第63話:副官の思惑
「最近、アリシア様とナターニヤ様のお仲がよろしく、毎日のようにアリシア様のお部屋にナターニヤ様がご訪問なされているのです」
と、アリシアの近況を、怪しい丁寧語で報告しているのはアリシアの侍女エレナである。その相手は、エレナが運命の人と認識しているサルヴァ王子の副官ウィルケスだ。
エレナはウィルケスに夢中だった。2人の馴れ初めは、彼が彼女に話しかけて来たら別の男がやってきて、突然目の前で彼女を巡って決闘を始めたというものだ。そしてウィルケスは惜しくも敗れたものの男から彼女を奪って逃げ、勝った男には悪いが2人は愛を誓ったのである。
しかもその後判明したのは、もう1人の男はサルヴァ王子の前任の副官ルキノであり、ウィルケスは現在の副官であるという。東方一の大国の第一王子の新旧副官が自分を巡って決闘を行う。なんと乙女心をくすぐる舞台なのか。エレナは天にも昇る気持ちだった。だが、決闘の後、ウィルケスは苦渋の表情で彼女にこう言ったのだ。
「私は子爵家の次男だ。家は兄が継ぐ。しかし父は我が家を大きくしようと、私にどこかの跡取りの居ない他家に婿入りし家の力になれと命じるのだ。貴女は王宮の侍女。貴女が悪いのではないが父は許さないでしょう。愛する貴女には申し訳ないが父に逆らう事は出来ない。貴女への想いを押さえきれずつい貴女の前に出てしまったが、本当は一生心に秘めているはずだった。私の事はどうか忘れて下さい」
サルヴァ王子とアリシアとの仲を聞き出そうとしてエレナに近づいたウィルケスである。結局、彼女が余り詳しい事を知らないとなると、傷つける前に彼女から去ろうとしたのだ。相手の事を考えるなら未練を断ち切る為にきっぱりと冷たくふるのが常套手段だが、今は自分から告白したところ。それが出来る状況ではなかった。
ウィルケスの言葉に、エレナは口に手を当て目を見開いた。
「まあ!」
なんて素晴らしいのでしょう! 身分差の恋! 男の父の反対! 正妻による苛め! 2人の愛の結晶を家系を汚すものと亡き者とせんとする母が送り込む刺客! それに耐える健気な私! これぞ侍女の恋である!
「大丈夫です! 意地悪な正妻の苛めに耐えます! 貴方との子供も、お母様から守りきります!」
しまった! 関わりになってはいけない類の女だ! だが、後悔先に立たず。いきなり、いまだ存在せぬ妻を意地悪と決め付けられ、しかも母をも殺人者と認定され、女性に関しては百戦錬磨のウィルケスも背中に冷たい汗を流した。
逃げたいが、この手の娘からは正攻法では逃げられないのをウィルケスは良く知っている。彼女が別の相手を見つけるか、彼女が自分に愛想を尽かすか。そのどちらかだ。こちらから逃げようとするのは厳禁だ。逃げれば逃げるほど追いかけてくる。
「分かりました。ですが、貴女との事を表に出来ぬ私をお許し下さい」
「勿論です! 一生日陰者の覚悟は出来ています!」
こうして出会って湯を沸かすほどの時間で一生の覚悟を決めた侍女と女遊びの激しい副官は密会を続けたが、ウィルケスはエレナに手を出していない。さすがにアリシアの侍女に手を出した挙句に捨てては不味すぎる。そして、折角だからとアリシアの近況を聞き続けていると、ナターニヤの話題に引っかかったのだ。
「ナターニヤというと、コスティラから来た公爵令嬢だったな」
「はい。そうです」
ナターニヤは何度か見かけた事がある。男は王子と担当の役人しか後宮に入れないが、寵姫達が後宮を出るところを見計らい全員の顔と名前を一致させている。現在、後宮では群を抜いた美貌の持ち主だ。
女に関しては百戦錬磨のウィルケスの嗅覚は、ナターニヤを一筋縄ではいかぬ女と反応した。コスティラ女特有のスラリとした肢体を持ち、妖精が如く儚い美しさだ。一筋縄ではいかないという印象と儚げな容姿。そぐわぬ組み合わせがウィルケスの警鐘を鳴らす。
事実、ナターニヤは着実にその地位を固めている。コスティラから来た寵姫は今のところナターニヤ1人だ。しかもコスティラはランリエルの属国と見なされている。孤立無援のはずが最近では取り巻きまで作り、更に今まで誰も寄せ付けなかったアリシアの部屋へも毎日のように訪問しているという。儚げな、というには手際が良すぎる。
