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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
108/443

第20話:男の戦い、女の戦い。

 その日サルヴァ王子は、総指令執務室にカーサス伯爵を招いていた。サルヴァ王子陣営の諜報活動担当者とも言うべき男である。黒髪のところどころに銀の筋を光らせる伯爵の報告に、椅子に座る王子が確認の言葉を向けた。


「やはりコスティラ西域の領主達が、ケルディラと通じていると?」

「はい。その可能性が高う御座います」


 西域領主達に不穏な気配あり、とのルキノの報告に伯爵が手の者を使い調べたところ西域領主達の屋敷や城に他国者らしき男が頻繁に出入りし、しかも最近領主達は羽振りが良く領内にはケルディラ硬貨の流通が増えている。


「領主達がケルディラの金で、代金を支払っている訳ではないのか?」

「さすがにそこまで彼らも迂闊ではなく金は洗っているようですが、そうは言っても領内にケルディラの金が増えるのに変わりはありません。為替相場は決まっており売買の決算に支障はなく、ケルディラ硬貨を手にした者はそれで支払います。そしてその増えた理由は、支払に使った者ではなく、突如金遣いが荒くなった者でしょう。もう少し慎重な者なら金を洗う相手にも気を使い、領内でケルディラ硬貨を使わせるような真似はさせなかったでしょうが……」


「なるほど。だが、ケルディラから金が渡ったらしい、というだけではまだ確実では有るまい」

「その羽振りが良くなった領主の買い漁る物が、酒や絵画、調度品だけではなく、麦や塩、武具に軍馬ではどうでしょうか」


 その言葉に王子は、ふ、と小さく鼻で笑い髪をかきあげた。


「戦準備という訳か。他国からの資金援助で兵糧、武具を整えているとなるとさすがに捨て置けまいな」

「そう考え御報告に参りました」


 カーサス伯爵は小さく一礼したが、綺麗に撫でつけられた頭髪は微塵も乱れない。


 万一にとカーサス伯爵に調査させたが、それが確実と判断するに後一歩のところまで来ているとなるとサルヴァ王子にも意外だった。


 ランリエルとケルディラは現在友好的と考えて良く、半年ほど前にケルディラ王室に連なるという姫君が後宮に送られ、サルヴァ王子が訪問してアリシアに見つかり、皮肉を言われたばかりなのだ。


 実際サルヴァ王子にそれをする気は無いが、ランリエルとケルディラが戦争にでもなればその姫君は斬首となってもおかしくは無い。もっとも王室に連なるといってもケルディラ国王とその姫君が一度の面識もない事も考えられ、ケルディラ国王にとって姫君がどうなろうと何ら精神的苦痛を伴うものではないのだ。


 別にケルディラに送り返してやっても良いが、あまり甘い対応を取るのも侮りの元である。後宮に娘や親族を入れるのは人質としての側面もあるのだが、サルヴァ王子に逆らっても御咎めなしならばその意味を成さない。まあ、もし戦争にでもなればその姫君は、その間、軟禁というところだ。この問題を早くもそう解決した王子は本来の問題へと思考を戻した。


「そのケルディラと通じているという者達の名前は分かるか」

「はい。これに御座います」

 とカーサス伯爵が差しだした紙片をサルヴァ王子が受け取り目を通す。そこには領主達の氏名、領地、そして推測できる軍勢の動員数などが書かれていた。軍勢の規模としては合わせて5千ほどか。そう素早く計算した。


 西域領主達も金を洗うなど一応の用心はしているが詰めが甘い。この分だとさらに調査を重ね確実な証拠を掴み処罰するのは容易だ。だが問題もある。なぜなら彼らはコスティラ貴族なのだ。ランリエル軍によるコスティラ侵攻作戦当時ならともかく、現在は安定期に入り波風を立たせたくはない。


 それをランリエルの王子がコスティラ貴族を処罰する、となるとコスティラ国内でも反発する者は多く、西域領主達の反乱は未然に防ぎたいところである。ケルディラとの戦争もだ。だが……。


 万一ランリエルとケルディラが戦うとなれば、先んじてケルディラを攻める。サルヴァ王子はそう決意していた。今、決断した訳ではない。かねてから他国と戦うならば、と。


 かつてサルヴァ王子と戦ったバルバール軍総指令フィン・ディアスは、バルバール王国とその民を守る為には手段を選ばない男だ。他国の無辜むこの民すら平然と攻めた。


「他人にとって大事な者を優先した挙句、自分の大事な者を失うのは馬鹿らしいとは思いませんか? 今、他国の無辜の民を攻めなければ、将来バルバールの無辜の民が攻められる。私にとってバルバール王国とその民は、何物にも代えがたいものなのです」


