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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
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第15話:海軍提督の名誉(2)

「今日は机上演習を行う」


 その日、海軍士官候補生を前にライティラが宣言した。


「これに落第するようなら、お前達は海軍軍略というものを根本から分かっていないと言う事だ。バルバール行きなど到底不可能と思え!」


 その声に、若き候補生達に緊張が奔った。逆に言えば、これに受かればバルバールに行けるという事ではないのか。しかもどうやらこの口ぶりでは全員行けるのではなく、この机上演習で良い成績を取れた者だけが行けるらしい。候補生達は、ちらちらと仲間達の顔に視線を送る。どうせなら自分より弱い相手と戦いたいと、早速値踏みをしている。


「ライティラ提督。それで机上演習はどのような条件なのですか?」


 手を上げジェラルドが発言した。さすがは秀才集団の1人。彼らにも戦う戦場によって、得手、不得手がある。それで誰と戦うかの判断材料にしようというのだ。だがジェラルドすら、発表された戦場にその考えも頭から消え去り凍りついた。他の候補生達も茫然としている。


 よりによってここで、この戦いを再現しようと言うのか。ここにはライティラを尊敬する者も多いが、憎む者も多いのだ。さすがにそれは彼らの神経を逆なでするものだと、ライティラを尊敬する派閥の者達も鼻白む。


 ランリエル王国沖海戦。言わずと知れたランリエル艦隊が大敗し、多くの死者を出した戦い。それを机上演習で再現しようと言うのだ。だが、ライティラの続く言葉に彼らはさらに唖然とした。


「知っての通り、この戦いは、まず双方の艦隊の分割運動からはじまり、その後乱戦状態となった。君達にはその乱戦状態から始めて貰う。双方、最善と思われる指揮を執るように」


 乱戦状態から? それはすでにランリエル艦隊の敗北が決定的になっている状態から指揮しろという事ではないのか。候補生達は互いに顔を向け、鏡を見るように互いの困惑の表情を見つめた。机上演習ならば、当然ランリエル艦隊、バルバール艦隊。それぞれその役目が必要だ。そしてバルバール艦隊の勝ちは見えている。


 まさかライティラ提督は自分への、皆の忠誠心を試そうというのか? ここでバルバール艦隊を選択し、完膚なきまでにランリエル艦隊を叩きつぶす。それを行った者をバルバールに連れて行くのか?


 しかし、ランリエル海軍士官候補生が、バルバール海軍提督に忠誠を誓ってどうなる? もしかして、将来ランリエルとバルバールとの間に再度戦いが起こった時、寝返れというのでは? いや、さすがにそれは考えが飛躍し過ぎている。では、なぜ? まさか!?


 ランリエルとバルバールは現在友好関係。むしろ将来は共に戦う可能性が高い。つまり、ランリエル・バルバール連合艦隊! そうなればそれを率いる大提督は、バルバール海軍の名将ライティラしかありえない。ならばすべて合点がいく。自分達はその連合艦隊の幕僚となるのだ。


 士官候補生達は、海軍の軍服を着る己の姿を夢想し、是が非でもこの机上演習で良い成績を取ろうと意気込んだ。とはいえ、実際この中にはランリエル王国沖海戦で戦死した者の親族も居るのだ。さすがに、バルバール艦隊の指揮を取りたいとは言い難い。


「私は、ランリエル艦隊でやります。誰か相手をしてくれ」


 その声に皆の視線が集まった。歯を食いしばり、鋭い視線をライティラに向けるエリオだった。わざわざランリエル艦隊に無様な敗北をさせる為だけの机上演習をしろというライティラに、怒りの炎を燃やしている。


 さらに数人の候補生がランリエル艦隊の指揮に名乗りでた。ライティラに批判的な派閥の者達だ。その後、彼らに気圧されていた親ライティラ派の候補生達が、おずおずとバルバール艦隊の指揮に手を上げた。


 机上演習が始まった。艦艇の運動能力はバルバール艦艇がランリエル艦艇より優れているという条件を付けている。海戦とは船首に衝角という金属の角を取り付けて、相手の船にぶつけて沈ませるというもので、その衝角戦において重要なのは旋回能力と速度だ。数はランリエル艦隊が多くとも、艦艇の性能で負けていては歯が立たない。


「よし勝った!」


 机上演習が始まり、いくらも時が経たぬうちにバルバール艦隊を指揮する者から声が上がった。4割ほどの損害を出しているが、敵を全滅させ、どうですか! とライティラに視線を送った。一番先に勝利した自分は、バルバールに連れて行って貰えるに違いないと胸を張る。


