ぬまぼー様
うちの小学校にはぬまぼー様がいる。
グラウンドにある左から二番目の中ぐらいの高さの鉄棒の下。雨の日になるとこの鉄棒の下だけ地面が深くくぼんでいて大きな水溜まりが出来る。砂が混じった茶色い泥水。その上に乗った子供は容赦なく引き摺り込まれる。
学校の七不思議とかそういうのではない。ぬまぼー様は実在する。
現に私が赴任してきて五年間の間に八人の子供がぬまぼー様に連れて行かれた。
たかしくんみちのりくんまさやくんあけみちゃんけいすけくんしおりちゃんゆうすけくんまやちゃん。
皆連れて行かれてしっかり行方不明だ。
でも騒ぎにはならない。この町の人は皆ぬまぼー様を理解している。
畏怖、というのが一番近いだろう。大人たちはぬまぼー様を大いに恐れているがそれ以上に尊いものである、神として崇めているような感覚に近い存在なのである。
消えた八人の親達はだいたい皆同じことを口にした。
『ダメだってもちろん教えましたよ。それでも聞かなかったんだから、そういう運命だったんでしょう。ぬまぼー様に連れて行ってもらえたのならそれも誉れと考えるべきです』
そう言ってまるで買ったおもちゃがなくなったかのように消えた子供達の事は忘れ簡単に新しい子供をまた親達はこしらえている。
ぬまぼー様は大人の前には現れない。
ぬまぼー様は子供にしか興味がない。
何の目的で子供を連れて行くのか、どうして鉄棒の下の水溜まりにだけ現れるのか。いつから存在しているのか。
ぬまぼー様の事は謎が多い気にしても仕方がない。何故人は生きているのかを考えるぐらいには無駄な事である。
「おかしいわ! うちのみなちゃんが消えたのよ! こんなの普通じゃないわ! どういう事か説明しなさいよ! どこよ! どこに行ったのよ!」
神林さんは一年ほど前に都会からこちらに越してきた夫婦だ。母親は都会っぽさをアピールしたいのか若いのにでろでろした化粧とごつごつしたアクセサリーと無駄にスタイルが際立つ服装を好む勘違い主役女。父親は見たことがないがどうせ妻に何の意見も通らないごく潰しなのだろう。
「みなちゃんは、ぬまぼー様に連れて行ってもらったんですよ」
私や校長が説明しても連日神林さんは学校に来て騒ぎ立てた。でもこの町の人間はもちろん神林さんの味方にはならない。分かる部分もあるが、ぬまぼー様なら仕方がない。これが全てだ。
誰にも相手にされない神林さんはいよいよおかしくなり始める。
「出てきなさいよ! 私は子供よ! 子供の前にしかあんた出ないらしいじゃないの! あー! あー!」
雨の日に鉄棒の下でばしゃばしゃ地団駄を踏む神林さんの姿は嘲笑の的だった。
「ほら、これで子供でしょ! 子供なんだから出てきなさいよ!」
でもさすがにこの時ばかりは笑えなかった。
神林さんはいつも通り水溜まりでばしゃばしゃと暴れていた。その近くに傘も差さずに車椅子を握っている男の姿が見えた。あれが夫だろう。ひょろっとした頼りなさそうな男だった。そんな事より遠目に見える神林さんの様子というか、サイズがおかしかった。
「ダメですよ、神林さん」
私が近くまで見に行くと違和感の理由が分かった。神林さんの両腕両足が全て半分になっていた。肘と膝から下がなくなって、先っぽはぐるぐる巻きの包帯で泥水に浸って汚かった。
「やっぱりダメですよね」
夫がか細い声で呟いた。
「そりゃダメですよ」
そうですかと諦めも期待もない声で呟いた後、暴れる妻を抱えて車椅子に放り投げた。
「出てこい! 出てこいよ!」
その日以来神林さん達を見る事はなくなった。
*
「そろそろ地面をちゃんと埋めようかと思いまして」
校長の急な進言に職員一同思わず声を上げた。
「なんでって。普通に子供が消えるなんてやっぱりダメじゃないですか」
急に校長が当たり前の事を言って皆白ける。
「とにかく、もう手配は進めてますからね」
どういうつもりかと思ってたら翌日から校長が姿を消した。
「校長が消えてしまいましたので、地面の件はなしで」
みんな、あ、こいつ消したなと思った。
教頭は噂によれば孫をわざとぬまぼー様に捧げている。たまに雨の日恋焦がれるような視線で鉄棒を眺めている姿を私も見たことがある。
ぬまぼー様はそれからも子供を飲み込んでいった。
説によれば、ぬまぼー様は子供というより子供の好奇心が好物なんじゃないかとも言われている。大人の注意も無視する程の好奇心が涎を垂らすほどに美味なのじゃないかと。
それでいうなら私も好奇心はある。
ぬまぼー様を見てみたい。
ぬまぼー様を見てみたい。
ぬまぼー様を見てみたい。
教頭には負けるかもしれないが、ぬまぼー様もぬまぼー様が連れて行く先の世界も興味があった。
「大人もまずくないと思いますよ」
そう呟いたらごぽぽぽと泥水が泡吹きずるずると人間のような腕が出てきた。
一つの肩口に連なる三本の茶色い腕。
「それなら連れて行きやすいですね」
私はもう一度大人もまずくないですよと呟いてみる。
ぬまぼー様の三本の腕がそれぞれ私に向く。
親指を下に。銃を向けるように親指を立て人差し指を私に。中指を上に。
大人はやっぱりいらないらしい。
気まぐれに現れたぬまぼー様を見たのはそれが最後だった。




