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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
119/443

第31話:魔都

 ゴルシュタット王国のさる公爵夫人がグラノダロス皇国皇都へと遊興に赴いたおり、アルベルドの母ヘレナもお供した。その遊興とは男女の事も含まれる。大貴族の結婚は多分に政略的な意味合いが強く愛情は希薄だ。跡取りを残すという義務を終えた後は、夫婦共に自由に振舞う。それが暗黙の了解である。


 当時19歳だったヘレナは、大陸一の都の華やかさに目どころか心すら奪われた。だが、それを責めるのは酷だ。年頃の娘にとってそこは夢の城だった。


 洗練された紳士と淑女。その姿に憧れ、同じく共としてやって来た少女とお互いの胴衣コルセットきつく締め付け悲鳴を上げ、頭の上に本を乗せてのすり足の特訓。それすら少女達には楽しく、きゃあきゃあと笑い日々を過ごした。


 ヘレナがその男と出会ったのは、皇国のさる伯爵家での舞踏会だった。伯爵は皇国の社交界においてさほど地位の高い人物ではなかったが、それでも皇国貴族に招かれたのだと、公爵夫人に従い天にも昇る気持ちでロビーの階段に足をかける。


 皇国社交界の最上位の者達が見れば失笑物のその薄暗い舞踏会すら、ヘレナには高価な油や蝋燭を惜しげもなく使った輝く夢の園。舞曲メヌエットを踊る紳士、淑女は天上の人だった。


 夢見心地だったヘレナも一瞬で気圧され、身につける型遅れの衣装に羞恥さえ覚えた。いたたまれず壁の花となっているところにその男が現れたのだ。


「お嬢さん。私と一曲踊って頂けませんか」


 自分より10と幾つか上に見えるその紳士は、黒髪を綺麗に撫でつけ完璧な立ち振る舞いでヘレナの手を取った。この紳士に誘われ断る女性は居ないだろう。


 男は魔法使いだった。ヘレナにはそう思えた。彼女もダンスの心得はあり多少の自信はあったが、それも皇都に来てみれば田舎娘の技でしかない。しかし紳士のリードで踊る自分は、皇国の淑女に劣らぬステップを踏んでいる。目の前の紳士は、いつの間に自分の足に魔法の靴を履かせたのか。


 紳士の魔法は、ヘレナの靴にではなく紳士の指にあった。ヘレナの背中に添えられた3本の指。それが絶妙の動きでヘレナの身体を操っていた。彼女が踏む足の位置すら思いのままだ。


 紳士の魔法により夢の世界に踊ったヘレナは、この紳士との一夜をも夢見た。彼女とて、この一曲で永遠の誓いを得られるなどと大それた望みは抱いていない。だが大都会で立派な紳士と舞踏会で踊り一夜を共にする。その美しい思い出は彼女の人生を彩り、国許に帰ればただの小領主の娘でしかない自分の人生の支えとなる。


 だが、彼女の想いを込めた潤んだ瞳に紳士は余裕の笑みを浮かべた。

「お嬢さん。貴女はもっと美しくなる。私にそのお手伝いをさせて下さい」

 そう、一言残し彼女の前から姿を消したのだ。


 翌日、彼女達が滞在する皇国の男爵家の屋敷に皇都一の仕立て屋から人がやって来た。1人や2人ではない。10人を超える大人数だ。


 ヘレナは何が起こったのかわからずオロオロとするばかりだが、それより慌てたのは公爵夫人だった。男爵家には遠縁を頼りに手紙を出し、高価な品々を多数贈ってやっと今回皇都に招いて貰ったのだ。それを自分の共が何をしでかしたかは知らないが、屋敷の主にも断らず大人数を寄越す無礼者と関わったとなれば男爵の機嫌を損ねて屋敷を追い出され、二度と皇都に来れなくなる。


