第37話:サントモーリエの戦い(1)
デル・レイ軍が城々を固めるケルディラ北東部に軍を進めたサルヴァ王子は、デル・レイ軍本隊が篭るオレンブルク城を目指した。オレンブルク城を支援させぬ為、他の城砦の抑えにも兵を置き率いる軍勢は9万。
茹だるような日差しの中、軍を進めていると斥候から報告がなされた。王子の前に跪き、兜を取った騎士の頭からは微かに湯気が昇る。精悍な顔も水をかぶったように汗に濡れていた。
「デル・レイ軍4万。これより6000サイト(約5キロ)北に布陣しております。サントモーリエという丘に陣取り、我が方を迎え撃つ模様」
「打って出たか……」
戦術的技術で、2倍の戦力差は覆らない。勿論、そのような記録が無い訳ではない。しかしその多くは、軍隊が組織戦として確立していなかった太古の戦いか、又は、軍事思想が違う異文化の軍隊同士の戦いである。
剣を持ち個の武勇を重視する文化の大軍勢が、長槍を持った集団戦に秀でた文化の軍勢に敗れ、今度はその軍勢が、個の武勇を重視する短弓を持った軽騎兵を駆使する文化の軍勢に敗れる。そのような戦いが幾つもある。軍事思想が違えば、数の差が必ずしも戦力の差ではない。相性という問題が出てくる。
だが、この大陸ではそれほど大きな文化の隔たりがある国は無い。軍制もほぼ同じ。数の差はそのまま戦力の差だ。にもかかわらずデル・レイ軍は出てきた。
王子は、軍勢を止めカルデイ帝国軍総司令ギリスを呼び寄せた。洞察力に優れ、意見を交わすにはうってつけの男だ。白馬に跨る王子が栗毛に身を乗せるギリスに向けた視線は、すでに戦場に有るかのように鋭い。
「敵の思惑をどう読む? ギリス総司令」
「何かしらの勝算があってなのは間違いないでしょう。問題は何を持って勝算としているかです。考えられるのは、伏兵や奇襲ですが……」
「ああ。デル・レイが抑えている他の城にも兵を向けているし、他国に軍を進めて偵察を怠るような馬鹿な真似もせん」
「しかし、敵は王自らの出陣。アルベルド王は聡明とうたわれています。ただ、その名声は過分に国内の統治によるもの。軍事には疎いのでは、とも考えられますが」
「リンブルクに軍勢を進めて領土を得たといっても、そもそも国力が違ったからな。ありえる話かも知れん」
「もっとも確信を持てるほどの情報もありませんし、慎重に行動しましょう」
「うむ」
改めて軍勢を進め、デル・レイ軍が占める丘を前に軍勢を展開させた。万一の奇襲に備え、四方に偵察を放ち、さらに2万の軍勢を後方に置く。正面の7万は、槍を並べ、縦を掲げ、馬の鼻面を揃えた。出陣の合図を今か今かと待ちわびる。
はやる兵士達を抑え、王子は最前線の部隊を率いる者を除き幕僚達を集めた。出席した幕僚の部隊は、信頼できる次席の者に一時指揮権を渡している。
軍儀にはランリエル、カルデイ両軍の諸将が顔を並べているが、主に口を開くのはサルヴァ王子とギリスだ。この2人の会話に口を挟める者はそういない。唯一2人に伍する能力を有するムウリ将軍は寡黙だった。40を過ぎたばかりだが、すでに宿将の威厳を漂わせている。
「地の利は高所を占めた敵にある。ここは盾を並べ射手を守りながら敵前まで出張り、こちらの射程に入ったところで矢戦を挑む。打ち下ろしの敵に、こちらは数で圧倒する」
「敵を高所から引き擦り下ろすお積もりですか?」
「そうだ。消耗に耐え切れなくなり出てきたところを撃つ。逆落としの勢いに初めは圧されるが、そこを耐え切れば後は数に勝る我らが有利だ。敵を圧し包み殲滅する」
丘に向かって攻めるのは傾斜により速度を殺され、丘から打って出るは勢いを増す。だが、打って出た敵が引き上げる時には逆に傾斜が足枷となる。坂を上りながら背後から来る敵と戦えるものではない。
「もっとも、敵もそれくらいは理解していよう。彼らは彼らで矢戦を耐え切り、こちらが痺れを切らして突撃してくるのを待ち構えているはずだ。我慢比べだな」
「はい」
諸将が自らの部隊へと戻り、甲冑を光り輝かせながら数万の軍勢が動き出した。第一陣の射手は、盾を隙間無く並べた歩兵の影に隠れ敵軍へと進む。にじり寄り丘を登る彼らの額に流れる汗は暑さばかりが理由ではない。盾と甲冑に守られているとはいえ、隙間に矢を受けて負傷し死ぬ事もある。
敵も盾を並べ隊列を作っている。その後ろにこちらと同じように射手が居るはず。いつ敵から矢が飛んでくるのか。矢の射程は、打ち下ろす敵が長い。ある程度の距離までは一方的な攻撃にさらされる。その恐怖と戦いさらに進む。
「まだか……」
歴戦の兵士が呟いた。彼の目測では既に敵の射程に入っている。しかし、まだ矢は放たれない。敵軍は、日の光を盾に反射させながら不気味なほど静まり返っている。
無論、近寄れば近寄るだけ矢の威力は増す。まだ距離が遠く、被害を与えられないと、こちらを引き付ける気か。撃つなら早く撃てと、断頭台の最上段に足をかけた瞬間、階段の数が増えたかのような苛立ちを覚えた。
