第19話:策謀の巣
大陸北部にあるリンブルク王国。小国であり大国に周囲を囲まれてはいるものの、それゆえに他国の文化、音楽、絵画などの芸術が入り込み融合し独自の文化として発達した。王都フュルトには各国から高名な文化人、芸術家が集い文化水準は高く、将来その道を志す者達にとってリンブルクへの遊学はそれだけで箔が付く経歴となった。
もっともそれも過去の話。デル・レイ王国の領土権を主張しての侵攻、その後のゴルシュタットによりリンブルク防衛を唱えての占拠を経て、それら文化人達の多くは王都を脱し嘗ての活気は無い。
だが、今日のリンブルク王宮謁見の間には活気が溢れていた。もっともそれを演出しているのは僅か2名の男達である。
玉座に国王ウルリヒ・シュトランツが座していた。歳は40を過ぎたばかりだが、黒髪には白い物が多く、表情も疲れ老け込み50を遥か超えて見えた。左右には大臣、閣僚が並び、さらに王の横には宰相が、目の前にはデル・レイ王国から来た使者が立っている。
宰相の名はベルトラム・シュレンドルフ。使者の名はラウル・コルネート。この2人が王の前で激しい舌戦を繰り広げているのだ。
「ですからエーデより南は、もとより我がデル・レイの物であると、そう申しておるのです!」
「その領地は、現在のデル・レイ王室より前のオスナ家がデル・レイを支配していた時にリンブルクが戦いにより得た物。現在のデル・レイ王家とは何のかかわりも無い話であり、それを厚顔にも権利を主張するとは、御使者は恥というものを知らぬようですな」
使者の言葉に宰相が応じた。
「リンブルクが戦いにより得たと申しましても、デル・レイとリンブルクの領土を見れば一目瞭然、国力はデル・レイが遥かに上。それをなぜデル・レイの領地をリンブルクが奪えたかと言えば、皇祖エドゥアルド陛下が旧デル・レイ王国を攻めたおり、後ろから盗人のように忍び寄り掠め取ったに過ぎません。盗んだ物は正統なる持ち主に返すのが道理では御座いませんか。正統な持ち主は旧デル・レイ王家であり、その旧デル・レイ王家と正面から正々堂々と戦い勝った皇祖エドゥアルド陛下の物。そしてその皇祖エドゥアルド陛下から戴冠された現デル・レイ王家の物で御座います」
「何を言うか。盗人とは聞き捨てならん。旧デル・レイ王家を皇祖エドゥアルド陛下と共に挟み撃ちにしたは、皇祖エドゥアルド陛下からのご要請あっての事。それを盗人と呼ぶとは、皇祖エドゥアルド陛下を盗人の親玉と言わんばかり。御身の言葉こそ皇祖エドゥアルド陛下を侮辱するものですぞ」
ベルトラムは、皇祖の威光を逆手に取りやり返した。
この大陸において、グラノダロス皇国の力は絶対である。例え皇国、衛星国家以外の者であっても逆らえばどんな目に合うか。皇国は国策として現在より領土を広げない為他国を征服する選択肢は無いが、滅ぼすという選択肢は残っているのだ。
現在より6代前の皇帝のおり、皇国の西方に、衛星国家とさらに間に1つ国を挟んだ王国があった。その王は、皇国の勢力圏と国境を接していないのに安心し、どうせ手は出せぬと皇国を侮っていた。
「かの皇国には珍しい物が沢山有るらしいな。特に金髪の豚がいるらしく、一度食して見たいものだ」
皇族には金髪碧眼の者が多く、当時の皇帝も金髪碧眼だった。そして太っていた。
「潰せ」
皇帝が呟いた。
その呟きに、人が津波となり動いた。皇国、衛星国家8ヶ国。40万の大軍が、間に有る国すら存在しないかのように整然と進む。存在を無視され通り過ぎられた国家も相手が皇国では抗議もできず、むしろついでに滅ぼされては堪らないと、せっせと食料などを提供する有様だった。