 その後も、次々と勝ち名乗りを上げるのはバルバール艦隊を指揮した候補生ばかり。ランリエル艦隊を指揮した候補生は俯き、悔しさに唇を噛んでる。結局、勝利したのは全員バルバール艦隊を指揮した候補生だけだった。ライティラはその者達を前に並ばせた。


 やはりライティラ提督は、バルバール艦隊を指揮して勝利した者をバルバールに連れて行くのだ。今からそれを発表するのだ。と前に並んだ候補生達は期待に胸を膨らませる。


「実際の戦いにおいては、勝利した者が正解だ。だが、机上演習においてはその限りでは無い。机上演習ではなぜ勝てたのか、その意味を知る事が重要だ。相手の失敗でたまたま勝っただけの勝利に意味は無い」


 前に並ぶ候補生達は、もっともだと頷いた。


「そこでだ。勝利した君達に聞く。君達と戦ったランリエル艦隊は、どう動くべきだったと考えるか」


 ランリエル艦隊がどう動くべきだったか? その問いに、勝利者達は必至で頭を巡らす。


「ランリエル艦艇は、バルバール艦艇に比べ船足が遅いので、自ら突撃するのではなく、相手を引きつけて戦うべきでした」

「次!」

「ランリエル艦隊は、分散せず、もっと纏まって動きべきだと思いました」

「よし。次!」

 と、ライティラは前に立つ候補生全員に発言させた。そして全員から意見を聞いた後、怒鳴り声を発した。


「よし。分かった。お前達が、何も分かっていないという事がな!」


 お褒めの言葉を貰えると考えていた前に並ぶ士官候補生達に動揺が広がった。負けて、俯いていた候補生達も顔を上げ、意外な成り行きに先ほどまでの悔しさも忘れ唖然とする。


「あの状況で、ランリエル艦隊はどう動くのが最善だったか。それをやって見せてやる。ジェラルド。バルバール艦隊を指揮しろ」

「あ。はい!」


 茫然としていたジェラルドだったが、さすがと言うべきか、瞬時に大きく返事した。そしてライティラとジェラルドの戦いが始まったのだが、ライティラの指揮に皆がさらに唖然となった。何とライティラは、戦闘が開始されるとすぐに、全艦面舵(右回り)をとり、敵に背を向け退却を始めたのだ。


「どうした? 追わないのか?」


 ライティラの声に我に返ったジェラルドが猛然と追いすがる。バルバール海軍の名将ライティラは逃げに徹するが、所詮艦艇の性能が違うのだ。ランリエル艦隊は次々に沈められていく。だが、ライティラはさらに逃げ半数近くの65隻が逃げ延びる事が出来た。しかしその反面、バルバール艦隊の損害は僅か4隻であり、92隻が残った。大惨敗である。


 この結果に候補生達の顔に困惑の色が広がり、隣の者と顔を見合わせている。実際の海戦ではランリエルは24隻しか生き残らなかったが、19隻のバルバール艦を沈めたのだ。それを4隻しか沈めて無いなら、実際の戦いよりも酷い敗北ではないのか。もしかしてバルバール艦隊が勝ったのは、船員と艦艇自体の性能の良さが勝因であって、それを率いたライティラは名将ではなく凡将なのか?


「不服そうだな。では、続きをやってみようか」

「続き……ですか?」


 ジェラルドの顔はさらに困惑の色が濃くなり、ランリエル王国沖海戦はこれで終わりのはずなのだ、と彼の表情が言っている。その顔色にライティラが首を振った。


「やはり君達は、そもそも何故ランリエル王国沖海戦が行われたかの意味が分っていないようだな。戦いとは目的があって行うものだ。敵がいるから倒す。などと言うものではない。この戦いは、その後のバルバールによるランリエル王国海岸線攻撃をする為のものだ」


 ランリエルとバルバールとでは動員兵力に倍以上の差があった。だが、この海岸線攻撃により、ランリエルは海岸線防衛に大兵力を割かざるをえず、その結果ランリエルは敗北寸前にまで追い詰められたのである。


「さあジェラルド。あの時バルバール軍がやったように、輸送艦に兵士を乗せランリエルの海岸線を攻撃するんだ」

「は、はい。分かりました」


 困惑していたジェラルドも我に返り、早速輸送船を率い海岸線に向かったが輸送船に戦闘能力はない。戦艦を護衛につける必要があるのだが、ランリエルには65隻の戦艦がある。バルバール艦は、通常なら性能の差でそれより少ない数でも戦えるが、輸送船の船足は亀だ。それを守りながらでは同数でもギリギリ対応できるかどうか。残り92隻を半分に分けては46隻になり負けてしまう。結局ジェラルドは全艦纏めて出撃させるしかなかった。


