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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
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第28話:焦燥の夜

 騎士の報告は次のようなものだった。


 今まさに神の前で永遠の誓いを交わそうとするその時、十数名の完全武装した男達が雪崩れ込んだのだ。


 甲冑姿の男達はまっすぐに花嫁の元へと突進し、ダンジェロは立ちふさがったが甲冑相手に素手ではどうにもならない。剣を振りかぶる相手の腕を、自ら踏み込んで手で押さえたものの、別の男の横からの斬撃をかわしきれず切り裂かれた。


 愛する者が目の前で血を流し倒れる姿に花嫁は気を失い、集団の1人がすばやく担ぎ上げた。


「リューシャ嬢は、ケルディラのさる貴族と想いを寄せ合っていたのだ! それをランリエルの貴族が支配者の横暴で奪い去ろうとしたのである! リューシャ嬢は真に想いを寄せる方の元へと我らがお連れ致す!」


 式の間のリューシャの笑顔は偽りのものとは見えなかったが、参列したコスティラ貴族にはランリエルへの偏見がある。彼女が気絶したのも、目の前で人が死んだ事へのショックに見えた。


 そして、更に状況を悪化させる最悪の事件が起こった。


「よくも我がランリエルに恥をかかせてくれたな!」

 ランリエル軍の礼服の男が、ベロノソフ男爵へと後ろから切りかかったのである。背後から心臓を貫かれた男爵は声を発する間もなく息絶えたのだった。


「誰か! そのような軽慮をした馬鹿者は!」

「それが……。その者は姿をくらまし、どこの部隊の者かも分からぬしだいで……」

「なん……だと。くっ! そ、それでリューシャ嬢はいかがした!」

「参列者の中にはランリエル軍の士官も多数居りましたが、完全武装した者が相手ではどうにもならず。男達に何処かへ連れ去られ……。いまだ行方は分かりません」


 サルヴァ王子は、目の前が真っ暗になるのを感じた。だが、事件はそれだけでは終わらなかったのである。


 ベロノソフ男爵がランリエル軍士官らしき者に殺害された事もあり、コスティラの民衆達は襲撃した男達の主張を信じたのである。人々は町のそこかしこで集まり、ランリエルへの不満を口にした。


「これはランリエルの暴虐が招いた悲劇である!」

「ランリエルの支配から脱せよ!」


 コスティラ各地でその声は大きくなっていった。


 王子は、事態を収める為真実を突き止めるべく、リューシャ嬢と恋仲であったという貴族の引渡しをケルディラ王国に求めた。だがその交渉も難航する。


「引き渡せと申されましても、その御令嬢と恋仲であったというだけではどこの誰とも知れませぬ。抗議なさるならば、もう少しはっきりした証拠を頂きたいものですな。そうでなくては、こちらも動きようがありませぬ」


 まったくもってその通りなのだが、事実それだけの情報しか掴めないのだ。ケルディラ国内で、それらしき婦人を密かに匿っている者を探し出しては貰えないかと申し入れたが、それも雲を掴むような話と拒否された。


 そして、見つからない以上、真実は明らかにされず憶測のみが駆け巡る。ダンジェロの、いやランリエルの非道がこの悲劇を招いたのだ。その風聞がコスティラ全土を覆った。


 サルヴァ王子には、これがランリエルへの挑発だと読めていた。いくらダンジェロ、リューシャ周辺を調査しても男達の主張するような事実は存在しない。ならば、一方的な感情の暴発かといえば、そのような短慮をするにしては手際が良過ぎ、ベロノソフ男爵をランリエル士官が殺害したのも出来過ぎている。しかも、いくら調査してもコスティラ駐留軍に士官が所在不明となった部隊は存在しないのだ。


 そして、それをコスティラの民衆に弁明してもランリエルが士官を隠し立てしていると思われるのが落ちである。コスティラの感情を更に悪化させる可能性すらあった。コスティラの民衆を納得させるには、士官を見つけ出しその口から説明させるしかない。だが、存在しない者は喋らない。


 そう。存在しない者は喋らない。間違いなくリューシャ・ベロノソフは殺されている。万一にでも救出され、真実が語られては男達の目論見は崩れる。殺し、その死体を始末すればその危険も消える。


 その夜、サルヴァ王子はアリシアの部屋の扉を叩いた。それは珍しい事ではないが、常より遅い時間であった。まさに床に就こうとしていたアリシアは、寝衣にガウンを羽織り扉を開けた。


「いかがなさったのです?」

 アリシアの問いかけに王子は答えず、小さく頷くのみだった。僅かに身を引いたアリシアの横を通るその姿は、何かに疲れているように見える。身体ではなく精神の疲れだ。


 大貴族の御令嬢ならば、高価な油を湯水のように使い部屋を煌々と照らすが、アリシアの部屋は必要最低限の明かりしかない。その薄暗い部屋の椅子に王子は腰掛けた。王子が来たのだからもっと明かりを灯すべきではあるが、彼の疲れた姿はそれを拒んでいた。


