第38話:サントモーリエの戦い(2)
デル・レイ全軍による逆落としに、ランリエル軍前衛は苦戦を強いられた。ランリエル勢すべてを合わせればデル・レイ軍の2倍を超えるが、現在戦闘に参加している数はデル・レイが圧倒し、勢いにおいても勝った。
しかも、ランリエル勢は隊列も乱れ組織的な動きが出来ない。士官達も隊列を整えようとするが、戦いながらでは困難であり一時後退し立て直しを計る。
その動きを見逃さぬ者がいた。白馬を駆るアルベルド王は鋭い視線を敵軍へと向けつつ、真紅の籠手を振りかざした。手にした紅の槍の穂先が敵軍を指し示す。
「見よ! 敵は我が軍に恐れをなし、算を乱し逃げている! 如何に数ばかり多くとも、真の戦士なき軍勢など恐れるに足りず! 真の戦士たる貴公らを阻むものは何も無い! このまま敵本陣まで突き進め!」
「うぉぉぉぉ!」
雄叫びに大地が揺れる。デル・レイの真なる戦士達が吼えた。アルベルド王の言葉に酩酊し、極限状態の興奮に甲冑の隙間に突き刺さった矢の傷みすら感じない。その興奮が愛馬にまで伝わり、馬体が傷付きながらも駆ける。槍の穂先が、逃げ惑うランリエル兵の背を貫き、倒れる敵に目もくれず次なる獲物を探す。
ランリエル勢は羊の群れと化し、襲い来る狼達から逃げ惑った。後ろを振り返りもせず懸命に丘を駆け下り反撃など思いもよらぬ。戦いは一方的だった。
ランリエル勢の第一陣は、命からがら第二陣まで逃げ延び、隊列を整え直す為更にかけ続け後方で軍勢を纏めた。デル・レイ軍の前に、今度は第二陣が立ちはだかる。槍の穂先が光り銀の林となった。一見美しくも見えるその林は、死の壁である。
「我が名は、デル・レイ王国国王アルベルド・エルナデス! 罪無きケルディラ王国を蹂躙せんとする悪逆の徒よ。我と、我が勇敢なる戦士達に立ちはだかるか! 我らの突進を止められると思うか! 真なる戦士の前には何者も立ちはだかれぬ事を知れ! 突撃!」
「突撃!」
真紅の槍を脇に抱え白馬を駆るその様は息を呑むほど華麗だった。忠実なる戦士達を更に酔わせ一体となる。
「陛下に遅れるな! 末代までの恥ぞ!」
「突撃せよ!」
「いけぇぇっ!」
士官、兵士、区別無く叫び全軍が駆けた。甲冑が日の光を反射させ、輝く雪崩となって第二陣を襲う。その勢いに槍衾を作る兵士が恐れおののく。先頭の奴らは串刺しにしてみせる。だが、次の奴にはどうすれば良いのか。
第二陣に突進した騎士が当然のように串刺しとなったが、その勢いに槍は折れ、乗り手を失った馬がそのまま隊列に突っ込んだ。同じ事が彼方此方で起こり、人馬の悲鳴が鳴り響く。
槍衾は瞬く間に崩壊し、デル・レイ軍の突進が止まったところを狙い打とうと待ち構えていた射手達も、敵軍の勢いを止められず濁流に飲まれた。側面を突こうとしたランリエル騎兵も、この戦況に行動に移す事すら出来ず引かざるを得ない。
第二陣を敗走させ、第三陣とぶつかる。だが、ここでもデル・レイ軍の勢いが勝った。僅かな時を経て第三陣も後退させ、戦線は更に800サイト(約700メートル)進んだ。
倍する敵に戦いを優勢を進めるデル・レイ軍がついに丘を下りきった。その勢いは緩むどころか益々激しくなり、更に駆ける。
「敵本陣は目の前である! 我が勇敢なる戦士達よ! 勝利は我らの手に!」
隊列を整えるのすらそこそこに、デル・レイ全軍が一丸となって突き進む。続けざまの全力疾走には耐えられぬはずの軍馬ですら、身を乗せる騎士の闘志が乗り移ったのか駆け続けた。
だが、ついにランリエル勢の反撃が始まった。
「放て!」
号令の元、万を超える矢が青空をイナゴの大群のように黒く染めた。所詮丘に攻め上った軍勢など、ランリエル勢の極一部。それを敗走させたとて、大局は揺るがない。丘を下りきった後に待つは、2倍の戦力差という現実のみ。
勇み、突進するデル・レイ騎士が人馬もろとも針鼠となり地に伏した。デル・レイ軍は一瞬にして数百の精兵を失い、さすがに真なる騎士達も、突撃すれば確実な死が訪れるとその足が止まる。
「かかれ!」
