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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
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第53話:王子の条件

 シルヴェストル公爵とサルヴァ王子との会談は3日目に突入した。交渉は、公爵の願う方向に舵はとられず暗礁に乗り上げている。公爵が如何にドゥムヤータと結ぶのがランリエルに利するかと訴えても、王子の心の風向きは一向に変わらず沈没寸前だった。


「シルヴェストル公爵。貴国と争っているロタ王国が、デル・レイ、ケルディラと結んでいるという情報はこちらでも掴んでいる。貿易国家のロタは王宮ですら商人の出入りが多く、情報に関してはザルを通すようなものだからな」


 ロタ王国は貿易で莫大な利益を上げその収益で多数の歩兵を雇い王権を強化している為、お抱えの商人も多い。それは単に商人から税を取り立てるに留まらず、王家自らが商人に投資し貿易を行わせ利益を得ているのだ。商人が受け取るのは利益の1割程度だが、王家から託される資金は莫大であり、利益の1割でも独自で商売を行うのに比べ数倍の金になる。


 そしてそれは王家だけに留まらず、貴族の中にも商人に資金を託す者も多い。だが、莫大な利益を生む反面、投資に失敗すれば損失も多い。ある商品に需要があると聞き皆がこぞってそれを購入したところ、商品がだぶつき値が暴落して巨額の損失を出したという失敗談は、道端の猫よりもありふれた話である。


 その為、貴族達は投資を成功させるのに手段を選ばず、お抱え商人に、ここだけの話だが、と国家機密を漏らすなど日常茶飯事だった。特にどことどことの国が戦争になるかはもっとも重要な情報。既に高級資材であるドゥムヤータ胡桃は高騰しているし、ロタ王国の特産品どころか、デル・レイ、ケルディラの品々も値が動き出している。気が早い者は、すでにランリエルの品すら買い占め始めているのだ。


「はい。ドゥムヤータはその3ヶ国に攻められんとしています。ロタ王国軍だけならば我らドゥムヤータ軍の敵ではありませんが、3国を相手にするとなると苦戦は免れません」


 本当は苦戦どころでは無いのだが、公爵は控えめな表現をした。あまり下手に出れば足元を見られる。出来れば対等な条件で同盟を結びたい。


 そして王子には、公爵の考えが手に取るように分かった。小国といえども大国に負けぬ気概を持ち対等に渡り合いたい。若くして高位を継いだ覇気ある若者の考えそうな事であり、王子自身も思い当たる。と、目前で熱心に語る公爵に気づかれぬ程度に、僅かに自嘲が口元に浮かぶ。


「それは分かるのだが、何度もいうが我がランリエルと、デル・レイ、ケルディラは和議を結び、友好の握手を交わしたばかりだ。その手の温もりも消えぬ間にまた争うなど、世の人々にランリエルには節操が無いのかと嘲笑されよう」

「ですが、彼らはロタと手を結び、更に我がドゥムヤータを攻め従えんとしています。そうなればランリエルにとっても脅威となりましょう。敵の敵は味方と申します。我らと手を組み彼らを抑えるのは、ランリエルにとっても利する話かと」


「裏を返せば、味方の敵は敵という事ではないか。私はデル・レイ、ケルディラ、そしてロタとも友好を結びたいと考えている。彼らを味方とし、ドゥムヤータを敵とする手も無くは無いのだが」

 王子が探る視線を向けた。


 公爵の背に、一瞬にして滝のように汗が噴出した。5ヶ国からなるランリエル勢力、それに対抗する反ランリエル勢力3ヶ国。その2つの勢力の和解の為、ドゥムヤータを生贄の羊としようというのか。


「で、殿下。彼らはそのような殊勝な考えなど持ってはおりませぬ。実を申せば、既にデル・レイの使者が私に接触して来ました。共にランリエルを討とうと申しているのです。無論、私はその申し出は断り、ランリエルと共に彼らに対抗しようと考えております」


 既にデル・レイと接触している。それは、公爵が奥の手と考えていた情報だが、今はそれどころではない。相手はいまだにランリエルを敵と考えているのだからと、ランリエルをこちらに繋ぎ止めなくてはならない。


「ほう。すでにデル・レイが、か」


 余裕の笑みを浮かべていた王子の顔がにわかに引き締まった。今まで行われて来た、一連のランリエルへの挑発。ケルディラと戦ったが、その問題は解決していない。ケルディラが行っていたとすれば、領土を削られ終戦とはあまりにもお粗末な話である。他に黒幕が居るのではと王子は考えていたが、デル・レイとて他国に援軍した挙句、大きな被害を受けての敗戦。何の利がある。やはり、黒幕は別の者なのか。


