第51話:北方の町
ロタ王国北部にあるベルフォール城に、サヴィニャック公爵、および北部の貴族の軍勢7千が集結した。王家直属の騎兵5百と歩兵6千を合わせ総勢約1万4千の軍勢である。
統括するドーバントンは、長年この北部の守護を担当する将軍で順当な人事と言える。だが、逆に言えば今まで通りの配置であり、今後は北部がきな臭くなるというブランの勘は外れたと思われた。軍勢を動かした以上は何かしらの計画があるはずだが、北部に1万4千しか置かないなら主戦場はやはり南部だ。
50騎だったブランの騎馬隊は出陣前に300騎となっていた。例のサヴィニャック公爵を怒鳴りつけリュシアンが取り成した件が、思わぬ結果をもたらしたのだ。
「自分を怒鳴りつけた者に更に恩賞をお与えになるとは、公爵の如く恭謙なお方を他に知りませぬ」
「さよう。古の如何な名君にも聞かぬ話で御座います」
サヴィニャック公爵家は、王家の直系が途絶えればその後を継ぐとも言われる名家である。舞踏会に出れば公爵に取り入ろうとする者には事欠かず、彼らは公爵を褒め称えるネタを日々捜し求めているのだ。彼らにとってブランの一件は格好のネタだった。褒められた公爵は、彼らの思惑通り気分がいい。
「なに、私も彼には前々から目を掛けていたのです。彼のような優れた者を諫言の1つや2つで罰するなど愚か者の成す事。更なる抜擢も考えておるのですよ」
「おお。それは素晴らしい!」
「公爵に諫言したにもかかわらず目を掛けて貰えるとは、なんと幸せな男で御座いましょう」
こうして調子に乗った公爵の言葉通り、ブランは大抜擢を受けたのだ。
南部でドゥムヤータと3年間、生死を賭け戦い続け50騎の隊長となったのが、公爵の戯言で300騎の隊長となる。戦いに命を落とした者が浮かばれぬとブランは思ったが、抜擢してやると言うものを断る気も無い。言われた通り300騎の隊長となった。
だが、実際300騎を纏めるとなるとどうすれば良いか分からない。今までは一番初めに入った隊の隊長のように、俺に着いて来い、で済んでいた。
その問題を解決したのは、ブランではなくリュシアンだった。ブランに相談される前に、どうせ困っているだろうと先に公爵に手を回したのだ。
「お前が失態を仕出かせば、抜擢した公爵の見る目が無かった事になる。と言ったのだ」
「それで、お前が目付けか」
「まあ、そういう事だ」
こうしてブランは、ブラン騎兵連隊隊長となり、リュシアンはその副官となったのである。
連隊を構成するのに300騎は多い数ではないが、もっと少ない連隊が無い訳ではない。これもリュシアンが公爵に手を回した結果だった。ブランは上官と衝突しかねないが、連隊長とすれば階級はともかく組織上での上官はドーバントン将軍だけとなる。上が1人だけならば、リュシアンが気を配れば衝突せずに済む。
隊長となったブランと隊員の間もリュシアンが取り持った。元々ブランの下で戦ってきた者達はブランの武勇を知っており、纏まっているが彼らは少数派だ。問題は大多数の新しい隊員である。
寡黙なブランは隊員に声をかけ親睦を深める事も無いが、地位を盾に居丈高な振る舞いもしない。リュシアンは隊員達にブランの長所を褒め称え、その武勇の程を自らで確かめよと、隊の中でも名の知られた者達とブランを立ち合わせたのだ。
「俺が、負けていたらどうしたのだ」
鍛冶屋に作らせリュシアンが名付けた虎牙槍で、武勇で知られた隊員を全て数合で打ち倒したブランは、その後部屋でリュシアンと酒を酌み交わした。
「負けていたら、それまでだ」
リュシアンの返答にブランは苦笑するしかない。
こうして上に立つに相応しい武勇を持ち、それを自ら誇らぬ連隊長に隊員達は取り敢えずは纏まった。
「下地は作った。今後、彼らがお前に心服するか、お前を見限るかは、お前次第だ」
