第10話:総司令の攻勢(1)
バルバールでは戦の準備に追われていた。
今まで大国からの侵略に守るだけだったバルバールが、逆にその大国へと侵攻するのである。この今までに無い快挙に、心を高揚させる者と悲観的に暗く沈む者は半場した。
ディアスは高揚する楽観主義者達を実働部隊の指揮官に任命し、沈む悲観主義者達に戦争準備と後方支援を担当させた。
楽観主義者は臆せず敵国内で勇んで戦い、悲観主義者はそれだけに細心の注意を払いながら準備に勤しむだろう。
こうして整えられた戦力は陸戦兵力4万5千。ただし王都チェルタの守りに5千の兵を残すので出陣する戦力は4万。軍艦は王都から一番近い軍港に10隻を残し他はすべて出撃させる。
すべての準備が終わり出陣の日、ディアスは邸宅を後にする時、妻になるといってやってきたミュエルからの挨拶を受けた。
「ディアス様。御武運をお祈りしております」
おそらくケネス辺りから教えて貰ったのであろう武人の妻らしい台詞を、ミュエルは緊張しながら言葉にした。
良い子だ。ディアスは素直にそう思った。そしてミュエルの頭を撫でた。
「私にもしもの事があれば、ケネスを頼りなさい。お前にはちょうど良い」
十分に計画はなされているが今回の戦いは綱渡りの部分も多い。万一の事もある。そう思っての言葉だった。
「私にはちょうど良い?」
きょとんとするミュエルに、ディアスは微笑みながらさらに頭を撫でた。
今まで暮らしていた中でミュエルが「とても良い子」であるという事は分かった。短期間のうちにディアス邸に住むすべての者達がミュエルを愛していた。様々な意味で。
誰もこの子を嫌う事は無いだろう。もし居るとすればその者の心の方が歪んでいるに違いない。この子は幸せになるべきだった。自分のような親子ほど年の違う相手ではなく、つりあった相手と一緒になり幸せになるべきなのだ。
「ああ。もしケネスを好きになったのなら、私に構う事はない」
ディアスはそう言い残し出陣すべく背を向け、その場にはミュエルが1人残された。呆然として。
司令部へとついたディアスは、そこで幕僚達と落ち合うと簡単に打合せを行い夜を待った。そして日が沈むと軍勢が次々と王都を発する。
一直線に国境に向かえば街道を進む旅人達などの目撃者が増える。その為、国境へは大きく迂回しながら目指した。一晩で進む予定の場所までに点在する村には、先行させた騎士に御触れを出させた。
「軍勢が通過した事は他言を禁ずる。その禁を犯した者は厳罰に処する覚悟せよ!」
威丈高な物言いだが、隠密行動は今回の作戦の重要なカギである為仕方が無い。こうして軍勢は数日をかけて国境手前まで辿り着いた。
そして軍艦も夜密かに出港させた。
夜間の軍艦の航行など危険な為通常は行なわれない。各艦は衝突せぬように前後左右に明かりが灯され、そして海岸線を走る騎士の持った松明の火を頼りに航行する。
こうして予定の位置まで密かに進んだのである。
すべての戦力が所定の位置についた次の日、またも夜を待って行動を開始する。
バルバール軍4万は一気に国境を突破し、僅かばかりに配置されていた監視の敵兵は瞬く間に蹴散らされたが、それでも王都へと敵襲を知らせるべく伝令を走らせた。
ディアスはそれには構わず一隊を海岸線へと走らせる。
「我が国の海岸線を誘導したように、松明の火で出きるだけ敵国深くまで艦隊を誘導するんだ」
他の軍勢はさらに数部隊に分かれ、それぞれ進軍する。
城や砦の軍事拠点は、一攻めしてみて落せそうならば落し、難しそうならば捨て置いた。敵国を混乱させ被害を与える為の戦いだ。占領が目的の戦いではないのだ。
万一敵が追撃してくれば、その時は逆激に転じる。敵拠点に篭る兵力よりバルバール軍一隊の方が数は多い。野戦になれば打ち破るのは難しくない。
