第66話:軍師2人
若く秀麗な男が締め切った薄暗い部屋をがさごそと引っ掻き回していた。アレットからの侮辱に腹を据えかねたリュシアンが、アレットとの決闘に使用する剣を探しているのだ。
元々文官として仕官したリュシアンだが、現在の地位はブラン騎兵連隊隊長付副官である。自分には馬上で使うロングソードがあるので問題はアレットに持たせる剣だ。
確か、以前使っていたショートソードがあったはず。だが、以前の住処からここに移った時にどこにしまったんだったか。さすがに召使に女と決闘する為の剣を持って来いとは言えず、記憶を探りながらあちこち探した。
ショートソードとは、騎士が使うロングソードに対して歩兵が使う剣だ。では、名前の通り’短剣’なのかと言えば実は短くは無い。見た目の区別も無くほぼ同じ物で、騎士が使う剣がロングだから歩兵はショート。その程度の意味である。
持ち主の好みにより一般的なロングソードより刀身が長いショートソードという物も存在するが、リュシアンがショートソードを腰に下げていた時は文官として仕えており形式的なものだった。その為名の通り短めの刀身だ。
しかし、女に短い獲物を持たせるのは非難させるかもしれないな。ここはあいつにロングソードを持たせるべきか。いや、刀身が短い分軽いのだから、やはり非力な女には軽い方を持たせるべきか。ぶつぶつと音声にならぬ呟きを漏らしながら部屋中をひっくり返していると、そこに召使がやって来て部屋の惨状に唖然とする。
「何か用か?」
ばつの悪さにあえて平静を装って問うリュシアンに、召使が公爵の使いでバルバストルがやって来たと告げた。
「居間にお通ししろ」
この屋敷の主人はブランだが、リュシアンはその副官であり親友でもある。召使達も主人に準じる者であると認識し指示は速やかに行われた。
「リュシェール殿。お久しぶりです」
「バルバストル殿。お元気そうでなによりです」
以前は共に文官として仕えていた2人だ。当然面識はある。その時のリュシアンのバルバストルへの印象はあまり良いものではなかった。才は他に抜きんで優れた男なのだが、人に先んじようとする傾向が強いのだ。もっとも、若い文官、武官共通の傾向であり、そういう意味では良い印象の者の方が少なく、バルバストルだけを特別に嫌っている訳ではない。
「今日はサヴィニャック公爵から、ある案件についてリュシェール殿と協議して欲しいという要請があり、参上いたしました」
実際は、リュシアンの意見を聞いて来いなのだが、馬鹿正直に言う気はない。リュシアンも正式な会議でもないのに協議しろとは? と不審に思った。リュシアン自身、最近自分が公爵のお気に入りとなっているのは感じている。しかし公爵には以前より仕えた家臣団も居り、協議なら彼らを含めた場ですべきだ。だが、取り敢えずは気にしないふうを装った。
「なるほどそうですか。して、どのような案件なのです?」
「実は、先日バシュラール侯爵が屋敷に参られ、諸侯の要請により彼らの主君になっては頂けないかとサヴィニャック公にお話があったのです」
バルバストルは注意して王位、簒奪という言葉を使わなかった。
「彼らの主君として、ですか」
とリュシアンも本来の意味。公爵に王位を簒奪せよ、との内容は理解できたが、その言葉を避けた。
「少し込み入った話のようですね。場所を変えましょうか。私の私室ならば資料などもあり面倒は無いでしょう」
居間では、召使、侍女が聞き耳を立てるかもしれない。場所を移し改めて向かい合わせに座るようにバルバストルに促し、椅子に座ったバルバストルが改めて口を開く。
「王家は貿易による利益を独占し、その財で軍勢を集め諸侯を抑えてきた。もし王が利益を諸侯にも分け与えていたなら、今日貿易の利をドゥムヤータに奪われ王家が財を失おうとも諸侯の支持までは失わなかったであろう。それは王家自身の責。違いますかなリュシェール殿」
リュシアンとて己の能力を信じ立身出世を目指している。その意味ではバルバストルとなんら変わるところは無い。だが、その姿勢には大きな違いがあった。彼は、進言が取り上げられ評価され相応の待遇を受ければ良いと考えているが、バルバストルはそれに加え他を引き摺り下ろすのさえ厭わない。
今もリュシアンへ、サヴィニャック公が王位に就くのがいかに天意に従うか、諸侯が望むかを熱く語りながらも将来リュシアンを陥れる隙はないかと探りを入れた。
「それは、その通りだと思います」