皇国軍と王国軍の戦いは一瞬で終った。10倍近い戦力差に王国将兵達は、皇帝を侮辱した王が軽率なのだ、そんな愚か者の為に戦うのは馬鹿らしいと戦意も低かったのだ。先鋒が皇国軍と矛を交えるよりも先に後陣はすでに遁走していたのである。
皇帝を侮辱した王と一族はすべて殺され王家は滅び、王都は徹底的に破壊され略奪された。その略奪は王国全土に及び、すべてが奪われ国土は荒野と化したのだ。皇国軍が帰路に着くときには、100万を超える人数になっていたという。増えた分は奴隷として連行される王国の民だった。それ以外の人々は運よく逃げ延びたか、運悪く殺された。
しかもこの40万の大軍すら、皇国と衛星国家が最大限に動員出来る軍勢の半数程度だった。その後、以降の皇帝達はさすがに過剰だったと感じたのと半数の動員とはいえさすがに40万を動かせば国庫の負担も重かった。その為、近年ではこれほど簡単に軍勢を動かしたりはしないが、それでも侮辱が過ぎれば皇国軍が懲罰に乗り出す事はあった。
それを考えれば、いかにベルトラムが豪胆でも皇国に逆らう気にはなれない。少なくとも表立っては。表面的にはその威光に従う振りをし、心の中で舌を出しむしろそれを利用する。豪胆と無謀は別物であり、それが賢いやり方というものだ。
皇祖を侮辱したと言われコルネートはギクリとした。ベルトラムの言葉は詭弁だが、皇国の重臣の耳に入りそれを本気にされては命は無い。デル・レイ王は皇帝の弟なので多少は庇ってくれるかもしれないが、それでも立場が悪くなるのは間違いない。
「皇祖エドゥアルド陛下を侮辱するとはとんでもない。そのような恐れ多い事ある訳が御座いません。リンブルクが皇祖エドゥアルド陛下の命により軍勢を差し向けたなど、我がデル・レイ王国にはそのような記録は御座いません。宰相閣下の方こそ皇祖エドゥアルド陛下のお言葉を偽っているのでは御座いませんか」
その言葉に、まあ、ここら辺りが潮時か、とベルトラムは考えた。略して呼ぶのすら不敬と、皇祖エドゥアルド陛下、皇祖エドゥアルド陛下と連呼するのも顎が疲れて来たところだ。
「皇祖エドゥアルド陛下のお言葉が有ったか、無かったか。それを言い合っても埒が明きますまい」
と、強引に使者を引き下がらせた。どうせこのやり取りも、デル・レイとの密約がばれぬようにとの擬態なのだ。一見激しいやり取りも、実は相手がどの程度言い返してくるかと、じゃれあって遊んでいるようなものだ。
このやり取りの間、リンブルク国王ウルリヒは一言も発しなかった。宰相といえどベルトラムはゴルシュタット王国の者であり、コルネートは勿論デル・レイの者だ。ウルリヒにしてみれば、他国者同士がなにやら言いやっているとしか思えなかったのだ。
使者が下がると、ウルリヒは今日の仕事は終ったと玉座から立ち上がった。その仕事とは椅子に座っているだけのものであったが、王には他に仕事が無かった。以前には有ったのだが、すべて宰相のベルトラムに取り上げられてしまったのだ。
「陛下は些事にとらわれず憂い無く。万事この臣にお任せ下されば、デル・レイからの脅威などすべて打ち払って見せましょう」
ベルトラムはまるで忠臣のような言葉を吐き、権力を一身に集めた。各部署にも大臣は居るのだが、それも日々、1人、また1人と些細な理由で解任され、その後任にはベルトラムの息が掛かった者が据えられている。
ウルリヒは、覇気無くとぼとぼと歩き自室へと向かった。ベルトラムが来るまではリンブルク王国では親政を執っていた。彼なりに臣民の声を聞き、良き政治を行っていた。それが今ではその権威は地に落ちている。
デル・レイという自国に数倍する国力の国に攻められ領地を削られ、次にはゴルシュタットに王国を占領された。小国が何を一生懸命やったところで、大国の前にはその努力も砂上の楼閣。僅かな波風で容易に崩れ去った。
