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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
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第42話:賢王の決断

 ケルディラ軍によるテレス川渡河作戦は、バルバール、コスティラ両軍に阻まれ多くの損害を出し失敗に終わった。ケルディラ北東部を守るデル・レイ軍は援軍の望みを失い絶体絶命である。


 だがその中にあってもアルベルド王率いるデル・レイ軍の士気は高い。サントモーリエの戦いで2万の損害を出し、残るは4万5千。対するカルデイ帝国軍を含むランリエル勢は13万を超えるが、デル・レイ軍は北東部各地の城砦で頑強に抵抗している。


 その戦況に、オレンブルク城に篭るデル・レイ軍本隊を率いるアルベルドは、5千の精鋭を選び城を脱した。無論、自分のみ逃げるのではなく、他の城砦の味方を助けんが為である。


 抑えに居たムウリ将軍はアルベルドを追撃したが、城に残る者達がムウリ隊の背後を襲いアルベルドを逃がした。その代償として城から出た者達のほとんどが帰る事は無かった。ムウリ将軍が反転し、城の抑えに残っていた他のランリエル部隊との挟撃にあったのだ。


 行動の自由を得たアルベルドは、ケルディラ北東部を転戦。破綻しそうな戦線があれば救援に赴き、全滅せんとする軍勢には兵を送る。兵糧足りず餓えた将兵の元に自ら輸送の任に就く事すらあった。


「お、恐れ多い事で御座います……」


 アルベルド率いる部隊から補給を受けた軍勢の老騎士が、地面に泣き崩れた。他の者達も頬を濡らし跪いている。


 デル・レイ王国国王アルベルドの愛馬は、国中から集めた名馬を更に選りすぐった名馬中の名馬である。それを、代々王宮に仕える馬丁が手塩にかけた。その白き馬体は雪のようであり、瞳は気品に満ちている。掛けられた費用は莫大であり、その命は庶民の命より尊い。だが、事もあろうに、雪の馬体に薄汚れた革紐が巻かれ、なんと兵糧を満載した荷駄を引いているのだ。


「なに、この荷駄を引いていた馬が途中で倒れたので、代わりに私の馬を繋げたまでだ。我が愛馬はこの程度で疲れたりはせん」


 当たり前のように言うと、アルベルドは老騎士の手を取り立ち上がらせた。


 兵士達を餓えさせまいと、国一の名馬に荷駄を引かせるとは。この方の為ならば命など惜しくは無い。老騎士は思い、他の者達も同じ気持ちだった。皆涙を流し跪き、アルベルドは、その1人1人の手を取り立ちあがらせた。


「共に戦場にあるならば、私とお主は戦友ではないか。友を助けるのに何を躊躇う事がある。さあ友よ。立ち上がり、暴虐なる敵を共に討ち果たそう」


 騎士は心に誓った。この王の名誉の為に戦おう。この王が世界の全てを敵に回そうとも我は王と共に。この命尽き果てるまで。いや、死ぬ時も共にと誓い、天界にてもお傍に仕えん。


 士気尋常ならざるデル・レイ軍に、圧倒的多数のランリエル勢が手を焼いた。戦いとはどちらかが全滅するまで戦うのは稀。勝敗とはどちらかが敗走した時に決するのだ。だが、ランリエル勢が戦いを優勢に進めながらも、デル・レイ軍の士気は高く誰一人逃げ出さない。


 戦いは終わらず、デル・レイ軍はやせ細り続けた。だが、士気高い敵軍との戦いに、ランリエル勢の被害も少なくは無い。


 現在、サルヴァ王子が率いる本隊は、デル・レイ軍から奪取した砦の1つに拠っていた。そこから各城砦を攻める部隊を指揮する。軍儀で被害報告を受けたサルヴァ王子は、執務室としている部屋に戻ると机に座り深い溜息をついた。両肘を机の上に置き、組んだ手で額を支え俯いた。


 その様子に、ウィルケスもいつもの軽薄は鳴りを潜めた。副官として戦況を憂い、戦場にあっても身だしなみを怠らぬこの伊達男が、疲れに顔に脂が浮いている。


「軍儀での報告にもあったとおり、戦いは我が軍が優勢なのですが、あそこまで頑強に抵抗されるとこちらの被害も馬鹿になりません」

「分かっている」


 王子は俯いたまま短く答えた。戦いは優勢。それは間違いない。受ける被害も敵の半数も無いのだ。だが、一向に降伏も敗走もせぬ4万5千を殺しつくすには、こちらも2万を失いかねない。それどころか、サントモーリエで受けた損害を含めれば2万5千を超える。


 デル・レイ軍には、ランリエル軍12万とカルデイ帝国軍2万が当たった。だが主力はあくまでランリエル軍であり、その損害もほとんどはランリエル軍が引き受けている。


 12万の軍勢が2万5千の被害を受ける。この数だけを考えれば、ランリエル軍の敗北と判断してもおかしくは無い。いや、もしかしたら本当に敗北するのではないのか。その危険すらあるのだ。


