第32話:泣きの王
ランリエルからの出兵要請にカルデイ帝国、バルバール王国、両国の宰相は頷きすんなりと出兵が決まった。総司令のギリス、ディアスは助言は求められたが決定権は無い。軍事演習の時に交渉の座に着いたが、それもあくまで規模の交渉であって演習の参加は彼らの上で決められたのだ。
もっとも今回も出兵する軍勢の規模の交渉は両総司令が行ったが、それもそれぞれ2万と無難な数で落ち着く。すんなりと事が運ばなかったのは、ベルヴァース王国だった。
「我がベルヴァース王国は、ランリエルの属国ではない!」
「それを出兵要請とは、何様の積もりか!」
「これほどの侮辱はありませんぞ!」
ベルヴァースの閣僚達は色をなして叫んだ。無論、これらは彼らの言い分であって、ランリエルには別の筋立てがある。
ランリエルがカルデイ帝国を破った戦いは、そもそも帝国に征服されんとするベルヴァースへの救援だった。帝国の属国となるところを救ったのだから、ランリエルに対しそれに準じる立場となって何の不思議がある。
そしてサルヴァ王子とて聖人君主ではない。重臣、有力貴族に賄賂を贈りランリエル側に取り込んでいた。清廉潔白の挙句、ランリエルとベルヴァースとの関係が悪化すれば、正直が人を殺すというものだ。
親ランリエル派は、理と情、硬軟織り交ぜて主張する。
「我が国はランリエルに戦い敗れた訳ではありません。しかし現実を直視すれば、ランリエルがその気になればそれも容易い。属国扱いするなと断れば、事実属国に成り果てましょう。ここはランリエルの要請に従うが、お国の為と存じまする」
「左様、左様。時を待てば情勢も変わりましょう。カルデイ、バルバール、そしてコスティラなども、いつまでもランリエルの支配に甘んじてはおりますまい。それらが立ち上がるその時まで、ベルヴァースは独立を保つのです。今は、多少の無理でも聞き、つけ込まれぬが得策。それが知恵ある者の業というもの」
「そもそも、帝国軍侵攻のおりには、ランリエル軍によって窮地を救って貰いながら、そのランリエル軍に助力しないは、ベルヴァース人は恩も知らぬ蛮人との謗りを受けましょう」
出兵反対派、賛成派。両者は激しく議論したが、現在の力関係と過去の経緯により賛成派が優勢だった。結局、出兵は避けられぬとの情勢の中、思わぬ被害を受ける者がいた。
他でもない、ランリエル王国第3王子ルージ・アルディナである。
「どうして我が国が戦いに参加せねばならぬのじゃ!」
妻のアルベルティーナ王女の怒声が、夫であるルージ王子を襲った。常ならば、罵声を浴びせつつも口元には笑みを浮かべ、楽しそうにも見えるその白い顔が、純粋な怒りに赤くなっている。
「だ、だって、ランリエルとベルヴァースは同盟国じゃないか。ランリエルが出兵するなら、ベルヴァースだって出兵しないと……」
「コスティラの戦であろう! それにランリエルが出兵するのは勝手じゃが、どうして我が国がそれに付き合わねばならんのじゃ!」
「で、でも、ベルヴァースがカルデイに攻められた時は、ランリエルが助けたし、ランリエルの戦いにベルヴァースが助けてくれたって……」
「その借りは、ランリエルがカルデイを攻めた時にベルヴァースも参加して返しておろうが!」
王女の言い分にも一理あるが、それはベルヴァースがカルデイに攻められた事から始まった一連の戦乱の一環とも言え、カルデイ出兵にベルヴァースが参加するのは当然であり、それをもって借りを返したというのは見解の分かれるところだ。
「でも、ランリエルとベルヴァースは仲良くしていかなくちゃ行けないんだから、助け合わないと」
「でも、でも、うるさい! お前なんか嫌いじゃ! 出て行け!」
ルージ王子は衝撃を受けたように目を見開き、驚きの表情を作った。がっくりと肩を落とす。
「ごめんね……」
小さく呟き王女の部屋を後にする王子の背中に、ずっと王女の後ろで状況を見守っていた侍女長であるエリーカの視線が向けられた。幼い夫妻よりも高い位置にあるその茶色い瞳には、気遣いの色が浮かんでいる。
王子が王女の罵倒にさらされ部屋を追い出されるのは、日常の1コマと言っても良いほど有り触れたものだ。だが、今日のそれは王女の様子も王子の様子も日頃とは違った。
「少し……」
侍女長という彼女の立場と、王女という相手の地位。それを考えれば適切な物言いとは思えぬ言葉を残し、エリーカは王子の後を追った。だが王女もそれを咎めない。
