第41話:寵姫達のお茶会
ランリエル王国王都フォルキア。周囲を城壁で囲んだ城砦都市である。その姿はかつての敵国カルデイ帝国帝都ダエンと酷似していた。似た文化の両国が、同じく防衛目的で平地に建造したのだ。無理からぬ事だった。
帝都ダエンから王都フォルキアを目指した旅人がフォルキア近くまで来た挙句、その外観からいつの間にかダエンに引き返してしまったと勘違いし、今度こそフォルキアを目指そうと本当に引き返してしまった。という笑い話まであるほどだ。
もっともそれは、数代前にランリエルが王室の紋章である雄牛を城壁に刻み解決し、そして今では、サルヴァ王子が帝国を攻略した事により、帝都ダエンの城壁自体が存在しなくなっている。
その王都の王宮奥深くの後宮にて、そこに住まう寵姫が集っていた。ランリエルは現在戦争状態であるが、彼女達は変わらぬ日々を過ごしている。今日も、庭の一角でお茶を楽しみながら、それを受けるお菓子について談笑していた。
「最近では、砂糖黍という物で作られた白いお砂糖を使ったお菓子が流行しているのです。とても上品な甘さになるのですよ」
古臭い、貴女方はご存知ないでしょうけど。
「まあ、それは一度頂きたいものですわね。ですが、お菓子一つとっても古来よりの手法、作法というものがあります。下々の者を相手にする程度の低い職人ならともかく、果たして宮廷や、当家の職人がそのような物を作って下さいますでしょうか」
伝統というものを理解しない、無教養の新しい物好きには困ったものですわ。
「私は、どちらも美味しいと思いますけど」
お菓子なんて甘ければ良いじゃない。
コスティラ王国からやって来た公爵令嬢ナターニヤのお茶会に、数名の寵姫、そしてアリシア・バオリスが席を並べていた。あくまで表情はにこやかに、その裏では激しく戦いながらお茶を楽しんでいる。もっともアリシアは、お茶を楽しむどころではない。
いい加減にして! と、裏表のある会話に辟易し、テーブルをひっくり返したい衝動に懸命に耐えていた。お茶会に参加するなど真っ平なのだが、そこは公爵令嬢が上手だった。
「当家の者が、ケルディラとの戦について報告を持ってまいりました。殿下の御身が心配なのは皆さんも私と同じはず。その者から皆さんにも話させましょう」
今回のケルディラとの戦いは、その隣国コスティラとの統一戦と称されている。ナターニヤの実家であるコスティラ王国公爵家が、その情報を集めるのに何の不思議も無い。
アリシアとてサルヴァ王子の身を案じている。もしもの事があればと、一般的な女性よりは数倍太い神経を持つ彼女にして胸を痛ませ眠れぬ夜すらあった。もっともそれは、親しい友人が戦地に赴けば誰もが抱く当然の心理。少なくとも彼女はそう信じていた。ナターニヤの目論見どおりと察しながらも、あえて罠に飛び込むしかなかったのである。
報告を持ってきた公爵家の騎士は、皆の質問に丁寧に答えてくれた。どうやらランリエルは優勢らしく、ケルディラ軍はテネス川を渡れず、援軍のデル・レイ軍はケルディラ北東部で頑強に抵抗しているが、他の支援が期待できない以上、先は見えている。勝利はほぼ間違いない。との事だった。
彼女達は、その存在意義であるサルヴァ王子が安全らしいと胸を撫で下ろし、そして、「それでは」とお茶会になったのだ。アリシアも話を聞くだけ聞いて「帰ります」とは言えず、伯爵令嬢や男爵令嬢など、色とりどりの爵位のご令嬢に混ざり、やむなく席に着いた。彼女達の侍女も、お茶会の手伝いに走り回っている。
とはいえ、その話題はアリシアの興味が惹かれないものばかりだった。うんざりした表情が浮かび始めたが、そこは抜け目の無いナターニヤが主催者だ。アリシアが興味を持ちそうな話題に頭をめぐらせた。現在、この後宮では、アリシア・バオリスの好意を得た者が上位に立てる。そう認識されているのだ。
「そういえば、謎の勇者。というのを皆さんご存知ですか? 5ヶ国合同で行われた軍事演習で殿下は演説をしたそうなのですが、その時に各国の勇者の名を読み上げたとか。ですが、ランリエルの勇者として一番最後に呼ばれた者の名を、誰も知らないのです」
ナターニヤは、やや強引に話題を切り替えた。アリシアも殿下に関係する話題ならば興味を持つだろう。他の寵姫にしても、謎の勇者や騎士というのはロマンチシズムを感じさせる飛びつく話題である。