更にナターニヤの情報を得て、エレナの話も聞いてから自室へと向かう。エレナについてはいずれはっきりとさせねばならないが、今は現状を維持するしかない。人の幸福とは、例え虚構でも本人が満足するかが重要であり、真実が幸せとは限らない。幻想の魔法をかけ続け最後には自分が振られる態にするしかない。
士官用の官舎に戻ると実家の子爵家から手紙が来ていた。ウィルケスの部屋には第一王子にして総司令官の副官としてふさわしく、将官並に寝室、書斎、そして客間が用意されている。それは優遇ではなく、総司令官の副官ならば要人を部屋に招く事も職務としてあるとの配慮だ。
書斎に入ると手紙の封を切った。送り主は母で兄嫁についてだった。
「彼女も今では2児の母。もう誰も気にしていないし、お前の所為ではないのだから一度くらい顔を出しなさい」
そのような事が、親子、兄弟の情に訴えながら書かれている。
兄嫁とは兄と結婚する前にそれとは知らずに関係があった。結婚してからウィルケスが夫の弟と知った兄嫁は運命の再会と逆上せ上がり、散々ウィルケスに一方的に誘いをかけた挙句に兄にばれ、兄弟での決闘騒ぎにまで発展したのだ。
その後、夫の両親、夫が見守る中、自分はもう兄の嫁としか思っていないとウィルケスに断言され、兄嫁は目を醒ましたもののウィルケスも実家に顔を出しにくくなり疎遠となっている。
「そうは言ってもね」
少しおどけて呟くと、無造作に手紙を引き出しに放り込んだ。
前回の大騒動の時には未遂だった事もあり兄は兄嫁を今回だけは許すと言い渡し収めたが、ウィルケスと再会した兄嫁が再度逆上せ上がる可能性が皆無ではない。実家から懇願されて戻るならウィルケスの責任とは言われないが、誰の責任かなど関係なく兄嫁はともかく兄を悲しませたくは無かった。子供が2人も居るならなおさらである。
いっそ本当にどこかの婿養子になってやるか。エレナに言ったのは出任せだったが、実家は極一般的な子爵家。本領以外に領地は無く、兄が子爵位を継げば自分は無爵位の人生だ。
今のままだと退役すればそれまで。サルヴァ王子の幕僚の地位が約束されそれなりの蓄えも出来るが、やはり老後を考えると安定した収入が必要である。第一王子の腹心を婿に欲しい貴族など探せばいくらでも見つかる。兄嫁との事も含め、ここは思い付いた通りどこかの養子になるのが無難か。
普段、どこか浮世離れした生活をしながら意外と現実的に問題を解決すると、次なる問題へと取り掛かった。ナターニヤについてだ。
まずはナターニヤが何を目論んでいるかだが、その終着点は容易に推察できる。寵姫の最終目的は後宮の主。つまりサルヴァ王子の心を掴む。これしかない。逆に言えば、寵姫として当然の行いをしているだけであり問題視する必要も無いのだが、王子はアリシアに気があるのではとウィルケスは考えている。ならばナターニヤは邪魔である。排除せねばならない。
「ま。いつもの手で行くか」
数日後、ナターニヤが侍女を連れ後宮を出た。後宮との境の扉を潜った途端、それまでの金銀で飾られた華やかな作りから、それを差し引き代わりに威厳を加味した木目を際立たせる作りの廊下を進み町へと向かっていた。寵姫達もずっと後宮に篭りきりではなく、たまには気晴らしに町に出る。目的の場所まで馬車に乗る者も居れば、歩いて町を散策する者等様々だが、ナターニヤは後者だった。それはコスティラから来た彼女が、ランリエルの町並みが珍しいという妙齢の女性らしい純粋な気持ちと、馬車を使ってお高く留まっていると見られないようにとの計算が組み合わさった結果だった。
「これは、コスティラ王国からいらしたナターニヤ様ではありませんか?」
後ろからの声にナターニヤが振り向くと、端正な顔立ちの若い男が立っていた。2人の間に素早く侍女がそれが自分の役目と立ちはだかる。公爵令嬢の外出に付き添うだけあって、動じない冷たい黒い瞳を持ったすらりと背の高い女だ。不審人物かと男を見る視線は鋭い。
その間にナターニヤがすばやく頭に収めた名簿をめくる。確かサルヴァ王子の副官のウィルケスという男だ。舞踏会であれは誰それと調べさせ、ランリエルの大臣、有力貴族など重要人物の顔と名前は機会がある限り調べてある。無論、サルヴァ王子の副官、幕僚などもその内だ。
「はい。そうですが、貴方はどちらの方でしたでしょうか」
