第70話:ロタ、デル・レイ同盟
グラノダロス皇国下位衛星国家デル・レイ王国。数年前までは特に目立った国では無かったが1人の王の出現により頻繁に人の口の端に上るようになった。北に接するリンブルク王国に長きに渡り占領されていた領土を取り戻し、西に転じては大国の暴虐に侵されんとする隣国を助けた。勇猛にして慈悲の心に満ちたこの王は、今世の聖王とも呼ばれる。
王の名はアルベルド・エルナデス。大陸に覇を唱える大皇国皇帝の弟でもある。背は成人男性の平均より僅かに高い程度だが、鍛えられ引き締まった身体は頼もしさを感じさせた。皇族のほぼ全員と言っても良い金髪碧眼の容姿とあいまって、子供が好む立派な王子様のようだ。
その王を主人とする謁見の間に1人の男が跪いた。その左右をデル・レイ騎士達が囲み、更に大臣が並ぶ。国王アルベルドは、優しい王様との評判だが、それは’甘い’を意味しない。男を玉座から見下ろす王の視線は厳しいものだ。いや、王ばかりではなく男を囲む全ての者達の視線は敵意に満ちている。
男はロタ王国公爵サヴィニャックに遣わされて来た。先の戦いの敗戦により現ロタ国王ランベールの威信は地に落ち、サヴィニャック公を新たな国王にという声も上がっている。ロタ王国現政権と手を組んでいるデル・レイ王国は、男にとって敵地であった。
リュシアンの策は、皇国に降りその庇護を受けデル・レイと結ぶ事である。だが、現実に皇国にとっては辺境の小国の更に公爵でしかないサヴィニャック公などまったく相手にされない。先にその衛星国家であるデル・レイを味方に付ける必要があった。
ロタ王国の内乱にはどこからも介入を受けないのが望ましいが、それが不可能ならば皇国、デル・レイから援軍を得た方が良いと判断した。現ロタ王家とドゥムヤータは手を結ばないだろう。ならばデル・レイをこちらにつければ圧倒的に優位である。
また、皇国に降ると言っても、皇国はその政策として領国を広げない。それは衛星国家も増やさない事も意味する。それを逆手に取り形だけ降るのだ。毎年、多少の貢物は必要だが独立はほぼ守られるはずだ。
その策の成否はこの男の双肩にかかっていた。ここが命の賭けどころだ。男は覚悟を決め、儀礼通りの挨拶の後、迂遠な言い回しは不要といきなり勝負に出た。
「デル・レイ王国のアルベルド王といえば、その徳、この大陸で知らぬ者は居りません。それどころか後世にまで語り継がれる事で御座いましょう。ですが、名君として世に出、暗君として終わる者も多う御座います。アルベルド陛下には、なにとぞその名を全うする選択をすべきと考えまする」
自分の言葉を聞かぬのは阿呆である。言葉は飾っているがそういう意味だ。男に向けられる視線は激しさを増し、男を燃え尽きさせんとするほどだ。
敵地へ乗り込むこの役目に尻込みする者達は多かったが、男は志願してこの役目を買って出た。公爵に仕官した者達の中で頭1つ抜きんでるまたとない機会なのだ。必ず役目を果たし己の実力を示さなくてはならない。
それも、単にデル・レイを味方に付けるだけでは物足りない。腰を低くし這い蹲り、どうかお力をお貸し下さいとアルベルド王の足に縋り付けば味方に付けるのはもっと簡単だ。それを対等の立場で交渉するのだ。
だが、サヴィニャック公はいまだ王に有らず。デル・レイ王とでは外交的に格が違うのだ。その格差を超越するには、己の命を賭ける必要があった。リュシアンからは対等の立場で交渉せよとは言われていないが、自身の栄達の為には能力を示す必要があり、失敗すればそれまでだ。
「アルベルド陛下が世に名声を得ているのはなぜで御座いましょう。それは、陛下の行いが天意に沿うものであるからで御座います」
天意か……。アルベルドは男を睨み胸中呟いた。確かにこの男の言葉は正しい。自分の行動は天意に沿っている。あの優しき母を殺した義母を、イサベルを叩き潰す。それは正しいはずだ。全てのものを利用する。自分を利用する為にあの女は母を殺したのだ。あの女を殺すのに、自分が他を利用して何が悪い。そしてロタ王国も利用する。
