第69話:闇夜の光
その夜、本来なら美しい三日月が空に浮かぶはずだったが、あいにくの雲翳≪うんえい≫に包まれた。森は一層暗く夜の支配者たる梟すら、目が見えぬのではないかと危ぶまれるほどだ。その暗闇に支配された森の中にぽつんと明かりが灯っている。
3人の男達がとある森にある小屋に集まっていた。ベルトラム襲撃を計画する3人の若い貴族。男爵家次男のヴィルフェルト。子爵家3男ドゥンケル。同じく子爵家の次男クリーゼル。彼らの血走った目は病的にすら見えた。いや、人を殺す相談など精神を病んで無くては出来ない。彼らはそれだけ追い詰められていた。
彼らの屋敷ではいつ召使や侍女が立ち聞きするか分からない。町の安宿に部屋を取っても、誰が聞き耳を立てているか気が気ではなく安心できなかった。考えあぐねた彼らはどこか良い場所が無いかと探し回り、森の中に放棄された小屋を見つけたのだ。明かりを持ち込み、埃だらけだった机の上を掃い王都の地図を広げている。
ドゥンケルの指が王宮からベルトラムの屋敷までの道を指でなぞった。
「やはり王宮との道中でベルトラムを襲うのは不可能だ」
「さすがに3人で一個中隊を相手に出来ないな」
クリーゼルが腕を組み頷く。
実際、剣術については貴族の嗜み以上の腕は無い彼らは中隊どころか彼らと同数の騎士にも勝てぬのだが、今それを気にする必要はない。不可能の上限を超えても不可能に違いは無く同じ事だ。
要は、勝てる状況を見つければ良いのだ。ベルトラム自身も元は武人であり1対1ならば彼らなど敵ではないが、3人で不意を付けば仕留められる。つまり、ベルトラムが1人になるのはいつか。どこか。どうやってその場に彼らが乗り込むか。それが重要なのだ。それが出来れば勝てる。
「道中が駄目なら王宮かベルトラムの屋敷だが、王宮はベルトラムの護衛以外にも兵が居る。だから狙えるならここしかない」
ヴィルフェルトが地図の一点を指差した。
ベルトラムの屋敷は、王宮から3500サイト(約3キロ)の距離にあり、広大な庭を持ちその中央にベルトラムや執事や侍女達、兵士が住む建物があった。
「そうは言うが、道中を1個中隊に護衛させているなら屋敷には当然それ以上居るはずだ」
「そうだ。それでは手薄を狙うとは言えんぞ」
腰の引けたところのあるドゥンケルが懸念しクリーゼルも同調する。3人の関係はいつもこうだ。最年少だが行動力、決断力があるヴィルフェルトが牽引し、ドゥンケルが大丈夫なのか? と反対しクリーゼルはその場その場で説得力のある方に同調するのだ。まあ、いつもの事かと。ヴィルフェルトが話を進める。
「それは分かっているが、他に狙える場所が無い。それにベルトラムの屋敷は広大だが、だからこそ隙もあるはずだ」
「だが、そんな隙が本当にあるのか?」
「それを今から調べるんだ。もし隙が見つからなければ、その時は別の手を考えればいい」
「それもそうだな」
クリーゼルが納得するとドゥンケルも頷いた。翌日からベルトラムの屋敷を監視する事になった。ベルトラムの屋敷の者に警戒されないように少しずつの時間を3人で交代で見張り服装も頻繁に変える。
朝になると、ヴィルフェルトが平民を装いベルトラムの屋敷の前を進みそのまま塀に沿って歩く。赤いレンガを積み上げた赤い塀だ。ゴルシュタット、リンブルク、そしてケルディラとコスティラの西部でよく見られる作りである。それより東では良質の石が取れるので石造りが多くなる。もっとも、頑強さではやはり石造りの方が勝り、富豪層では東方諸国からわざわざ石を輸送させる者もいる。
現在ベルトラムは、リンブルクでは王よりも力を持つ男だが屋敷に金を掛ける気は無かった。実を好むベルトラムにとって、城ならともかく屋敷を石造りにするなど見栄以外の何ものでもないのだ。
屋敷の外に見張りは居ないか。人通りの少ない道を彼らに混じって進みながらヴィルフェルトはそう見て取った。全て塀で囲まれているのではなく、ところどころ鉄製の柵だ。一周するとさすがに怪しまれるので途中一度屋敷を離れた。
外に兵士は居ないようだったが、たまたまかもしれない。他の2人も後で監視するので話を総合して判断する必要がある。服装を変え、今度は柵のところで何気なく立ち止まり素早く内部に視線を走らせる。
兵士達は交代で屋敷の内を巡回している。手に槍を持ち腰に剣を下げ甲冑は身に着けず軽装だ。ゴルシュタットの最高権力者を守る為に派遣された最精鋭の彼らだが、肝心の守る相手はこの時間は王宮だ。気が緩んでいるのか表情に緊張が感じられない。頻繁に兵士は回ってくるが、途切れなくというほどではない。緊張は無くとも規律は守られているので巡回する頻度は一定だ。
庭にはそれら護衛の兵士達に軽く会釈する執事や侍女、それに庭師の姿が時折見える。彼らは庭の花を摘み、手入れしたりしているようだ。それが規則なのか、それとも職務が違うから親しくないのか、兵士と屋敷の者達は挨拶以上の言葉を交わす事が無い。
そうして2度服装を変え屋敷を観察した。それ以上続けるとさすがに誤魔化しきれないと退散する。後はクリーゼルが変わって見張るのだ。次はドゥンケル。そしてまたヴィルフェルトに戻る。こうして数日間、調査を行った。
