第48話:虎の牙
ロタ王国がデル・レイ王国、ケルディラ王国と同盟を結ぶのではないか。その噂がブランの耳にまで届いた。そう高い地位ではない自分にまで聞こえてくるなら、ほぼ確定なのだとブランは思った。隠してもいないようだ。
公爵家では、50騎程の騎馬隊の隊長だ。自分が隊長などというものになるとは考えもしなかったが、いつの間にかそうなった。ドゥムヤータと戦っている内にそうなったのだ。
ロタはドゥムヤータを恐れている。だが、一方的な恐れだとブランは見ていた。ドゥムヤータはロタを攻める気など無い。リュシアンにも話した。奴も、そうだと言っていたので間違いないはずだ。
「だが、実際ドゥムヤータの領土は大きくロタに食い込んでいる。8月の大異動の所為だが、それ以来ロタはドゥムヤータを警戒しているのだ。奴らも、そこまで警戒されるとは思っていなかったようだがな」
リュシアンの言う、8月の大異動はブランも聞いた話だ。十数年前の8月に、ロタ王国の南東部に広大な領地を持つ大貴族の一族郎党全てが、ドゥムヤータに鞍替えしたのだ。
ドゥムヤータの選王侯達が選んだドゥムヤータ王が、その選王侯達を抑え権力を握る為にロタ王国に居た自分の一族に助けを求めたとも、ロタ王国の大貴族が、一族の血を引く者がドゥムヤータ王となったのを機に、ドゥムヤータを支配せんと自ら動いたとも言われている。
どちらにせよ、ドゥムヤータ内の権力争いなのだ。ロタには関係ない。だが、結果的に国としては広大な領土を奪われたロタは、ドゥムヤータが更に領土を得ようと動くのではないか。と、警戒心を刺激されずには居られない。
その為、ドゥムヤータとの国境には砦が首飾りの真珠のように並べられ兵士が詰めている。ロタがそうする以上、ドゥムヤータも同じようにする。国境は常に緊張状態にあり一触即発だ。小競り合いは毎日のように起こっている。
南部の貴族だけでは負担が大きいと、他の地域の主だった貴族達もドゥムヤータとの国境に軍勢を派遣しているのだ。3年前から最近までその中にブランの姿もあった。
公爵御前での武芸大会に優勝し召抱えられたブランだが、所詮新参者に変わりなく、初めから馬に乗せて貰えただけ優遇されている。その程度のものだった。10騎程の騎馬隊の一員。それだけだ。
当時の隊長は、勇猛果敢と言われていた。無茶な突撃を繰り返し、俺に付いて来い、と言うので、その後に付いて駆けた。敵勢に突入し、手柄を立てる事もあった。しばらくすると、隊は20騎になった。
敵を追い森の中を駆けていた。味方の軍勢が優勢に戦い、ドゥムヤータ国境を越えたのだ。隊長はいつものように、俺に付いて来い、と先頭を駆けた。敵兵が茂みに逃げ込んだ。隊長と隊員達が後を追った。後に続こうとしたが背にぞわぞわと這うものを感じ、反射的に手綱を引いていた。馬が棹立ち、後ろにいた数名の騎士が慌てて回避し足を止めた。
怒鳴る騎士達に答える前に、茂みの中から悲鳴が聞こえた。隊長の声だ。一瞬の後、取り囲むように声が上がり、槍をかざした敵兵が、茂みから飛び出してくる。
「伏兵か!」
味方が叫ぶより早く、槍を振りかざしていた。力任せに敵兵を薙ぎ払い、怯んだところを馬首を返し逃げた。他の者達も後に続いた。この時は、8騎居た。
どこに行っても敵だらけだった。その中を縫うようにして駆けた。避けられぬ敵は蹴散らし進んだ。他の者達は、自分の後ろに付いて来る。邪魔だと思ったが、味方を切り殺す訳にも行かない。道が2手に分かれた。右には槍を構える敵が居た。左は居なかった。右を選んだ。6騎付いてきた。2騎は左を駆けていた。
敵を蹴散らし逃げたが、どこまで逃げてもやはり敵だらけだ。まっすぐに進めば包囲を抜けられるのだが、それをしていれば多分死んでいる。夜になって、やっと敵が居ない開けたところで足を止めた。馬が、よく持ったものだと思った。だが、周りは敵の篝火で囲まれている。