所詮、悪だろうと善だろうと、1人で成し得ぬ事を成すなら人は人を利用するのだ。人々が無条件で一致団結するなど有り得ない。時には金で、時には暴力で人を動かす。そして自分は、美談、名声で人を動かすのだ。それを信じ、そのまま死ねば良い人生だったと満足してあの世にいける。十分幸せではないか。自分も騙されたままならば、今もあの女に感謝し幸せと感じていた。
義母への憎悪は母を殺された事ばかりではない。どうしてそれを露見させる失態を犯したのだ。騙され続けていれば自分は幸せだったのだ。自分はそんな失敗はしない。騙し通してみせる。
「御使者は何か勘違いしているようだ。私は天意など気にせぬ。結果的に天意と一致しているというならそうであろうが、私は我が領土を取り戻し、苦境に立つ友を助けているだけだ。そして、ロタ王国のランベール王も我が友。友を見捨てる気はない」
「王の仰る通り、友情は尊ぶべきです。ですが、善意からの行いが全て評価されるものではありません。善意と天意が一致した時のみ人々は賞賛を送るのです」
「ランベール王を助けるのは、天意に沿わぬと?」
「ランベール王は、財を貪り軍勢を蓄え諸侯を押さえつけ、さらに無用の戦乱を起こしたばかりではなく、自ら蓄えた軍勢にすら財を惜しみ、貧弱な装備で戦わざるを得なかった我が王国の歩兵達はドゥムヤータ騎兵に敵せず、敗戦を招きました。国土は荒れ果て貿易の道は立たれ国民は貧困に喘いでおります。然るに、ロタ王はそれにも眼を背け己が保身にのみ残された財を向けている。ランベール王に王たる資格無し。アルベルド陛下はランベール王を友と称されましたが、友は友でも悪友で御座います。悪友に手を貸すのを天意に沿うといえますでしょうか」
「悪友を立ち直らせ更正させるのが、真の友だと言えるのではないか?」
「他に責任の無い市井の者ならばそうも言えるでしょう。ですが、一国の王とはそのように軽いものではありますまい。王が立ち直るまでに何千、何万の民が苦しむのか。しかも立ち直るとは限りません。その王に手を貸すは王と同罪と言わざるを得ません。民の怨嗟の声は王に手を貸した者にも向けられるでしょう」
「しかし、悪友だからと見捨てて新たな友を得たとしても、新たな友も悪友かも知れぬではないか。私の知る限り、ランベール王に比べ、そうサヴィニャック公が優れた人物とは聞いてはおらぬが」
主人が優れていないと断言され、男の眉がぴくりと動き視線が激しさを増し、
「では、アルベルド陛下はサヴィニャック公を如何な人物と見ておられるのか」
言葉も激い。
「凡庸な……人物であろうな」
さてどう出るか。アルベルドは皮肉めいた表情だ。普段は優しき王のアルベルドが普段は見せぬ姿だが、使者の度重なる無礼に大臣達も腹に据えかね、もっともだと頷く。
「凡庸などもってのほか! サヴィニャック公は臣下の言に耳を傾ける名君であり、主君と仰ぐに相応しいお方。そのサヴィニャック公を凡庸と見るは、我を通す横暴を頼もしさと見誤るに等しい浅慮。真なる者こそ一見凡庸に見えますが、目を凝らして見ればそれこそが誤り。ゆえに私も、本来敵地とも言える、このデル・レイに命を賭けやってまいったのです!」
「ほう。命を賭けてか」
「は! もしアルベルド陛下が我が公爵と盟を結び、ロタ国王と認めて下さるならば、この命果てるとも悔いはありませぬ!」
気迫に男の額に太い血管が浮き出、顔も赤く染まる。左右に居並ぶ大臣ばかりか、屈強な騎士達すら男の気迫に飲まれた。
男が口を閉ざし謁見の間に静寂が訪れる。男は跪いたままアルベルドを睨んでいる。一国の王に対するその無礼に騎士達は男を取り押さえるべきだが、一歩も動けないで居た。
その沈黙を破りアルベルドの靴底が床を蹴る音が響く。男の傍まで来ると、男の手を取った。一世一代の大博打に勝利したと、男の顔に笑みが浮かぶ。
「それほどまでに公爵に忠義を尽くすというのか。このアルベルド・エルナデス。この世にまだ君が如き人物が居たかと嬉しく思う」
アルベルドの耳にも現ロタ王の悪評は届いている。だが、その王と盟を結んでいるのもまた事実。悪評の王と組み続ける不名誉と、手を結ぶ者を見捨てる不義理。どちらかを選ばねばならぬところに、この男の出現は渡りに船だった。だが、ロタ王から公爵に乗り換えるには、もっと派手な演出が欲しいところだ。
「勿体無きお言葉」
