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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
147/443

第59話:名も無き者達の意地

 一騎当千という言葉がある。そう呼ばれる戦士が居る。文字通り千の兵に相当する者という意味だ。だが、1人で千人と戦える訳がない。そんな者がいれば、それは人間ではない。しかし事実一騎当千の者は居る。


 その戦士の存在が味方を奮い立たせ、敵を萎縮させる。戦いは兵士の士気が大きく左右する。軍勢同士が戦う時、それはまさに千の兵に匹敵した。


「ウオォォッ!!」

 虎が吼え、それだけでバルバール軍を圧た。怯え後ずさる者も居た。ブランが手綱を引き、軍馬を棹立たせ虎牙槍を振るい切り込むと、立ちふさがるバルバール兵は手にした槍を弾き飛ばされ逃げていく。そこにロタ騎兵が続く。まるで全員にブランの武勇が乗り移ったかのように、敵を蹴散し、更にバルバール兵を怯えさせるのだ。


 前線に突如として‘発生’した敵の戦力に、バルバール軍本陣は危険に曝された。初めからブランが100騎を率いていれば、ロタ騎兵は有利に戦えた。だが、それでは他の隊列のバルバール兵が救援に来る。如何に奇襲の危険があろうとも正面が破られては話にならない。だが、ブラン抜きのロタ騎兵との圧し合い揉み合いで、正面のバルバール兵の隊列が緩んだ、その瞬間、一気に弾けた。至近距離どころか、零距離からの奇襲に一溜まりもなかった。


 この戦況にディアスは大きな溜息を付いた。

「やられた。トルスティ。全軍、あの敵に向かわせてくれ」

「良いのですか? まだ、敵の奇襲の可能性があるのでは」


「外を回っている敵は大した数じゃない。敵にそれだけの数が居るなら、正面から来た軍勢の数をもっと増やしている。その方が有効だ」


 正面から来た100のロタ騎兵は、ブランの武勇により2倍、3倍の力を出している。200騎、300騎用意出来るぐらいなら、ブランにそれを持たせていれば、既にバルバール軍本陣にまで達している。正面のロタ騎兵の数が増えていれば、バルバール軍も増やしていたが、ロタ騎兵はさらにそれを2倍、3倍に出来るのだ。


「すまない。行ってくれ」

 と、ディアスは、1人の男を呼び寄せ言った。


「今回は、出番が無いのかと思っていたのですが」

 男は、苦笑しつつ頷く。

「倒すのが難しいなら、止めてくれるだけでいい。引き付けてくれれば、他の者達の動きも止まるはずだ」


 この時ディアスは、知勇兼ね備えた‘1人の’指揮官を相手にしていると考えていた。前線の只中にあり、味方が次々と倒れるのに耐え己の力を封じるなど、よほどその策を信じていなくては出来ない。また、その策も武勇に自信が無くては成り立たない。それを信じあえる2人組など、ディアスにも想像の埒外だった。


 総司令の言葉を受け本陣を出た男は、使い込まれた愛用の武器を手に愛馬に跨った。

「さて、どの程度か」

 呟き馬の腹を蹴った。


 バルバール軍本陣まで後一歩。そこでブラン達の動きが鈍くなった。今まで奇襲に備えていたバルバール軍の槍の穂先がすべてこちらに向きを変え、立ちふさがり、側面を突き、背後を襲う。方陣を組んでいた敵の真っ只中に飛び込んだのである。当然だった。


 リュシアンが矢を番え宙に放った。笛の音が鳴るが、バルバール軍は何の反応も示さない。立て続けに放った。だが、バルバール軍はこちらに向かってくる。


「ちぃ! ここまで読まなくとも良いものを!」

 リュシアンが苦々しげに吐き捨てた。やはり知略ではディアスに勝てない。策を全て読まれ、本来なら完全に負け戦≪いくさ≫なのを、ディアスがブランを知らぬという‘無知’に付け込んだだけなのだ。しかし、まだ終わってはいない。動きは鈍りつつも、敵本陣に近づいている。


 ブランが吼え、敵を蹴散らし味方が後に続き、傷口を広げる。味方が次々と倒れる中、バルバール軍本陣へと向かい駆ける。不意に、敵軍が2つに割れた。まさか怯み道を開けたのか。隊員達が歓声を上げたが、ブランの毛が逆立った。


