第67話:忍び寄る奔流
ゴルシュタット王国とリンブルク王国。その両王国の宰相の座は1人の男によって占められていた。二ヶ国宰相ベルトラム。豪胆な男だ。ゴルシュタット宰相である彼が大軍を率いリンブルクに乗り込み、武力によってリンブルク宰相の座をも獲得したのである。
それゆえ彼はリンブルクの臣民の大半から憎悪を目を向けられ、何時命を狙われてもおかしくは無い。並みの神経の男ならば屋敷から一歩も出ないか、さもなくば大軍に護衛させる。しかし彼は、外出する時でも一個中隊。宮廷内では一個小隊の護衛しか置かなかった。
自分に対抗できるだけの勢力を組織出来る者ならば、今自分を襲撃してはそれこそリンブルクの破滅だと理解する。無計画の突発的な襲撃なら一個小隊で十分だ。それがベルトラムの判断だった。
日が沈み代わって満月が昇った。もっともその美しい姿は無粋で融通の利かぬ分厚い雲に隠れ愛でる事が出来ない。月の光すら遮られ一層の闇が地表を塗り潰し、その闇に点々と8つの明かりが灯っている。
リンブルク宰相としての職務を終えたベルトラムが、極少ない護衛に周囲を固められ邸宅に向かっていた。深い闇に紛れての襲撃に備え、護衛の騎士達は松明を手に鋭い視線を放つ。松明の明かりに闇夜に甲冑が浮かび、炎が揺れる度に色彩を変えるその姿は幻想的にすら見えた。
一行は、襲撃の無いまま邸宅の門を潜った。厩に馬を繋ぎ、玄関に入ったところでベルトラムは足を止めた。
「ここまでで良い」
短く言うと騎士達が引き上げていく。
書斎へ進むと、途中執事が頭を下げ礼をしながら待ち構えていた。
「旦那様。お食事はいかが致しましょう」
「後だ」
更に進み、次に湯はいかが致しましょうと声をかける執事と出会い、それにも答え進む。すれ違う侍女達も一々声をかけて来る。書斎の扉をゆっくりと開けると、中から明かりが漏れた。
書斎の椅子に座るとすぐに腹心のダーミッシュが音も無く姿を現し跪く。何度見ても初めて顔を合わせた気分にさせる特徴の無い男だ。年齢も40過ぎだと言われればそんな気になるし、20だと言われればそうなのかと納得する風貌である。
とはいえ、まったくの別人がダーミッシュのふりをして目の前に現れればすぐに分かる。ダーミッシュほど特徴の無い男は2人と居ない。特徴が無いのがこの男の特徴だった。
「リンブルクの勢力図は確定したと言って良いでしょう。彼らとベルトラム様の陣営を比較すれば5対1。劣勢ではありますが、今から色を塗り替えるにはかなり危険な橋を渡る覚悟が必要かと」
ダーミッシュは、ベルトラム様の陣営と言う。我が方とは言わないのだ。ベルトラムに忠実に使えながらも、どこか一歩退いていた。ベルトラムにとってはそれも都合が良い。肩入れし過ぎると見る目を曇らせる。
「で、あろうな」
今から勢力を伸ばすには、信用ならずと声をかけなかった者を取り込むか、敵陣営の者を寝返らせるか。しかし、信用ならぬ者を引き入れる危険は言うまでもなく、敵陣営の者は心からの裏切りかと安心出来ない。ならば、このままの勢力比で対決せねばならぬ。形勢は不利なはずだが、ベルトラムに焦りの色は無い。
「まあ、好きにさせておけば良い」
と、事も無げに言い放つ。
「それより、デル・レイのアルベルド王について、何か分かった事はないのか?」
形勢不利なリンブルクを差し置き、どうしてそこまでデル・レイ王に気を向けるのか? 内心のその思いを表情には微塵も見せず、ダーミッシュは調査した内容を頭に思い浮かべた。
「アルベルト王の母は我が国の小領主の娘でしたが、ある大貴族のお供で皇都に行き、そこで前皇帝の手が付いたと。その後懐妊した事を知らぬまま領地に戻りアルベルド王を産んだそうです。幼少時代は領地で育てられましたが、皇国の知るところとなり皇都に招かれ第5皇子と認められました。当時は、辺境の小領主の娘の私生児が何と幸運なと騒がれ、一部では偽者ではないかとも言われたそうです。皇帝自身が我が子に間違いないと断言すると、皆口を噤んだそうで御座いますが」
皇帝が鴉は白いと言えば白いのだ。皇帝の言葉に異を唱える者など居ない。