 サルヴァ王子にとって、ランリエル王国とその民こそが何物にも代えがたいものだ。そしてコスティラ王国とその民も。コスティラを攻めたのは明らかに悪行だ。正しい行いでは無かった。攻めた後に考えが変わったのではない。これは悪行なのだと、コスティラ将兵を殺しコスティラを占領したのだ。


 コスティラ攻めを決断した、その時3人の男がいた。バルバール軍総指令フィン・ディアス。カルデイ帝国軍総指令エティエ・ギリス。そしてランリエル軍総指令サルヴァ・アルディナ。コスティラ軍総指令はいなかった。


 3人の総指令は、皆自国とその民を最優先に考え、その結果コスティラ攻めが決まったのだ。それだけにサルヴァ王子はコスティラ王国とその民を、ランリエル王国に等しく守ると決意した。コスティラ国内を戦場にすれば、コスティラの民に被害が出るのだ。


 カーサス伯爵から受け取った紙片に目を向けながら改めて決意を固めた王子だったが、ならばさらなる情報が欲しいところだ。


「この者達についてもう少し詳しく調査してくれ。その人となり、家族構成などもだ。他の貴族との友好関係なども調べてくれるとありがたい」


 その言葉にカーサス伯爵は頷かず、足元に置いていた鞄をから分厚い紙の束を取り出し王子に差し出した。

「それはこちらに」

「ほう。察しが良いな」


 カーサス伯爵の手際の良さに王子が感心の言葉を漏らした。それには領主1人1人の年齢、家族構成、交友関係のみならず、主だった部下の名とその年齢、家族構成、交友関係まで記載されていた。謀略によって切り崩すとしても今すぐに的を絞れるほどだ。


「大した物だ。これだけの物を作るにはさぞかし骨が折れただろう」


 王子は繰り返し感心の言葉を発し、カーサス伯爵は小さく礼をした。やはり頭髪は乱れない。


「コスティラ西部までは遠く往復には時間がかかります。早くに得た情報を寝かせる事は出来ますが、遅きに逸し死んだ情報を生き返らせる事は出来ません」


 サルヴァ王子が頷きつつ資料を数枚捲る。ケルディラが食指を伸ばす西域領主は7名。無論西域には他にも多くの少領主がいるが、味方につけても僅かばかりの戦力でしかない者達には声を掛けてはいない。いくら事を秘匿しようにも対象となる人数が増えれば露見する危険も強まるのだ。


 小領主達は、声を掛けずとも西域の大領主の動きに呼応する。彼らの勢力では大領主の軍勢に対抗など出来ないし、そもそも命を捨ててまでランリエルに忠誠を尽くすはずもない。それを考えれば、反乱を企てる領主達の戦力は予想した5千を大きく上回る可能性もあるが、逆に言えば彼らにさえ押さえれば他の小領主達は無視しても構わない。


「それにしても、どうして今ケルディラがランリエルに敵対するのか……」


 サルヴァ王子が資料に視線を落としながら呟いた。ケルディラ王室の姫君の件もあり、改めて考えてもなぜ突然に、という思いが拭いきれない。


 王子とて、カルデイ帝国を征服してからのランリエルが西へ西へとその勢力を伸ばした事に各国が警戒しているのは自覚している。だからこそ国境警備の部隊にも軍規を厳しく守らせ、近隣諸国を刺激しないように気を付けてもいたのだ。


 サルヴァ王子はカーサス伯爵にケルディラ国内の調査を命じ、伯爵はさすがにこき使われ過ぎなのでは? と思いながら一礼したのだった。




 次にサルヴァ王子は副官のウィルケスに、配下のムウリ将軍を呼ぶように命じた。改めてカーサス伯爵から受け取った資料を捲り目を通していると、ほどなく将軍を伴いウィルケスが戻ってきた。


 常に飄々としている副官も、さすがに’怖い’将軍と2人廊下を歩いて来たのに緊張したのか表情が硬い。サルヴァ王子の副官は、王子の幕僚への内定を意味する。つまりウィルケスとムウリ将軍は、将来同僚となる予定なのだ。自らの昇進は望むところだが、この将軍と幕僚会議などで席を並べると想像するとさすがのウィルケスも気が重い。