頷くリュシアンに、第一関門は突破したと安堵した。ここで、それでも王は王。臣下が主君を責めるべきではないなどという堅物なら厄介だった。しかし、ならばこの男も絶対的な忠誠心などは持ち合わせていないという事だ。役に立つかは分からぬが、取り敢えずは覚えておくかとバルバストルは心に記した。
「しかも前回の戦いでロタ王国南部は荒れ果て疲弊しているにも関わらず、その国難にも王は目を向けようとはせず、己が権力を守る事しか頭に無い。貿易の独占は失われ国庫も枯渇しているのに軍勢を維持するのに財を注いでおります。その事についてリュシェール殿は、どうお考えか?」
リュシアンにとって、いやバルバストルにとっても分かりきった問題をあえて問うた。答えを得る為の質問ではなく、答えさせるのが目的だ。
「軍勢は維持するだけで金が掛かる。維持費が歳入を超えている以上、いくら足掻こうとも破綻は目に見えています。そうなれば結局、軍勢は解散。無駄に財政を悪化させているだけでしょう」
バルバストルは表面上は顔をしかめ、内心皮肉な笑みを浮かべ頷く。これでリュシアン自身の口から王への批判の言質が取れた。後はそれを橋頭堡に、ならば共にと話を進めるのだ。とにかく王に王たる資格無し。その線を歩く。王はたいした人物ではないが、ではサヴィニャック公が優れた人物かといえば公爵とて名君とは言いがたい。
王と公爵のどちらが王に相応しいかと論じればどっちもどっち。議論はどう転ぶか分からない。諸侯を蔑≪ないがし≫ろにする王は倒さなければ成らない。そして今、王を打倒できる人物は誰なのか。それはサヴィニャック公以外にない。この道筋を進むべきだ。
「疲弊し苦しむ南部領主達の悲鳴に耳を傾けず、己の保身のみを考える王から諸侯の心は離れている。このままでは諸侯は王命を受け付けず、ロタ王国は分裂しましょう。そうなれば隣国はここぞとばかりに侵略を開始しロタ王国は大陸の地図から消えうせる。ですがそれは諸侯が悪いのではなく、全て王の責任。罰せられるべきは王家なのです」
リュシアンにしても、現国王が名君に程遠いのは分かっている。そしてバルバストルの言葉を先読みすれば、ならばこそサヴィニャック公爵を国王に、という話になるはずだ。公爵は煽ててさえいれば事のほか思い通りに動かすのは容易い人物。他の者達が上手く補佐すれば公爵自身に王の器が無くとも問題は無い。だが現国王は先の戦いで海軍の行動に口を出し大敗を招いた。その点、バルバストルが思うよりリュシアンは公爵を買っている。
無論、公爵が最近自分の献策を取り上げる事が多いのも、公爵を好意的に見る要因になっているのも否めないが、リュシアンには文官としてばかりではなく、ブランと共に戦場に出た武官としての見解もある。
他の大陸での大乱が終わり、質の良い甲冑がその職人と共に多く流れてきた。今まで軽装だった歩兵にも甲冑が行き渡りこれからは重装歩兵が戦場の主役となる。そのような意見もあった。
その観点から見れば、歩兵を多く集めたロタ王家の軍勢は戦場で大活躍するはずだったが、蓋を開けてみれば以前と変わらずドゥムヤータ王国軍に遅れを取った。いくら甲冑が安価になったとはいえ数万の軍勢の甲冑を揃えるには莫大な金が必要であると、ロタ王家が後回しにしたのだ。
貿易の利を守る為に海軍を不要に動かし艦隊を消滅させた事と合わせ、ロタ王が財を惜しみ敗戦を招いた。そう責められても仕方が無い。
「確かに現国王を諸侯の上に頂き続けるのは難しいでしょう」
「やはり、リュシェール殿もそうお考えか」
バルバストルは飛びつき、リュシアンが頷く。
バルバストルの狙いは将来のロタ王国宰相の座。そしてサヴィニャック公がサヴィニャック王に成り上がり、リュシアンが望むものは何か。出世は望んでいるが、宰相の座、とまでは考えていない。公を王位に、という話自体今聞いたところなのだ。精々、ブランと共に栄達しようというくらいだ。
現在ブランはリュシアンと共に公爵のお気に入りだ。先の戦いの功績で5百騎の騎兵連隊の隊長となった。千騎とも言われ公爵もその気だったが、長年仕える家臣団からの反対が大きかったのだ。
家臣が公爵に逆らうなど滅多に無いが、それだけに旧勢力たる彼らは焦っていた。特に公爵家の軍勢を纏めるダゲールにとっては死活問題だ。千ともなれば公爵家のほぼ全騎。制度上は騎兵、歩兵共にダゲールの配下だが、実質、騎兵はブラン、歩兵はダゲールという担当となる。そして、人々は騎士というものに実際以上の幻想を見るものだ。騎兵を率いるブランをダゲールより上に見かねない。
つい先日まで、高々50騎の隊長だった男がロタ王国の名門中の名門。サヴィニャック公爵家の軍事の筆頭となる。長年仕えやっとその地位にたどり着いたダゲールは理不尽と感じた。もっともリュシアンやブランにとっては、理不尽でもなんでもない。