 将兵の中には、全く引かぬデル・レイ軍に恐れを抱く者も出始めていた。奴らは味方がやられてもやられても屍を乗り越え前に進むのだ。まるで魔界の軍勢を相手にしているかのような恐怖に、兵士達が堪えられるのか。


 戦史を紐解けば、軍勢の半数以上を失ったにもかかわらず最後まで引かず、ついには数倍の敵軍を敗走させた。という記録もある。無論、砂漠に落ちた針を探し当てるような稀な例ではあるが、それが起こりかねない。


「だが、退けぬ……」


 戦い、優勢にもかかわらず軍勢を退く事など出来ない。ここで退いては敵味方多くの死者を出し、何の為に戦ったのか。ここまで来ては我慢比べだ。デル・レイ軍が死に絶えるまで、ランリエル軍が恐怖に堪えられるのか。ランリエル軍が恐怖に崩れるまで、デル・レイ軍が死に絶えずに居られるのか。


 両軍の死闘は続いた。数に勝るランリエル勢がデル・レイ軍が篭る城砦の門を打ち破り、デル・レイ軍が迎え撃つ。城門を突破されては、もはやこれまでと、逃げ出す者、降伏する者が出始めるのが常であるが、デル・レイ軍にその常はない。


「名誉も正義も無い鬼畜の軍勢に後ろを見せるなど、正義の軍がなすべき事では無い! ましてや降伏など、有り得ぬ仕儀よ! 皆の者、最後の一兵まで戦うのだ!」

「おぉぉぉぉ!」

 士官が叫ぶと、その先には死が待つのみの彼らから歓声が上がった。良き死に場所を得たと勇むほどである。


 デル・レイ軍は、城内の狭い通路で待ちうけ、部屋に篭って城中の城と化す。大軍の利を活かせぬランリエル勢は、多くの被害を出しながらも、敵を殲滅するしかない。このような敵を相手にするのは命が幾つあっても足りぬと、及び腰になる者も出始めている。


 それでもやはり、数に劣るデル・レイ軍が押されているが、最後まで抵抗せんと戦いは容易にその決着を見ない。


 そのランリエル、デル・レイより先に、我慢比べに負けた者が居た。他でもないケルディラである。他国からの援軍が奮闘しているにもかかわらず、自軍はテレス川を渡る事すら出来ない。他に手はないと、ケルディラ軍将兵が国王の元に大挙して押し寄せたのだ。


「このままでは、アルベルド王の身が危険で御座る。我が国を救援せんと命をかけるかの王を見捨てては、ケルディラ王国は、領地よりも尊い信義を失いましょう。ここは領地を失ってもランリエルと和議し、アルベルド王のお命を救うより他ありません」


 詰め寄った将兵にケルディラ王エフレムは青ざめた。もし首を横に振れば叛乱でも起こしかねない形相である。急いでやってきた近衛兵に彼らは追い返されたが、自国の将兵にあれだけのアルベルド王の支持者が居る事に恐怖を感じた。


 そして、宰相、大臣達を集め検討させたが、やはりアルベルド王を助けるべきとの声が多い。


「我らの為に命をかけんとする友人を我らが見捨てたとなると、今後どの国も我が国を信用しますまい」

「例えアルベルド王を見捨てても、もはや河東地域の失陥は免れませぬ。ならば、こちらから申し出るべきです」


 だが、領地に未練ある王は首を縦に振らず、助けを求める視線を宰相のベルィフに向けた。長年我を支えた宰相ならば味方になってくれるはず、とすがり付く。だが、宰相の答えは最も冷淡だった。すっかりと髪が抜け落ちた頭部を頭巾で隠し一礼して口を開いた。


「デル・レイ王アルベルドは、グラノダロス皇国皇帝の弟君。それを見捨てたとあっては、ランリエル軍どころか皇国軍が我が国に向きましょう。そうなれば領地どころではありません。陛下のお命が危のう御座います」

「皇国軍……」


 その名を出されては、王に返す言葉は無かった。


 ケルディラ王国からテレス川に陣を張るコスティラ軍へと和議の使者が訪れた。その内容をランリエル本陣に伝え王子の裁量を待つ。いかにも迂遠だが、建前上コスティラ軍が本隊であるので仕方が無い。


「良かろう」

 王子の返答は短い。当初、ケルディラ全土の併呑を計画していたが、状況が変われば落としどころも変わる。デル・レイ軍が出てきた以上、ここまでが限界だった。いや、くれると言われてもケルディラ全土を得る訳には行かないのだ。


 ケルディラ全土を抑えては、デル・レイと領土を接する。そうなればデル・レイと直接対決だ。だが、デル・レイは皇国の衛星国家。ケルディラの援軍としてのデル・レイ軍と戦うならともかく、直接戦えば皇国も黙っては居まい。