 ムウリ将軍は部屋に入り、王子の前まで来ると一礼した後、

「お呼びでしょうか。サルヴァ殿下」

 と低い声を発した。


 ランリエル王国軍において随一の名将と呼ばれるのは、サルヴァ王子を除けば、臨機応変の将と評されるこのムウリ将軍である。歳は40を超えたばかりで宿老というほどではないが、若いと言えるほどでもない。武将としては思慮と果敢の狭間にある脂の乗り切った時期である。


 国家規模の戦略、策略。それらを加味すればサルヴァ王子には劣るが、一軍の将としての働きならば王子にも勝るのではないか。そう噂する者も多い。


 実際、内輪の宴席でそう言っていた者がいると、わざわざサルヴァ王子に告げ口した士官がいた。


「我が軍に、いえこの大陸に殿下に勝る者などいるはずがないと言うのに、まったくけしからん話です!」


 その男は顔こそ怒りの表情を作っていたが、その厚い面の皮すら通すほど王子に阿ろうと言う魂胆が透けて見えた。もっともその男は王子の

「いや、私もそう思うが?」

 の一言に、赤くしていた顔面を、別の意味でさらに赤くし引き下がったのだった。


 サルヴァ王子がランリエル王国軍総指令なのだが、平時には軍務大臣とこのムウリ将軍がランリエル将兵の監督をしている。サルヴァ王子がランリエル王となったあかつきには、ムウリ将軍が軍総指令になる。それは内定ですらなく、決定だと皆は認識していた。


「お主を呼んだのは他でもない。戦も無くなって久しい。それはそれで結構な事だが、軍人としては働きどころもなく身体と心が暇を持て余していよう。皆の身と気を引き締める為、大規模な軍事訓練を行おうかと思ってな」

「大規模な、で御座いますか?」

「そうだ。カルデイ、バルバール、そしてコスティラの軍勢も動員する。出来れば、ベルヴァースも参加させたいところだ」

「5ヶ国の軍勢が一堂に会するという訳ですか……」


 冷静沈着なムウリ将軍が、思わず目を見開いた。大陸中央のかの大皇国ならいざ知らず、それだけの国々が参加する軍事訓練など、分類すれば知将に属し、戦史にも明るいムウリ将軍も聞いた事が無い。


「なに、そうは言っても各国全軍を動員させる訳ではない。まあ精々一割程度といったところだ。無論、ランリエルは他国より多く動員させる積もりだが」

「それでも3万は超えますな。訓練でそれだけの将兵を動員するなど、今まで例が御座いますまい」

「いや、6万は超えさせようと思っている」

「6万!」


 ムウリが思わず声を上げ、その後表情を改めサルヴァ王子を探るような眼で見つめた。これだけの動員を行えば国庫の負担も軽いものではない。額面通り訓練だけが目的とは思えないのだ。


「もしかして、訓練とはただの名目で、その軍勢を持ってどこかを攻めるお積もりなのですか?」

「まあ、攻めると言えば攻めるのであろうな」


 サルヴァ王子は不敵な笑みを浮かべ、ムウリ将軍は内心溜息を付いた。


 殿下の軍略の才は認めるが、ただ一つ欠点がある。それは味方にまでその作戦を秘匿するのがそれだ。まあ今それを嘆いても仕方がない。他の国々は1割程度の動員で総員6万というならば、ランリエルだけで4万は動員しなければならない。その準備をすべくムウリ将軍は頭を切り替えたのだった。



 戦いを捨て、後は治世に励もうと考えていたサルヴァ王子だったが、世の中は自分の思い通りには動いてはくれないものだ。またも戦いになるのかと遣る瀬無い気持ちになる一方、忍び寄る戦乱の足音に、心の奥底に沈めていた覇者としての血がざわめく。


 その血を沈めるべく王子は後宮へと足を向けた。特に寵愛している者も居ないので、確か前回は誰だったか……と思いだし、「その次」の寵姫の部屋の扉を叩く。誰か1人を贔屓にしない王子は寵姫達を正しく順番通りに回ってるのだ。


 王子の訪問は前もって伝えられており、すぐに扉は静かに開けられ美しい金髪と青い瞳を持つ妖精と見まごう美女が姿を現した。本人もそれを意識してか薄く白い生地のドレスを身に纏い、その印象を補完している。