「殿下がお名前をお呼びしたにもかかわらず、誰もその者の名を知らないと言うのですか?」
早速、若い伯爵令嬢が食いついた。アリシアもうんざりした表情から興味深げな顔に変わっている。ナターニヤは満足してにこやかに話を続けた。あえて急がず、ゆるゆると会話を進める。
「はい。他の名を呼ばれた方々は、隣国にもその名を知られる者ばかりだったのですが、その方に限り、少なくとも他国にまでは知られていないそうです」
「ランリエルでは、知っている方もいらっしゃるのですね?」
「ええ。ですが、それでも余り多くは無く、その方の詳しい事は伝わってはおりません」
「それは不思議ですわね。何か御立派な武勲をお立てになったから、殿下もその方を勇者とお認めになったのでしょうに。それが余り知られていないなんて」
「はい。ですから、色々と噂があります」
「まあ、それはどのような噂ですの?」
噂話好きの寵姫達は、興味津々に身を乗り出している。
「殿下の近習の騎士で、殿下はその技量をご存知で勇者とお認めになられたけど、他国の者は知らないのでしょうとか。酷いのでは、戦場での殿下の’夜のお相手’なのではとか」
女性が居ない戦場だ。中には美形の従者を侍らせる者もいた。王子とて前任の副官ルキノとの仲を噂された事がある。
「あらまぁ、それは酷い。殿下がお知りになったら、きっとお怒りになられますわ」
とは言うものの、寵姫達は可笑しそうに笑っている。王子の寵愛を得んとする彼女達であるが、肝心の王子は彼女達の誰か一人を寵愛する事が無い。それを、王子が男色なのでやむを得ないと自身を慰める心理もある。
もっともアリシアは興ざめだった。彼女は王子がいかにセレーナを愛していたかを知っている。あの深夜の結婚式を今でも覚えている。
そのアリシアの様子をナターニヤは見逃さない。あらいけない。では、この話題はもう終わらせましょう。次の話題はどうしようかしら。と考えながら幕引きにかかった。
「リヴァル・オルカという方らしいですが、皆さんもご存知ありませんわよね」
その名に、アリシアが停止した。彫像のように瞬きせず、呼吸すら止まった。だが、心臓だけは激しく打った。他国の者は誰も知らない。だが、自分にとっては誰よりも大切な名前。それを、殿下は勇者と呼んでくれた。自分が大切を思っている者を、同じく大切に思ってくれる人が居る。
いけないと思いながらも、アリシアの感情が激しく揺れ、心を抑えきれない。見開かれ微動だにしない瞳から涙が溢れ、握り締める手の甲をポタポタと濡らした。この時アリシアは、間違いなく愛を感じた。だが、誰に対しての愛なのか。誰から誰への愛なのか。激しい感情の奔流に想いが交錯する。
「あら。アリシア様。いかがなされたのです?」
ナターニヤが告げた名を、知らない人ね、と、とたん興味を無くした男爵令嬢がアリシアの異変に気付いた。その声に、他の者達の視線も集まる。
「リヴァル・オルカというお名前に、お心当たりが有るのですか?」
「いえ。知りません」
ナターニヤの問いにアリシアは首を振ったが、頬を伝う涙は止まらない。明らかにアリシアはその者の名を知っている。だが、さすがのナターニヤも戸惑う。アリシアを味方に付けるならこれ以上の追求はしない方が良い。だが、流す涙の理由にも興味を惹かれるのだ。
「お茶の御代わりをお持ち致しました」
その時、それぞれの侍女達が言葉通りお茶の御代わりを持ちやって来た。当然、アリシアの侍女のエレナもだ。主人であるアリシアが涙を流しているのに気付き、急いでお茶をテーブルに置いて駆け寄った。
「アリシア様! どうなされたのですか!?」
アリシアの前に跪き、心配そうに顔を見上げる。
「何でも無いわ。エレナ」
「で、ですが」
「リヴァル・オルカというお名前を聞いた途端、涙をお流しになったのです」
無神経な男爵令嬢に、ナターニヤの口元が一瞬にやりと歪んだ。自身が聞けばアリシアの不興を買うが、他の者が聞く分には問題ない。
「あ。リヴァル・オルカ様は、アリシア様の御婚約者です」
「エレナ!」
アリシアが叫んだがもう遅い。寵姫達の目が見開き、驚きの視線がアリシアに集中した。ナターニヤすら、兄妹にしては姓が違うので、精々アリシアの親類かなにかと予想していたのだ。まさか婚約者が居るにもかかわらず、後宮に入ったとは予想だにしなかった。