「殿下。お待ち下さい」
「あ。エリーカ。どうしたの?」
振り返る王子の声はやはり力ない。
「王女様の事です。今日は少し言葉が過ぎていると私も思いますが、決して王女様の本心ではありません」
だが宥めるエリーカに、王子が浮かべる笑みは力なく自嘲の色が混じっている。
「今まで、夫とは認めないとは言われてたけど、嫌いとは言われた事なかったんだけどね……」
「殿下……」
エリーカは改めて王子を見つめた。この一見、人の良さそうなところだけが取り得に見える少年は、王女を理解しているのだ。良い悪いではなく、相手への罵倒が王女の人との関わり方だと。
「王女様は戦が嫌いなのです。王女様は気丈な方ですのでそうは見せず人にも語りませんが、カルデイ帝国に王都を占領された時には、とても恐ろしい目に合いました。帝国に捕らえられている時も心細く感じておられました」
「そういえば君は、姫と一緒に帝国に捕らわれていたんだったね」
「はい。戦いに巻き込まれては、もう一度同じ目に合いはしないかと恐れているのだと思います。それであのような激しいお言葉に……」
「そうなんだ……」
と王子は納得したように少し俯いた。
「はい。ですので、決して殿下を嫌いなどとは……」
「うん。分かったよ」
王子は、元気が戻ったのかその声は幾分力強かった。エリーカも、王女が王子を嫌いではないという言葉が通じたのだと胸を撫で下ろし微笑んで一礼すると王女の部屋へと踵を返す。この時の王子の言葉を彼女が勘違いしていたのに気付くのは、もう少し後の事だった。
その日、謁見の間では、ベルヴァース国王トシュテット・アシェルが玉座に身を持たれ掛け、その左右に群臣が並び、前にはランリエル大使サントリクィドが跪いていた。
サントリクィドはランリエル一の外交官と謳われ、ついこの前はコスティラへと派遣され今回はベルヴァースへと縦横の働きである。他の国と違い属国ではないベルヴァースへの出兵要請に、サルヴァ王子がいかに万全を期しているかが伺える。
「ベルヴァース軍のケルディラへの出兵は、東方諸国家連合の友情を示すに是非とも必要な事。トシュテット陛下には、御深慮の上、なにとぞお計らい頂きますよう、お願い申し上げます」
東方諸国家連合などいつの間に出来たのかというものだが、ランリエル支配下の国々とはあからさまには言えぬ。外交の厚化粧と言うものだが、ベルヴァース側も礼儀良く指摘はしない。
「ランリエルの言葉も分からぬでは無いが、ベルヴァースからケルディラは遠く、我が臣下の者達も難しいのではと申しておるのだが……」
国王は一応の抵抗を試みる。もっとも国王自身、どうせ出兵せずにはいられないと考えており、サントリクィドから
「陛下のお言葉もっともかと存じますが、ケルディラまで遠いはカルデイ帝国も同じ事。ですがカルデイ帝国からは、軍を出すとのお言葉を頂いております」
と反論されると、早々に諦めた。
ベルヴァース貴族、大臣の中にも理を考えた上で出兵も止むなしと考える者もいる。さらにランリエルの手が伸び、買収された者も多い。
王の左右に並ぶ大臣達が形式的に難色を示し、ランリエルが多少の譲歩する。軍勢の規模や補給物資の負担をどちらがどの程度を持つか。それを調整する。いうなれば、出兵が決まった上での大人の事情を加味した猿芝居に過ぎないのである。
だが突如、その大人の世界に異物が乱入した。扉を開け放ち飛び込んだ者に皆の視線が集中する。
「ベルヴァースは出兵はしない!」
ルージ王子だった。本来、衛兵が引きずり出すところだが、衛兵達も未来のベルヴァース国王兼ランリエル第3王子を相手に戸惑い手を出しかねる。
「どうしてコスティラの戦いに、ベルヴァースが参加しなくちゃいけないんだ!」
王子は叫んだが、ここに居並ぶ大人達は、そんな事など分かった上で政治的判断で議論しているのだ。そこに、こうも真正面から、子供の言葉、を言われては返答に窮する。本来、18歳ならば子供とはいえぬ年のはずではあるが、その言動はまさに子供のものだ。
「まあまあ、殿下。ここは色々と事情も御座いますので……」
と、ベルヴァースの大臣も言葉を濁し宥めるしか手が無い。
「戦いになれば人が死ぬんだよ! どんな事情でコスティラの為にベルヴァースの人が死んで良いって言うんだ!」