攻撃に参加している部隊の兵士は数日分の腰兵糧を携え、弓兵も背に大量の矢を背負っている。拠点を攻めるに当たってもなるべく矢の消費を抑え、時には落した拠点から食料や矢を拝借した。行軍速度向上の為、物資を輸送する足の遅い輜重隊を率いずの進撃だった。だが敵にも有能な者が居るらしく、軍上層部からの命令を待たずに独断で周辺領主の兵力を糾合し、バルバール軍を迎撃すべく出陣した者が居た。
レオニード・アウロフ将軍である。
彼は集めた5千の軍勢でもって、ディアス率いる本隊を狙ったのだ。各地を攻める為分散し、ディアス率いるバルバール軍本隊は4千。
兵力を集中すべしという兵法の基本には反するが、今回の戦いは敵領地に打撃を与えるのが目的である以上仕方がない。兵力を集中していては、効率が悪すぎるのだ。
夜が明け辺りが白み始めた頃、ディアスは前方に戦塵またたくのを発見した。
「ディアス将軍。敵襲です!」
ディアスと同じく戦塵を発見したらしい幕僚の一人が傍らで叫んだ。
「ああ。分かっている」と落ち着いて返し、敵勢があげる戦塵を注意深く観察する。
「『戦塵低くして広きは、歩兵なり』……か」
そう呟くと前方に弓兵を配置し、左翼に歩兵、右翼に騎兵を並べた。とはいえ、前方に配置した弓兵は幅が広く敵軍すべてに対峙している
兵科と言うものは一般的に、弓兵は騎兵には弱い。騎兵の突進速度に弓を放つのが追いつかず、狙いを定めるのも難しい。矢は一直線に飛ぶのではなく弧を描く。敵は前から来るのだから前に矢を放てば当たる。というものではないのだ。
槍兵は弓兵に弱い。隊列を組み槍衾を作って進軍する事が持ち味の槍兵は、進軍速度も遅く狙いも付けやすい。弓兵のかっこうの的となるのだ。
敵は急な出撃に何とか槍兵や弓兵は集める事は出来たが、騎兵を多く集める事は出来なかったらしい。
ちなみに騎兵は槍兵に弱かった。騎兵の持ち味はその突進力であるが、槍衾を作る槍兵に突進するなど自殺行為である。
もっとも各兵科とも横からの攻撃には弱いが、その中でも槍兵が一番弱い。整列し長槍を構える槍兵はすぐには攻撃方向を変えられない。一人一人が向きを変えても意味は無く、すぐには隊列が整わないからである。
両軍の距離は瞬く間に近づき、アウロフ将軍は突撃を敢行する。ディアスはそれを弓兵で持って迎撃させた。
ここでは矢の消耗を考えてはいられず、空を覆うばかりの矢が敵軍へと降り注ぐ。敵兵は盾で矢を防ぐもののすべてを防ぐ事は不可能だった。多くの兵士が朱に染まり、歩兵の前進の速度が弱まる。彼らも歩兵の盾の隙間から矢を打ち返すが、進みながらの射撃では劣勢にならざるを得ない。
「っち! 何をやっておるか! 構わず進め!」
この状況にアウロフ将軍は苛立ち叫んだ。一見無策とも思える命令だが、勝利を目指すなら他に方法は無かった。状況が突撃以外の選択をアウロフから奪っていた。
彼は、各地に被害を与える為バルバール軍が軍勢を分散させている事を逆手に取り、逆転の一手として勝負を挑んだ。いつ分散した敵軍が再集結してくるか分からない以上、強引でも短期決戦を挑むしか道がなかったのだ。
そして口先だけの命令では兵士が動かないのは、愚将ではない彼にも分かっていた。
「我に続け!」
アウロフ将軍は兵士を鼓舞する為前線へと向かい、自ら突撃を敢行した。
「うぉーー!」
将軍の勇敢なる行動に兵士達の士気も上がり雄叫びを発し突撃の速度があがる。だが、それでも隊列を崩してまでのなりふり構わずの速度は出せない。隊列を崩せばバルバール軍右翼の騎兵は、綻びを生じた歩兵の槍衾をやすやすと破る。
それに対しディアスは前を向いたまま、傍らにいる副官に呟いた。
「左翼前進」
「左翼歩兵前進!」
ディアスの呟きを副官が大声で復唱し、左翼へと指示を伝えるべく伝令が駆けた。