「で、では、サルヴァ殿下は、御婚約者からアリシア様を奪ったというのですか?」
男爵令嬢の更なる言葉に、ナターニヤは拍手を送りたい気分だ。アリシアは、サルヴァ王子のもっとも寵愛篤かったセレーナの親友だったばかりではなく、唯一王子が求めて後宮に入った事でも知られていた。ただ、その後の王子との接し方から、王子とは友人関係だと考えられているのだ。だが、婚約者から奪ってまで後宮に入れたとなると話が違ってくる。
男爵令嬢の言葉が、アリシアの心に突き刺さった。如何に追求されようとも、知らぬ存ぜぬで通そうと思っていた。だが、ここで誤魔化せば、サルヴァ王子が婚約者から花嫁を奪ったとの汚名が、王宮のみならず王国中を駆け巡る。そして、そうなってもあの人は否定しない。リヴァルから自分を奪ったとは考えてはいないが、自分からリヴァルを奪ったとは考えているのだ。
王子の名誉を守る為には、曖昧を微塵も残さず真実を語るしかなかった。
「殿下は……私をリヴァルから、婚約者から奪ってなどおりません。私が殿下と初めてお会いした時には、リヴァルはもう……。カルデイとの戦いで亡くなっておりました」
「では、どうしてアリシア様は後宮にいらしたのですか?」
男爵令嬢の問いは、アリシアの耳には入っていなかった。問いには答えず話を続けた。震える、だがはっきりと聞こえる声で語る。
「カルデイ帝国との戦いで兜を失った殿下は、身を守る為、既に亡くなっていたリヴァルの兜をその身に付けたのです。そして、王都に凱旋した時にも。私はその兜を見て、殿下に会いに行きました」
「まあ、あの兜の……」
御令嬢達から驚きの声が上がる。無論、ナターニヤもだ。王子の兜の話は、王国では知らぬ者は居ない。噂では、王子の親友の兜だと言われていたが、それがアリシアの婚約者の兜だったとは。
「殿下は、婚約者を失った私を不憫に思い、生活が出来るようにと後宮に招いて下さったのです。ですから、殿下がリヴァルから私を奪ったなど……。そのような事は決して御座いません」
言い終えたアリシアの涙で濡れた瞳が、男爵令嬢を射抜いた。もし、殿下の名誉を汚す間違った噂を流そうものなら、決して許さない。その決意の瞳だ。
「も、勿論ですわ。殿下が、そのような事をするはずが御座いませんもの」
あまりにも遅きに逸しながら、やっと男爵令嬢は自分の失言に気付いた。アリシアから不興を買ったと、ただでさえ青白い顔が青く恐れおののいている。
他の令嬢達がお互いに顔を見合わせた。アリシアはサルヴァ王子の最愛の寵姫の親友。そして王子自身の友人でもある。ゆえにアリシアの関心を買えば王子に近づける。そう考えていたのだが、更に王子の親友の婚約者でもあるというのだ。その情報をどう活用すべきか、活用できるのか。彼女達なりに頭を巡らしている。
その中で、ナターニヤがいち早く動いた。
「アリシア様。大丈夫です。今ここに居る皆がアリシア様のお話をちゃんと聞いております。誰も、殿下の名誉を汚すような話は致しませんわ」
アリシアに近づき、まるで親友を心から励ますようにそっとアリシアをその胸に抱いた。常には壁を作り、誰の侵入も許さぬアリシアの心の乱れを見逃さない。
アリシアの手に、白く長い形の良い指を絡ませ
「アリシア様……」
と、心が通じているかのように涙まで流した。涙を流す為、奥歯で頬の内側の肉を食いちぎった。口の中に血が溢れる。捕まえた。妖精の姿を持つ魔物が、自らの血を味わいながら懐に抱えた獲物を抱きしめた。
「このお話も、ここにいる者達の胸にしまいましょう。皆さん、よろしいですね?」
ナターニヤが鋭い視線で令嬢達を見渡し、彼女達も頷かざるを得なかった。いち早くアリシアの懐に飛び込んだナターニヤに、しまった出遅れた、と内心歯軋りしながらも、こうなってはナターニヤが彼女達の頭だ。アリシア、そしてサルヴァ王子からの恩恵はナターニヤが受け、そのお零れを貰うのを期待するしかない。素直に頷く下僕達に、ナターニヤは内心ほくそ笑んだ。
アリシアの気持ちは分からないが、サルヴァ王子はアリシアに想いを寄せている。それを、王子との寝物語で感じた。しかし肝心のアリシアを味方に付ける。口腔を満たす血を漏らさぬように飲み干しながら、アリシアの頬に自らの頬を寄せ、涙を交わらせる。獲物に刻印するかのように濡れた頬に口付けた。