打ち下ろしならば十分射程内の350サイト(約300メートル)を越え、330サイトの地点も通り過ぎる。
300サイト。ついに、こちらの射程に入った。まだ敵からの射撃は無い。指令を与える士官達にも戸惑いが浮かぶ。矢の威力が増す為、相手に消耗を強いるには近寄れるだけ近寄った方がいい。しかし、あまり近寄り過ぎては敵が出撃して来た時に危険だ。
250サイト(約210メートル)の距離で足を止めた。
「構え!」
盾の隙間から、数千の射手が一斉に矢をつがえ上方へと弓を向ける。敵からの射撃はまだ無い。
突如、敵の隊列が数箇所開き騎兵が飛び出した。千を越える馬の嘶き。一気に駆け下りる。その怒涛の勢いに地面が揺れる。そして矢。
矢戦を想定し盾をかざすランリエル兵が、敵騎兵の重圧に思わず盾を下げた。乱れ、盾の隙間から矢の雨が襲う。腕に顔に矢を受けた兵士の悲鳴が上がる。鮮血が早くも大地を赤く染めた。
「放て!」
反撃を指示を士官が叫んだ。だが、どっちだ!? 敵射手か騎兵か。ある者は当初の構え通りに放ち、ある者は騎兵の重圧に堪えかね前方を狙う。だが、分散し放たれた矢の効果は薄い。再度、敵から放たれた矢は数を減らさず、騎兵の進撃は勢いを緩めない。衝突まで100サイト(約85メートル)。大地を踏み荒らす馬蹄の響きが、足元から全身に這い上がる。
騎兵の突撃に、士官達の指示が飛ぶ。
「第2射構え! 狙いは敵騎兵!」
「射手は下がり槍隊前へ! 突撃を防げ!」
刹那の判断に、指揮が分かれた。兵士達は自分の隊の士官の命に動く。どちらも間違ってはいない。だが集結してこその力だ。敵騎兵はランリエル軍の’まだら’を狙った。射手の前を避けて駆け、槍兵を避けて突撃。射手は蹴散らされ、槍兵の背後に回りこまれた。槍衾が後ろから踏み潰される。
ランリエル軍第一陣は大混乱に陥った。抵抗らしい抵抗も出来ず、登った丘を駆け降る。逃げるに邪魔な盾と弓すら投げ捨てた。
「想定より早いな」
麓の本陣で戦況に視線を向けていた王子が呟く。この劣勢に戸惑いの色は無い。敵の逆落としに一時圧されるのは分かっていた。デル・レイ軍は思ったより上手くやった。それだけであり、それ以上ではない。
問題は敵の第二波、第三波だ。逆落としを敢行した敵騎兵はいずれ引き上げる。こちらはそれに追い縋り撃つ。敵は、その援護に第二波を。二波の退却の援護に第三波を出してくる。それらの援護をいなし、退却する敵を消耗させる。奇襲効果があるのは第一波のみ。それ以降は落ち着いて対応出来る。
戦場は、初めに衝突した地点から500サイト(約420メートル)下がった。敵の攻撃をいなす為、あえて引いた。
「第一陣退却! 第二陣のアラン槍兵連隊は槍を並べ敵の突進を止めよ! ベネデット騎兵連隊は丘を駆け上がり側面を突け! 構えて敵の退路は断つな。敵の新手に後ろを取られるぞ。射手は足を止めた敵を狙え!」
迎撃の指示を出し、第二波、三波とさらに続くであろう敵の攻撃に向けての命令も矢継ぎ早に出す。これで敵の戦力を確実に削れる。後は時間の問題だ。
「敵の第二波来ます!」
櫓に立つ見張りの兵士が叫んだが、王子のいる本陣からも見えた。その第二波の陣容に、王子の視線が鋭くなり、次に見開いた。
これは何か不自然だ。第一波は、千5百程度の騎兵だった。だが第二波は騎兵に続き、槍兵、射手まで続き、さらに――。いや、これは!
「全軍突撃だと!」
あまりの無謀に思わず声を荒げた。全軍による逆落とし。威力は絶大だが耐え切られれば後が無く、作戦と呼べる代物ではない。
「これでは、ただの博打……ですね」
ウィルケスの呟きにいつもの軽薄さはない。デル・レイ軍はこちらの半数。分の悪い賭けだ。だが、何か不吉なものを感じた。こちらが知りえぬ勝算があるのか。
「後方の物見を増やし、斥候を出せ! 後方からの奇襲が無いと確認出来れば、後ろに置いた2万は左右に展開。他は後退しろ。敵を引き付けて圧し包む」
元々、逆落としの敵の攻撃を耐え切りその後数で圧倒し包囲する。その作戦だった。それが敵全軍に変わっただけ。そう考えながらも王子は不快だった。軍略に優れた王子ゆえに、デル・レイ軍の意図が読めない事に苛立つ。
敵の動きは出鱈目に見える。ギリスと話したように、アルベルド王は軍事に疎いのか? だが、デル・レイ軍総司令や参謀も居るはずだ。彼らはなぜこの暴挙を止めない? この暴挙になんの勝算がある? 本気で、全軍による逆落としで勝てると思っているのか。
いや、そもそも半数以下の兵力で出て来た事自体が暴挙なのだ。理性で考えれば考えるほど、デル・レイ軍は負けるように行動しているとしか考えられない。
まさか、暴挙を、更なる暴挙で帳消しにしようとでも言うのか。
戦線は、さらにランリエル側に1000サイト(約850メートル)下がった。