「コスティラで、ランリエル軍士官とコスティラの貴族令嬢との婚礼が襲撃されたのは知っているか?」

「聞いております」」

 椅子の前の丸いテーブルに肘をつき、顔の半分を手で覆いながら王子が問いかけると、アリシアはその対面に座り答えた。

「どう聞いている?」

 王子の視線はテーブルに向けられてはいるが、見てはいない。己の思考に没頭しつつアリシアに言葉を向けていた。


「……ランリエルの士官という方が、御令嬢を無理やり奪ったと聞いております」

 アリシア自身は信じてはいないが、あえて伝え聞いたままに答えた。今の王子は、不要な気遣いなど臨んでいはいない。

「だろうな」

 そう答えた王子の視線は、やはりテーブルに向いていた。


 その後、沈黙が続いた。王子はテーブルの一点を見つめ続け、アリシアは王子を見つめていた。アリシアは、急かさず王子が口を開くのを待った。王子の様子はただ事ではない。重大な何かを伝えに来たのだ。


「戦いになる」

 しばらくして、目を瞑り言った。

「ケルディラは、どうしても私に軍勢を出させたいらしい。もっとも、その背後に別の誰かがいるかも知れんがな」


「どうしてそのような……」

「さあな。知らん」

 王子は一瞬アリシアに視線を向け、またすぐに視線を外した。それには躊躇いが見て取れた。


「婚礼の、その当日に殺された。恐らく2人共だ」

「2人……」

「幸せを……。皆に祝福され幸せを掴む。その時にだ」

 苛立ちに、王子の顔を覆う手が目的もなく顎から頬にかけて這い、握り締められる。


「彼らだけではない。私が出陣せぬ限り同じ事が。いや、今回の事で警戒すれば、また別の手を仕掛けて来る」


 アリシアは応える言葉を持たず、王子を見つめる事しか出来ない。アリシアもかつて結婚するその直前に婚約者であるリヴァルを失ったのだ。その喪失感は思い出すだけで今でも心が凍てつく。そして、王子もそうなのだ。


「済まぬ」

「なぜ、謝るのです?」

「戦いになる」

 やはり視線はアリシアに向かず、先ほどと同じ言葉が繰り返された。


 その言葉に、アリシアは改めて王子を見つめた。

 王子はもしかして釈明に来たのだろうか。自分が戦いを望んでいない事は王子も知っている。だが、どうしても戦わずにいられない。その思いを伝えに来たのだ。


 なぜ私に? 自分はただの寵姫でしかない。いや、寵姫とすら呼べぬ者。自分でも、どうして後宮にいるのか不思議になるくらいだ。いや、分かっている。王子の兜の持ち主の婚約者だから、王子が愛した女性の友人だから。自分はそのお情けで住まわせて貰っている。


 だが王子は、その自分をなぜか気に掛けてくれている。ならば、王子の心を僅かでも軽くしてあげねばならない。


 相変わらず片手で顔を覆う王子の、空いている方の手に自分の手を重ねた。その行為にやっと視線を向けた王子に、アリシアは微笑む。


「殿下、戦わずに済むならば戦わない方が良い。私はそう思っています。でも、貴方が戦わなければならないと仰るなら、きっとそれは必要な戦いなのだと、私は思います」

「アリシア……」

「私は、貴方を信じています」


 言った瞬間、アリシアは己の失敗を悟った。王子の顔には戸惑いと驚きの色が浮かんでいる。深夜、2人きりの部屋で、男の手を取り微笑んだ。そして、「私は、貴方を信じています」との言葉。


 第三者がいれば、その言葉は「私は、貴方を愛しています」と同じ意味として聞いても不思議は無い。


 自分は王子を信じているという事を、もっと違う言葉で言うべきだった。アリシアの頭に、さまざまな想いとさまざまな人たちの顔が浮かぶ。そして、王子の’勘違い’を正す台詞が思い浮かんだ。


 だが、それを言ってはお終いだと、アリシアは思った。何が終わるのか、アリシア自身分からぬまま、終わる事だけは分かった。


 自らの顔を覆っていた王子の手が外され、アリシアの手に更に重ねられた。まっすぐにアリシアの目を見つめる。何かを探るような真剣な眼差しで。そして、王子の顔が僅かにアリシアの顔に近づいた。


 更に王子はアリシアの手に重ねた己の手に、僅かに力を込めた。彼女の手は引かれない。


 各国から集めた美女を飽きるほど抱いているはずの王子が、ただ手を握る。それだけの事に、苦しいほど胸を高鳴らせていた。さらに力を入れ、はっきりと握る。アリシアは相変わらず微笑んでいる。王子の息が微かに荒くなった。


 余裕の無い王子は、微笑むアリシアの額にうっすらと汗が滲んでいる事に気付かない。


 アリシアは微笑みながらも必死で言葉を探していた。さっき思い浮かんだ言葉は間違いなく王子の勘違いを正す。だが言ってはいけない言葉だと何かが彼女に告げていた。だから、別の言葉を捜さなくてはならない。しかし、もうひとつの何かが言うべきだとも彼女に告げていたのだ。


 王子の眼差し、徐々に強く握られる手。微かに痛みすら感じるほどだ。それに王子は気付いているのだろうか?


 アリシアは、王子の手の更にその上に、もう片方の手を重ね更に微笑みを浮かべて言った。

 何かが終わってしまうとしても言わなければならない言葉を。


「夫のリヴァルは貴方を信じておりました。貴方の妻のセレーナも信じてくれると思います」


 アリシアに近づきつつあった王子の顔が止まった。その顔には一瞬落胆が浮かび、すぐに微笑み返す。

「そうだな」

 王子の心を、自嘲の思いが満たした。

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