「どうだ? あの時バルバール軍は、艦隊を数部隊に分けて兵士を上陸させ海岸線を攻撃した。だからこそ、ランリエルの防衛部隊も広く守らざるを得ず大兵力が必要となったのだ。だが、ランリエルに65隻も船が残っていてはそれも出来ない」


 その言葉に、士官候補生達から感嘆のため息が漏れた。なるほど。それでライティラ提督は逃げに徹したのか。ランリエル艦隊の多くの艦艇が逃げ切れた反面、バルバール艦艇を4隻しか沈められなかったのは、むしろ逃げ方が巧みで戦闘を回避出来たからなのだ。


「分ったか。海軍戦略には『存在する艦隊』という思想がある。艦隊はまず、有る、事が重要なのだ。全滅は絶対に避けねばならん。それが敵の制海権掌握を妨げるのだ。先日、ランリエル艦隊を率いたカロージオ提督を軽んじる声があると聞いたが、それはまったくの間違いだ。あの時、私はまさにランリエル艦隊を全滅させる計画であえて乱戦に持ち込んだ。だが、彼は私の意図を読み、艦隊を反転させたのだ。彼の判断はまったく正しい」


 思いがけないライティラの発言に、士官候補生達は一斉に目を見開いた。彼らの中でカロージオ提督は、敵前逃亡したランリエル海軍の恥さらし、という評価だったのだ。


「あの時ランリエルに24隻の艦艇が残らなければ、バルバールによる海岸線攻撃はさらに容易となり、そのまま戦争はバルバールが勝っていた可能性すらある。事実バルバール軍総司令フィン・ディアスは10ヶ所同時上陸を考えていたが、その24隻の為6ヶ所が限界だった。カロージオ提督の英断がランリエルに勝利をもたらしたのだ。彼こそが最大の功労者と言っても過言では無い。君達はそれをよく理解し、今自分達の戦いが、戦局全体でどういう意味を持つのか――」

「うわぁぁぁ!」


 部屋中に響き渡る叫び声がライティラの言葉を遮った。皆の視線が集中する先に、椅子に座り顔を両手で覆い嗚咽を漏らすエリオの姿があった。候補生達は複雑な表情で彼を見つめているが、ライティラには状況が飲み込めない。それを察したジェラルドが口を開く。


「エリオは、カロージオ提督の甥なんです」


 その言葉にライティラは一瞬ジェラルドの顔を見つめ、次にエリオに視線を移した。彼はまだ嗚咽し、顔を覆う手から涙が滴り落ちている。叔父が艦隊司令官なのだ。きっと自慢だったのだ。それが一転恥さらしと呼ばれる。屈辱に、ライティラを仇と憎むのも当然だった。


「しかし、そのわりには姓が違うようだが……。ああ、母方の甥か」

「いえ。そうじゃないんです。その……エリオのお父上が、カロージオという姓は恥さらしだと改名したんです」

「まったく馬鹿な事を」


 ライティラは心底呆れたようにため息を付いた。そして、いまだ嗚咽を漏らす青年の肩に手を置いた。


「今日部屋に帰ったら家に手紙を出せ。とっとと姓をカロージオに戻せとな。その姓は、ランリエルでもっとも誇れる姓だ」


 その言葉にエリオはさらに嗚咽を深くする。他の者達も2人の様子を窺っている。しばらくしエリオが顔を上げた。涙に濡れた目でライティラを見つめる。


「ライティラ提督……。僕……私をバルバールに連れて行って下さい。お願いします」


 え? とライティラは思った。


「お願いします。提督の元でもっと学びたいんです」


 エリオの言葉を合図に、他の候補生もライティラに駆け寄る。


「私もです!」

「私もお願いします!」


 ライティラを取り囲む候補生の中には、ライティラに敵意を抱いていた者も多い。それが感動に目に涙を浮べている。


 皆ライティラを尊敬の眼差しで見ていた。自ら戦った敵将の汚名を晴らす熱弁を振るうライティラを、義侠心溢れる人物と見ているのだ。不遜、傲慢の感もあるが、実はこんなにも男気のある人だったのか。


 今までもライティラを尊敬していたが、それはあくまで海軍戦略、戦術についてだった。それが、人柄までこれほど素晴らしかったのか。と、元々の親ライティラ派の候補生も、神を崇める信者のように跪かんばかりにライティラを取り囲み、口々にバルバール行きを懇願している。さすがのライティラも、断れる雰囲気ではなかった。



 ランリエルの港からバルバールへと船が出た。帆を大きく張り潮を切り海上を走るように進んでいく。その船上にライティラの姿があった。思いがけないお土産を祖国に持って帰っていた。それは、十数名の士官候補生と、美しい黒髪を持つ女性の、少し茶で染まったハンカチだった。

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