第40話:テレス川の戦い(2)
テレス川、川辺でのバルバール軍とケルディラ軍との攻防はその激しさを増した。ケルディラ軍が軍旗をはためかせ突進する。その意匠は彼らの威容に対し、多くの者が似つかわしくないと断じる。だが、彼らにとっては誇りの象徴。渡河中も僅かにも水に濡らさぬと高々と掲げている。
「我らが白き薔薇にかけ、一歩も引くでないぞ!」
「おぉぉぉ!!」
白薔薇の軍旗を誇らしげに掲げる彼らに恐れは無い。一際屈強な騎士が叫び、男達も応じ吼えた。身体を覆う大量の筋肉は、それを覆う甲冑の重さをものともしない。その巨体により普段は素早いという表現とは無縁な彼らも、甲冑を着けての突進ならばコスティラ人と並び大陸一と称される。
彼らの猛攻を受け流す為、左翼を下げた斜線陣を取ったバルバール軍だったが、ケルディラ軍部とて無能ではない。斜線陣に沿って進めば敵右翼に回り込まれ背後を取られるとバルバール軍右翼に攻撃を集中した。
「先にこいつ等を潰してくれるわ!」
「叩き殺せ!」
ケルディラ戦士の巨大な戦斧が、バルバール兵の槍衾をなぎ払った。その豪勇に槍をへし折られたバルバール兵が、信じられぬ物を見る目で折れた槍の穂先を見つめた。柄には鉄心が通してあり、唯の木の棒とは訳が違うのだ。更に戦斧を振るう敵の咆哮に、我に返って慌てて予備の槍を構えなおす。
槍衾の後ろから至近距離で放たれた矢が巨人の甲冑を貫いた。心の臓に命中した手応えに射手は笑みが浮べたがそれも一瞬。甲冑を貫通した矢を辛うじて分厚い胸板で止めた猛き巨人は、胸に矢を生やしたまま戦斧の暴風を撒き散らした。
2倍の数を誇るバルバール軍だったが、巨体揃いのケルディラ兵の豪勇に戦況は思わしくない。彼らに引けを取らぬコスティラ人を相手に勝利を重ねて来たバルバール軍だが、そのほとんどは国境の険峻な地形を盾にしての防衛戦。平地での戦いは勝手が違った。
「右翼。更に右へと陣を伸ばせ。ケルディラ軍は追ってくる。その時を狙って、逆に左翼を前進させるんだ。そのまま敵の後ろに回り込む」
ケルディラ軍が危惧した通り、敵の背後に回り込む為斜線陣は通常’先’の右翼に主力を置く。ディアス自身も右翼にいた。だがバルバール軍左翼にて騎兵部隊を率いるは猛将グレイス。攻撃力では、この左翼こそが主力だ。更に右へと伸びる右翼をケルディラ軍が追った、その時、一気に弾けた。
「叩き潰せ!」
「おぉぉぉっ!」
怒涛の突進に大地が揺れた。土煙を上げケルディラ右翼を襲う。いかな巨体のケルディラ人とて軍馬と争うのは虚しい。騎兵の威圧に、勇猛なケルディラ人も、ぞくりと背筋に冷たいものが流れた。
だが、やはりケルディラ兵の豪勇は健在だ。巨人の群れに飛び込んだ騎士が、果敢に迎え撃ったケルディラ兵に愛馬の頭蓋を割られ、もんどりうって地面に投げ出された。しかし、多くの場面では、ケルディラ兵が騎兵に押し潰され弾き飛ばされた。
個々の武勇を頼みにするケルディラ軍は、集団戦の緻密さに劣った。武勇に自信が有るが故に、長槍で揃えるように上官から指示されても従わず、それぞれが得意の得物を手にするのだ。それは、豪腕に任せ打撃を与える武器が主流だった。重装歩兵との戦いには有利だが、騎兵の突撃を防ぐには適しているとは言い難い。
バルバール軍右翼を追い層が薄くなったケルディラ軍を、グレイス率いる騎兵が襲った。縦横無尽に切り裂き、蹴散らす。攻守が入れ替わり、バルバール兵が猛然とケルディラ兵を追った。時に立ち止まり迎え撃つケルディラの勇者も居たが、一人迎え撃っても多勢に無勢。取り囲まれ討たれ屍を大地にさらした。
「蹴散らせぇ!」
猛将が吼えた。兵士達も一丸となって後に続く。グレイスは自身が猛将であると十分理解していた。猛将とは象徴である。敵兵を蹴散らし進むその姿に、敵は怯み味方は勢いを増す。それにより、個々の武勇を遥かに超えた破壊力を生み出すのだ。