 ヘレナの手を引き男爵夫人の前に引き出した公爵夫人は共の不祥事を平謝りに謝罪したが、人の悪い笑みを浮かべる男爵夫人から耳打ちされるとヘレナを見つめ唖然とし、次に青くなった。どうやら社交界の大物がヘレナを見初めたのだ。


 仕立て屋ばかりではない。宝石商など、婦人の身を飾るさまざまな職業の者が大挙して押し寄せた。指の先から髪の長さまで、すべての寸法を測り、肌の色まで調べ上げる。


 その日はそれだけで帰ったが、衣装などが完成すると再度大挙して押し寄せた。


「この肌の白さに白粉を重ねると白くなりすぎて衣装と浮いてしまうのですが、肌を滑らかにする為には、やはり塗らない訳には参りません。少し色味のある白粉を調合いたしましょう」

「白粉もただ漠然と塗るのではありません。鼻の先、頬、額と浮き上がらせるところを少し明るくすれば、はっきりとした顔立ちになります」


 彼女達はその技術を駆使してヘレナを飾り立てる。そして完成したその姿に小領主の娘の面影は無かった。洗練され一緒に来た少女も羨望の溜息を漏らした。


「今回は青い衣装に致しました。黄色も考えたのですが、お嬢様の白い肌は衣装の色を移しやすく、黄色は相応しくないと思い避けました」

「白粉の色を調整すれば黄色も大丈夫と思いますので、次は黄色に致しましょう」


 ヘレナは、鏡に映る自分の姿に見とれつつ、次もあるのだと、ぼんやりと思った。


 馬車が屋敷の前に止まり、お迎えに上がりました、と御者が一礼した。誰をお迎えに上がったのかは聞かなくても分かった。


 次に馬車が車輪を止めたのはとある伯爵家の屋敷だった。だが同じ伯爵家でも前回紳士と会った屋敷とは比べ物にならない。


 その舞踏会は、昼間なのかと疑うほど明かりが煌々と照らされていた。今宵使う油の代金だけで、庶民が一生働いてもまだ足りない。


「美しい」

 その声に視線を向けると、あの紳士が傍に立っていた。目も眩む光景に紳士が近寄ってきたのすら気付かなかったのだ。慌てて失礼を詫び、さらに衣装などのお礼を述べたが、紳士は上品な笑みを浮かべ頷くばかり。この男にとって、あの程度は何ほどの事もないのだ。


 いや、彼女にとっては天上のものとしか思えないこの舞踏会すら、男には取るに足りぬものらしい。男の行くところ、他の紳士は礼儀正しくこうべを垂れ、淑女はしなやかに膝を折った。男が手を取るヘレナにもだ。


 そして踊れば、未熟なはずのステップも男のリードにより天女の舞い。彼らが踊り進む先は皆礼儀正しく道をあけ、舞踏会の主役だった。


 それは、まだ精神的に未熟な若い彼女を有頂天にさせるには十分だった。それが紳士の力にも関わらず、自身が天上人達のさらに上位にいる錯覚を彼女に植え付けたのだ。


 夢のような一時が終わり馬車で男爵家に戻ると、公爵夫人が待っていた。どんなところに連れて行かれたかと問いかけるその姿は、ひどく田舎者に見えた。


 翌日にはまた仕立て屋や宝石商などが大挙した。そして、その仕立てが終われば馬車が迎えに来て舞踏会である。しかも今度は侯爵家、次には公爵家。ヘレナは見る間に垢抜け美しくなり、立ち振る舞いも都の貴婦人のものとなっていく。そしてついに、皇族が主催する舞踏会に足を踏み入れた。


 今までの侯爵、公爵家での舞踏会にも目が眩んだが、ここはさらに次元が違う。巨大なシャンデリアが無数に光り輝き、そろえられた食器は全て銀。曲を奏でる者の数は踊る者の数を遥かに超えていた。まさに一握りの選ばれし者達だけの舞踏会。


 そしてなんと、皇族達すら紳士の前では頭を下げ一礼したのである。もはやヘレナの理性は麻痺していた。それが何を意味するのか考える事すら出来ない。自分は大皇国の頂点に立った。それだけを考えた。