リュシアンはそう言ったが、自分に出来るのは戦う事だけだとブランは考えていた。どんなに立派な言葉を吐こうが、戦場では力を見せるしかない。それが、戦場で得たブランの結論だった。
ベルフォール城を拠点とし、北部各地の城砦に軍勢を派遣し防備を固める事になった。戦力が分散する為、敵が来た時の対応の素早さが犠牲になるが、その代わりに手堅い布陣ではある。敵が来れば城砦に立て篭もって支え、味方の来援を待つのだ。ベルフォールに戦力が集中していては来援は早くとも、それまでその地は無防備だ。
ブラン連隊は、城砦に入らず遊軍となった。リュシアンが、ドーバントン将軍配下の参謀と掛け合ったのだ。城砦に入れば、その守将の指示に従わなくてはならない。公爵の御意向と伝えると、上昇志向の参謀は、公爵にくれぐれも良しなに、と快諾したのだ。いつまでも使える手ではないが、ブランと馬が合う上官を見つけるまではと、リュシアンは考えていた。
「あの町の西に陣を敷き、駐屯せよとの事だ」
馬に跨りブランの隣を進むリュシアンが指で指し示した先に、小さな町があった。ベルフォールよりかなり東にあり、王都の港に荷揚げされた品々をケルディラに運ぶ街道に作られた宿場町である。この北と南には更に大きな町があり、北は城、南は砦で守られているが、小さなこの町を守る城砦は無い。
それはこの町を見捨てたのではなく、敵も攻めないと考えてだ。可能性はゼロではないが、無限に城砦は建設出来ない。ブラン連隊の任務は、ゼロではない可能性に備える事と、北や南に敵襲があればその支援である。
「陣を敷くなら、町の東がいい」
ブランが言い、リュシアンが視線を向けた。
町の西には草原が広がり、東は小高い丘だ。騎兵連隊を駐屯させるなら、西の方が具合がいい。命令も地形を考慮したものであり適切と思われた。丘は木々で覆われ、登るのすら一苦労だ。理で言えば西に陣を敷くべきであり、東が良いと言うのはブランの勘だ。
リュシアンはブランの勘を信じている。だが、他者にそれを求めるほど夢見がちではない。自分の役目は、ブランと隊員達との橋渡しだ。ブランの勘を理に変換し、隊員に説明するのだ。
「万一敵が攻めて来れば、高所を占める方が有利だ。不便ではあるが、生死が掛かっている。丘に陣を敷き敵襲に備えよ」
生死が掛かっているとなれば、隊員達も納得せざるを得ない。丘に登ってみると、一応は人が踏み固めた道があり、町の方から頂まで幾筋かの道があった。思ったよりは楽に登れ陣地を構築すると、丘の裏側にも道が欲しいとブランが言った。
連隊には、50騎毎に隊長を決めてある。その中でも一番古参の男に後を任せブランとリュシアンは町へと向かった。道を作るとなると輜重を引く人夫だけでは手が足りず、町の長と話を付け人手を借りなくてはならない。
2人は皮鎧に身を包んでいる。出陣があるとしても敵襲があるなら北からだ。そうなれば先に北の城が襲われ、こちらには救援の要請がある。ここには敵襲が無く、四六時中重い鉄の甲冑を着ける必要は無い。
「道など、自分達で作れば良いではないか」
「戦いとなれば町の者の協力も必要になる。連隊ともなればそれなりの金も支給されているから、精々賃金をはずんでやれば良い。町の者にとっても有り難いはずだ」
そういうものかと、ブランは頷いた。
町長の家に着き話をすると、すぐに町長は頷いた。ブラン達はサヴィニャック公爵の私兵だが、今は国軍として動いている。連隊長にはある程度の裁量が任されており、よほどの理由でも無い限りそもそも町長に拒否権など無いのだ。
もっとも、不当な要求だったとしても町長はすぐさま首を縦に振っただろう。長い柄に巨大な湾曲刀を付けたような見た事も無い異様な武器を抜き身で持つブランの巨体に圧倒され、顔を合わせた時から町長の顔は青ざめていた。賃金を払うと言うと、むしろ驚いた表情だ。明日から頼むと言い家を出た。
