第54話:公爵と小国の総司令
「どうだ? ドゥムヤータ王の私が、ドゥムヤータに軍勢を送って何の不思議がある?」
王子の口元には笑みが浮かび、公爵は呆然としている。王子が口を閉ざし数瞬後、公爵は我に返った。
「し、しかし殿下は、ドゥムヤータ貴族ではありません。さすがに他国の王子をドゥムヤータ王に迎える訳には……」
「ああ、心配するな公爵。公爵は確か幾つか男爵領をお持ちだな。その1つをお譲り願いたい。無論、相応の対価はお支払いする。そうすれば、私はドゥムヤータ貴族の男爵だ。サルヴァ・アルディナ男爵か。悪くない響きだ」
王子の声はなにやら楽しげである。
爵位とは本来領地と等しい。伯爵領を持つ者が伯爵であり、男爵領を持つ者が男爵だ。それが時を経て、領地だけを手放す者。爵位だけを売り払う者。中には長男には領地を相続させ、次男に爵位を継がせる者まで出てきて、ほとんど意味を成さなくなっているが本来はそうなのだ。当然、爵位付きで領地が人の手に渡る事もある。
そしてシルヴェストル公爵家は、爵位付の領地を複数持っていた。通常そのような場合は、もっとも高位の爵位を名乗るのが普通だが、正確にはシルヴェストル公爵は、シルヴェストル伯爵でもあり、シルヴェストル男爵でもあるのだ。
「どうしたシルヴェストル公爵?」
王子の提案に頭がついていかない公爵は押し黙ったままだ。
「まあよい。しばらくゆっくり考えられよ」
「は、はい……」
「ドゥムヤータが滅びるまで、もう少し時間が有るだろう」
思わず公爵は投げた視線の先で、王子は冷徹な為政者の顔を窓の外に向けていた。
翌日も馬車で移動したが会談は行われなかった。
「後は、公爵が決断なされるかだ」
と王子が言い渡したのだ。公爵は王子とは別の馬車に乗り王都に向かった。
ランリエル王都フォルキアを初めて目にした公爵は、町をすっぽりと囲む雄牛の紋章を掘り込んだ城壁に目を見張ったが、規模という意味では自国とそう変わらぬと意外に思った。もっともランリエルが皇国に次ぐ大国になったのはここ数年。城壁で囲まれたフォルキアはそれゆえ拡張が困難だ。仕方がないのかも知れない、と公爵も考えたが、城門を抜けると城内は活気に溢れていた。
馬車を王宮まで乗りつけた公爵も、道中、王子からの提案の返答に苦悩し胃が痛む思いを感じていたが、その活気に当てられ少し興奮気味である。
「さすがに東方一の都と称されるだけあり、人も多く活気に溢れておりますな。民衆1人1人からもまるで兵士のような覇気を感じます」
「覇気か。なるほど。確かに彼らは戦っている。今この国は大きく動き、己の手腕一つで成り上がれる時だ。その動きに乗れた者は富み、乗りそこなった者は埋もれていく。もっとも私としては、埋もれる者も捨て置く訳には行かぬがな」
「殿下は、その動きを作る側ですか」
「その1人であるとは否定せぬな。散々この大陸を騒がした私だからな。そんな気はなかったなどと言う気はない」
「この大陸はこの先どう動くのですか。殿下はどうしたいのです?」
「そうだな。どうしたいかといえば考えもあるが、どう動くかは私にも分からんな。どうやら、私がしたい方向とは別の道を歩ませようとする者がいるらしい」
「殿下は、それに抗わないのですか?」
「公爵。貴公は船を漕いだ事はあるか? 小さな船を自分1人ではなく2人でだ」
「幼きころならば、共の者を連れその者に焦がせたり、自分で漕いだりはしましたが、2人では……」
「私は弟と2人で漕いだ事がある。何度言っても私とは別の方に漕ぐので難儀したものだ。結局、しばらくは弟の好きにさせ、弟が疲れて漕ぐのを止めてから自分の進みたい方に進んだ」
微笑を浮かべる王子が足を進ませると、公爵もその後に続いた。王子の言葉は抽象的だったが公爵には理解できた。王子はその者と戦い、その後自らの進むべき道を進む。その積もりらしい。だが、疲れ果て倒れるのは王子かも知れないのだ。
「公爵。以前話した。貴公に合わせたいと言っていた者が、ちょうど会議に出席する為に王都に来ている。後で紹介しよう」
