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虎の牙が落つる頃

作者: 上野蒼良
掲載日:2026/05/06

 赤く真っ赤に燃える夕焼けの時間、山の頂上から見渡す景色もまた炎に包まれていた。

 飯盛山から見える城下町は、まるで地獄の底のように燃えている。

「あれが……鶴ヶ城」

 誰かが、そう呟いていた。しかし、後は誰も何も言わない。

 篠田義三郎も同じだった。彼と、そして仲間の白虎隊員達には今見えている光景が真なのか否か判断がつかなかった。

 だが、次第にそんな事もどうでも良くなってしまっていた。空のように赤く真っ赤に染まりきった燃える城は、自分達が守るべき最後の砦。その周りにある城下町は、彼らの故郷。

 ――けど、もうない。

 1人の隊士が膝をついた。それがトリガーとなって、次々に泣き崩れる隊士達。静かだった山もやがてそうじゃなくなる。

「母上ぇ……」

 隊士達の中でも一番最年少の者が崩れ落ちた瞬間、篠田義三郎の中でも何かが、プツンと切れたみたいに彼は、手に持っていた刀を落としてしまった。

 やがて、彼は頭を抱えたまま地面に膝をついた。この時、篠田義三郎は眩暈を起こし、少しばかり過呼吸となっていた。

 彼が、このような重体となっていたのにも幾つか理由があった。

「……日向くん」

 義三郎は、今ここにいない友の名前を言いながら昨日あった出来事を思い返していた。

 ——昨日、会津藩の少年隊である白虎隊は、新政府軍との最後の戦いのために飯盛山付近での待機を命じられていた。飯盛山は、会津の象徴たる鶴ヶ城や城下町を見渡す事のできる山で、城の傍(と言っても徒歩で1時間ほどかかる)の位置にある。

 そんな中、1つ大きな問題が発生していた。

「……おい? 大丈夫か? おい」

 1人の隊士が眠ってしまっているのを見て、必死に起こそうとする。程なくして目を開けた隊士だったが、その顔は瘦せ細っており、かなり消耗していた。

「……あ、すいません」

 少年は、青白い顔をした状態でお腹を手で撫でながらそう言っていた。彼のお腹からは、大きな空腹の音が聞こえてくる。

 その音に周りの隊士達も釣られるみたいにお腹の音が鳴りだしてしまう。他の隊士達も皆、痩せ細っており顔色も悪く、消耗しきっていた。

 会津藩は、食糧危機に瀕していた。兵士達に食わせる米も野菜も全て燃やされたり、新政府軍に食いつくされたりしていた影響だった。

 白虎隊では、この2日間ほとんど食事を取らずに郡山から会津若松まで2日をかけて歩いてきていた。

 このままでは、最後の戦いが始まる前に兵士達が餓死してしまうのもおかしくなかった。

 隊士達の中には、会津若松まで辿り着く事ができれば会津藩主、松平容保公から兵糧米をもらえるかもしれないと期待もあったが配給は、ほとんどなかった。

 しかし、それでも少年達は諦めなかった。彼らには、会津しかない。

 戊辰戦争の最中、少年達の耳にも京都で江戸将軍が兵士を置いて退却したとか、旧幕府軍を差し置いて大政奉還をした等そういった話をもう何度も聞いてきていた。

 それでも少年達は戦い続けた。彼らにとって江戸の徳川将軍はどうでも良かった。否、少年達にとっての将軍は、会津藩主――松平容保公。いや、会津藩そのものと言っても過言じゃなかった。

 日本全国が新政府軍に鞍替えをしていく中、武士の誇りを忘れない会津藩は、最期まで新政府軍と戦い続ける。日本国内でどれだけ孤立し続けようと少年達は構わなかった。それが、彼らの信じる真の武士の姿。会津の男だった。

 しかし――。

「……食料を調達しに行く!?」

 昨晩、篠田義三郎は眠っている隊士達の傍で大きな声を上げてしまっていた。慌てて人差し指を立てる日向内記が、彼に説明する。

「……ここから少し離れた場所に水田がある。そこは、まだ戦場になっていないらしい。女子供も一部避難している場所らしい。そこへ向かう。食料を分けてもらう」

 日向内記は、真剣な表情でそう言うが、しかし幾つか問題があった。

「その途中は、確か新政府軍が待機していると聞く。もしも、見つかりでもしたら二度と帰って来れないかもしれませんよ?」

「大丈夫だ。今日の夜は、月が出ていない。普段よりも暗いし、馬で行けばきっと敵を巻く事ができる。それにこの距離なら一晩あれば食料を届ける事ができる。皆が餓死しないで済む」