「どこに行けば抜けられる?」
隊で一番古株の男だ。隊長よりも年上で、自分の父親のような年齢だ。それが、残った者の中で一番新参者の俺に判断を任せている。誇りは無いのかと思い、知らん、と答えた。実際、どこに行っても死ぬ気がした。
「そうか。知らんか」
男は笑い。じゃあ、寝るかと言った。それぞれが、槍を抱え木の幹にもたれ掛かって眼を閉じた。敵がいつ来るか分からないので、甲冑は脱げなかった。甲冑を付けたままでは横になれない。なれる事はなれるが、眠れたものではないのだ。だが、敵に囲まれ眠れる訳がない。そう思っていたが、鼾声が聞こえた。あの男の鼾声だった。俺は朝まで眠れなかった。
「どっちだ?」
朝になり全員が馬に跨ると、男が聞いてきた。槍を国境に向けた。特に考えた訳ではなかったが、男に、どうしてだ? と聞かれると反射的に答えていた。
「敵は、一晩中味方の軍勢を追いかけていた。もう、引き上げている」
実際、国境に向けて進むと、拍子抜けするほど敵と出会わないまま味方の元まで駆けられた。多分、当たっていたのだろう。隊で戻ったのは、俺達だけだった。途中、別の道を行った2騎は戻って来なかった。
「新しい隊長は、こいつが良い」
男が言い、他の者も反対しなかったので俺が隊長になった。人数は補充されたが、また10騎からだった。
それからも何度か戦い、隊の人数は増えていった。だが、死ぬ者も居る。何度目かの戦いの時、あの男が死んだ。最後まで生き残る奴と思っていたので、意外だった。名前は聞いた気がするが思い出せない。
任期を終えた頃には、40数騎の騎馬隊になっていた。王都に帰った後に、軍を再編して50騎になった。
公爵からせしめた金を持ち、ブランは町へと向かった。ベルフォール城の視察の人員からは外されたのだ。これからは北部が戦場になると考えているが、それもまだ少し先のはずだ。その時は、視察ではなく、戦いに出される。
リュシアンが俺も行くと言うので連れてきた。ロタは他の大陸とも交易し様々な物が入ってくる。それだけに相場が分からない物が多く、吹っかけられるからだという。お前に吹っかけ、後で痛い目にあう者を救う為だ。とも言った。確かに、言い値で買い、それが法外に高いと知れば、ぶちのめしている。
「武器が欲しいというが、今まで使っていた槍はどうしたのだ?」
「壊れた訳ではないが、もっと何かがある気がする」
上手く言葉にならなったが、リュシアンは納得したように頷いた。こいつは、俺自身が気付かぬ、俺の心の動きまで理解しているところがある。
「これなど、どうだ?」
他の大陸の武器も置いてある武器屋で、リュシアンが俺に薦めたのは、棍棒のような打撃の武器だった。手に取り片手で振ると、風を切り唸り声を上げ、店主や他の客が気圧されているが、しっくり来ない。
次に、槍の横に更に刃が付いた武器を見た。敵を引き倒し、突く事が出来る優れた武器だという。
「これではない」
一言言うと、リュシアンも頷いた。やはり、今までの槍で良いのか。そう思っていると、それが眼に飛び込んだ。武器を売っている店ではない。通りを隔てた、白い、東の大陸の陶器を売る店だ。その奥の壁に、斜めに立てかけられている。湾曲刀に長い柄を付けたような武器だった。
「あれは、なんだ?」
「あれは違う」
一目見、リュシアンが言った。
「違う?」
「あれはただの飾りだ。武器として使える物ではない。東の大陸では使われているそうだがな」
よく見ると、刃の部分に髭のある手足の付いた蛇のような生き物が彫られている。一見奇妙にも見えたが、不思議な美しさもある。飾りとして置かれるのも、分かる気がした。
「向こうで使えて、どうしてこっちでは使えない」
「向こうとこっちでは防具が違うのだ。東の大陸では木で甲冑が作られていると聞く。あれは切る武器だが、木の甲冑は切れても、鉄の甲冑は切れない。一応突く事も出来そうだが、それだったら他に適した武器が幾らでもある」