追い討ちをかけるように、ランリエル勢が前進を始めた。弓矢の援護を受けならが、歩兵が槍を並べて進む。本陣前の軍勢の他に、後方にいた2万の軍勢を左右に進ませデル・レイ軍を半包囲の体勢だ。
デル・レイ軍が退却するには後方しかないが、丘を昇りながらの退却は困難。しかし他の選択肢は無い。かと思われた。
軍勢の中頃にいるアルベルド王が、真紅の槍を振りかざし吼えた。その風圧に、兜を飾る紅い羽が揺れる。
「貴公らに問う! 我らが取るべき道は何処か! 左に逃げるべきか。右に避けるべきか。敵に背を向けるというのか! ならば耳を塞ぎ、丘を駆け上がるがよい。デル・レイまで逃げ帰るが良い。故郷に逃げ戻り、臆病者と呼ばれるが良い。だが、真なる戦士は我が言葉に耳を傾けよ! 今我らがこの地にあるは何の為か! 暴虐たる侵略者に哀れなる民が蹂躙される姿を目に映す為か! それを救い得ぬ自らの無力を嘆く為か! さに非ず! 侵略者から民を救わんが為である! 正義を世に示さんが為である! だが、敵は大軍。それに進む勇気が足りぬと言うか! 先駆ける者が欲しいと言うか! 手本となる勇者が欲しいと言うか! ならば、我が勇気を出そう! 我が先駆けよう! 我が手本となろう!」
アルベルドが愛馬の馬を蹴ると、兜を飾る真紅の羽を揺らし白馬が駆け、他の者も慌てて追いかける。
「皆の者。陛下に続け!」
「今こそデル・レイ騎士の勇気を示す時ぞ!」
騎士、槍兵、射手に至るまで全てが駆けた。全軍が巨大な矢となり放たれ、左右から圧し包もうとする敵には脇目も振らず、前方の敵のみに突進する。
白馬をかり駆けるアルベルドに、栗毛に乗る騎士が並んだ。
「恐れながらデル・レイに勇者は陛下御一人に非ず。陛下は後ろからごゆるりとお越し下され」
言って、返事を待たず、槍を片手にアルベルドに先行して駆ける。
「言いよるわ! よし皆の者! あの勇者に続け!」
苦笑しつつ言い放ったアルベルドの言葉に、しまった。出遅れたと、他の騎士もアルベルドを追い抜きつつ駆けた。ここで先頭に立った者がデル・レイ一の勇者である。その称号を得んが為、我先にと愛馬に鞭打つ。
自分達こそが敵を殲滅せんとしているところの、圧し包まれ後方に逃げるしかないはずの敵のまさかの突進に、ランリエル兵士達に動揺が広がる。そのまま進む者、つい立ち止まる者と、隊列の乱れは心の乱れである。
「怯むな! そのまま突き進め!」
士官が慌てて再度命令を発し隊列を整えつつ前進を続けるが、デル・レイ軍の勢いに飲まれ、優勢のはずのランリエル兵士が槍を強く握り締め、逃げ出したい衝動を懸命に抑えなければならなかった。
「矢。放て! 敵の前進を止めよ!」
再度、数万の矢が空を覆い千のデル・レイ騎士が瞬時にその命を戦場に散らした。だが生き残った戦士達に怯みの色は無い。敵に向ける視線は激しく、ある者は馬を失い徒歩にて駆け、ある者は身体に何本もの矢を受けながらも槍を構える。
さらに矢。またも千の戦士が倒れたが、それでもデル・レイ軍の勢いは衰えず、近づくにつれ人馬が立てる地響きが大きくなる。この者達を止めるすべは無いのかとランリエル兵に背に、恐怖の汗が流れる。
実際は、戦いとは思うほど人が死ぬものではない。軍勢が壊滅しても3割程度の死傷者と言われ、死者だけに限れば更にその数分の一。ほとんどの戦いは、どちらかが全滅する前に死の恐怖に心折れた側が敗走し勝負が決する。
だが、デル・レイ軍はいくら死者を量産しても敗走しないのではないか? 最後の一兵になるまで、全滅するまで戦い続けるのではないか? 味方は敵の2倍。戦局全体で見れば味方が優勢だ。だが、この不退転の軍を相手にしては味方も多くの犠牲を出す。そしてここは最前線だ。この敵と真っ先に戦い。最後まで生きていられるのか? 槍を持つ兵士の手が、がたがたと震え始めた。
ついに、引くという言葉を忘却の彼方に捨てたデル・レイ軍が、ランリエル勢の隊列に突入した。槍衾すらものともせず、むしろ後に続く者達の糧にならんと、串刺しにされ死体になりながらも人馬共々ランリエル兵を押し潰す。