町長の家を出た2人は馬体を並ばせた。話がすんなり纏まったので急いで陣に帰る必要も無く、ゆったりと馬を進ませている。
「なぜ奴は、驚いていたのだ?」
「そう言えば、町民や村民を脅して無償で働かせた挙句、上には賃金を払ったと報告して金を着服する奴が居ると聞いた事がある。そんな奴は一握りかと思っていたが、あの驚きようでは、払わないのが普通なのかも知れないな」
「くだらん話だ」
「そうだな」
拠点となる場所なので、町を一回りしてみる事にした。小さい宿場町ながらも、酒場など娯楽の店も幾つかある。
「隊員達にも交代で町で休ませよう。その代わりに、陣には酒を持ち込ませないようにし――」
その時、後ろで窓が割れる音がしてリュシアンの言葉が止まった。振り返ると、銅製の杯が飲み屋の窓の破片と共に道端に転がっている。続いて扉から男が転がり出てきた。
「い、いかさまなんてやってねえよ!」
男は怯えた声を出し扉の奥に視線を向けている。その顔も怯えていた。
「じゃあ、何でお前が10回も勝ち続けんだよ!」
怒鳴り声の後、大きな男が扉から出てきた。背はブランより僅かに低いが、横幅は大きく上回っている。どうやら、賭博の勝ち負けで揉めているらしい。
「しょうがねえだろ。勝っちまったんだからよ」
「うるせえ! この馬鹿やろう!」
大男が怯えた男を殴りつけた。男は悲鳴を上げ、助けてくれと懇願しているが大男は手を緩めない。男の襟首を持ち殴り続けている。
「どう思う?」
「分からん」
「だろうな」
リュシアンが問い、ブランが答えながら2人は馬から降りた。怯えた男が難癖を付けられているように見えるが、現場を見ていない以上どうとも言えない。ブランは、自分の勘が結構当たるのを知っているが、他人の問題を勘で判断するほど無責任ではなかった。
2人はブランとリュシアンが目に入っていないようだったが、集まって来た野次馬達に怯えた男は助けの視線を巡らせ、ブランの姿でそれを止めた。
「た、助けてくれ! 殺されちまう!」
その声に大男もブランに視線を向けた。大男は、ブランの威容に一瞬怒りの表情を凍りつかせたが、どうやら、舐められたら負けと考える部類の者らしく、すぐにブランに噛み付いてきた。襟首を掴んでいた手を振り払って男を投げ飛ばすと、ブランに前に立ちはだかる。
大男は、今更ながらブランが大きな得物を持っているのに気付いた様子で額に汗を浮かばせた。この出で立ちでは軍人とも思われるし揉めるのも不味いのだが、ここまで来てはもはや引くに引けない。
「なんだお前え。文句でもあんのか」
得物を持つ相手に内心緊張しつつも、下から覗き込むようにして睨み付けて来る。
「いや、ないが」
「じゃあ、とっとと失せな」
「ああ。そうしよう」
何事かと思い足を止めただけで、殴られている男が勝手に助けを求めたのだ。他人の争いに首を突っ込む積もりは無く、ブランは背を向けた。
気圧されながらも虚勢を張って食って掛かった大男だったが、相手があっさりと引き下がったのに拍子抜けした。ブランの威容に、正直怯んでいた大男は、ただの虚仮脅しかと調子に乗ってくる。
「なんだ、でかい図体しやがって、とんだ木偶の坊じゃねえか!」
大男の言葉にブランは何の反応も示さず、馬に近づいていく。野次馬達はブランが進むと慌てて道を空けた。その中には、大男とブランとの戦いが始まるかと期待した者も多く、落胆の溜息も聞こえる。
「戦場でもそうやって敵から逃げんのかよ。この卑怯もんが!」
不意に、ブランが足を止め、その巨体が更に膨れ上がった。野次馬達にはそう感じた。息苦しいほどの威圧を感じ、一歩下がったのは無意識だった。
「狐も鳴かねば狩られまいに」