「お待ちしておりました。サルヴァ殿下」

 その声も、白磁を指で弾いたように透明に響いた。


 しばらく用意された彼女の祖国の酒を嗜みその辛さを舌に味わい、次に彼女自身の身体を嬲り楽しんだ。長い手足を持つ妖精を散々鳴かせた後、王子は寝台≪ベッド≫に仰向けになり、しなだれかかる彼女の身体の重みと、汗ばんだ皮膚のぬめりを感じながら物思いに耽っていた。


 彼女の髪と瞳の色は、どうしても同じ色の髪と瞳を持つある女性を思い出させずにはいられず、金糸のようにまっすぐな髪を無意識に弄ぶ。そう言えば、セレーナの髪は少し癖があったな。いや、色ももう少し鮮やかだったか。などど考えていると、今まで王子の胸に顔を埋めていた、その頭髪の持ち主が顔を上げた。


「他の女性の事をお考えで御座いますか?」


 青い瞳が探るように光り王子の顔を覗き込むと、その言葉にギクリとした王子はとっさには返答出来ず見つめ返す。その王子の無言を、問いかけが的を得たと確信し青い瞳がその光を増した。


「私の名前をご存知ですか? 殿下」

 彼女が、少し悪戯っぽく笑う。もっとも瞳からは微かにも輝きは失われない。


「人を馬鹿にするな。知っているに決まっている」

「では私の名をお呼び下さい殿下。殿下がこの部屋に入ってから、まだ一度も名前を呼んで頂いてはおりません」

「それはすまなかった。ナターニヤ。だがあえてそうした訳ではない」


 王子が謝罪しつつ西国の公爵令嬢の名を呼ぶと彼女も満足したのか再度王子の胸に顔を埋めたが、追求は止まらず、再度王子の胸に甘い息が吹きかけられた。


「アリシア様の事をお考えでしたのですね」

「いや、違うが」


 王子はこれには即答した。実際違うのだから当然である。しかし彼女には意外だったらしく、再度顔を上げ王子を見つめた。金色の髪が王子の逞しい胸板を擽る。


「ですが、アリシア様は特別な御方なのではないのですか?」

「……特別と言えば特別なのであろうな。この後宮に居る者達の中で、唯一私がどうとも思わない女をそういうので有ればだが。まあ、気晴らしにはちょどよい話相手だ」


 また絶句しかけた王子だったが、口を閉ざせばまた何やら勘ぐられるとあえて饒舌に言った。


「それでも……私にはアリシア様が羨ましい……。今こうして貴方の胸に抱かれていても、又日が昇り月が出れば、貴方はその月明かりの下で別の女性をその胸に抱くのでしょう。そして次の夜も……」

「人聞きの悪い事を言うな。誰が毎夜女を抱くか。人を色狂いのように言うでない」


 ナターニヤの話の幹が、王子にとってあまり触れられたくない方向に枝を伸ばしているのを察し、あえて言葉尻りをとらえ葉っぱに斬りかかったが、彼女は果敢にもそれを無視し、更に枝を伸ばし続ける。


「貴方とアリシア様は、夜毎語り合うとか。アリシア様だけが別の夜を持っている。貴方には、後宮に居る女性達はみな同じに見えているのではないのですか? アリシア様以外は……」

「何を馬鹿な」


 サルヴァ王子の声色は、聞いた者にはっきりと分かる苛立ちを含んでいた。


「寝物語に、別の女の話をする男は無粋と言うが、別の女の話をする女はどう称するべきか」


 王子のその苛立ちは、ナターニヤの口を閉ざそうと半分は意識しての演技だったが、もう半分は純粋な感情の表れだった。心の奥底に土足で踏み込まれた不快さだ。


 さすがにナターニヤにも、王子の苛立ちが伝わったのか追求の口を閉ざし、

「申し訳ありません」

 と、改めて王子の胸に顔を埋めた。今日はここまでにしておきましょう。と心の中で呟きながら。


 例え一時サルヴァ殿下から御不興をかおうとも、その他大勢の1人として埋没するよりはずっとまし。例え怒りの感情でも王子の心を自分という存在で満たすのだ。ナターニヤという名を一瞬たりとも忘れさせないように。

 そして、妖精の姿をした妖貴妃は今夜一つの事を確信した。

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