「はい。現ドゥムヤータ王の血統による王位継承を認めるなどの条件を飲めば戦う必要なく、その後は共にランリエルと戦おう、という話で御座いました」


 シルヴェストル公爵は、本来思慮深い青年である。それがサルヴァ王子に主導権を握られ、完全に余裕を失っていた。王子は公爵を突付き、揺さぶっているに過ぎない。落ち着き黙っていれば良いものを、余裕の無い公爵は沈黙に耐え切れず何か喋らずにはいられなかった。


 王子の探る視線を受け、自分でも喋り過ぎていると感じながらも公爵の舌は止まらず、結局デル・レイの使者コルネートとの会話のほとんどを語りつくしてしまったのだ。


「それで、公爵はその使者との間に何か誓紙でも交わされたのかな?」

「いえ。公式にお会いした訳ではありませんので、さすがにそこまでは……」


「なるほど。公爵の話、興味深いものだった。礼を言う」


 王子の言葉に、公爵は小さく安著の溜息をついた。これで少しはランリエルに恩を売れたのだろうか。


「しかし、他国との交渉を軽々と口にするのは、あまり関心せぬな」

「あ」

 と、公爵が目を見開いた。


「今、私と話している事も他に漏らされるかも知れぬと思えば、腹中隠さず話すなど出来ぬではないか。信を失うぞ。シルヴェストル公爵」

 王子は探る目を向けたままだ。


 確かにそうだった。会談は秘密裏なもの。それが他に漏らされるとなれば意味が無くなり、詳しい国内情勢も喋れなくなる。


「まあ、良い。今回は聞かなかった事にしよう」


 公爵は言葉も無く唇を噛み締めた。交渉の奥の手が、まったく効果なく失われたのだ。王子は聞かなかった事にすると言うが、記憶から消える訳がない。王子が一方的に情報を得たのだ。しかも、恩を売るどころか、王子こそが公爵に恩を売ったかのような物言いである。


 完全に失敗だ。はっきりと言葉にするのではなく、漠然と匂わせる。そしてサルヴァ王子の焦りを誘い譲歩を促す。そうすべきだったのだ。自身の不甲斐なさに、公爵は膝の上で強く拳を握り締めた。


 その公爵を公人として叩き潰しているサルヴァ王子も、個人としては内心同情した。実際、公爵はまったく自分の相手になっていない。そして公爵はそれを自分との器、能力の差だと考えているようだが、実は公爵が考えているほどの差はない。絶対的な差を生み出しているその要因は、あくまで立場の差である。


 公爵の理屈を王子も分からぬでは無いのだ。和議を結んだとはいえ安心出来ず、現にデル・レイはロタを取り込んでいる。その対抗策としてドゥムヤータと結ぶのは有効な手である。問題は、既にドゥムヤータとロタが一触即発の状態という事だ。ランリエルがドゥムヤータにつき、それで戦いが未然に防げるのなら悪く無い話だが、そうは行きそうに無い。公爵に言った通り和議をしてすぐの今、軍を動かしたくは無いのだ。


 たとえデル・レイ、ケルディラが和議を結んだすぐ後でも、他の者に口を挟ませない形での参戦方法を公爵が提示すれば王子も頷くのだが、公爵は利と理を説くばかり。これでは王子も頷けない。そして王子にはその策があった。だがそれを成すには、選王侯達がぎりぎりまで追い詰められる必要があるのだ。ここで甘い顔をするべきではない。


 結局この日、この後サルヴァ王子が席を立つまで、公爵が口を開く事は無かった。


 翌日も交渉は公爵の望む方向には舵を取らず、そして更に次の日、与えられた部屋から会談に向かおうとする公爵にドゥムヤータ本国から急使の騎士が到着した。早船、早馬を乗り継ぎ来た騎士は、全身汗だくになり息も絶え絶えに跪く。


「ロタ王国軍が侵攻を開始しました!」

「なに!? では、既にデル・レイ、ケルディラも動いたというのか」


「い、いえ、それが、ロタ王国の陸戦戦力は我が軍と睨み合いを続けているのですが、ロタ海軍が動いたのです! 我が軍の主力が陸で対峙している北西部の防衛線を海から越え、手薄になっている中部、東部に進出しました。我が国の海軍は纏まりを欠き対応できず、沿岸部が攻撃に曝されております」