王子にそう言われて一旦用意された部屋に向かった。さすがに軍港での部屋とは違い全てが賓客を迎えるにふさわしい物で揃えられていたが、ドゥムヤータ胡桃が使われているかを無意識に確認してしまうのはドゥムヤータ貴族の性である。
「ほとんどが樫ではないか」
生まれた頃からドゥムヤータ胡桃に囲まれてきたドゥムヤータ貴族は、職人並みの目利きが出来る。不満げに呟き樫の椅子に勢い良く腰掛けると、ギシっと軋む音すら不快に聞こえた。
動向する老執事のカズヌーヴは、部屋の位置を確認した後、この王宮での規則、決まりを教えて貰いに行った。侍女や執事を呼ぶ鳴らす鈴の回数すら王宮によって違いがある。
ある王宮に招かれた高貴な客が不埒にも侍女を呼んで暗闇で押し倒し、押し倒された者も高貴なお方が相手では逆らう事も出来ないとおとなしく抱かれたが、夜が明けてみると侍女ではなく執事だったという笑い話もあるほどだ。ちなみにその笑い話には2通りの落ちがある。高貴な者が、自分が抱いたのが執事と知り腰を抜かしたというものと、その執事を引き取り仲睦まじく領地に帰ったとのものとだ。
公爵は俯き見るとも無く足元を見詰めていた。思考は王子の言葉を反芻している。サルヴァ王子をドゥムヤータ王とする。その要求を受けるべきか断るべきか。
ランリエルの助力が無ければドゥムヤータは滅びる。そう考えれば選択の余地は無い。だが、大国ランリエルの王子をドゥムヤータ王に迎えるのは滅びるのとどれほど違うのか。王を選定する権利を選王侯から奪う気は無いと言うが、30を過ぎたばかりの王子だ。公爵はその王子よりもさらに若いが、それでも王子が亡くなる頃には、息子なりに家督は譲っている。二度と公爵が選王の権利を行使する時は来ない。
いや、ランリエルの国力を考えれば、その約束すら簡単に反故されドゥムヤータは併呑されてしまうのではないか。その危険もあるのだ。
公爵の考えが纏まらぬ内にカズヌーヴが戻って来たが、公爵は思案の没頭し上の空で返事をして下がらせた。しばらくの後、扉が叩かれカズヌーヴが対応に出たのも意識の外で、
「旦那様。旦那様にお会いしたいという方から、使いの者が参っております」
と声を掛かられた時に、初めて気付いた。
「どなただ?」
「バルバール王国の軍総司令でいらっしゃるフィン・ディアス様で御座います」
「フィン・ディアスか……」
軍事に疎い公爵すら名前を聞いた事がある名将だ。サルヴァ王子に負けるまでは不敗をほこり、その王子すら敗北寸前まで追い詰められてのぎりぎりの勝利だったと聞いている。当時のバルバールの戦力がランリエルの3分の1程度だったのを考えれば驚くべき事である。
「是非お会いしたいものだが、今晩で良いのか?」
「いえ、それが今すぐにでも、との事で御座います」
公爵が怪訝な顔でカズヌーヴを見返した。貴族、軍人の違いはあれ、高位の者が顔を合わせるにはそれなりの儀礼がある。初対面ならなおさらだ。今すぐというのはそれに外れる。だが、それだけに重要な用件なのかとも思う。
「お会いすると伝えてくれ」
カズヌーヴが、畏まりました、と部屋を後にし、戻って来た時にはそのディアスを伴っていた。それに公爵は更に驚いた。貴族社会の時間はゆったりとしたもので、すぐにと言いながらも、半刻や1刻後は当たり前だ。
「バルバール王国軍総司令フィン・ディアスです」
「ドゥムヤータ王国公爵ジル・シルヴェストルです」
バルバールの儀礼は、ランリエルと同じく目下の者が先に挨拶するはずだ。名将フィン・ディアスが先に挨拶したのに公爵は優越感を満足させつつ右手を差し出した。ディアスも右手を差し出し握手を交わす。
「名将の誉れ高いディアス総司令にお会い出来光栄に思います。私に何か用があるとの事ですが如何なされましたか?」
「サルヴァ殿下から、明日にでもシルヴェストル公爵と引き合わせたいとお話があり公爵がいらっしゃると知りました。実は、その前に折り入ってお願いしたい事があるのです」
「なるほど……」
そういえば、自分がランリエル王宮に入ったのは秘密だったはず。王子が合わせたいと言っていた人物がディアスだったのか。