グレイスが戦棍で敵をなぎ払い、逃げ散る敵兵にバルバール兵が襲いかかる。あれほど力強く、猛威を振るったケルディラの巨人達がウドの大木に見えた。その大木を難なく切り倒す。
だが、その前に一際大きなケルディラ騎士が立ちはだかった。歴戦の戦士らしく甲冑に大きな斬撃の傷がある。馬も乗り手に相応しく巨大な馬体を誇り、愛馬も歴戦なのか幾つもの矢傷があった。
「そのような棒っきれを振り回し、いい気になるなよバルバールの小猿が! 本物の戦棍を見せてくれるわ!」
突き出された戦棍が唸りを上げた。グレイスが持つ戦棍も1.5サイト(約1.3メートル)と通常の物より長いが、戦士の物は、さらに0.5サイトほど長い。先端の鉄の塊も一回りは大きかった。それを両手で振り回すと、ぼぅっと、風を引き裂く不気味な音を立てた。その威容に、グレイスの武勇に乗っていたバルバール兵が凍りつく。
勢いづかせた軍勢に冷や水を浴びせられ、グレイスが小さく舌打ちした。グレイスも体格に恵まれた男ではあるが、今回は相手が悪い。自分より2回りは大きい敵将を面倒くさげに首を傾げて睨む。だが戦棍を握る手には汗が滲んだ。将が怯めば兵士は更に怯む。他国の軍勢より農民などの召集兵が多いバルバール軍だ。その士気は熱しやすく冷めやすい。あの程度の者、物の数ではない。その演出が必要だった。
さて、どうしたものか。敵の物より短い戦棍を片手で、びゅっと鳴らし風を切った。敵将の威容に飲まれぬ猛将の姿に、怯みかけていたバルバール兵が踏み止まる。
ま、やるか。と、馬の腹を蹴った。敵将も応じて駆ける。兜で見えぬはずの敵将の笑みを感じた。巨大な熊が獰猛に笑っている。
すれ違い様、両手で振り下ろされた巨獣の戦棍を、片手で振った戦棍で迎え撃った。巨獣の戦棍の太い柄を、戦棍の先に付いた棘の有る鉄球で弾く。体格の差を覆す猛将の豪勇にバルバール兵から歓声が上がり、ケルディラ兵も、おー、と驚嘆にざわめく。その声にバルバール兵が更に沸き立つ。武勇秀でた者には敵にすら敬意を払うのがケルディラ人、コスティラ人の特徴だ。それは美徳とも言えるが、時には欠点ともなる。
「痛てえな……」
猛将の呟きが兜に篭った。実際の戦いでは芝居のように敵の攻撃を受け止めない。受け止めるのは他に防ぐ手立てが無い場合にやむを得なくだ。渾身の力で振りぬかれ遠心力を得た鉄の棒を、鉄の棒で受け止めれば腕がやられる。ましてや、巨獣の両手の攻撃を片手で弾き返したのだ。腕力の差を遠心力で補う為、相手の柄をこちらの先で受けたとはいえ、その瞬間、ぶちぶちと、筋肉の繊維が千切れるのを感じた。激痛に腕が熱く燃える。
「うぉぉぉ!」
巨獣が吼え襲いかかった。味方のグレイスへの賞賛は彼らにその意図が無くとも巨獣への侮辱だ。2回りも小さい男に片手で弾き返された。その屈辱に目が血走る。兜の奥で紅い炎が燃えた。
「がぁっ!」
巨獣が打ち下ろし、片手で受ける。また、ぶちぶちと、筋肉が悲鳴を上げた。
「がっ! がっ! がぁっ!」
愛馬を、技術ではなく両足の力のみで抑えきり、巨獣の戦棍が乱れ飛ぶ。それを全て片手で受ける。その度に腕が裂けるような激痛が襲う。
全精力をかけた連続攻撃にさすがの巨獣も息が切れ、離れ間を置く。獰猛な息遣いがグレイスに聞こえた。巨獣も、その手応えから小さな敵将が無理をしているのを感じた。
敵将は自分の攻撃を受けるので精一杯。それだけに、彼の猛攻を片手で弾き続ける敵将へ、敵どころか味方からも声が上がるのに、苛立つ。屈辱に心と瞳が赤黒く燃える。
グレイスの右腕が腫れ上がっていた。余裕があるはずの甲冑の腕の部分が、腫れ上がった腕に窮屈に感じられる。内側から甲冑を圧迫した。戦棍を握り締めるだけで激痛が走る。グレイス自身も限界を感じていた。そろそろやばいか。声に出さず呟く。