「その後、アルベルド王が9歳になった時に母が病で亡くなり、現皇帝パトリシオ、宰相ナサリオの母である皇后イサベルに引き取られ育てられました。ここでも次期皇帝の母に引き取ってもらえるとはと、その幸運を持てはやされ、しかも皇国の政策では皇位を継ぐ長男以外は扶持を与えられての飼い殺しとなるところをアルベルド王はデル・レイの王位に就いております。世に稀に見る幸運の持ち主とも呼ばれているとか」
「幸運か……」
ベルトラムは肯定しきれぬものを感じた。何を持って幸運とするかはその当人しか分からぬ。ベルトラムから見てアルベルドの動きは、自らを幸運と考えている者のものでは無い。
世間では賢王、聖王とも称されるアルベルドだが、その本性はその額面通りではないとベルトラムは見ていた。アルベルドは意図的に名声を得ようとしている。
幸福とは突き詰めれば現状に対する満足。さらに上を目指すのも良いが、現状に満足している者の上昇志向というにはやり方が強引だ。王位を得た者が更に上を目指し、どこに行き着くというのか。
「贅沢な事だ」
呟きに自嘲の響きが混じった。王位を目指し策謀の花を咲かせようとするベルトラムだ。容易に王位を得たアルベルドへの皮肉もある。もっとも本気ではなく、彼の器量に収まる域である。
王国の小役人から始めたベルトラムと大皇国の皇子から始めたアルベルド。開始地点が違うものを目指す終着地を妬んでも仕方が無い。とにかく自分は王位を目指す。その時自分がそれで満足しているか、更に上を目指すかはその時にならなければ分からない。その時はその時だ。小役人が王位を得たのならそれで十分との理屈が通るならば、そもそも宰相で満足している。そして、アルベルドは王位で満足していないらしい。
「皇国でのアルベルド王の生活で、何か事件なり問題があったという話は無いか?」
アルベルドの野心が生来のものか、後天的なものか。生来のものならば外部からうかがい知るのは難しいが、後天的なものならば、何かしらの兆しがあったはずだ。
「事件といえば、やはり実母が亡くなった事でしょう。その後、皇后に引き取られ他者からは幸運に見えても、アルベルド王も当時はまだ9歳。母が亡くなって幸運とは思わぬはず」
「それは、そうであろうな」
ならば、まずその母の死を更に調査させるべきか。病死というが皇家に仕える医師の技量は大陸一だ。気にし過ぎかも知れぬが、大陸一の医師にかかっても救えなかったというのが引っかかる。
アルベルドの母について更なる調査を命じ、ダーミッシュの報告は次の案件に移る。
「先の戦いで勝利したドゥムヤータ王国では、ロタから奪った貿易の利益により選王侯の基盤は更に強化されました。ドゥムヤータに押し寄せる貿易船の数は今までを遥かに越え、港、街道の整備を急ぎ進めています。1つ問題があるとすれば、選王侯の1人であるシルヴェストル公爵がドゥムヤータ胡桃の資材、製品を強引にランリエルに横流しした為、本来の買い手への謝罪と賠償に追われているそうです。もっとも買い手の方もドゥムヤータを怒らせれば今後ドゥムヤータ胡桃の取引が出来なくなると、あまり強く非難せずまもなく沈静化するものと思われます」
「ランリエルも上手くやったものよ」
「ランリエルがで、御座いますか?」
ダーミッシュの声には、上手くやったのはドゥムヤータではないのか? と意外な響きがあるが表情はまったく変わらない。
「ランリエルがだ」
ランリエルのサルヴァ王子がケルディラを攻めたのは、アルベルドが仕掛けた為とベルトラムは見ていた。つまり、ランリエルは本来ケルディラとも友好を望んでいた。やむなく戦端を開き勝利で終わったものの、外交関係が修復出来たというには程遠い。
ロタが独占していた他の大陸との貿易は、ドゥムヤータとコスティラに分散した。ケルディラにとっても他の大陸から来る品々は高い利益を生み出す貴重な物だが、ケルディラからドゥムヤータまでは遠い道のりだ。輸送に経費がかかり折角の利益がそれで飛んでしまう。いや、ドゥムヤータなどから運ばなくても、コスティラが隣国ではないか。