完全に子供の理屈である。そんな理屈が通るならば他国への救援などありえず、ランリエルがベルヴァース王国をカルデイ帝国の侵攻から救った行為をも否定する。
だがベルヴァース王国の大臣、貴族達から、王子への反論の意思を削がせるには十分だった。ベルヴァース人が死んでも良いからケルディラに出兵するとは言えぬ。だがそれ以上に、ベルヴァース人を死なせたくはないという少年の言葉に反論したくない。その感情が大人達の胸に芽生えた。そう、理性ではなく感情の産物である。
左右の者と顔を見合わせるばかりで口を開かぬベルヴァースの大臣達に業を煮やしたサントリクィドが、止むなしと口を開いた。もっとも表情は常のようににこやかだ。
「殿下。ですが、このケルディラ出兵は、殿下の兄上でいらっしゃるサルヴァ殿下のご提案。殿下はその弟君として、サルヴァ殿下の御意思に従うが兄弟の道とは考えませぬか」
「兄上は兄上だ! 僕は関係ないよ!」
「関係ないでは御座いますまい。そもそも殿下がアルベルティーナ王女と御結婚なされたのも、サルヴァ殿下の尽力の賜物。殿下は次期ベルヴァース国王として、いずれの道がベルヴァース王国とランリエル王国の関係に良きものとなるのか、その御判断が必要で御座いましょう」
アルベルティーナ王女と結婚出来たのはサルヴァ王子のお陰なのだから、黙って言う事を聞け。言葉を飾ると言うには、サントリクィドの台詞はあからさまだった。
サントリクィドはやれやれと内心溜息を付いた。これでルージ王子はぐうの音も出ないだろう。思わぬ子供の登場に場が混乱したが、それももう終わりだ。
「嫌だ!」
サントリクィドはぐうの音も出なかった。もう少しルージ王子が論理的に話してくれれば、サントリクィドにとって論破するのは簡単だ。だが、こうも理屈を抜きに子供の言葉で返されては反論の取っ掛かりが無い。
だが、それでもランリエル一の外交官と言われる男だ。言葉を尽くし、王子の口を封じようとするが王子は屈しない。ついには涙を流し鼻水を垂らしながらも、嫌だ、嫌だと叫び続ける。
相手がただの子供ならば、頭にゲンコツの一つもくれてやり黙らせるが、相手が王族ではそうも行かない。しかも、神聖たる謁見の間で鼻水を垂らす無様を演じるは、ベルヴァース次期国王でもあるが、ランリエル王子でもあるのだ。
ランリエルの外交官として、ランリエル王子の失態が他国に広まればという危惧もある。ついにランリエル一の外交官は、泣き叫ぶ子供を前に、
「では、サルヴァ殿下と改めて協議して参ります」
と引き下がざるを得ないのであった。
本国に帰ったサントリクィドの報告に、サルヴァ王子も頭を抱えた。
「あの馬鹿が……」
と呟き、次の言葉が出ない。
「ベルヴァース軍の出兵は、いかが致しましょう。是が非でもと求めるならば、それも可能かとは存じますが……」
ランリエル一の外交官にして、歯切れ悪く指示を仰ぐ事しか出来ない。是が非でも、というのはルージ王子にどんな失態を演じさせても、と言う意味だ。ルージ王子が泣こうが喚こうが構わないのならば、いくらでも手はある。だが、それをさせてはランリエルの威信が損なわれるのだ。
そしてそれ以上に問題なのは、ベルヴァース国内の反ランリエル貴族達だ。サルヴァ王子も彼らの動きを掴んでいたが、関係悪化を恐れ手を出しかねていた。ルージ王子にこれ以上失態を重ねさせては、その者達に足をすくわれかねない。
「やむを得ぬ」
大国ランリエル王国の次期国王は、下品にも大きく舌打ちをした。
それからしばらくの後、ベルヴァース王国のトシュテット王が病に伏せたと内外に発表された。病状は重く、多くの医師達が国王の寝室に詰めているという。
当然、国王がそのような病状の中、他国に出兵など出来る訳も無い。国王がいつ崩御するかと考えれば、兵士達の士気は上がらず、それは戦況に大きく影響する。ベルヴァースはある程度の戦費を提供するという事で話は纏まった。
ベルヴァースの大貴族であり元宰相でもあるマーティンソン侯爵の屋敷に、現ベルヴァース宰相であるカルネウスが訪れた。かつて2人は宰相の座を争った政敵だった。もっともお互いに足を引っ張り合う陰湿な関係ではなく、有能を競う間柄だった。
「どうやらベルヴァースは出兵せずに済んだそうですな」