リュシアンが呟いた。卑怯という言葉はブランの禁句だ。
大男へと向き直ったブランの表情は今までと変わらないが、放つ獣気は固形とも言えるほどだ。大男へと足を進ませると、野次馬達はその獣気に押され後ずさっていく。虎牙槍を強く握り締め、腕に血管が浮かぶ。
大男も、なにやら相手の触れてはならない部分に触れてしまったのは察したが、ここで引いては笑いものだ。とはいえ、相手は得物を持っている。これでは勝負にならない。
「ま、待て。何だよ。てめえ。そ、そんなもん持ちやがって。男なら素手でやれってんだ」
だが、大男の訴えにブランは微塵も心動かされない。
「戦場で、一番馬鹿馬鹿しい死に方を知っているか」
「な、なんだってんだ」
「全力を出さずに、負けて死ぬ事だ」
試合をやっているのではないのだ。命のやり取りに手を抜くのはあまりにも愚かだ。弱い振りをして油断を誘う者も居る。そして喧嘩も試合ではなく、死ぬ事もある。
「じ、じゃあ、俺にも得物を持たせてくれ。や、槍があるんだ」
大男は傭兵崩れだった。腕には自信があるが、素行が悪く傭兵部隊から追い出されてこの町に流れ着いたのだ。元居た隊では、彼にかなう者は居なかった。
「いや、もっと馬鹿馬鹿しい死に方があったな」
柄を強く握り締め、大男に向ける視線がさらに鋭くなった。
「得物を持つ相手に、素手で挑んで死ぬ事だ」
自分は初めから得物を持っていた。その自分に素手で挑んだのはこいつなのだ。馬鹿に合わせてやる義理は無い。
ブランは大男の懇願を無残に断ると、更に近づき両手で虎牙槍を振りかぶった。馬上では片手で使うが、地に足を付けて戦うなら両手で持つ。
「畜生……」
大男は青ざめ後ずさって行く。せめて得物があればと、悔しさに唇を噛んだ。
「あんた!」
飲み屋の奥から女の声がし、皆の視線が向いた時には、槍が大男に向かって放り投げられていた。後に続いて腰まである黒髪の、小柄だが気の強そうな目をした女が姿を現した。背はブランの胸元辺りぐらいしかないが、大きな乳房と尻を持ち、それを繋ぐ腰は見事に括れている。胸元が広く開いた赤いドレスに身を包み、黒い瞳は何やら楽しげでもある。
「よっしゃ!」
大男が宙で槍を掴み歓喜に吼えた。使い込まれ、柄のところの塗装があちこち剥げ落ちている。これで、素手の相手を得物で叩きのめそうとした卑怯者をぶちのめせると、大男は槍を構え――。
「あ」
声をあげた時には、手から槍が消えていた。ブランが虎牙槍を横に薙ぎ、槍を弾き飛ばしていた。槍が地面に落ちる前に、反す一閃が大男の頭部を襲い音を立て地面に崩れ落ちた。
始まると思った瞬間に勝負が付き、野次馬達は声も無い。楽しげな目を向けていた小柄な女も、あれ? と、呆気にとられた表情だ。
ブランは、倒れた大男には目もくれず背を向けた。そのまま馬に跨り、リュシアンも後に続く。立ち去るブランを見る女の目に、興味深げな微笑が浮かんでいた。
「どうして殺さなかった? どうやって上に誤魔化そうかと、頭を悩ませていたので助かったが」
しばらく進むと、リュシアンが言った。ブランは大男の頭を狙った虎牙槍を、当たる直前に刃を反し側面で打ったのだ。大男は脳震盪を起こしただけだ。だが、卑怯という逆鱗の言葉をブランに吐き、それをブランが許すのは考えられない。
「殴られていた男は、やっていた」
どうやらブランの勘では、やはり、いかさまをしていたらしい。それをあそこまで被害者面するとは中々の名演技だが、だからこそ、ブランは胡散臭さを感じたのだ。それでも勘で他人の争いに首を突っ込む気は無いが、挑まれたなら仕方が無い。その分、殺さないでやった。手加減した気は無く、大男の槍を弾き飛ばした時点で勝負は付いている。
リュシアンが吹き出し大きく笑った。ブランの口元にも笑みが浮かぶ。