「轟っ!」
猛将が吼えた。今までの優勢に巨獣の反応が遅れた。すぐさま応じる。猛将が早い。片手で戦棍を振りぬく。巨獣が、頭の上に掲げた戦棍で受け、激突。駆け抜けた。
両者の愛馬が10サイト(約8.5メートル)ほどの距離で止まった。1頭は主人を乗せ、1頭は乗せてはいなかった。巨獣が頭部を失い地面に伏していた。攻撃の全てを、柄の部分を打たれ弾かれた巨獣の戦棍は、猛将の攻撃に耐え切れなかった。真っ二つに折れ、主人のそばに転がっている。頭部をなくし奇妙に短く見える胴体から血が溢れ出し、地面に赤い小さな池があった。
「今やったら、もうちょっと戦えそうな気がするんだがな」
強敵を討ち果たしにもかかわらず、グレイスの胸に喜びは湧き上がらなかった。かつて、まともに戦っては手も足も出なかったランリエルの虎将に、自分は追いつけたのか。それともまだ及ばないのか。それが気にかかった。
グレイスが敵の勇者を倒し勢いに乗ったバルバール軍左翼の戦いは優勢に進み、ケルディラ軍の背後に回った。後を取られ、勇猛でなるケルディラ兵にも動揺が広がり、右翼の戦いもバルバール軍が押し返した。テレス川から新たに渡河してくるケルディラ兵には本陣から別働隊を送り抑えた。上陸したケルディラ兵を完全に包囲した。
あれ? ケネスが首を傾げた。
「ディアス将軍。包囲してしまってよろしいんですか? 敵の反撃が激しくなると思いますけど……」
あえて後ろは空け、敵を川に追い落とす作戦だと考えていたのだ。敵を完全に包囲しては窮鼠と化し思わぬ反撃を受ける為、あえて一箇所は空けると兵法にもある。後ろを空ければ敵は逃げ道だと川へと向かい、しかし、実際甲冑を着けての渡河は亀の歩みだ。逃げる敵の背後から悠々と矢で仕留められる。
「かまわない。後方を更に厚くし完全に敵の退路を断つんだ」
ディアスはケネスに応え、さらにトルスティに命じた。左翼のグレイスの騎兵が更に後方を押し、ディアスの本隊もケルディラ軍後方まで展開。退路を完全に遮断した。
「バルバール軍に包囲されました!」
ケルディラ軍の先陣を任されたヴェセロフ将軍は、その報告に舌打ちで応じた。彼自身は武勇秀でる者ではないが、彼の子飼いの者達は勇猛と知られ、その突進力はケルディラ随一である。
ディアスの斜線陣に素直にかからなかった事からも彼の戦術眼の確かさは伺えるが、指揮する軍勢は1万。後続の部隊は間に割って入ったバルバール軍に阻まれテレス川を渡れずに居る。2倍のバルバール軍に対し層が薄くなるのは物理現象であり、戦術能力では容易に覆らない。
いずこに軍勢を向けるべきか。ヴェセロフは決断を迫られた。激しい戦いが繰り広げられ矢が飛び交う中、目を瞑り槍を抱え腕を組んだ。
前方のバルバール軍の層は薄いが、その先にはコスティラ軍4万が待ち構える。1万で勝負を挑むのは無謀だ。とはいえ左右は層が厚く容易には打ち破れそうに無い。後方を襲えば、渡河中の味方との挟撃も可能である。
ヴェセロフは、かっと目を見開き断を下した。槍を振りかぶり指し示した先は前方だった。
「突撃せよ!」
号令にケルディラ軍は一丸となり敵勢に襲い掛かった。槍で薄絹を貫くが如く瞬く間に突き抜け、その先のコスティラ軍へと進む。
4倍の敵に挑む無謀に彼らは死さえ覚悟したが、それゆえに恐れるものは何も無い。そもそもこの渡河作戦自体、無謀を承知の仕儀である。それを今更命を惜しむなど笑止の限りだ。
ケルディラ将兵の胸には、デル・レイ軍はテレス川を渡ると作戦を伝えに来た騎士の姿が焼きついていた。そしてその先にあるデル・レイ王アルベルドの姿も。