後は、残された命の砂時計がゆっくりとその砂を落とし切るまでの時間を、いかに退屈を紛らわせて暮らすか。最近ではすべての欲すら衰え、山海の美味も味気なく、いかな美女にも心を揺るがさない。自分で書物を読むのすら億劫で、最近では古の王様の如く、侍女に物語を語らせそれを聞くのを唯一の楽しみとしていた。もっとも侍女に自分で物語を創造する能力はなく書物を朗読させた。
自室にたどり着くと、侍従長が早速、今宵はどの侍女に致しましょう、と問うて来た。侍女達はそれぞれ声の質が違っている。どの物語にはどの声が合うか、今日の気分はどの声か、それによって侍女を選ぶのだ。
「シモンにせよ」
最近気に入っている、黒髪の落ち着いた声で話す侍女を指名した。
声は美しいが、抑揚は無く平坦に物語を読み進める。その容姿は声を体現し、表情を崩す事の無い美貌でいかな者が相手でも怯む素振りを見せず、王を目の前にしても淡々と命じられた事をこなす。まるで精巧に作られた機械仕掛けの人形のようで、だからこそ物語に没頭出来た。
「畏まりました」
侍従長は一礼し王の前から下がった。
謁見の間から下がったデル・レイ王国外交官コルネートは、あてがわれた宿舎を目指して歩き、途中進む道を宿舎とは反対方向に変えた。隠れるようにして入った先は、つい一時前に舌戦を繰り返した敵役の屋敷であった。
「ベルトラム殿。私が皇祖エドゥアルド陛下を侮辱しているなど、戯れにしても困ります。その一言で首が飛ぶのが皇国なのですから」
「ならばそちらも皇祖の名など出さぬ事ですな。自業自得というもので御座ろう」
リンブルク王国王都の屋敷の一室で、デル・レイ大使の抗議にゴルシュタット宰相が皮肉な笑みを湛えた。公の場ではないからと、恐れ多くも皇祖エドゥアルド陛下を略して言う。
「して、今日はどのようなご用件で参られたのですかな。先触れの者から聞いた話では、現在貴国が行っている出兵準備に関してらしいですが」
他国の使者の首が飛ぼうとどうでも良い、迂遠な雑談など無用とベルトラムは本題に話を向けた。コルネートはベルトラムの心中を察し不快になったが、その感情を素直に出していては外交官など務まらない。平然と答える。
「は。我が国の出兵準備は、貴国との間で交わされている密約の一環。我が国がリンブルクを攻める態勢を取る事で貴殿はさらにリンブルク内での立場を強化出来るでありましょう、と、我が王アルベルドの言葉で御座います」
「なるほど。それでこちらとしてはその見返りに、そちらを攻めぬように諸侯を抑えよ。という訳ですかな?」
「まさしく、その通りで御座います」
「よく分かり申した。双方利が有るという事ですな。真にアルベルド陛下は、仔細抜け目無く手を打たれるお方よ」
ベルトラムは表情に笑みを浮かべたが、内心では苦笑を湛えていた。胡散臭いぞデル・レイ王よ、と。
理屈は通る。が、不要でも有る。デル・レイが占領している旧リンブルク領が攻められればアルベルドは困るであろう。だがこちらとて、リンブルクの残り半国の為にデル・レイと全面戦争にでもなれば益より損が大きく、それをする積もりは無い。こちらの考えを読めぬほど、デル・レイ王は無能では無いとベルトラムは考えていた。
仔細抜け目無い王が不要をするならば、真の必要があるはず。まあ、デル・レイとてリンブルクの残り半国の為にゴルシュタットと戦うなどしまいが、万一こちらを油断させて突如の進軍もありえると思案し、一応は迎撃態勢を整える。それによって、リンブルク軍部での自分の発言力はさらに強まる。