後続の者達は、文字通り味方の屍を越えランリエル兵を襲う。騎兵がランリエル兵を弾き飛ばし、歩兵が槍で仕留める。ランリエル勢は、死を恐れぬ軍勢の勢いに対抗しきれず、瞬く間に隊列を崩した。
戦いはデル・レイ軍が優勢。いや、圧倒している。
「引くな! 体勢を立て直せ!」
ランリエルの士官が叫び踏み止まろうとするが、逃げ惑う兵達の耳には届かない。取り残され、デル・レイ兵の手柄と成り果てる。
ランリエル軍最前線の軍勢が後退を始めた。それをデル・レイ軍が追う。逃げるランリエル勢は被害を増やしていく。
「見よ! 戦士達よ! これが我らの力だ! 真なる戦士の力だ! ランリエル兵など数ばかりの木偶の集まりに過ぎん。我らを止めるすべは無い!」
「おぉぉぉっ!!」
アルベルドが激を飛ばし、戦士達の雄叫びがランリエル兵を飲み込んだ。耳を打つその雄叫びに恐怖に駆られ、武器を捨て逃げ惑う。
デル・レイの真なる戦士達はなおも駆ける。だが、そこに矢の雨。逃げるランリエル前衛に代わり、新手の軍勢が立ちはだかった。だが、結果は同じだ。どれほど被害を受けてもデル・レイ軍の突撃は止まらない。やはり戦いはデル・レイ軍が優勢に戦い、この陣もしばらくして後退する。
ランリエル勢は、半数以下の敵を相手に後退に後退を重ねた。サルヴァ王子のいる本陣すら後方に下げる。4万の軍勢が、正面決戦で9万の軍勢を引かせた。あり得べかざる快挙である。
デル・レイ軍は進撃を続け、ランリエル勢は更に後退。だが、ついに限界が訪れた。乱戦になってからの戦いはデル・レイ軍が圧倒しているが、矢の雨と槍衾への突撃には多くの命を犠牲にした。’ほったらかし’にしていた左右のランリエル勢からの圧力も強まっている。デル・レイ軍が痩せ細る。
「陛下! もはや限界で御座います! ここはひとまずお引きを!」
なおも駆けようとするアルベルドの白馬の轡を抑え、年騎士が叫んだ。兜からはみ出す長い白髭が、自身と敵の血で赤黒い。轡を持つ手も血に染まっていた。
「何を言うか! 敵本陣はすぐそこだ! 勝利は目の前なのだぞ!」
碧眼のはずの瞳を赤く燃やしアルベルドが愛馬の腹を蹴るが、轡を抑えられ馬はその場を回るばかりだ。
「しかし、敵は卑怯にも本陣すら逃げております。これでは届きませぬ。ここで陛下が命を落としては、誰がこの世に正義を示しましょう。誰がランリエルの暴虐を抑えましょう」
老騎士は王に言い、周りの騎士達にも叫んだ。
「もはや敵は引き、我らの正義は十分示した! 後は、陛下を生きてお返しする事が我らの戦いぞ! 我らの勝利ぞ!」
老騎士の叫びに若き騎士達も呼応しアルベルドを守るべく周囲を固める。皆、身体のどこかに手傷を負い、無傷の者は誰一人としていない。だが、彼らが頂く王を守り通そうと満身創痍の身体に鞭打つ。
「ここが我らの真価を見せる時! 陛下の御身をお守りするのだ!」
デル・レイ騎士はアルベルドを中心に一丸となり丘へ駆け、歩兵達もその後に続く。その左右と背後から、ランリエル勢が追い縋る。デル・レイ軍の退路は断たない。退路を断てば、デル・レイ軍は窮鼠となって暴れ狂う。
今まで、散々デル・レイ軍の常軌を逸した突撃を目の当たりにして来た。それを更に追い詰めればどれほど暴れ狂うか。その被害を考えれば、ここは無理をせず逃げる敵を追い打つ方が良い。有利に戦い、敵戦力を削れば良いのだ。
王を守りつつ丘を昇りきったデル・レイ軍は、今度は反対側を駆け下りる。それを更に追撃せんとするランリエル勢に、王を逃がそうとする決死のデル・レイ兵数百が、再度逆落としを敢行。その死を覚悟した突撃に、これ以上の追撃を諦めざる得なかった。その代償は、逆落としをした者の命全てである。
この戦いで、デル・レイ軍は死者だけで1万を数え、半数以上が手傷を負うという大きな被害を出した。ランリエル勢の被害は、その半分以下である。
だが、サントモーリエの戦いにおいて、デル・レイ軍は3倍の敵を5000サイト(約4.3キロ)後退させたと、アルベルド・エルナデスの勇名は大陸全土に響き渡ったのである。