「大陸との貿易でケルディラが利益を得るには、コスティラ、ひいてはランリエルとの国交を回復せねばならぬ。ランリエルは貿易の利益だけではなく、外交の手札をも増やしたのだ」
「なるほど」
もっともロタから貿易の利益を奪ったのはドゥムヤータのシルヴェストル公爵の策だ。サルヴァ王子はそれを利用したに過ぎない。
「一方敗戦したロタ王国では、国王への不満の声が高まっております。単に敗戦を招く戦いを起こしたというばかりではなく、今までの体制への不満もあるようです」
「ロタ王国は貿易の利益により多数の歩兵を集め、その武力で諸侯を抑えていたのだったな」
「はい。しかしその貿易の利益は失われ、諸侯を抑えられなくなります。今はまだ軍勢を維持しておりますが、貿易の利益が無くなり今後はやせ細るばかり。なまじ強固な体制を敷いていたゆえに、反発も大きいようです」
「それは、王朝が揺らぐほどのものか?」
「は。ロタ王国北部のサヴィニャックに領地を持つリュディガー・サヴィニャック公爵を立てようという話も既に出ています」
「ほう。名門のようだな」
現在のように領地の売買、譲渡が頻繁に行われる以前は、領地は王家から与えられるか自ら開拓するものだった。そして当時は領地の名をそのまま姓としたり、逆に自身の姓を領地名にしたりもしたのだ。領地の名を姓とするサヴィニャック公爵は、それだけで古くある名門貴族と判断できる。
「そのサヴィニャック公爵は、今回の戦いでは北部防衛に軍勢を出し領地も北部。敗戦の被害を受けていないばかりか、その北部戦線では配下の小連隊がバルバール王国軍総司令フィン・ディアスと互角に戦い名声を得ております」
「なるほど」
ベルトラムが頷いた。王家の力が強かったロタ王国だったが、その王家の力が弱まり政変の危険すらある。これもこの大陸の歪であろう。自らも動く為、その歪を待つベルトラムにとっては好ましい状況だ。
「皇国はどうなっておる?」
「皇国では、やはり皇帝パトリシオと宰相ナサリオとの溝が深まっています。皇帝の権威を恐れ人々が口にするのは、宰相が恐れ多くも皇帝をないがしろにしているとナサリオへの非難ばかりですが、実際は皇帝が宰相の功績を妬んでいるようです」
「皇国において皇帝は絶対だ。そこまで皇帝に疎まれ、ナサリオはよく宰相の座を保てているものよ。そこはやはり皇帝といえど兄としての情というものか」
「それもあるかも知れませんが、2人の弟に当たるアルベルド王が皇帝を宥めています。皇帝は頻繁にアルベルド王を皇都に呼び寄せ、何かと相談し信頼は篤いようです」
またアルベルドか……。本心から兄弟の危機に動いているのか。それとも私欲の為か。奴は何を目指しているのか。一言で王位の更に上を目指すと言っても様々なものがある。名声かも知れぬ。それとも地位か。それは、豪胆なベルトラムにしても、戦慄を覚えずには居られないものだった。
「皇国の動きに人を割け。最優先でだ」
「最優先……。それは、リンブルクの情勢よりもと仰せでしょうか」
無言で頷くベルトラムに、ダーミッシュの特徴の無い顔が珍しく感情を浮かばせ驚きの表情を作った。この大陸において皇国は無視できぬ存在。しかし足元を見ず遥か遠くの灯台に目を向けるとは、それこそ足元を掬われかねないのではないのか。
だがベルトラムにも考えがある。彼は王族ではなく、率いる軍勢もあくまで王から預かっているだけなのだ。その自分が王位を得るには生半可な事では不可能。王を殺し一時その座に就いたとしても、強引なやり方では諸侯がついて来ず、更には他国の介入も招きかねない。ゴルシュタットの混乱に乗じて利を得ようとするばかりではなく、他国といえど下克上などを軽々しく許せば自国の体制も揺るぎかねないのだ。
その強引を通すには、この大陸に大きなうねりが必要だった。そのうねりはどこで発生するのか。誰が起こすのか。東方の覇者サルヴァ・アルディナか。賢王アルベルド・エルナデスか。皇国で政変が起こるのか。
それとも、ベルトラム・シュレンドルフが起こすのか。