他国の救援にもかかわらず彼らは死地に飛び込んだ。その彼らが、ケルディラ北東部でランリエル勢に追い詰められている。テレス川をケルディラ将兵の屍で堰き止めてでも、今度はケルディラ軍が彼らの救援に向かわなくてはならないのだ。
「バルバール軍は追ってきたか!」
「いえ。我らが進んだ道を軍勢で埋め、後続部隊の渡河を阻止するのに集中する模様!」
「ちっ! 可愛げの無い奴らだ」
ヴェセロフは苦々しげに舌打ちし吐き捨てた。後ろの軍勢を前後から挟撃し、テレス川以西に退却する計画ならば生き残れる可能性はあった。だが、それは所詮作戦の失敗でしかない。前方に進み彼らに後ろを見せれば挟撃されるが、その代わりに渡河中の後続部隊の進撃が容易になる。その考えだったが、敵は乗っては来なかった。
「やむを得ん。このままコスティラ軍に突っ込むぞ!」
「おぉぉ!!」
今から反転し、バルバール軍を渡河中の部隊と挟撃するのは難しい。包囲網を突き抜けた事により、コスティラ軍も反応し動き出している。今更退却を考えたとて前後を4万と2万の軍勢に挟まれ挟撃されるのはケルディラ軍の方だ。ならば前方のみを相手にし、もし後方がバルバール軍に襲われたなら、むしろ計画通りである。
「敵本陣を狙い突撃せよ! コスティラ軍総司令ベヴゼンコを討ち取ればまだ活路はある!」
勝算は低いがもはやそれしか活路は無い。ヴェセロフに続く将兵達もここが死に場所と懸命に駆けた。
「軍旗を掲げよ!」
高々と白き薔薇の紋章が揚がる。この白薔薇を敵兵の血で紅く染めんとケルディラ兵が突き進み、コスティラ軍と激突しようとしていた。迎え撃つコスティラ軍旗は紅き薔薇である。元を辿れば同血族の両王家だ。紋章が酷似するのも当然だった。
両軍が矛を交えんとするように、バルバール軍総司令フィン・ディアスは大きく溜息をついた。敵将が斜線陣に素直にかからず手間がかかったが、やっと思惑通りに事が運んだのだ。
「よし。我々は敵の後続部隊に集中する。孤立した味方を救おうと攻撃が激しくなるが、地の利は我々にある。落ち着いて対応するんだ」
副官のトルスティが複雑な表情で復唱し、各部隊に命令を伝えた。ここまで来れば彼にも上官の思惑が分かっている。ディアスはわざとケルディラ軍とコスティラ軍を戦わせたのだ。無論、素通りさせるようなあからさまは出来ない。それぞれ斜線陣にて敵の攻撃をそらせ後方を襲う計画だった。敵を包囲したが突破された。と言い訳も用意した。
だが、生真面目な副官には、やはり良いのか? という考えがぬぐい切れない。サルヴァ王子からは、コスティラ軍には極力戦わせるなと命令されているのだ。その命令を全う出来ないのではディアスの能力が疑われる。
副官の心配げな視線を受けるディアスの横顔は平然としたものだ。ケルディラ軍との戦いに疲れたバルバール軍にコスティラ軍が襲い掛かる。その可能性が僅かでもあるならば、その芽は摘むべきだった。
戦場では、ケルディラ、コスティラ両軍が激しく衝突した。白薔薇と赤薔薇の軍旗が絡み合い血なまぐさい花束が作られる。ケルディラ渡河部隊はここが死に場所と荒れ狂い、コスティラ先陣部隊は押された。
コスティラ先陣を率いるは、ケルディラに内通した西域領主達である。サルヴァ王子に操られ先陣を押し付けられたものの、どうやらコスティラ軍は戦わずにすみそうだと胸を撫で下ろしていたところに突然の戦闘だ。しかも戦うのは、サルヴァ王子を裏切った暁には手を組もうとした相手なのだ。
「ひ、退くな! 持ち堪えよ!」
彼らの戸惑いは指揮にも影響し、軍勢の動きは精彩を欠いた。隊列を組み矛を交える戦いでは、双方全員が戦うものではない。ケルディラ軍は渡河部隊の更に前衛が戦っているのみであり、西域領主達の軍勢は数で勝る。それが押されている。
「無様な」
コスティラ軍総司令ベヴゼンコが、西域領主達の無能を吐き捨てた。西域領主達の裏切りは公にはされていないが、彼らを率いる者としてベヴゼンコの耳には入っていた。
