第57話:小連隊初陣
ディアス率いるバルバール軍はまっすぐにブランとリュシアンが居た丘を目指し近づいてくる。どうやら、そこに陣を構える積もりらしい。見たところ2千ほどの軍勢だ。海上から来た軍勢の常として、歩兵中心の編成で騎兵は少ない。
それらを確認し、2人は自軍陣地へと馬を走らす。
「まさか、こんなところに総司令自らが来るとは」
ブランの後ろを走りながらリュシアンが呟いた。
戦略的価値なら北にある町の方が遥かに重要だ。どうしてこんな何の意味も無いところに敵の主力が来るのだ。だが、情報が少な過ぎる。いくら考えても分かるはずが無い。
やはりブランの勘は正しかった。手綱を強く握り締めリュシアンが唇を噛み締める。ブランは無言で馬を走らせた。
陣に戻った2人は、バルバール軍が海上から上陸したと隊員達に伝えた。率いるのが総司令のフィン・ディアスとは伝えなかった。いつまでも隠し通せるものではないが、今それを伝えては衝撃が強すぎる。知れば隊員達が逃げ出しかねないのだ。
ディアスは大陸に隠れ無き名将だ。そして自分達は、何の実績もない生まれたばかりの雛の小連隊に過ぎないのだ。
「南北の城砦とベルフォール城の本隊に伝令を出せ。バルバール軍の上陸を伝え、何か情報があれば持って来てくれ」
リュシアンが命じ、数名の騎士が丘を駆け下り走った。そのすぐ後に海側から2騎のバルバール騎士が町に近づくのが見えた。バルバールの斥候だ。
「奴らを殺りましょう。大丈夫です。ここまで駆けてきた奴らの馬は疲れています。取り逃がす心配はありません」
血気にはやる隊員が主張した。
「生きて帰せ。100騎ほど裏の道から回し、西の草原に入れ。残りは隠れてろ」
ブランの言葉は要点のみだ。強そうに見えるくせに臆病風に吹かれて、味方を囮にするのかと隊員達が早合点する前に、リュシアンが補足する。
「斥候が帰ってこなければ、不審がられて我らの存在がばれる。1騎だけなら何らかの事故と考えるかも知れないが、ご丁寧に2騎で来ているのだからな。ならば、我らが100騎しか居ないと思わせる方が、後々やり易いのだ」
隊員達も納得し、裏の道から100騎が駆け下り西の平原に軍旗を掲げる。丘の上は元々木々が多く麓からは見えないはずだが、念の為慌てて軍旗を隠した。
バルバールの斥候が近づくと、丘の上が調べられる前に西の草原から5騎ばかりが飛び出し彼らを追った。これで奴らには、この町は100騎で守っていると見えた。
「町の者達を避難させろ。明日にでも襲撃されるぞ」
リュシアンに派遣された隊員が町に入ると、普段通りのんびりしたもので隊員は呆れ返った。町の者にロタ騎士とバルバール騎士の区別が付くはずも無く、何をやっているのかと見物しながら笑っていたらしい。
やむを得ないとはいえ、余りにもの能天気ぶりに隊員は頭を抱えたが、バルバール軍の上陸を伝えるとさすがに町の者達も慌てふためいた。
「明日には敵が攻めてくるぞ! すぐに退去の準備をして、今晩のうちに町を離れるんだ!」
町の者は、急いで家に戻り荷造りを始めた。騎士は役目はすんだと帰ろうとしたが、そこをアレットに呼び止められた。酒場の女主人が隊長の女になったらしいとは話に聞いている。
「あんたと離れたくない! なんて言って町に残っちゃじゃまだから逃げるけど、隊長さんにもくれぐれも無理しないでね。って伝えておいてね」
町の者だが、隊長の女でもあるアレットに、敬語を使うべきかどうか判断に迷った騎士は、結局無言で頷き馬を走らせた。ブランにアレットの言葉を伝えると、そうか、と短い返事を貰った。
それから程なくして、隊員が騒ぎ出した。何事かとリュシアンが様子を見に行くと、信じられぬ光景を見た。
「もう……来るのか」
それは、こちらに寄せてくるバルバール軍だった。まだ日は暮れていないとはいえ、ここは海からそう近い距離ではない。上陸したその日に攻撃とは早過ぎる。バルバール軍が上った丘の陣の構築も、まだ完了していないはずだ。数は500ほどの歩兵である。こちらを100騎と見たとしては多く、こちらの思惑は外れ騙し切れなかったようだ。