 紳士に身も心も捧げた。いや、支配された。身体は彼によって磨かれ、精神も作り変えられた。もう皇都に来たばかりの田舎娘は存在しない。そしてついに紳士との一夜。ヘレナは幸せの絶頂だった。


 そして男爵家に戻り、恒例となった仕立て屋の来訪をまった。だが、いくら待っても来ない。昨夜は、紳士と共にし返って来たのは早朝だ。だから日をあけたのだろう。


 だが、次の日になっても、その次の日にも仕立て屋は来ない。ヘレナはうろたえた。まさか、あの夜に自分は何か粗相をしたのだろうか。焦燥にくれるヘレナに男爵夫人が哀れみの表情を浮かべた。


「夢は終わったのよ。お嬢さん」


 愕然とするヘレナに、男爵夫人は語った。


 地方から出てきた垢抜けない少女を磨き上げ、その出来を競う。それが今、社交界でもさらに最上部の者達の中で流行している’遊び’なのだという。


 そもそも初めに紳士と出会った伯爵家の舞踏会が、田舎娘を物色する場だった。そこでヘレナは、紳士の目に止まったのだ。そして同じように磨かれた他の田舎娘と共に、次の舞踏会に参加していたのだ。


 舞踏会の後、ヘレナら娘達が馬車で帰された後、上流貴族達の批評が始まる。


 娘達のしぐさや衣装の出来栄えなど、まるで花の品評会のように点数を付けていく。もっともその品評会ですら、ほとんどが予め勝者が決まっている。大抵は社交界での上位者が連れてきた娘が勝つのだ。


 そしてヘレナは勝ち続け、侯爵家の舞踏会、公爵家の舞踏会と駒を進め、ついに皇族の舞踏会でも勝利した。そして最後、磨きに磨き上げ、大輪の花を咲かせた娘を手折る。それが彼らの楽しみであり、そして手折った花には、もはや用は無い。


 弄ばれて可哀想にとヘレナに同情し、元気付けるように微笑む男爵夫人の表情の奥底に嘲りの色が見えた。田舎娘がちやほやされ調子に乗り、何を勘違いしたのかと蔑んでいる。


 はっきりとそれを感じ、あてがわれた部屋で泣き崩れた。一夜の美しい思い出が欲しい。初めはそれだけだったはずが、身を飾って美しくなり、都人の如き仕草を身に付けるにつれ、まるで生まれながらの貴婦人のような錯覚をした。本当の自分は、つい先日田舎からやって来たそのままから、何一つ変わってはいないというのに。


 後から聞いた話では、自分に行われたような事は、毎夜繰り返されているという。時には勝敗にお金を賭けて。その犠牲となった娘達は、ある者はその事実に傷付き自ら命を絶ち、ある者は贅沢が忘れられず、その生活を続ける為に娼婦にまで身を落としたという。


 幸いにもヘレナは、そのどちらにもならず公爵夫人の馬車で帰路に着いた。ぼんやりと外を眺めながら紳士の正体を考えた。


 あの紳士こそが皇帝だったのだ。今なら分かる。そうでなくて、他の皇族達の振る舞いの説明が付かない。そして、自分如きが皇族の舞踏会でも勝てたという事実。皇帝は金髪と聞いていたが、きっと色粉か何かで髪を黒く染めていたのだ。


 馬車が、故郷の村に近づいていた。

 忘れようと思った。忘れられると思っていた。皇帝の子を宿していると知るまでは。



 皇族はすべて尊ばれるべきであり、そして管理されなければならない。皇帝の御落胤などが存在し、みすぼらしい暮らしをするのも、万一他国に利用されるのも許されるべきではない。