その結果、どうやら屋敷には3個中隊ほどの兵士が詰めているらしい。ベルトラムが王宮に出仕する時に1隊が護衛し1隊が昼の屋敷を警戒。残りの1隊は昼間は寝て夜屋敷に立つのだ。
「つまり、屋敷に居るベルトラムを狙うには、夜に警戒する1個中隊に見つからなければ良いわけだ」
「そういう事になるな」
「しかし奴らもベルトラムを守るのを最優先にしているはずだ。私室などは厳重に見張っているに決まっている」
危険を訴えるのはやはりドゥンケルだ。後ろ向きなとヴィルフェルトも思わぬでもないが、まあ、対処すべき問題を挙げてくれていると頭を切り替える。
「それももう一度屋敷を見張って調べよう。見張りの交代の時や巡回時に隙は無いか。どこかに必ず隙があるはずだ」
こうしてまた3人で屋敷を見張った。夜、柵越しにどの部屋に明かりがつくか兵士はどこを巡回しているか。そうして数日後にまた小屋に集まる。
「召使達は昼までに庭の手入れを終え、後は屋敷の掃除や雑用をしているようだ」
「ああ、兵士達も日のある内はベルトラムは王宮に居るので警護は甘い」
「しかし、ベルトラムが居ない時に屋敷に忍び込めても仕方ないんじゃないか?」
「いや、ベルトラムが居ない間に屋敷に忍び込み奴が帰ってきてから襲うという手もある」
「一度屋敷に忍び込めば兵士達の目からは逃れられるな。問題は執事や侍女の目をどう潜り抜けるかだ」
「屋敷の中は中でそいつらが歩き回ってるんだ。ベルトラムが帰ってくるまで見つからずに済むはずがない」
「そうでもない。一度掃除した部屋にはもう立ち入らない。その後に入り込んでベルトラムの帰りを待つんだ」
「3人共か?」
「そうだな……。後ろから不意を付けば1人でも殺れるかも知れないが万全を期したい。3人で一斉に掛かるのだ」
「3人で潜り込めてベルトラムを襲える場所か……」
「ベルトラムを殺り、それで終わりではないのだぞ。俺達が逃げられなくては意味がない」
ドゥンケルの表情は硬い。功績を挙げそれによって栄達するのが目的なのだ。死んだ後に救国の英雄と呼ばれるなど余りにも馬鹿馬鹿しい。彼らは殉死した英雄ではなく栄達する英雄になりたいのだ。
「だからこそ3人で一気に殺る。ベルトラムに声を上げさせるな。狙った部屋にベルトラムが入ったら一斉に剣を突き出せ。その後、隙を付いて逃げるんだ」
「隙をといっても、いずれベルトラムの死体に気付き大騒ぎになろう。その前に逃げ出さなくてはいけないんじゃないか?」
「その騒ぎに乗じて逃げるんだ。ベルトラムの死体が見つかれば一旦兵士達はその部屋に集まるはずだ。その後犯人を捜せと命令を受けるだろうが、その前に手薄になったところを壁を越えて逃げる」
「そう上手く行くものか?」
またか! ヴィルフェルトは舌打ちが漏れるのを懸命に耐えた。いつもの事ながら批判ばかりのドゥンケルにもイラつく。普段通りと言えば普段通りだが、ヴィルフェルトの精神状態は今、普段通りではない。未来の為命を賭けた大事業を前に高ぶり焦っている。
「やるのかやらないのか! やらなければ、このまま死んだも同然に年老いるだけだ!」
怒声がボロ小屋の壁を突き破り深夜の森に響く。ドゥンケルの顔が青ざめ居心地が悪そうに目を逸らした。クリーゼルは何かに耐えるように目を瞑り、僅かに首を振った。
誰も言葉を発せず森にまた静寂が訪れる。時が流れ騒ぎが収まったと判断したのか梟が鳴いた。しかし3人の男達は口を閉ざしたままだ。
ヴィルフェルトの鋭い視線に、相変わらず目を背けたままのドゥンケルの姿が映る。本当に、本当にこれが最後の二度とない機会なのだ。これを逃しては、今後もし反ベルトラム派がゴルシュタットとの戦いを起こしたとしても、率いる兵士なく武勇もない自分達が手柄を立てるのは不可能。そして武芸を身に着けていないからこそ3人が力を合わせなねばならず、1人も欠ける事は出来ない。
それを、その内の1人がこうも作戦にケチばかり付けては計画が進まない。計画は実行する前に破綻しようとしていた。
「俺達の人生が賭かってるんだ。簡単な訳がない! まったく危険無くなど無理に決まってるだろ! 命を賭けて戦うか。戦わずに生きたまま死ぬかだ!」
それでもドゥンケルは視線を外したままだ。
「俺は……」
クリーゼルの声が聞こえた。
「俺は死ぬのが怖い」
「クリーゼル……」
「だけど……。自分の将来を考えるのはもっと怖い。光が、光が見えないんだ。自分の将来に幸せを思い描けない」
ドゥンケルがクリーゼルに目を向けた。青ざめ泣きそうにも見える。ドゥンケルも分かっているはずだ。このまま困難から目を背け、今はまだ大丈夫と無駄に時を過ごせばその先に待っているのは……。考えるのにすら恐怖を覚える闇だ。今動き出さねば何も変わらないのだ。
「分かった。やろう……。やって……やる。やるぞ」
ドゥンケルが拳を握り締め、足も震えている。顔は青ざめたままだが、歯を食いしばり決意の目だ。
「ああ。3人でやるぞ」
ヴィルフェルトがドゥンケルの肩を強く抱いた。クリーゼルも反対側の肩を抱く。無言で肩を抱き合う男達の耳に、梟の鳴き声が聞こえた。