「何だと」


 予想では、デル・レイ、ケルディラ両国の援軍が来てから、総攻撃が開始されると想定されていたのだ。デル・レイ、ケルディラの軍勢が集結しているとの情報はまだ無く、今少しの時はあると考えていた。


「だが、ロタ単独ならば、我が国だけで優勢に戦えるのではなかったのか」


 公爵が跪く騎士に問うた。公爵はサルヴァ王子などと比べ、まだまだ未熟とはいえ統治者としての才覚に恵まれている。だが、軍事については才覚以前に知識が無い。それゆえ、急使には相応の戦略的知識、戦略眼を持つ騎士が派遣されている。


「はい。ロタ一国ならば、海岸線の攻撃は一時耐え凌ぎ、主力で圧してロタ本国を扼せば勝てます。ですが、圧してもその後デル・レイ、ケルディラ両軍が来ると考えれば、うかつに軍勢を進められません」

「では、海岸線に軍勢を回し防衛させるのか?」


「いえ……。それもロタ王国軍だけが相手ならばその余裕もありますが、海岸線防衛に軍勢を向けたところに、デル・レイ、ケルディラの軍勢が来ては防衛線が突破されてしまいます」

「海岸線に援軍は送れず、攻撃にさらされたまま、という事か……」


「しかも、海岸線付近に領地を持つ貴族達の中には軍勢を率いて戻り、領地を守ると言い出す者まで出始め、動揺が広がっております」


 公爵は天を仰いだ。ロタ一国を相手にしている時は、ドゥムヤータは優勢に戦えていた。それゆえ公爵にもロタを侮る気持ちがあった。それが、後ろ盾がある。ただそれだけで、実際に軍勢が派遣されなくとも、こうも戦況が変わってしまうものなのか。このままでは、ロタ一国に敗北しかねない。


 ランリエルの援軍が無ければ到底勝ち得ない。港で見たランリエルの大艦隊。それが味方に付けばロタ海軍に対抗できる。ロタ王家の財力は莫大でありかなりの数の軍艦を揃えドゥムヤータ海軍とは比べ物にならないが、ロタ王家の主力はあくまで国内の貴族達を抑える為の歩兵なのだ。


 だが、ランリエルとの交渉は難航どころか、座礁し沈没寸前である。騎士を跪かせたまま、公爵は思案に没頭するが何の解決策も見出せない。


「旦那様。サルヴァ殿下との会談の時間で御座います」


 どれくらい時間が経ったのか、老執事が声を掛けた。四半刻は立ち尽くしていた筈だ。気付けば、跪く騎士の姿は消えていた。


「ああ」

 と、覇気無く答え部屋を出た。だが、どうすればサルヴァ王子を口説き落とせるのか、何の方策も無い。いつもの部屋に着くと、既にサルヴァ王子が待ち構えていた。背後にはウィルケスが控えている。挨拶もそこそこに王子が口を開いた。


「すまない。会談は昨日で終了したと、させて頂きたい」


「なぜです!」

 儀礼も何も無く叫んだ。今日でというならともかく、昨日で終わりなどと言われてはドゥムヤータは滅ぶ。いったい何が起こったというのか。


「うかつな事に、バルバールやコスティラなど、各国との会議が王都で有るのを忘れていた。貴殿との交渉がこれほど長引くとは考えもしなかったのでな。すまないが、すぐに出発しなくては会議に遅れてしまう」


「ば、馬鹿な! か、会議に遅れるからですと! こっちは国が滅ぶのです! どうか、私の話を聞いて下さい!」


 公爵は王子に掴みかからんばかりの勢いだ。王子は平然としたものだが、むしろ背後のウィルケスが、大丈夫なのか? と僅かに首を傾げ公爵に視線を向けている。一国の王子に、馬鹿な、は不味過ぎる。


「しかし、会議には各国の首脳部と言って良い者達が集まってくる。そう、待たせて良いものではなかろう」

「た、確かに待たせては失礼かも知れませんが、それらの方々は、全てランリエルの属国。こちらの会談も重要だと、少しお待ちして頂く事は出来ないでしょうか」


 公爵の言葉に、今まで泰然としていた王子の目が鋭く光った。その眼光に公爵が冷やりとする。


「言葉を選ばれよシルヴェストル公爵。カルデイ帝国、コスティラ王国はそう言われても否定はせぬが、バルバールは我がランリエルの同盟国だ。属国などと言えば、ドゥムヤータはロタばかりではなく、彼らも敵に回す事になるぞ。彼らが戦うというのを、私に止める権利は無いのだからな」


