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愚者達の戦記  作者: 六三
征西編
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第7話:強敵

 その日サルヴァ王子は軍港へと視察に訪れていた。


 バルバール侵攻に際しては海軍の力が戦況を大きく左右する。王子自身は海戦についての知識など殆ど無いが、今のランリエル海軍の質がバルバール海軍の質に太刀打ちできない事は理解していた。


 質で太刀打ち出来ぬなら、数で補うしかあるまい。だが軍艦の建造には金も時間も掛かるもの。船を建造するにはまず船渠ドックが必要となり、船渠の数ずつしか建造出来ない。軍艦一隻建造するのも月単位の期間が必要なのだ。


「ご指示通りの数を揃えるには、さすがに年内には無理で御座います。来年の春過ぎになるでしょう」


 造船所の責任者の返答は満足出来るものではなかったが、無理を言っても仕方が無い。

「出きるだけ急げ」とだけ言い置いて視察を終えた。


 この間にも帝国への支配強化は進んでいる。帝国軍の軍施設も何やかやと理由をつけて取り上げた。


 サルヴァ王子を苦戦させた帝国の将軍は、現在縮小された予算の中で苦労しながらも帝国軍の再建に力を尽くしているという。だが現在帝国では、軍縮により職をなくした兵士達が町に溢れ、その者達による狼藉や、大きいものになると反乱まで起きていた。そして僅かばかりの数となった帝国正規軍により、元帝国軍兵士達は討伐されていた。


 帝国軍兵士と戦う事は出来ないという理由で、サルヴァ王子からの誘いを断ったかの将軍にしてみれば皮肉な現実である。


 職にあぶれた帝国軍の元兵士達を傭兵として雇うという案も出されたが、王子はその案を現時点では却下した。


 いくら職にあぶれたとはいえ、ランリエルの為に戦うにはまだ彼らも感情の整理は付いていないであろう。もう少し感情が収まるなり、生活がさらに窮するなりして、ランリエルの為に戦う事に抵抗がなくなるまで待つ必要があった。


 ものにはすべて’機’というものがあり、それを外しては意味を成さないどころか、時には害になるのだ。現時点で元帝国軍人を傭兵として雇い、肝心の戦いの最中に裏切られては目も当てられない。


 その為、今回のバルバール侵攻には間に合いそうも無い。帝国人傭兵部隊を使う事があるとすれば、この次になるであろう。そうバルバール王国との戦いの後に控える、次の戦いに……。



 数日後バルバール王国に調査に向かわせていた部下から、看過しえぬ情報がもたらされた。


「バルバールが我が国との国境に砦と関を建設しつつあります。さらに軍艦の刷新も図っている模様」


 部下からの報告にサルヴァ王子は一瞬眩暈を覚えた。体中の血がざわめき泡だった。バルバールはランリエルが攻め込むであろう事を察知した。察知出きる者がバルバールには居る。その事実に、王子の思考よりも先に血が反応したのだ


「どうなされましたか?」


 部下は怪訝な表情で問いかけ、その声に王子は口元を手で隠した。


「いや、なんでもない」


 そう言って誤魔化したが、部下はやはり不審の視線を王子に向けたままだった。

 ランリエルにとって不利と考えられる情報を伝えたのにも拘らず、ランリエル軍総司令たる者が口元に笑みを浮かべていたのだから、部下が不可解に思うのも無理は無い。


「それで建設しているという砦と関の規模は?」

「小国のバルバールにしてはかなり大掛かりな物です。軍勢が通れそうな道はすべて関を建設し、それを援護するように要所々々に砦が配置されております」

「例えばだが……現在わが軍が全軍で国境に殺到したとすればどうなる?」


 その問いに部下は静かに首を振った。


「元々国境は険しく大軍の展開には不向きです。それをさらに建設中とは言え関や砦で固められては、にわかにの突破は難しいでしょう」

「うむ」


 王子は部下の見解に頷いた。戦争とは情報が重要な鍵となる。それは僅かでも軍事に携わるものならば常識であり、バルバールに派遣していたこの部下も選りすぐった逸材だった。その判断に疑問を持つなら、そもそも偵察の意味は無い。


 陸路が難しいとなれば後は海路だが……。


「では、軍艦の刷新とは具体的には、何をしているのだ?」

「艦隊の速度は一番船足の遅い船が基準になってしまいます。老朽船を破棄し、新造船を建造して艦隊の能力向上を狙っているとか」

「なるほどな……」


 こちらは質の差を数で補おうとしているのだが、あちらはその質をさらに上げようと言うのか。


 軍人として質の高い軍勢を率い、質の高い敵兵と雌雄を決したい。その欲求は甘美なものだが、現実はそう甘くはない。ランリエル海軍は質よりも数で補うしかないのだ。


 その数が揃うのは来年の春過ぎだと言う。今はまだ冬を迎えたばかり、後半年は掛かる。とは言えこれでも急ぎに急いでいるのだ。造船所の責任者には出来るだけ急げとは言ったが、現実にこれ以上の計画の前倒しは困難だ。