ロタ王都で学問を修め兵法も学んだ。学友達には一目置かれ、師には推薦状を貰って狭き門である公爵への仕官も果たした。自信はあった。公爵を手玉に取りブランを仕官させ、その副官にもなった。だが、実戦に出ればこんなものなのか。バルバール軍の上陸、そして進撃。すべてが予想の上を行く。
「町に向かっています!」
隊員が叫んだ。まだ距離はあるが、真っ直ぐに町を目指している。町の者はリュシアンの言葉を信じ、襲撃は明日と今は荷造りをしている。今襲われては一溜りもない。
「町の前まで来たら、横から突っ込むぞ」
いつの間にかブランがリュシアンの傍に立っていた。この丘は敵の側面を突ける位置にある。ブランの言葉にリュシアンも落ち着きを取り戻した。
「西の100騎には私が行って指揮する。敵が余程の間抜けでなければ、もう一度この丘に斥候を昇らせるはずだ。今度は殺しておいてくれ」
「分かった」
ブランの返事を受けリュシアンが短弓を背負って軍馬に跨り丘を駆け下りた。程なくしてリュシアンの言う通り、バルバール軍から斥候が飛び出した。今度も2騎だ。頂への道が見つからなかったらしく、馬から下りて徒歩で昇って来る。
「引き付けて殺れ」
ブランが言い、数人の隊員が弓を持ち木々に紛れ潜んだ。徒歩で来る斥候は、まだ下の方を歩いている。敵軍は、斥候の帰りを待っているのか丘の手前で進軍を止めた。長槍の穂先を町に向け隊列を整えている。
リュシアン率いる西の草原に居た100騎が動いた。バルバール軍に向かうが100対500。しかも槍衾を作る歩兵に突っ込むのは自殺行為だ。槍衾の後ろで構える射手の射程ぎりぎりで方向を変え、側面に回り込もうとするが、バルバール軍の槍衾もそのつど向きを変える。
無意味とも思える攻防を繰り返していると、町から火の手が上がった。町の彼方此方から煙が上がり、その向こうには逃げ出す町の者達の姿があった。持ちきれぬ財産をバルバール軍にやるのは癪なので火を付けて燃やしている。そのように見える。
「しまった! 時間稼ぎか。追うぞ!」
バルバール軍の士官が叫んだが、丘に昇らせた斥候がまだ帰ってきていないと副官から指摘され士官の大きな舌打ちが響く。不機嫌な上司に副官が我が事のように弁解する。
「おそらく昇るのに時間が掛かっているのでしょうが……」
もっとも、この時既に斥候は矢の餌食となっていた。
「仕方ない。万一の為200程残すぞ。残りは町に向け進軍!」
士官が命じ、本隊の歩兵300が動き出した。リュシアンの隊が防ごうとするが、100対300では、やはり手が出せない。リュシアンは、バルバール軍からの射撃を警戒し遠巻きにしながらも町の手前まで圧された。
その時、丘の裏側からブラン率いる200騎が飛び出しバルバール軍の側面を突いた。丘の裏側に作らせた道から既に駆け下りていたのだ。
側面を食い破られ突入されたバルバール軍は混乱の局地に陥った。士官が必死で体制を立て直そうとするが、静まれ! と叫ぶその命に従う者は僅かだ。隊列の内側に入られた歩兵は、次々と切り伏せられ、大地を血で染める。そこにリュシアンが突っ込む。乱れきった槍衾を蹴散らし踏み潰した。一方的な殺戮の場と化す。
丘の抑えに居たバルバール軍200が救援に動く。それを見たリュシアンが背負っていた弓を持ち、馬に括り付けていた矢筒から、鏃に穴を開けた特殊な矢を取り出し弓に番えた。丘に向け放つと笛のような音が鳴り響く。途端、丘の上からバキバキと、何かが木々を薙ぎ倒し転がり落ちる音がする。
「やはり丘の上にも敵が居るのか!?」
抑えの軍勢の指揮を任された者が丘の上に目を向けた。しかし、今はしんと静まり返っている。その間にも本隊は、ロタ騎兵の餌食となりその数を減らしている。
本隊の救援に行くべきか。だが、丘に敵は居るのか、居ないのか。本隊の救援に向かいもし敵が居れば、背後を突かれる。これでは動けない。出した斥候は戻らず、再度2騎出したばかりである。いや、既に丘の上に敵が居る可能性は高く、だからこそ動けない。始めに出した斥候はおそらく始末されている。次に出した斥候には、十分注意するように言い聞かせたが……。
2度目の斥候が戻る前に、ついに本隊が壊走し、助けを求めて抑えの軍勢に向け駆けていく。その後ろからロタ騎兵が迫る。抑えの軍勢は味方に当たると矢を放てない。槍衾も逃げてくる味方に向ける訳にも行かず、乱れたところを逃げ込んだ味方と共にロタ騎兵が突っ込んだ。一瞬たりとも支えられず、そのまま崩れた。合流してきた味方と共に敗走する。