抜け目無さを隠し、あえて知らぬ振りをした。誰にでも優しげに接すると笑顔も忘れない。
「サルヴァ殿下の副官を勤めさせて頂いております。ウィルケス・バルレートと申します」
「まあ。サルヴァ殿下の。これは失礼致しました。殿下には大変よくして頂いております」
心底驚いたふうに目を見張った後、無様にならぬ程度に慌てた態で膝を折る。ならばと侍女が一礼し音も無く一歩引く。それでも万一の時には自分が盾になると、ウィルケスに向ける視線に油断は無い。
ナターニヤにとってウィルケスは’落とす’対象ではない。男を落とすには、気取ってみせる、無愛想に応じるなどであえて気を引く駆け引きもあるが、今はサルヴァ王子の相手としての印象を良くしなくてはならない。この場合、挑発的な態度は禁物だ。男は口説く女には危険な香りを求めもするが、友人の女には気立ての良さを強いるものである。
今もウィルケスを上目づかいに見、口元には笑みを浮かべ少し首を傾げている。何か御用でしょうか? と視線で訴えるその様は、優しげで控えめでありながら知性をも感じさせた。
「いえ。これといって用がある訳ではないのですが、ナターニヤ様の美しさについ声を掛けてしまいました。お足を止め申し訳ありません」
侍女が戸惑いの表情でナターニヤを見た。サルヴァ王子の寵姫に色目を使うなど言語道断。サルヴァ殿下に言いつけますよ! と怒鳴るところだが、ウィルケスは微妙な線を付いている。つい声をかけてしまった程度。しかも既に謝罪もしている。これでは怒鳴れない。
「私≪わたくし≫などとても……。後宮にはお美しい方々ばかりいらして、私など気後れしてしまいます」
彼女は自分の美貌が寵姫達の中でも群を抜いていると自覚していた。それは自惚れでは無く純然たる事実である。それゆえに、言葉の上での謙遜など幾らでも出来た。
「ですが、そのコスティラ女性特有の淡い金色の髪に透けるような青い瞳はランリエルの女性にはない美しさ。知人にもコスティラの女性を妻に出来た幸運な男が居て、羨ましく思ったものです」
まさかこの男は私を口説こうとしている? 一国の王子であり、しかも直属の上官の寵姫を口説きに掛かるウィルケスにさすがの西国の妖貴妃も驚いた。しかしウィルケスは微妙に明言を避けている。ナターニヤを容姿を褒め称えているものの、知人を羨んでいるだけとも取れる。
「サルヴァ殿下にもそのように思っていただければ良いのですが、私がどれほど殿下をお慕いしてもこればかりは殿下のお心次第。一向に振り向いては下さらない殿下に、日々心を痛めております」
貴方の出番など無いのよ。という言葉を綺麗に包装して言い渡した。悲しげな視線と表情も完璧である。容姿も整い、コスティラの上位に君臨する大国の王子の腹心というのは悪い相手ではないが、今はその大国の王子そのものを狙っている最中。相手にする訳が無い。
だが、ウィルケスの次の行動はナターニヤの想像を超えるものだった。何と彼女の前に跪き、素早く手を取り接吻したのである。それは求婚の振る舞いだが、しかし発せられた言葉は相反した。
「貴女の想いは分かりました。私からも殿下にナターニヤ様のお心を伝えましょう」
と、サルヴァ王子と彼女との仲を取り持つとの言である。
侍女は混乱の極地だ。行動だけ見ればウィルケスは間違いなく常軌を逸している。しかし、その言葉はナターニヤへの応援である。しかも王子の副官ならばその応援に効果があるかも知れず、制して良いのか判断が付かない。
侍女仲間には鉄の女と呼ばれ物に動じない彼女だが、泣きそうにも見える困惑の表情を主人と無礼な王子の副官に交互に向ける。もし今のその狼狽する様子を彼女が密かに想いを寄せる王宮の執事が見れば、可愛いところもあるんだと惚れる事間違いないが、残念ながら執事は同行していない。
そして侍女ばかりではなく主人のナターニヤも困惑していた。彼女は言葉に騙されず、ウィルケスが間違いなく自分を口説きに掛かっていると見抜いた。だが、それだけにどうしてそんな危険を冒すのかが分からない。後宮の寵姫に手を出すなど、死罪となってもおかしくない大罪である。
「それでは失礼致します」
礼儀正しく一礼した副官は背を向けると、戸惑う主従を残して颯爽と姿を消したのだった。