だが、魅入られたように眼が離せなかった。陶器を売る店に入り、その武器に手を伸ばした。東の大陸から来た人間なのか。店主は目が細くなにやら平べったい顔をしている。驚いた様子で、意味の分からない言葉を吐いた後、どうするのでずか、と言った。
「少し借りていく。これを預けていく」
店主に、公爵から受け取った金が入った皮袋を渡した。中身を見て、店主の顔が変わった。笑みを浮かべ手を揉みながら、お譲りしまず、と言ったが、借りるだけだと言って店を出た。
「借りてどうするのだ? 本当に鉄の甲冑が切れないか試すのか?」
「いや、近くで見たら、これでは鉄は切れないと分かった」
リュシアンはそれ以上聞かず、黙って俺の後に付いて来た。鍛冶屋に着くと、借りて来た物を差し出した。燃える炎の前で鉄を打っていた上半身裸の男は、年老いて白い髭を生やしていたが、首から下の身体は壮年の男のように張りがあった。
「これの、でかいやつを作って貰えないか」
「ああ。陶器屋の壁に飾ってあるやつかい。見た事あるよ。そんなもん作ってどうしようってんだい」
「鉄の甲冑を、切れるやつが欲しい」
「あんた。片手で子牛を持ち上げられるかい」
男が、俺を一瞥し言った。
「そんな事、出来る訳がない」
「じゃあ、諦めな。斧みてえなもんならともかく、その形状で鉄を切るにゃえれえ重みがいるんだよ」
どうやら、男は俺が騎士だと見抜いているようだ。騎士の片手は手綱を持っている。ある程度、両足だけで馬を抑えられるが、両手でしか使えない武器では、馬上では戦えない。
リュシアンの言う通り、これは使えない武器なのか。しかし、諦められない。理屈ではないのだ。これで戦ってみたい。その思いが俺の魂を燃やし、滾らせる。リュシアンは、黙って後ろに立っていた。
「とにかく、出来るだけでかいのを作ってくれ。俺が使いこなせなくても、金は払う」
「当たり前だ。作れと言われて作ったなら金は貰う」
男が言い、俺が手にしている武器を一瞥した。
「ちょっとそれを振ってみな。力いっぱいだ」
右手で男が言うように力いっぱい振ると、ぼう、と大きな音が鳴った。音だけなら、もっと大きな音がなる武器は今までにもあったが、風を切り裂きながらも、叩き潰すその音に心が震えた。男もその音が気に入ったのか、笑みを浮かべている。
「甲冑の上から、殴り殺すぐらいの物は出来そうだ」
男に前金を渡そうと思ったが、金は陶器屋の店主に全て預けていた。仕方が無いので、リュシアンから借りた。武器は見本に置いて行こうとしたが、男が要らないというので陶器屋の店主に返した。
店主は、俺が戻って来たのにむしろ残念そうだったが、金貨を2枚やると喜んだ。
「結局、敵を切るのではなく、殴り殺すのか? まあ、お前が良いと言うのなら、良いが」
リュシアンの言いたい事は分かる。殴り倒すなら、他に幾らでも適した武器があるのだ。突く事も出来るが、それも、棍棒の先を尖らせれば済む。
「ああ。あれがいい」
俺が言うと、リュシアンは黙って頷いた。
「そういえば、あれはなんという名なのだ?」
ふと思った。その姿に魅入られ、今まで名は気にしなかった。
「確か、竜だか、月だとかいう名だったはずだ」
「あれの、どこが竜だ」
月は分からぬでもない。先の刃の部分が、三日月の形だと言いたいのだ。だが、竜は絵で見た覚えがあるが、でかい腹に背中に羽が生えていて、とてもではないがあの武器に相応しい姿ではない。あの武器は、すらりとした美しさがあった。
「竜のように強い武器と言いたいのかも知れんな。だが、まあ、あれはお前の為に作らせる物だ。お前に相応しい名が良い。虎牙槍というのはどうだ?」
リュシアンが、俺を虎だと言った事がある。俺の牙と言いたいのか。
「ああ」
と、答えた。