「けど、日向く……隊長は……」

「私の事は、気にするな。それよりも篠田くん。君には、私のいない間の隊士達の面倒を見ていてもらいたい。万が一、何かあったらここを下っていった所に川がある。水を飲ませてやれば少しは回復するはず」

「ふざけんな……!」

 その時の篠田儀三郎の顔を日向内記は、二度と忘れないだろう。彼の目は、虎の如く鋭くて力強かった。

「アンタは、白虎隊の隊長なんだぞ? アンタがいなくなったら他の隊士達が混乱するに決まってる! 今はまだ体を張るところじゃないってアンタだって分かってんだろ?」

「では、誰が行く? こんな時間に……それに、隊士達はもう……」

 疲れきっている。だなんて言葉は言わなくても伝わりきっていた。

「けど、アンタが行く事には反対だ! それなら俺が……」

「それはできない」

 きっぱりと日向内記は、告げた。

「どうして……ですか?」

「仲間に、これ以上迷惑をかける事はできない」

「え……?」

 その後、日向内記の口から出た言葉に篠田儀三郎は、驚愕した。そこには、かつて同じ学舎——日新館で暮らしていた時のような穏やかさはない。

「かつて私達白虎隊は、日新館を卒業した若い武士達の集まりだった。容保公のため、この会津の地を守るため……そして日新館に残っていた後輩達に武士となった私達の背中を見せる事で、会津の魂を残すため……。

 しかし、それも変わってしまった。戦いの激化で、私達白虎隊には、次々と若い武士達が入っていった。それは、まだ日新館を卒業してもいない者ばかりだった。ついには……日新館に入る歳にも値しないような小さな子供達まで戦争に参加するようになった。私は、彼らが戦場を駆けるのも武器を取る姿を見るのも胸が苦しい。とうとう、子供達に与えてやれる食糧までなくなったんだ。それなのに、腹が減ったから飯を取ってこいなどと部下に命令できるか? 私には……いいや、俺にはできない」

 日向内記の視線は、真剣そのものだった。

「その甘さは、武士として失格じゃねぇのか?」

 しかし、日新館の頃から付き合いがある篠田儀三郎には、彼の気持ちがよく分かった。日向内記は、唇を重たそうにこじ開ける。

「あぁ……。失格で構わない。俺は、父上のような武士にはなれなかった」

「……」

 篠田儀三郎の開いた口が開く事はなかった。悲しかったのだ。彼にとって日向内記は、単なる日新館の先輩ではない。憧れの武士でもあった。

「……私がいない間に、仲間達を頼んだぞ」

 日向内記は、そう告げると去って行った。闇夜へ消えて行った直後、馬の甲高い鳴き声が響いたのだった……。

「帰って来なきゃ許しません」

 彼が去った直後に篠田儀三郎は、そう言った。しかし、日向内記が予定通りに戻ってくる事はなかった……。

 ——全てを思い出して、走馬灯に浸っていた最中に篠田儀三郎が見た景色は、やはり変わらない。血の色に染まった空と城。故郷の変わり果てた姿。

「……よもや、ここまで」

 ゆっくりと腰を下ろして刀を抜いた。儀三郎の周りでは同じように帰る場所を失くした白虎隊の少年達が刀を抜いていた。

「……最後の最後くらい。武士として……」

 子供達の目からは涙が流れている。その姿は、これから切腹をする武士の姿には到底見えないような勇ましからぬ姿だった。

 血色の空を見つめながら儀三郎は、最後にもう一度日向内記の事を思い馳せた。

 ——本当に武士失格だったのは、俺の方ではないか? 日向くんとの約束を果たす事もできず、体裁だけ整えて、現実から逃げた。私こそが、武士失格なのだ。

 そもそも考えてみれば、日向くんに行くなと言ったのも俺の私情だ。白虎隊を言い訳に使ったに過ぎなかった。武士の矜持などでは、きっとなかったのだ。

「母……上……」

 血に塗られた刀が手から滑り落ちる。霞む視界の中、篠田義三郎はゆっくりと眠るのであった。

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