王と男が手を取り合う姿に、居並ぶ者達も笑み頷く。
「改めて君の名を聞こう」
「ジェローム・バイエと申します」
「主君への忠義の為、この会見の間でジェローム・バイエが命果てた事、後世に至るまで語り継がれるだろう」
男は一瞬にして蒼白となった。命を賭けるとは、あくまで心構え、はったりでしかない。本気で死ぬ気など毛頭無いのだ。
「あ、え、いや……」
口篭り、どうにか切り抜けようとするが、瞳に妖しい光を宿したアルベルドがその言葉を遮り男を抱き寄せ耳元で囁く。
「もはや、お前を生きて返す気はない。どうせなら、名を残す為潔く死んでおけ」
デル・レイ王国国王アルベルドとロタ王国公爵サヴィニャックは盟を結んだ。しかも王と公爵という差を越えた対等の立場でだ。その破格の盟約為に命を落とした使者ジェローム・バイエの美談に、人々は涙したという。
ジェロームの命を賭けた交渉によりデル・レイ王国を味方に付けたサヴィニャック公爵の更なる使者がグラノダロス皇国へと向かった。行程を考えればアルデシア王国を通った方が早いが、あえてデル・レイに進んで王宮に立ち寄る。皇国は他国の王家など歯牙にもかけない。それをたかが公爵では門前払いの可能性すらあった。
ジェロームの美談の為、丁重な扱いを受けたジェロームの随員が代わりの使者となり、アルベルド王からの紹介状を受け取り、次に皇国へと向かう。
ロタ王国王都ロデーヴは貿易により賑わいその華麗さはロタ王国国民の誇りであったが、皇都を間近に見た公爵の使者の誇りは砕け散った。華美と重厚が絶妙に組み合わされたその都は、住まう庶民にすら気品を感じさせた。それに比べれば、ロタ王都の民など小金を得て勘違いした道化の集まりだ。
その差に心が萎えた使者は、それでも役目を果たし公爵からの親書を提出した。だが、それは皇帝には届かなかった。
「アルベルド様の紹介状が添えられておりました」
と、取次ぎを担当する役人から、執務室で親書を受け取ったのは宰相ナサリオだ。使者は紹介状の内容を知らなかったが、そもそもそれは、ナサリオに渡すようにとの物だったのだ。
「ほう、ロタ王国のサヴィニャック公爵からか」
皇国から見れば小国の公爵など取るに足らぬ存在だが、皇国の名宰相であるナサリオの頭脳には、辛うじて重要人物と記されていた。
確か王家に次ぐ名門という者だったなと、片隅にある記憶を掘り出しながら親書の封を切った。その内容に目を細める。
内乱の許可だと? アルベルドはどういう積もりだ?
他国に内乱を起こして良いかなどと許可を求めるのも、それを更に他の国が仲介するのも前代未聞である。無論、それはかりではなく、皇国が黙認しサヴィニャック公がロタ王になったあかつきには、ロタ王国は皇国に臣従しようとの申し入れである。だが、その提案に皇国に益は無い。
皇祖エドゥアルドからの国策として、管理しきれぬほどの領土を持つのは衰退の元と、領土を広げぬのが皇国の国策である。それは、衛星国家を増やさないのも意味する。皇国を維持安定させるのがナサリオの使命であり、目先の利益に目が眩み国策を破る積もりはない。
結局、新ロタ王家が形式的に皇国に跪くだけに終わる。だが、実際この大陸の全ての国々は皇国に跪いているのだ。東方の覇者と呼ばれるランリエルすら、ケルディラ侵攻時には皇国にお伺いの使者を向かわせた。サヴィニャック公が提示する条件は意味を成さない。
ランリエル勢4ヶ国と反ランリエル勢2ヶ国。計6ヶ国が参加した大戦すら取るに足りぬと断じ、介入しなかった皇国である。1国の内乱など、それこそ部屋の片隅の塵程度にも気にならぬと放置すべきだが、内乱だからこそナサリオには看過出来なかった。
ナサリオは、現在、皇帝との不仲が噂され微妙な立場だ。そして内乱とは下克上。それにナサリオが賛成すれば、自分こそ皇帝に成り代わろうとしているのではないか。そう勘ぐられかねない。
考え過ぎかも知れぬな。ナサリオ自身そう思わぬでもないが、立たずに済ませられる煙は立たせる必要は無い。
小国の公爵からの親書など握りつぶすか。その考え通りサヴィニャック公の親書が大皇国宰相の手で握り潰された。だが、屑入れに放り込まれる前にその手が止まり、完璧な儀礼を身に付ける宰相が、常に無い事に舌打ちする。