 来る! 一騎のバルバール騎士が、一直線にブランに向かって駆けた。戦棍を片手で振りかぶる。引き寄せられるようにブランも駆けた。お互い利き腕の右側を向けている。


 バルバール騎士が、遠い間合いから戦棍を振り落とした。考えるより早く、ブランが虎牙槍を合わせる。ブランの軍馬を狙っていた戦棍が虎牙槍に弾かれる。だが、軽い! 弾き返されると察した瞬間、バルバール騎士は腕から力を抜いていた。頭上高く弾かれた戦棍を再度振り下ろし、ブランの頭を狙った。また、考えるより先にブランの身体が動いた。上半身を捻りかわしたが、右腿を打たれる。

「ぐっ」

 呻き、すれ違った。


 駆け抜け、バルバール騎士が馬首を返した。ブランは足の痛みに僅かに遅れた。戦棍の先ではなく、柄で打たれたので骨は砕けてはいないが、ひびは入った。


「よくかわした。小僧」


 ロタ騎士達が息を呑み、バルバール兵から歓声が上がった。ブランの暴勇に勢いを得ていたロタ騎士達だったが、ブランを小僧と呼び優勢に戦う者の出現にざわめいた。


 その様子にバルバール騎士は、ま、悪く思うなよ、と内心詫びた。一合交わしただけで、今対峙している者が只者ではないと知った。小僧呼ばわりしてよい者ではないのだが、まあ、これも味方の士気を高める為だ。バルバール騎士は、士気の影響を十分理解している。


「この大陸に、グレイス将軍にかなう者など居るものか!」

 バルバール兵が叫び、ロタ騎兵が更にざわめく。


「居たのか……」

 リュシアンは愕然とした。今まで出てこなかったので、居ないと思っていた。バルバール軍は複数の箇所から上陸している。猛将グレイスは、別の場所に居て、ここには居ない。その可能性に賭けた。バルバールの猛将グレイスが居るか、居ないか。それが3つ目の賭けだったのだ。


 リュシアンはブランの武勇を信じている。しかし、自分がディアスに及ばぬようにさすがに猛将として知られるグレイスを相手にしては、という思いがあった。無論、それでもブランならば、という思いもあった。そして今の攻防。やはり、グレイスが一枚上手か。


 ブランが、グレイスを鋭く睨んだ。足の痛みを超える怒りが心を支配していた。


「どうして今まで出てこなかった。初めからお前が出ていればもっと優位に戦えただろう」


 手加減されたのか。そう思った。また牽制というやつなのか、それとも温存というやつか。お前らが初めから本気で戦っていれば、味方のバルバール兵にも、死なずにすんだ者が居たはずだ。大陸にその名轟く名将だろうが、猛将で知られるだろうが、気に食わぬ。


「こっちは、お前らとだけ戦えばいいんじゃないんでな。色々とあるんだよ」


 グレイスが憮然と言い返した。グレイスにはディアスの考えが分かっている。


 ディアスは、グレイスの武勇を信頼している。だが、如何に武勇を誇る者でも、流れ矢であっさり死ぬ事もある。2、300を相手に、初めからグレイスを使う気にはなれなかった。グレイスを不要な戦いで死なせ、必要な決戦で使えず負けては本末転倒である。そうなれば、死者はもっと増える。


 良い悪いではなく、ディアスとブランとでは立場が違った。ディアスは、長い距離を考えて走っていた。配分というものがあり、勝負どころがある。初めから全力疾走する訳にはいかないのだ。


 ま、実際ディアス総司令も、お前達がここまでやると分かっていたら、初めから俺を出していただろうがな。と、グレイスは内心認めた。無論、相手の士気を高めると口にしない。