 皇国の方針により探し出されたヘレナ母子が、皇都に連れて来られてから半年が過ぎていた。今のところ、母子を害そうとする者の影は無い。


 皇帝には、アルベルド以外にも複数の息子が居た。それらの母親はヘレナとは違い大貴族や王家の姫君。もし皇位を争い敵対しようものなら、密かに人を使いヘレナ母子を亡き者にするのも容易い。


 他の兄弟達がそれを恐れなくて済むのは、やってはやり返される。その危険があるからだ。だがヘレナ母子にその後ろ盾は無く、殺されればそれっきりである。ゆえに母子の平穏は、僅か7歳のアルベルドの振る舞いに掛かっていた。


 息子のアルベルドは、他の兄弟達とも上手くやってた。言いつけを良く守り、誰からも好かれるように注意を払っている。何の問題もない。ヘレナ自身、恐れ過ぎていたのかと考えたほどである。


 さらにしばらくしたある日、アルベルドが粗相をした。母の寝室の花瓶を割ったのだ。


「気を付けるのですよ」

 優しく言うと、息子は嬉しそうに笑った。


 新しい花瓶が置かれ、その3日後だった。またアルベルドが花瓶を割った。


「どうしたのです?」

 賢く、粗相など滅多に無い息子の立て続けの失敗に、ヘレナは首を傾げた。そしてまた、

「気を付けるのですよ」

 と、優しく言うと、息子は嬉しそうに笑う。


 新しい花瓶が置かれ、その2日後アルベルドが花瓶を割った。ヘレナは気付いた。息子はわざと割っているのだ。


「どうして、こんな事をするのです!」


 さすがに優しい母もアルベルドを叱り付けた。しかし、アルベルドはその怒声に萎縮するでもなく、不思議そうな目で母を見つめた。


「お母様は、私が嫌いなのですか?」


 そう問いかける瞳にギクリとした。まっすぐに見詰めるような、どこも見ていないような、その瞳に。


 息子の心が偏重を来たしている。誰からも好かれる良い子を演じる。母子の命をかけるその重圧に、僅か7歳の未熟な心が壊れかけていた。その幼い心が見つけた逃げ道。悪さをしても許してくれる絶対的な味方。それを求めていた。


「アルベルド。大丈夫です。母は貴方を愛しています。貴方がどんな事をしても」


 悪さをしたのだから叱り付ける。その当たり前が出来ない。理屈では無いのだ。今、息子の行為を否定すれば心が壊れる。それを彼女の母性が感じた。


 幼いアルベルドは、母の胸に顔を埋めた。絶対の味方のその暖かさに安らぎを覚える。ヘレナは息子を抱きしめた。自分の所為なのだろうか。自分の恐れが、息子の中で増幅し必要以上に追い詰めたのだろうか。


「本当に私を愛してくれるのは、お母様だけなのですね」


 皇都の人々、兄弟達も自分に好意を持ってくれる。だがそれは偽りの自分なのだ。本当の自分を愛しているのは母1人。その思いに、アルベルドは母の胸に縋りつく。そしてそれは、ヘレナにも痛いほど分かった。


「大丈夫ですよ。きっと貴方を、母と同じように愛してくれる人がいます。本当の貴方を」

「本当ですか。お母様」

「本当です。どこかに。必ず」


 ヘレナの頬を涙が滑り落ちた。その言葉はヘレナ自身の願いでもあった。


「アルベルド。その人に出会えたなら。誰よりも貴方を愛してくれる、その人に出会えたのなら。貴方もその人を誰よりも愛するのです。かけがえの無いその人を」



 深夜、アルベルドはふいに目を覚ました。傍らには全裸の王妃が横たわっている。夫からの責めに疲れ果てたのか、白い裸体が隠される事無く、月明かりに浮かんでいる。


 母の夢を見ていた。優しい母だった。夢の中でも優しく自分を抱きしめていた。だが、その母が涙を流していた。涙を流し何かを言っていた。何を言っていたのかと、その言葉を思い出す。


「そんな者、居る訳がない」


 傍らに居る王妃の存在に気付かぬように、1人呟いた。

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