ベヴゼンコ自身、コスティラがランリエルに支配されている現状を歓迎している訳ではないが、彼は潔い武人だった。ランリエルに負けたのだから仕方が無い。そう割り切っていた。彼とてランリエルの支配から脱しようと思わぬでもないが、その時には他を頼んでの裏切りではなく、堂々の宣言の後、ランリエルに決戦を挑む。
「では、行くか」
短く呟き、従者に引かせ傍らに置いてあった愛馬に跨った。黒毛で大きな馬体だ。並みの馬が彼の巨体を乗せて戦場を駆ければ、一戦で潰れてしまう。それゆえ国中を捜し求め、ついに巡り合った馬だった。これほどの名馬ならば、国王に献上すべきと言った者も居たが聞き流した。
身を任せると、何の合図もせずに駆け出した。
「お前も、飽いていたか」
駆ける愛馬の首筋に手を伸ばし軽く撫でた。勇猛でなるコスティラ軍総司令は、戦うなという命令に不満だったのだ。
「どうした! わしが討ち取られては負け戦だぞ!」
慌てて彼を追いかける本陣の騎士達に振り返り叫んだ。その顔に楽しげな男くさい笑みが浮かぶ。
「いきなり飛び出さんで下さい!」
「突撃の命令も、出してないではないですか!」
騎士達は総司令に遠慮なく不満をぶつけた。だが、その彼らの表情も楽しげだ。ベヴゼンコは、騎士達の声を、がはは、と笑い受け流すと、僅かに速度を緩めた。彼は勇猛では有るが、総司令の身で本気で先頭を駆ける無謀ではない。
駆けながら伝令に他の部隊も突撃せよと伝えさせた。手順が違うと思わぬでもないが、これが彼のやりかただった。まず騎兵の快速で敵に風穴を開け、後続の部隊でその傷口を広げるのだ。
ケルディラ軍において豪放な彼を慕う者は多い。もっとも、総司令としては遠謀に欠けるといわれ、武勇は優れているが総司令は勤まらぬと評価されていた。それが、ここ数年のバルバール、ランリエルとの戦いで次期総司令と目されていたアウロフや当時の総司令を相次いで失い、彼にお鉢が回ってきたのだ。
状況を見れば、ディアス、サルヴァ王子に感謝しても良いところだが、彼にその気持ちは微塵も無い。上品ではないが卑劣ではなく、味方の死による昇進を喜ぶほど卑しくは無いのだ。
総司令に先頭を駆けさせるなど恥と、勇猛なるコスティラ騎士達が馬腹を蹴り追い抜いていく。ベヴゼンコは、その速度のままケルディラ軍の側面に突入した。西域領主達との戦いを優勢に進めていたケルディラ軍だったが、総司令自ら率いる精兵達の突撃にはなすすべが無かった。
ケルディラ軍は縦横に切り裂かれ、それを圧倒的多数のコスティラ後続部隊が各個に押し包み撃破していく。遠目に見ていたディアスが、もし地の利を生かせぬ平原で、あの4万がバルバール軍2万に向かってくれば手の打ちようが無いと考えるほどだった。彼は優れた司令官であるが、超能力者ではないのだ。出来る事と出来ない事があった。もっとも彼の真価は、そのような状況にならせない事にある。
ケルディラ軍は最後の一兵まで戦ったが、4倍のコスティラ軍の敵ではなく、渡河を目論むケルディラ後続部隊もバルバール軍に阻まれた。ケルディラ軍の渡河作戦は、多くの損害を出し失敗に終わったのである。
戦いの後、コスティラ軍総司令ベヴゼンコからバルバール軍総司令ディアスに使者が訪れた。さて、ケルディラ軍を通した事の追求かと、その言い訳を頭に描くディアスを前に使者が一礼した。
「我が軍総司令ベヴゼンコが言うには、敵が僅か1万では戦った気がしない。今後はもう少し敵を通して貰えないか。との事で御座います」
言った使者の顔に、己の総司令の豪放さを誇るように笑みが浮かぶ。
一本取られたか。と、ディアスの顔に苦笑が浮かんだ。だが、ベヴゼンコは本気で言っているのか。こちらの思惑を見破ったのか。ディアスには判断が付かなかった。