バルバール軍左翼は敵右翼と衝突し、長槍を絡ませ、盾同士ぶつけ合い押しあった。敵右翼の前進が止る。だが、中央、左翼には、相変わらずバルバール軍から矢が降り注ぐ。
アウロフ軍は、やむを得ず中央、左翼のみで前進を続けるしかない。立ち止まってはバルバール軍弓兵の的となるだけなのだ。だがその為アウロフ軍に段差が生じたのである。
「右翼騎兵を弓兵の後方から回り込ませ、左から敵中央を横撃」
ディアスの命令を副官はまたも大声で復唱し、伝令が飛ぶ。
本来自軍の右翼に守られるべき右(バルバール軍からみて左)からの突撃に、敵中央軍の歩兵は慌てて右に旋回しようとする。しかしその手にした長槍は味方同士絡みあい、そして思わず右に向けた盾の間隙を縫って、正面から降り注ぐ矢の餌食となる。次々と朱に染まり倒れた。
中央軍は瞬く間に混乱し、すぐに左翼にも広がった。バルバール軍左翼と戦っていた右翼歩兵はむしろ最後まで持ち堪えたが、それも僅かな時間でしかない。
「静まれ! このまま突撃せよ!」
兵士達が逃げ惑う中、アウロフ将軍は最後の賭けと叫んだ。しかし将軍の命令を全軍に伝える伝令達も散り散りとなり、命令を聞いたのは将軍の周辺にいる僅かな者達のみ。だが、その僅かの者達も将軍の命令を実行した者は皆無だった。勝敗が決した以上自分の命を守る為、兵士達は我先にと逃げ出したのである。
最後まで踏みとどまったアウロフ将軍は討たれ、その軍勢は壊滅した。そして他のバルバール軍はこの間も各地を巡り、存分に敵国内を荒らし続けたのだった。
艦隊も海岸線を進む一隊に誘導されて奥へと進んでいた。途中に点在する漁村は攻撃するのも時間の無駄と捨て置かれ、村民は幸運にも被害を免れた。
夜が明ける頃には、国境に近いベサント軍港の手前まで辿り着く。出撃時の利便性を考えて作られたこの国境に近い軍港には、敵の軍艦の半数近くが投錨されている。
港にも深夜の内に敵襲が伝えられ、続々と海兵や漕ぎ手が集まってきている。だが、まだまだ全兵が集まっていると言うにはほど遠い。
そこへバルバール軍陸兵が突撃を行なった。
今まで攻めるばかりで、しかも陸からの攻撃など想定されていない軍港への攻撃に、海兵や漕ぎ手達は大混乱に陥った。バルバール軍の火矢に次々と軍艦が燃える。戦う訓練をされていない漕ぎ手は無力だった。逃げ惑い討たれた。
生き残った者達が、まだ火の手があがらぬ艦を見つけ我先に乗り込み港を離れる。しかし適正人員に達せぬまま出向した艦艇は如何にも愚鈍。艦の左右の漕ぎ手の数もそろわず真っ直ぐに進むのすら困難だ。
その哀れな亀に、バルバール艦隊が襲い掛かった。
元々軍港に投錨されていた艦艇数はほぼ互角だったが、出港すら出来ず湾内で燃え尽きた艦も多い。衝角戦を行なう海戦において、船足が遅く旋回能力も悪いとなれば致命的だ。しかも逃げるように出港した艦隊には、それを統率すべき提督も定まっていない。
指示する者すらなく各艦は逃走し敵艦を見つけると必死でオールを漕いだが、漕ぎ手の左右の人数すら違う艦艇はその場で旋回を始めた。敵に自ら船側を晒すその様は、喜劇の敵役のように滑稽だった。それを狙いすましたバルバール艦が襲う。
そして敵艦がすべて海の藻屑と消えると、船渠もすべて燃やしつくし、バルバール艦隊はさらに奥へと進む。一方的な戦いに、バルバール艦隊に被害はほとんど無かった。
敵海軍の艦艇は、集結すればまだバルバール艦隊に匹敵する数を誇るであろうが、一番大きなベサント軍港の艦隊を消滅させた今、他の艦艇はそれぞれ少数に分かれて各港に投錨されているのみ。敵艦艇に集結させる間も与えず進撃すれば、打ち破るのは容易いであろう。
こうしてバルバール軍による突然の攻撃に、その日の朝には大打撃を受けた「コスティラ王国」だった。