第9話:両雄の前哨戦(1)
「我がバルバールをランリエルが狙っているのは間違いないと考えて良いだろう。そしてその為の準備も進められている」
バルバール王国軍部にて、ディアスの発言に幕僚達の視線が集中する。この日、バルバール軍の国土防衛戦略会議が行われているのだ。
「だがみなも十分に分かっているだろうが、我らの敵は東のランリエルだけではなく、長年の仇敵コスティラが西に控えている。なかなか愉快とはいえない状況だ」
重々承知な事とは言え改めて事態を確認すると、幕僚達からうめき声が漏れる。自国の2倍を超える国力の大国に東西を挟まれていると言うこの状況に、楽観的になり得る者が居ればよほどの大物か大馬鹿者だろう。
そして、バルバール軍総司令官フィン・ディアスはその大物か大馬鹿者らしかった。
「とはいえ、そう悲観的になる事も無い。両方を一度に相手にせねば何とかなるだろう」
大物か大馬鹿らしい総司令官の発言に幕僚達は、それは確かにと頷く一方、とはいえそう上手く行くものなのか? と首を傾げた。その内の幾人かは、大馬鹿の方かも知れない。そう考えた。
頷きながら首を傾げるという奇妙な動きを行なう幕僚を尻目に、ディアスは説明を続ける。
「敵が攻めてくれば国境で待ち構え天険の利を活かして撃退する。これがバルバールの基本姿勢だ」
幕僚達は再度頷き、そして今回はその攻め寄せる相手が東西2つとなり、同時に攻め寄せて来てはどうすれば良いのかと頭を悩ませているのである。総司令官は同時に相手せねば良いと言うが、攻め寄せてくる時期をこちらの都合の良く制御出来るものなのか?
ディアスは幕僚達の懸念を読み取ったかのようににやりと笑い「だが……」と前置きをすると、さらに言葉を続けた。
「こちらの都合の良い時に戦いたいなら、何も相手が攻めてくるのを待つ必要はない。こちらから攻めれば良いのだ」
なんと、バルバール軍総司令官は、長年バルバールの基本姿勢だった専守防衛からの転換を示したのだった。
理屈は分からないでもない。しかし自国の2倍以上の国力がある相手を攻めるという大胆な発言に幕僚達は言葉も無い。今まで戦力が半分でも勝てているのは、天険の利を活かしているに過ぎない。
しばらくの沈黙の後、幕僚の1人がやっと精神的ダメージを乗り越えた。
「しかし2倍の国力の相手に攻め寄せて勝てるものなのでしょうか?」
その当然とも言える疑問に、ディアスは質問者だけではなく幕僚全員に言い聞かせるようにみなを見渡しながら答える。
「少数で多数に勝つにはまず機先を制する事。そして局地的な戦力の優位を保つ事だ。全戦力では負けていても一局面においての数の優位を確保する」
幕僚達もなるほどと頷いたが現時点ではあくまで机上の空論である。それを実現させるには実務によってどれだけ理想に近づけるかが重要。それをわきまえている幕僚の1人が早速名乗りを上げた。
「なるほど。しかし機先を制するならば、極秘裏に準備を進める必要がありますな。敵に気取られずに戦の準備を進めるのはなかなか難しいですが、是非ともそれは私めにお任せ下さい」
だがディアスは、折角名乗りを上げた者の耳を疑わせる返答を、いや幕僚全員が唖然とする発言を行なったのである。ディアスはこう言ったのだ。
「いや、ランリエルに盛大に喧嘩を売ろうかと思う」
数日後、バルバール王国王都チェルタから5千の軍勢が出陣しランリエル側国境を固めた。将はカーニック。派手なところは無いが指令に忠実で、守りを固めて守勢に徹するといった任務にはうってつけの男だ。
出陣せずに守れと命ぜられれば、敵がいくら挑発しても絶対に打って出ない。攻める側にはやりにくい男である。もっとも同僚から「勝敗が決した後の追撃すら命令が無ければ行わない男」と陰口を叩かれる事もあるのだが。
そしてその一方、文官のクッコネンを使者としてランリエル王国王都フォルキアへと派遣した。初老の外交官は、白いものが混じった口髭を震わせ口上を述べた。