通常ならば、握り潰した後、話は通したはずとサヴィニャック公がどれだけ騒ごうが知れぬ存ぜぬと突っぱねれば済む話だ。皇国はそれが出来る。だが、アルベルドの紹介状がある。それを握り潰してはアルベルドの面目をも潰れる。デル・レイ王国の外交能力は疑われ、信用は地に落ちるのだ。皇帝との関係が悪化しているナサリオにとってアルベルドは心強い味方。妻子すら預けているのだ。やはり無碍には出来ない。
「やむを得ぬか」
ナサリオは呟き、皇帝への上奏文を考え始めたのだった。
皇帝から、アルベルドへの呼び出しの早馬がデル・レイ王都に到着したのは、その6日後だった。両国の首都の距離を考えれば驚くべき速さである。皇帝からの命令を伝えるのだ。遅延などすれば命はないと、馬以上に人間が必死だった。その道を逆に辿り、アルベルドは10日をかけて皇都にたどり着いた。それでもかなりの強行軍である。
アルベルドはすぐさま皇帝の私室に通された。アルベルドが、やけに派手な骨董品屋の店先と評する、各国の名品、金銀の彫像が並べられた部屋の奥に皇帝が座している。元々、肉がたるんだ印象だったが、さらにそれが進んでいた。
「ナサリオが、ロタ王国の内乱に介入しサヴィニャック公爵に思い留まらせるべきだと上奏してきたのだ。取るに足りぬ事と思うのだが、お主にも意見を聞いた方が良いと言う者が居てな」
取るに足りぬと言われる程度の事に必死で馬を駆けさせた伝令の騎士こそいい面の皮だが、実は、アルベルドの意見を聞いた方が良いと皇帝に進言した者はアルベルドの息がかかっていた。無論、皇帝陛下を案じる故にという事にしている。
「ロタ王国の内乱に関しては、私も聞いております」
聞いてるも何も、ナサリオへの紹介状を書いたのはアルベルド自身だ。
「しかし、内乱に介入せよとはナサリオ兄上の言葉とも思えません。ランリエルのケルディラ侵攻にすら介入しなかった皇国が、内乱如きに介入してどうしようというのでしょう」
「それも、そうであるな」
表面的な事象を取り上げれば当然と言えば当然の理屈であるが、その裏ではランリエルの時と今回とでは山ほど差があった。しかし皇帝はそこまで考えず、アルベルドは意図的にその事実を秘した。
「皇国とは、この大陸の秩序を支える柱です。その柱が曲がりくねっては皇国の威信は失墜します。ランリエルのケルディラ侵攻に不介入ならば、今回も不介入です」
「そうは言っても、介入するしないならば、お主が王であるデル・レイこそ、ランリエルのケルディラ侵攻に介入し、今回のロタ王国の内乱にも公爵側に着いたというではないか」
パトリシオ兄上にしては、痛いところを突くではないか。意外に思ったアルベルドだったがぬかりは無い。答えは用意していた。
「大儀と情は時として相容れぬものです。大儀として不介入が正しいと思いながらも、このアルベルド。未熟にも情を捨て切れませぬ。弱き者が手をさし出せば、ついその手を取ってしまうのです。とても陛下のように超然とは出来ませぬ。それにです。以前にも申し上げましたが、陛下が私の意のままなどと言う不届き者も居るとか。そのような者の目を覚まさせる為にも陛下と私とが意見を違えるのも必要かと」
毎回同じ手だが、同じ手が何度も通用する程度の相手に手を変えてやるのは労力の無駄だ。皇帝は
「なるほどの」
と頷く。
こうして皇国の姿勢としてはロタ王国の内乱には不介入と決定した。だが、この大皇国にとっては取るに足りぬ小国への対応に、皇国が真っ二つに割れた事に皇帝は気付いていなかった。
皇国において皇帝は絶対である。その皇帝と宰相の意見が割れた。それだけなら今までも有った。だが、皇帝と宰相の不仲の噂は更にその声を大きくし、そこに3ヶ国からなる反ランリエル同盟の盟主アルベルドも皇帝と意見を割ったのだ。
現ロタ王側、サヴィニャック公側との違いは有れど介入すべしとしたナサリオ、アルベルド。不介入の皇帝。皇帝の権力は絶対だが、個人の能力を比べればナサリオ、アルベルドとは勝負にならない。皇国の人々の間である疑念がわいた。
ナサリオとアルベルドは意見が完全に一致している訳ではないが、もし皇帝と争うなら手を組むしかない。もし両陣営が争えば、どちらが勝つのか?