「し、失礼致しました。で、ですが……」


 公爵はうな垂れ口を閉ざした。もはや終わりなのか。頭の中を絶望が埋め尽くす。デル・レイの使者コルネートからは、他の選王侯達を口説き落とし条件を飲ませれば、第2位の地位を用意しようと言われていた。今からでも選王侯達を口説き落とせば、約束を守って貰えるのか。


 いや、それは戦いが始まる前。戦い膨大な戦費を掛けない代わりにの条件だ。戦いが始まった今、その約束は守られない。しかし、このまま負けるくらいなら……。いや、もはや、引き返せない。最後まで戦うべきなのか。様々な計算が公爵の胸中を駆け巡ったが答えは出ない。


 その様子に王子が苦笑を浮かべた。外交に同情は不要だが、ここまで打ちひしがられては、さすがに何か悪い事をしている気にもなってくる。


「そこまで会談を続けたいなら、公爵を我がランリエル王都にお迎えしよう。公爵が王宮から一歩も外に出なければ、私との会談も外部には漏れぬだろう」

「ほ、本当で御座いますか!」


 陸に打ち上げられた魚が水を与えられたかのように公爵は歓喜し、王子は、うむ、と頷いた。王子の背後から、ウィルケスの咳払いが聞こえる。


 会談が行われていた軍港から王都フォルキアまでは馬車で2日の行程だ。その間の時間も惜しいと、馬車の中で会談を続ける事にした。通常王子が使用している馬車は装飾凝らされた車内も広い白馬車なのだが、今回は秘密裏の会談の為、地味な黒塗りの馬車だった。


「では、始めようか」


 向かい合わせに座り、馬車が走り出してしばらくして王子が口火を切った。だが、王子に縋り付き会談を継続させて貰ったものの、公爵に何の方策も無い。


「ど、どうか殿下のお力をお貸し下さい」

 と、言うのが精一杯である。


「条件は?」

「もし、ランリエルがデル・レイ、ケルディラ、そしてロタと戦いになった時には、我がドゥムヤータは全力を持ってランリエルにお味方致します」


「それでは事の順序が逆だ。私はデル・レイ、ケルディラ、ロタと戦いたくないから、ドゥムヤータに助力出来ぬと言っているのだ。シルヴェストル公爵」

「は、はい」


 自分から望んだ会談にも関わらず、結局公爵は押し黙り、まあ、ここが頃合か。と、王子は苦笑を浮かべた。


「実は、ドゥムヤータが飲んでくれれば参戦しても良い。という条件が私にも有るには有るのだ」

「ほ、本当で御座いますか!」

 公爵の顔に歓喜が浮かぶ。


「選王侯には、王を選ぶ権利があるのだな?」

「もちろんで御座います。それゆえの選王侯で御座います」


「王の廃嫡はどうなのだ?」

「廃嫡……で御座いますか?」


「ああ。その権利を行使した事は無いが、権利は有していると聞いているのだが」

「はい。その通りですが……」


「実を言うと、現国王を廃嫡し、こちらの言う人物を新しいドゥムヤータ王として欲しいのだ。そうなれば、ランリエルはドゥムヤータに軍勢を送るだろう」


 王子の言葉に公爵は考え込んだ。サルヴァ王子は誰をドゥムヤータ王にしたいのか。いつの間にドゥムヤータ貴族と通じていたのか分からないが、間違いなくランリエルの意に従う者だ。そうなれば、現国王の一族など塵あくたのような強力な後ろ盾を持ったドゥムヤータ王の誕生だ。選王侯の権力は抑えられてしまう。


 考え込む公爵に、王子が、ふ、っと笑った。

「選王侯の権利が脅かされると危惧しているのだろうが、心配するな。選王侯から王を指名する権利を奪う気はない。あくまで、次の代だけの王位だ」


 そうなれば、まだ妥協できるか。問題は、サルヴァ王子が誰を王位に就けたいかだ。あまりに強力な力を持った貴族を王にすれば、やはり厄介だ。


「それで、サルヴァ殿下は、誰を次のドゥムヤータ王にしたいとお考えなので御座いますか?」

「貴公の目の前にいる」

「は?」

 公爵は思わず間抜けな声を漏らした。


「私をドゥムヤータ王にして貰おうか」

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