「ランリエルでは近頃軍艦の建造が盛んだとか。まさか軍艦を率いて陸続きであるベルヴァース王国を攻めるなどとは申しますまいな。我がバルバール王国を攻める積もりであろう事は明白。しかし今まで我が国が貴国に害をなした事実はありません。ランリエルは何を持ってそのような非道をなさろうと言うのか?」
この使者の口上にサルヴァ王子は皮肉な笑みを浮かべた。
こちらの準備が整わぬ内に開戦する積もりか? しかしならば使者など派遣せずとも行き成り攻めて来ても良さそうなものだ。つまり奴らも開戦を望んでいる訳ではない。少なくとも現時点では。ではこちらも付き合ってやろうではないか。
「御使者の言い分はあまりにも見当違い。平時から陸海の戦力を備えるのは国家として当然の事。然るに我がランリエルは近年までカルデイとの戦いに海軍戦力を整える事が出来なった。そのカルデイとの戦いも一応の決着を見た今、改めて相応の海軍戦力を整備しているに過ぎん」
さて、開戦する積もりが無いバルバールはどう出るか? 内心の嘲笑を隠し、不満げな表情で王子は言い放った。だがクッコネンも負けてはおらず、毅然と応じる。
「他国を圧する軍事力はそれだけで周辺諸国を威圧するもの。そもそもランリエルに陸海で接するはバルバールのみと言っていい状況で、戦力を備えると申して、どこの国に対して海軍を備えているので御座いましょう。よもやバルバールがランリエルに攻め込んでくる。そうお考えでは御座いますまいな。ランリエルの海軍増強はバルバールに対する威圧となる事ご考慮下さい」
他国を超える戦力を持てば威圧とは言ったものだ。その理屈では周辺諸国でもっとも国力の低い国に軍備を合わせねばならぬでは無いか。
「他国の心象を気にして自国の備えを怠るなどあまりにも馬鹿げた話。海を超えればバルバールのみが我がランリエルに攻め込める国ではあるまい。もし海軍の不備で他の国にランリエルが攻め込まれればバルバールはどう責任を取ってくれると言うのか? いや、その必要はない。ランリエルはランリエルで守る。その為の海軍戦力の整備なのだからな」
「海運で運べる兵員など高が知れておりましょう。このランリエル王都フォルキアは内陸にあり、僅かの兵力に海岸から上陸されたところで何ほどの事がありましょう。そのような愚行、行う国があるとも考えられませぬ。そのようなご心配は杞憂であり、資金の無駄というもので御座いましょう」
「何、備えとは常に最悪の状況を想定するものよ」
「それはこちらとて同じ事。ランリエルの海軍増強はバルバールへの侵攻が目的ではないか? バルバールにとって最悪の状況を想定いたしますれば、このように考えるのも無理からぬ事と思し召し下さい」
「先ほど申したとおりだ。他国の心象を気にして自国の備えを怠る積もりはない。バルバールが最悪の状況を想定するのはバルバールの勝手。そちらはそちらで最悪の状況に備えればよろしかろう」
「とは申されましても、その最悪の状況に備えるにはランリエルに匹敵する海軍力をバルバールは持つ必要があります。バルバールの国力でそれを備えよとはあまりにも理不尽なお言葉」
「我がランリエルに、他人の財布の中身にまで考慮してやらねばならぬいわれは無い」
冷たく突き放したサルヴァ王子だったが、こちらの返答に対し執拗に食い下がるバルバールの使者に違和感を感じた。これは結論が出ないようにあえて問答を引き伸ばしているのではないのか?
それならそれで、もう少し付き合ってやっても良い。だが、交渉を引き延ばすだけの茶番に自身で対応するのはさすがに辟易する。
「御使者の言い分、こちらでも検討させて頂こう」
そう言って無理やりその日の交渉を切り上げ使者を帰すと、次の日からは部下に対応させたのだった。そして対応させた部下とクッコネンとの問答も、やはり結論は出ず悪戯に日が過ぎて行ったのである。