「話はここまでだ」

 グレイスが馬の腹を蹴った。ブランも反射的に応じ駆けたが、利き足に激痛が奔り左足で蹴る。


 右足の痛みにも構わず、ブランが虎牙槍を右手に長く持ち下から掬い上げた。ぎりぎりグレイスの馬の顔を削る距離である。


「ちぃ」

 グレイスが舌打ちし、下から合わせる。戦棍で虎牙槍を弾いた。軽い。弾かれた虎牙槍がグレイスの頭部を狙い戻る。


 真似すんな! グレイスが、虎牙槍を弾いた位置にあった戦棍を横に薙いだ。先に戦棍が当たる。防ぐには虎牙槍を引き、柄で受けるしかない。受けない。そのまま脇に食らった。虎牙槍が振り下ろされた。グレイスが身を乗り出し馬上伏せ、背中で受ける。双方駆け抜けた。


 2本ほど、いったか。ブランが、脇腹の痛みに判断した。敵将の体勢から致命傷にはならぬと、そのまま打たせた。だが、こちらの攻撃も鈍り、頭部を狙った攻撃は伏せる敵の背中を柄で打ったに過ぎない。


 同時に駆けた。どちらも馬を狙わなかった。双方でやったら相打ちに成りかねない。お互い落馬し、そこを他の者に討ち取られる。相手がやったら弾く積もりだった。結果的にどちらもやらず、すれ違い様、打ち合い、すぐさま馬首を返した。相手も返していた。お互い左側を向いていた。ブランが右手で虎牙槍を振った。遠い。グレイスの胸当てを不快な音を立て削った。グレイスが戦棍を左手に持ち替え振り下ろす。ブランが身体を傾け、左の二の腕で柄の部分を受けた。激痛が奔るが骨は折れてはいない。馬首を返した。今度は右だ。ブランが遅れた。グレイスが戦棍を薙いだ。ブランが虎牙槍で受ける。馬を返した。左だ。左手で虎牙槍を振り下ろす。戦棍で頭上受ける。返す。右。同時に薙いだ。共に首をすくめ互いの兜を掠めた。ブランの兜が飛ぶ。返した。左手で打つ。


 いまだバルバール軍本陣の周りでは、ガラガラと騒音が鳴る中、2人の一騎打ちが続く。両軍の兵士達は自らも戦いつつ、つい視線が2人に向かう。ロタ側にとっては幸運にも、バルバール兵の多くが一騎打ちに魅入り、1対多数にならずにすんでいた。


 だが、戦いは徐々にブランとロタ騎兵に不利になっていく。ブランはリュシアンが驚くほどグレイスを相手に善戦している。だが、やはり一歩及ばない。相打ちに見える攻防も、ブランの方が深い傷を負っている。そして、ブランの武勇が乗らぬロタ騎兵は、当たり前の100騎に過ぎない。死を覚悟した者の強さはあるものの、敵も死に物狂いだ。


 ここまでなのか。リュシアンが天を仰ぎ目を瞑った。策は全て尽くした。笛の音が鳴る矢の揺さぶりももう利かない。他に戦力が無いのがばれた今、敵を引きつける為と、バルバール軍本陣の周りを回るロタ騎士達が起こす騒音は滑稽なほどである。


 これで良いのかブラン。お前の誇りは守れたか。俺達の誇りは守られたのか。俺達は大陸にその名轟かす名将に一泡吹かせられたのか。ならば、共に死のうか。親友。


 リュシアンが目を開け、ゆっくりと馬を駆けさせた。目の前ではブランがバルバールの猛将と一騎打ちを演じている。グレイスも兜や甲冑のあちこちに傷があるが、ブランは既に兜も飛ばされ、こめかみの辺りから血が流れている。


 とはいえ、さてどうしたものか。リュシアンの顔に苦笑が浮かんだ。間に割り込んでも、ブランの邪魔になるだけかも知れないし、万一それで勝てたとしても、ブランが怒るかも知れない。ここはやはりブランが負けてから挑んで殺されるべきか。しかしそうなるとブランが死ぬのを見る事になる。出来れば先に死にたいのだが……。


 突如、雄叫びが上がった。ロタ騎士を取り囲むバルバール兵のさらに後ろだ。バルバール兵が崩れた。そこからロタの騎士が、突っ込んできた。50騎ほどだが、もはや奇襲は無いと考えていたところにこの突撃だ。しかも、騒音の為、突入するその瞬間まで誰も気付かなかった。


「今更か!?」

 バルバール軍本陣のディアスが、そう驚いた程だ。計画されたものだとしたら間違いなく失敗の状況だ。始めに戦っていた100騎はすでに壊滅状態であり、突入した戦力だけでは本陣は狙えない。