「国境の状態とバルバール海軍の艦艇数に気を配れ、旧式と新式の船を入替えると言っても、それにまぎれて数も増やしているのかもしれんのだからな」


「心得ております」


 王子は部下の言葉に満足げに頷き、部下が退出した後も執務を行った。そしてそれも終ると私室へと足を向けた。



 私室の扉をくぐり、後宮を管轄する役人を呼び寄せた。しばらくするとその役人がやって来た。


「アリシアが私の求めに応じて素直にやってきたらしいな?」


 サルヴァ王子は声は意外そうだった。アリシアの無礼な態度に生活の面倒を見てやろうという気は失せてしまったのだが、リヴァルの兜を胸に抱いて泣き崩れる彼女の姿に再度気が変わったのだ。


 そして生活の面倒を見てやるつもりで後宮に上がるように申し付けた。


 もっとも後宮に入れたとは言え彼女を抱く積もりはない。取りあえず後宮で暮らせば衣食の不自由はないだろうから後宮に住まわせる。


 あの様子ではリヴァルを忘れるのも難しいかもしれないが、もし今後結婚を望んで平凡に暮らしたいと言うなら、それなりの相手を世話してやっても良い。そう考えていたのである。


 自分の女を他の男にくれてやる等、市井の者達には理解できぬであろうが、後宮の美女を下賜されるのは貴族にとって名誉であり、下級貴族程度なら、

「殿下の寵姫を賜るなど恐れ多い事で御座います。一生涯掛け大事にいたしまする!」

 と床に這い蹲ってもおかしくはない。何せ次期国王と’兄弟’となるのだから。だが面会した時のアリシアのあの気丈な様子では、形だけでも後宮に入るのすら嫌がり断るのではないか? いやおそらく断るだろう。そうも考えていたのだ。


 現在後宮にはアリシア以外に23名の女性が暮らしていた。すべて王子に媚を売ろうと考えた臣下の貴族などが押し付けてきた者達だった。そして、わざわざ断る必要も感じず受け入れ、いくら若く精力的な王子とは言え23人も女が居れば十分だった。一夜ごとに新しい女を求めるという異常な性癖は王子にはないのだ。だが、意外そうな王子に、役人は王族の下の世話をする者に相応しい卑俗な笑みを浮かべた。


「はい。はじめは関心のなさそうな表情でしたが、後宮に入れば多額の年金が支給されると話した瞬間目の色を変えまして、直ぐに承知いたしました」

「なんだと!」


 金で転んだと言うのか!? アリシアに不快なものを感じながらも、自分を恐れぬその態度にある種興味を覚えていたのも事実だった。それが金であっさりと転ぶ程度の売女だったというのか。


 しかしそう言えば……と気になる点があった。


「後宮に入れるのは形だけという事は伝えたのであろうな?」


 それを伝えているとなれば、また話は違ってくる。だが王子の胸に芽生えた微かな「希望」は裏切られた。


「いえ。それが……」

「伝えていないと言うのか!」


 声を荒げた王子に、役人は慌てて低頭した。


「申し訳御座いません。こちらの条件を提示しそれでもかの女性が断れば、サルヴァ殿下には、その意思が無いと言って安心させる積もりで御座いました」


 そして下げていた頭を上げ、ちらりとサルヴァ王子の顔を覗き込むように見ると言葉を続けた。


「はじめから軽い条件を提示されて断る人間でも、はじめに悪い条件を提示した後に軽い条件を提示されれば、悪い条件よりはマシなのだから。と人はその条件を飲むものです。今回もその積もりで交渉したのですが……かの女性は殿下がお手をつける御積もりが無いとこちらが言う前に、年金の話をした途端に後宮に入る事を承諾なされたのです」


 くっ! ではやはりあの女は、金で抱かれる事を承知したと言うのか! 王子の胸に失望の黒いシミが広がる。気丈な女だ。そうも考えていただけに落胆も大きい。


 その程度の女なら、その程度に扱ってやろうではないか!


「今夜にでもアリシアの部屋に行くぞ! その積もりで準備せよ!」


 怒鳴り付けるように役人に言いつけ、役人は深々と頭を下げながらにんまりと笑った。いくら手をつけないと言ってもどうせ気が変わると分かっていた。あの女に王子が手をつける積もりなどないと言わなくて本当に良かった。


 その夜、アリシアにあてがわれた部屋を訪れたサルヴァ王子を、王族を迎えるに相応しい絹のベッドの縁に座るアリシアが出迎えた。だがその目には、後宮の女が宿すべき媚びた色はなく、はじめて会った時以上の不遜な光が宿っていた。


 金で身を差し出す売女がどうしてそのような目をするのか! サルヴァ王子の視線がアリシアを蔑んでいた。だが、アリシアこそがサルヴァ王子を蔑んでいた。この王子様は、金と権力にものを言わせて女を抱こうと言うのだから。


 王子は無言でアリシアを押し倒した。彼女も抵抗はしない、ここまで来てしまった以上抵抗するのも馬鹿馬鹿しい。


 愛情など一片も通わぬ行為にアリシアの身体は悲鳴を上げたが、彼女はその悲鳴を音声にして洩らす事には耐え切った。


 事が終わると、もう用は済んだとばかりに王子は直ぐに立ち上がって衣服を整える。そして部屋を出る時に振り向きもせず、この部屋に入ってからはじめて口を開いた。


「売女ならばもう少し楽しませてくれると思ったのだがな?」


 その言葉にアリシアもこの夜はじめての言葉を発した。


「その売女の上で懸命に腰を振っていたのは、どこの王子様なのでしょうね?」


 部屋の扉が開かれ、そして叩き付けるように閉じられた後、アリシアはその扉をしばらく見つめていた。涙は出なかった。

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