 デル・レイ王国との緩衝地として、ケルディラを存続させるしか無かったのである。


 こうして、デル・レイ軍は3万近い死傷者を出したにもかかわらず、ケルディラ東部をランリエル勢に奪われた。敗残の軍がテレス川を渡り、ケルディラ王都アルダンに入った。


 軍勢は疲れ果て満身創痍。騎士と呼ぶべき者達も磨きぬかれた甲冑は泥にまみれ、多くはその愛馬を失い徒歩である。歩行すらままならず、荷駄で運ばれる者も多い。


 両王が謁見の間で顔を合わせた。この国の主はケルディラ王だが、さすがに一国の王と一段高い玉座に座ったまま対面できない。左右を大臣や多数の近衛兵で固めたケルディラ王は玉座から降り、デル・レイ王が歩み寄るのを待った。アルベルドの後ろには数名の護衛の騎士が付き従うのみである。


 両者は向かい合ったが、ケルディラ王は金糸銀糸の衣装を身に付け、珍しい動物の毛皮で作った高価な外套を纏い、デル・レイ王は戦場から来たそのままの甲冑姿だ。出陣した時は光り輝いていた甲冑も、今は鈍く濁っている。


 ケルディラ王は、王宮に居て豪華な衣装を纏い、毎夜美食にふけっていた。然るに、その援軍としたデル・レイ王は泥にまみれ、補給もままならぬテレス川以東の戦地で粗末な食事で空腹を紛らわせるのみ。少しでも想像力がある者が向かい合う両者を見比べれば、瞬時にそれを察する。


 居並ぶケルディラの貴族、大臣達の中には、自らの王への情けなさに俯く者も多かった。対照的に、デル・レイ王に付き従う騎士達の泥にまみれた顔は誇りに満ちている。


 王としての器は、明らかにデル・レイ王が上。そのように見えたが、ケルディラ王の前に辿りついたデル・レイ王は、なんと跪いたのだ。続いて騎士達も跪く。戦勝国の王に敗戦国の王が跪く事があっても、通常は考えられぬ事である。ケルディラの大臣、閣僚達もこの事態にざわめき、何事かと顔を見合わせた。


「ケルディラ東部を守りきれず、陛下に向ける顔がありませぬ。すべては私の責。かくなる上は、私は陛下に臣従し、デル・レイをケルディラ領と致しましょう」


 声にならぬどよめきが上がった。デル・レイ軍はあくまでケルディラへの援軍。それが半数になるほどの激戦に、ケルディラが感謝しこそすれ、デル・レイの落ち度は砂粒ほども無い。何せ、ケルディラ軍はテレス川すら越えられなかったのだ。


 だが、老いた王は耳にする事が全てだった。ランリエルが危険と吹き込まれればそれに恐怖し、領土を奪われると聞けば憤慨した。そしてくれると言うならば貰うべきだった。


「そ、それは本当か!? な、ならば――」

「いけませぬ陛下!」


 顔に喜色を浮かべ即答しようとするケルディラ王を、宰相が慌てて制した。


「アルベルド陛下。陛下の清廉な志は真に尊ぶべきもので御座いますが、そのお申し出を受ける訳には参りません」

 宰相は、アルベルドに駆け寄り手を差し伸べ立ち上がらせた。


 王に言葉に口を挟み宰相が返答するなど、首を刎ねられても当然の無礼である。だが、宮廷一儀礼に詳しいと言われる宰相ベルィフにして、それどころではなかったのだ。


「しかし……」

「いえ。そのお気持ちだけで、我が国民は救われましょう。陛下の御友情は感謝に堪えませんが、敗戦の罪を陛下1人に向けるなど、それでは、我らが情けのう御座います」


 渋るデル・レイ王に宰相は食い下り、宰相の必死の懇願に、アルベルドもやむを得ないと引き下がったのだった。


 祖国に帰ったデル・レイ軍は、その数を大きく減らしていた。生きて帰った者も大半は傷付き、疲れ果てている。だが、その表情は誇りに溢れ胸を張っている。彼らを迎える国民達も、まるで戦勝軍を迎えるように花びらを舞わせ、歓声を上げている。


 もっとも、あくまで敗戦は敗戦である。その事実に変わりは無いと、アルベルドは臣下達に宣言した。


「我が不甲斐無きに、多くの得難い戦士、騎士を失い、それにもかかわらずケルディラを救う事すら出来なかった。皆に合わせる顔無く、我は退位する。次期国王には我が甥のユーリを指名する!」


 その言葉に、臣民、指名されたユーリ自身、母親のフィデリア、そしてアルベルドの妃であるフレンシス。デル・レイ王国すべての者が我が耳を疑った。王国は大混乱に陥ったのだ。

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