 すかさずリュシアンが空に向けて矢を放った。その笛の音に、バルバール兵達が、他にも奇襲があるのかと慌てふためく。リュシアンも状況は理解出来てはいないが、利用できるものは利用すべきだ。


 ブランも状況を計りかねグレイスから馬を離した。満身創痍で肩で息をする。リュシアンがブランに近づいた。グレイスも様子を見る為近づいて来ない。状況によってはディアスを守りに戻らねばならぬので、ブランが離れたのは好都合だった。


「どうなっている。これは」

「私にも分からない」


 そこに、見覚えのあるロタ騎士が近づいてきた。ベアールという騎士で、残った者の中には居なかったはずだ。2人の視線を受け、顔に自嘲を浮かべている。


「申し訳ありません。ベルフォール城の近くまで行ったのですが、やはり、戻って来てしまいました」

「そうか」


「よくここが分かったものだな」

「それが、町に戻ってみると既に丘の上の陣はもぬけの空だったので、では、バルバール軍に戦いを挑んでいるのだと。必死で追いつこうと昼夜を駆ける積もりが、戦いの最中で驚きました」


「よく、来てくれた」

「はい」


 普段、寡黙な隊長の思わぬ言葉に、ベアールは泣き笑いの表情だ。


「しかし、どうするブラン。このままバルバールの本陣に突っ込むか?」

「いや、退こう。今なら、退けるはずだ」


 今までのブランならば、たとえ不可能だとしても本陣を狙っていた。だがこの時、退く、という言葉が躊躇無く出た。精一杯やったのだからもう良い。というものでもない。退けるのだから退く。自然とそう考えた。


「そうだな」

 リュシアンが頷き、ベアールも頷いた。馬首を返し去ろうとする3人に、後ろからグレイスが声をかける。


「退くのか。小僧」

「小僧ではない。ブランという」

 小僧と呼ばれ気に食わず、ブランが馬首をグレイスに向けた。リュシアンとベアールは、退くのではなかったのかと苦笑を浮かべる。


 その返答に、グレイスが笑みを浮かべた。男くさい笑みだ。

「小僧で無いなら、これからは虎将と名乗れ」


 ブランよりもリュシアンが目を見開いた。虎将とは、かつてランリエルの将軍が呼ばれていた二つ名だ。確か、猛将グレイスとの一騎打ちで命を落としたはず。


「将などという、大層なものではない」

「なに。こういうものは言った者勝ちだ。細かい事は気にするな」


 その言葉に、相手に出来ぬとブランが憮然と鼻で笑い、馬首を返し去りだす。その後ろで、グレイスが吼えた。


「バルバールの猛将グレイス! ロタの虎将ブラン殿との一騎打ちを預けた! 次に相見える時こそ、雌雄を決せん!」


 思わず振り返ったブランに、グレイスがまた男くさい笑みを浮かべている。


「どうだ。俺の保証付きだ。俺も多少は名が知られているのでな。誰にも文句は言わせん」

 この場の両軍の兵士が聞いている。2人の一騎打ちは語られ、グレイスの宣言も多くの者が耳にするだろう。


 保証か。確か、以前にも同じ言葉を吐いた男が居たな。と、ブランがその男に視線を向けると、笑み頷いてる。


「分かった。次まで、お前の名を汚さぬ」

 ブランが、虎牙槍を頭上にかざした。応じてグレイスも戦棍をかざす。グレイスの宣言は、ブランを己に匹敵すると認めるものだ。もしブランが醜態を曝せば、グレイスの名を汚す。


 今度こそ馬首を返し退いた。ロタ騎兵達もブランを先頭に退却し、グレイスとの一騎打ちを目の当たりにしていたバルバール兵達は手を出しかねた。ブランの武勇に対する畏怖と、そして敬意で、立ちふさがらず駆け去っていくのを見送ったのだった。


 その後戻ってきたグレイスにディアスは苦笑を浮かべ、

「面倒な敵を増やしてくれるなよ」

 と小言を言ったが、言われた方も

「止めるだけで良いとの話でしたので」

 と、平然と言い返したのだった。

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