「それで、私に頼みたい事とはなんなのです? 私に出来る事ならばお力に成りたいとは思いますが」
「実は……。公爵はドゥムヤータ胡桃の根買いについてはどうお考えですか?」
「根買い、ですか?」
「はい」
根買いとは、言葉通り根が付いたままのドゥムヤータ胡桃。つまり、伐採する前の木材を予約購入する事だ。
「正直なところ、あまりお勧め出来ません。伐採され資材として加工された物よりもかなり安値で購入できますが、それは伐採するまでに虫や病気にやられる危険を織り込んだもの。つまり博打です。しかも中には既に朽ち果てた木を売り払って代金を受け取った後に、災害にやられたと購入者に報告する者もいます。そして他国の方がそれを確認するのは困難」
「やはり」
ディアスは、苦笑を浮かべ頷いた。
「もっとも中には、大金をはたいて購入者を現地まで招き、この見事な巨木がそうなのですと現物を見せて信用させ、更なる投資を誘う者までいる。ですが、外見には分からないが、その巨木は虫に食われて中は空洞だったりするのです。むしろ、そのような者こそ怪しい」
「実は、私の叔父がその根買いで大損を致しまして。稀に見る見事なドゥムヤータ胡桃の美木。購入したいという者は後を絶たないが、名高いバルバール軍総司令の叔父である貴方様に特別にと乗せられ大金を投資したのです。ですが、公爵のお言葉どおり、伐採される前に虫に食われ資材としては物の役に立たず、薪にするのが精々だと」
「なるほど」
公爵の顔にも、見た事では無い、旨い言葉に騙され、何の知識も無い素人が手を出すからだ。と、苦笑が浮かぶ。
「それで?」
「私の名前で調子に乗せられ、勝手に逆上せて引っかかる分には私も放っておくのですが、その叔父が事もあろうか私の妻に泣き付きまして。この木は、生まれたお前の息子の揺り篭を作ってやろうと購入した物だったのだと。本当かどうか怪しいものですが、妻がその言葉に心を痛めて、どうにかしてあげられないかと言うのです。私が言うのもなんですが、心優しい妻ですので」
公爵の顔に笑みが浮かぶ。確か記憶では、ディアスの奥方は15か16だかの少女のはずだ。その奥方の頼みを断り切れないとは、大陸にその名知られる名将も人の子かと9割方の好意と、残り1割の侮りの色が見える。
「お話は分かりましたが、残念ながらご期待に添えそうにありません」
「選王侯であるシルヴェストル公爵のお声がかりでも難しいですか? 選王侯の方なら、木の1本や2本、どうとでもなると思ったのですが」
ディアスは何気ない口調だったが、公爵の視線が鋭くなった。選王侯としての自分の権力を見くびられたようにも感じられたし、ドゥムヤータ胡桃を軽んじられたようにも感じる。ドゥムヤータ人のほとんどが、大陸一、いや世界一とドゥムヤータ胡桃には誇りを持っているのだ。
「無論、私が一声掛ければご用意は出来ます。ですが、それを人に知られれば、我が屋敷にドゥムヤータ胡桃を求める王国貴族の使者が長蛇の列を作るでしょう。何せドゥムヤータ胡桃はこの大陸は言うまでも無く、他の大陸の王家からも垂涎の的。現在の規制は、その結果伐採し過ぎた為です。いくらバルバール王国の総司令であるディアス殿の頼みでも、こればかりは」
小国の総司令如きの頼みでどうにかなる物ではない。と、胸中付け加える。
「そこを何とか成りませんか?」
公爵の鋭い視線に気付かない訳でもないのに、ディアスは平然としたものだ。
「どうかご容赦を」
「妻が、叔父に泣き付かれて心を痛めているのですよ。あれの夫としては何とかしてやりたい」
公私混同出来ぬと言っているにもかかわらずまだ食い下がるとは。高位を得ている者にあるまじき行為である。公爵の中での、9割のディアスへの好意が9割の侮蔑へと変わった。
「出来ませんな」
と言った口調も冷たいものだ。
だが、その言葉を受けてもディアスの顔色は微塵も変わらず落ち着いている。
「ならば、ドゥムヤータ胡桃をご用意して頂くに見合う対価を、私が公爵にお贈り致しましょう」
「ですから、お金の問題ではないのです」
「誰も、お金で払うとは申しておりません」
ディアスは、やはり平然とした顔をしていた。