屋敷の主が、手ずからかつての政敵の杯に葡萄酒を注ぎ問いかけた。その葡萄酒も特に上等な物ではない事が、彼らが気心しれた間柄なのを示している。
「はい。ランリエル側から国王が病に臥せっている事にして欲しいと、内密に話がありました」
その言葉を聞きながら侯爵は自分の杯にも葡萄酒を注ぐ。杯の八分まで注ぐと、2人して杯に口を付けた。しばらく無言で杯を舐める。葡萄酒が杯の半分ほどになった頃、宰相が口を開いた。
「ランリエルから来た王子が、失態を演じました」
「聞いております。事もあろうに神聖な謁見の間に乱入し泣き喚いたとか」
「はい」
ルージ王子がベルヴァース国王となればランリエルの傀儡となる。だが、大国ランリエルに力では勝てない。ゆえに、彼らはルージ王子が失態を演じるのを待っていた。とても国王としてお迎えする事は出来ないと非難し追い返す為に。その時こそと、マーティンソンは政界から身を引き在野にて、カルネウスは政界に身を留め宮廷内にて仲間を集めていたのだ。
再度、杯に口を付けた。杯が空になり、また屋敷の主が手ずから注ぐ。またきっちりと、八分のところで止めた。
「しかし、ベルヴァースは出兵せずに済みましたな」
「はい」
宰相の返事は短い。
「ですが、あの方ももう18歳でしょう。それにしてはあまりにも幼い」
「はい。とても国王として、お迎え出来る方では御座いません」
そう言って、元宰相と現宰相は共に首を振った。
「無理ですな」
「はい」
また杯を傾ける。答えは分かっている。だが、それで正しいのか。思案しながら言葉を重ね合っている。
「ですが、戦は回避された」
「ですが、国王に足るお方ではありません」
「それに聞いた話では、真にベルヴァースを思ってではく、アルベルティーナ王女の為に出兵に反対したとか」
「あの方にとって、このベルヴァースに祖国ランリエルよりも大切なものがある。それが重要で御座いましょう」
自分が住む国だからと無条件にその国を愛する者は居ない。いかな過酷な生活を強いられた者でも、その国を愛するならば、どこかにその国での幸せを感じる時があったのだ。それは家族との暖かい一時であったり、時には風景だったりもする。そして愛する者が居る。それは十分過ぎる理由だった。
「だが、未熟にもほどがある」
「はい。国王など、とてもとても」
マーティンソンが、杯を置いた。空になっているが、新たな葡萄酒は注がなかった。
「少なくとも今のままでは」
「私もそう考え、今日、侯爵の元に参りました」
老いた2人の顔に、まるで孫を見守る好々爺の笑みが浮かんでいた。
数日後、マーティンソン侯爵が宮廷に出仕した。政界の大物であり元宰相である。望めばどんな役職とて得られる。その彼が王に求めた地位は、皆が驚くものだった。
「お主のような者が我が夫などと、100年早いわ!」
アルベルティーナ・アシェルの部屋に、鈴の音のような罵声が響いた。だが、それを浴びせるその顔は、どこか楽しげでもある。もっとも、浴びせられた方すら、
「酷いよ!」
と、叫びながらも、どこか喜んでいる雰囲気があるのだから世話が無い。王女の後ろに控えるエリーカは、やっといつもの日々に戻ったと胸を撫で下ろした。
「お主、謁見の間で泣き叫んだというではないか。みっともない」
「だ、だって」
「我が夫と言うならば、もっとしっかりしたらどうなのじゃ」
妻は腕を組み、夫を睨み付けた。だが睨まれた方は、その視線に怯むどころか
「え?」
と、キョトンとしている。
「何が、え? じゃ」
「僕がもっとしっかりしたら、夫と認めてくれるの?」
「誰がじゃ!!」
顔どころか、身体中を赤くし王女が怒鳴った。その顔に笑みは無いが怒り以外のものも含まれていた。
ここが逃げ時と、王女の部屋を退散したルージ王子が私室に向かうと、その扉の前に1人の老人がいた。
「これは殿下。お初にお目に掛かります」
そう言って丁寧に頭を下げる。
「うん。はじめまして。僕に用なの?」
その返答に老人は内心苦笑を禁じえない。実は顔を合わせるのは初めてではない。王子がベルヴァースにやって来た時の式典で、挨拶まで交わしている。王子がどの程度かと鎌を掛けてみたのだが、どうやらこれはかなり苦労しそうである。
「この度、殿下の教育係を仰せつかったマーティンソンと申します。どうか、お見知りおきを」
「うん。よろしく」
未来のベルヴァース国王は、元気良く返事した。