長年功績を立て地位を得た者は功績の蓄積により地位が守られるべきと考え、這い上がろうとする者は現時点での能力が優れる者が地位を得るべきだと考える。そして後者が一度高位を得れば、途端に前者に主義を鞍替えするのも世の常である。
過去の功績にすがりつく彼らをその地位から引き剥がすには、今まで彼らが蓄積してきた功績が霞むような派手な功績、能力を示す必要がある。それに相応しい舞台が必要だ。ロタ王国王位争奪戦。これ以上華麗な舞台は無い。
バルバストルはリュシアンが反対するのではと懸念していたが、意外にも両者の利害は一致していた。無論、現時点ではだ。将来、バルバストルとリュシアンが望む道が交わればその限りではない。道は細く、相手を蹴落とさずには抜き去る事は出来ない。
この両者が共に王位に就く事を公爵に進言すれば、まず間違いなく公爵は頷く。彼らの台頭を喜ばぬ旧勢力の者達も、公爵が王になればそれだけ自分達も栄達できると賛成するはずだ。だが、そうなると次の問題が発生する。
「国内の勢力を比べれば、諸侯の支持を得る公爵と貿易の利を失い頼みの歩兵を減らす王家とでは公爵が有利。ですが、この混乱に乗じて他の国がロタ王国の実権を握ろうとするかも知れません。公爵が真の意味で王となるには、他国からの干渉をいかに排除するかです」
「なるほど。ドゥムヤータなどは、先の戦いの報復にと勇み介入してくるでしょう」
リュシアンが言いバルバストルも頷いた。
「もしドゥムヤータが介入するならば、前回直接は矛を交えなかったロタ王国北部を領する我ら公爵側と手を結ぼうとするでしょう。敵に回られるよりは良しとすべきですが、理想はやはり我らの独力で事を成したいものです」
「現ロタ王であるランベール王と手を結んでいるのはデル・レイ、ケルディラ。この2ヶ国を合わせればドゥムヤータ軍を遥かに超えます。ですが……」
「はい。我らが城砦に篭り北方を固め耐えしのげば2ヶ国の軍勢はそれより南下出来ない。その間にドゥムヤータ軍がロタ王国王都ロデーヴを落とすでしょう。ですが……」
「ドゥムヤータの功績が大き過ぎ、たとえ公爵が王となっても彼らの言いなりです」
リュシアンとバルバストルは鏡を合わせたように共に溜息を付き額を手で押さえた。他国の干渉を排除したいが、他国の力を借りねば勝利は覚束ず、借りが大きすぎる。
「さらにランリエルまで出てくれば状況は益々複雑に成りますが、バルバストル殿はどうお考えですか?」
「ランリエルは出てこないでしょう。出てきては、彼らの利を失います」
「私もそう思います。ドゥムヤータは先の戦いでランリエル勢力の一翼を担うバルバールと手を組みましたが、そのドゥムヤータ自身もランリエルの介入は望まぬはず」
「はい」
ロタは貿易の独占を失ったが、それはテルニエ海峡を押さえたバルバールが’友好国でない’ロタ王国の港に寄港する貿易船の通行税を法外な額に設定しているからだ。その為、貿易船はドゥムヤータとコスティラ、その両国の間に浮かぶ島々を押さえるバルバールに分散したのだ。
それをロタ王国の勢力争いに介入し、手を貸した側に勝利させ友好国としては元も子もなく、勝利させた挙句に距離を置くなら意味がない。
ドゥムヤータとしては、公爵に手を貸し王冠を被らせ影響力を行使し、その反面ロタ、バルバール間は断交のままロタへ貿易船が向かうのは阻止させる。それが理想である。
「もっとも、幸いにと言うべきか、この議論もロタ王国に内乱が起これば彼ら近隣諸国がどう動くかの我らの予測でしかない。現実には、彼らはまだ内乱が起こるのを知りません」
「その利を活かし、彼らに先んじて手を打つべきでしょう」
「介入させざるを得ないならば、少しでもこちらにも益がある方策を立てるべきです」
「何か策がお有りか?」
バルバストルが探る視線をリュシアンに向け、受けたリュシアンも見返す。その先には、意見を問うと言うには自信ありげな表情が見える。
「バルバストル殿にも、策がお有りのようだが」
「有るには、有ります」
そうなれば先に相手の策を聞きたいところである。それは共に同じだ。議論を戦わせる場合、先に手の内を見せる方が不利である。しかし、どうぞお先にと譲り合うのも馬鹿らしい。
「ならばお互い紙に記し、同時に見せ合おうではありませんか」
「よろしいでしょう」
お互い後ろを向いて紙に筆を走らせた。それを裏返して相手に渡す。
「では」
と表を向ける。それにはそれぞれこう書かれていた。
西に降り北と和す。
東に降り南と和す。