し、それを意図的に拡大解釈したのだ。


 無論、それはムウリが主張した通り相打ち策ではあるが、ランリエルと敵対関係を続けたいアルベルドにとっては、仲良く一緒にサヴィニャック公を助けるという馬鹿げた事態よりは遥かにましだったのである。


 これにより、ロタ王国の内乱にはどこの軍隊も介入しない事となった。ロタ王家とサヴィニャック公との余人を交えぬ戦いとなったのである。

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