しかし、ではデル・レイ王の真の目的とは何か。一見不要の出兵準備が実は必要ならば、その軍勢の向かう先はいずこか。デル・レイが国境を接するは、皇国とその衛星国家を除けば三ヶ国。北はリンブルク、そして南のロタ王国だが、デル・レイとロタとの国境線は東西僅か4ケイト(約34キロ)。侵攻するには接する面積が小さ過ぎる。残るは西のケルディラしかない。
ケルディラか……。ベルトラムが胸中その固有名詞を呟いた。
国力的にはゴルシュタットやデル・レイに一歩譲るが、それなりの戦力は有している。そう簡単に倒せるものではないが、それだけに勝てば得るものも大きい。とはいえ、皇国は国策として領土を増やさない。それは従う衛星国家も同じはず。今回デル・レイはリンブルクの領地を攻め取ったが、それも体裁としては奪ったのではなく、元々の領地を取り返した。そう主張しているのだ。
その状況でケルディラと事を起こし何を得ようと言うのか。デル・レイ王は中々の才人で抜かりなく手を打ってくる。だが、それだけに無用の必要を知らん。才覚ある者の手は、無駄が無いからこそ読み易くもあるのだ。
まあ、ダーミッシュにでも調べさせるか。とベルトラムは、腹心の特徴の無い顔を苦労して思い出しながら考えた。今のところデル・レイ王と敵対する気はないが、将来の可能性まで否定するほど蜜月の関係という訳ではないのだ。
もっとも、それもあくまで他国の事。今は自らの野望の為、こちらはこちらでやるべき事がある。若造が自らの才を誇り無駄ない手を打つというなら、こちらは精々無駄をさせて貰おうか。ベルトラムはそう考え、その無駄の提案を行った。
「それでは、デル・レイの出兵準備による我が国との緊張状態の擬態。それを定期的に行おうでは御座らんか」
国王ウルリヒが、王妃との会話の無い晩餐の後改めて自室に戻ると、しばらくして指名された侍女シモンがやってきた。着ている物は侍女の制服だが、長い黒髪は侍女らしくなく結わずに流し豊かな胸に垂らしている。物語を語らせる時にはそうさせた。襟までしっかりと閉じた侍女らしい隙の無い装いの中、一点の乱れが物語りに艶を出す。
シモンは身を屈め一礼した後、王が身を委ねる安楽椅子の前の小さな椅子に無言で座った。極力物語を読む以外に声は発するなと命ぜられている。侍女が身を動かすたびに艶やかな髪が豊かな胸を撫でる。
「第一章、二話から始めます。王国を我が物とせんとする大臣を倒し王国を救おうと、旅の勇者が決意したところからです」
侍女はそう前置きをして書物を開いた。40を過ぎた男が好むには幼稚とも思える物語だが、実際悪しき宰相に王国を奪われんとする国王にとっては自らを投影するに相応しい。無論、自身に置き換えるのは果敢に戦う勇者ではなく、何もせず救って貰うだけの王様だった。
シモンの無機質な調べに、大臣の放った刺客を返り討ちにする勇者の活躍、それに期待する王をあざ笑うかのように王女たる愛娘を人質にとる大臣、それを救い出す勇者、それらが目を瞑り聞き入る王の脳裏に鮮明に浮かび上がる。
勇者は正義の心を燃やし、臣下にも関わらず王位を狙う大臣を、世の理も知らぬ者と吐き捨て、自らの無力を嘆く王に必ずや正義が勝つと断言した。大臣の放つ数々の刺客と戦い、強大な軍勢をも満身創痍になりながらも打ち破る。にも関わらず一切の見返りを求めず、勇者は、ただただ王の為に無償の献身を捧げるのだ。
「今の世に、このような勇者は居ないものか……」
つい呟いていた。
「おりまする」
無機質な声があった。そのような台詞があったのか? ウルリヒはいぶかしんだ。この物語はお気に入りで今までに何度も繰り返し語らせたもので、侍女に読ませながらも王はその仔細を記憶しているのだ。
瞼を薄く上げ侍女の顔を見た。語りべ人形の顔に微笑が浮かんでいた。