丘の上にはリュシアンが命じて5人ほど残していた。ブランの虎牙槍と同じく王都の港で見つけた、東の大陸から来た音の鳴る矢を使って合図し、陣地を構築していた柵の縄を切らせて上から転げ落とさせたのだ。
敗走する敵を追撃し、被害を拡大させた後引き上げた。ブラン達の被害は僅かなものだ。
「勝ったな」
「ああ」
ブランに馬を並べたリュシアンが言い、ブランが答えた。だが、大勝利にもかかわらず2人の顔に喜びの色はない。今回は勝ったが、敵の総数は2千。次に総力をあげて来られては300では勝負にならない。
町の者達を逃げさせたのは一種の陽動だったが、そのまま避難させた。もしかすると、時を置かずしてバルバール軍の再度の侵攻もありえるかとリュシアンが危惧したのだ。襲撃を予測出来なかった事で神経質になっていた。しかし、すぐどころか数日経ってもバルバール軍は来なかった。
その間に、南北の城砦に送った伝令が、援軍を送るとの返答を持って戻った。それを追いかけるように、翌日には北から200。更に翌日には南から100の歩兵が到着しブランの指揮下に入った。
その3日後、本隊に送った伝令が携えてきた返答にリュシアンは愕然とした。ブランが鋭い視線を、受け取った書簡に向けている。
「敵を刺激するなだと?」
「は。どうやらドゥムヤータはランリエルと手を組み、バルバール軍はその先遣であろうとの事です」
「だから、何だというのだ」
ブランの視線を受け、伝令は縮み上がった。自分は伝えられた事を話しているだけなのに、どうしてこんな理不尽な目に合うのかと天を呪う。
「ランリエルは5ヶ国からなる大勢力です。戦えば勝負にならないと、ランリエルに使者を送り、ドゥムヤータへの支援を取りやめて欲しいと交渉している最中との事です」
「敵は攻撃しているではないか」
ブランが唸った。この町にはあれから敵は来ていないが、他の町や村は今も攻撃に曝されているとの情報を得ていた。バルバール軍はこの町の東に居るディアス率いる2千だけではなく、各地から上陸して、総数では1万を超えるという話だ。
「それがその……。攻められている町や村は戦略上取るに足らぬところばかり。バルバール軍も本気で攻めているのではなく、こちらへの牽制だという話です」
「本気ではない、だと」
ブランが低く唸り、視線が更に激しくなる。伝令が更に天を呪った。
自分達は死力を尽くし戦った。100を越える敵が死に、ブラン達も無傷ではない。負けていれば、町の者にも被害が出たはずだ。それが、本気ではない戦いでというのか。本気ではなかったので、次は来なかったのか。
上の者達にとっては牽制も重要な戦略の一環なのだろう。だが、ふざけるな。
「そ、それで……。ここを守っていても戦略上意味がないので……。南北の城砦から来た援軍は帰して、ブラン騎兵連隊は本隊に戻れと……」
燃える目のブランを前に、伝令は泣き出さんばかりだ。
「分かった。お前もご苦労だったな。下がって休んでくれ」
リュシアンが言い、伝令が逃げるように姿を消すと、ブランの肩に手を置いた。
「お前の気持ちは分かる。だが、敵が来ぬなら仕方なかろう。俺達は町を守りきったんだ。俺達が負けていれば、町の者に被害が出ていた」
ギリっと、歯を食いしばる音が聞こえる。噛み締めるブランの唇から血が流れていた。
せっかく来た援軍は元の城砦に引き返し、ブラン達もベルフォール城に向かった。ブランは、虎牙槍を鞍にかけ前方を睨むようにして馬を進ませた。1ケイト(約7.5キロ)ほど進んだところで、不意に手綱を引き馬を止める。
「来たい奴だけ、来い」
それだけ言うと、馬首を返し元来た道を駆けた。残された隊員達の視線がリュシアンに集まる。
ブランは勘で勝機を見い出し戦う男だ。だが、勘を根拠に人は付いてこない。それを一瞬にして理として翻訳し皆に伝える、それがリュシアンの役目である。
「誇りある者は、付いて来い」
そう言ってリュシアンも馬首を返した。今回は勝機があっての行動ではない。ブランが言いたいのは、つまりこういう事だ。