多田の葛藤
「白雲さんは絶対勝てない相手とでも、戦う?
負けるとわかっていても」
ふと、口をついて出てしまった。
自分でも驚くほどの真顔だったのか、彼女は少し戸惑ったように首をかしげる。
「どうしてそんなこと聞くの?」
その目はまっすぐで、嘘がつけない。
けれど言えなかった。
「……あ、いや。なんでもないよ」
──────────
俺は昔から臆病だった。
お化けも怖い。風船が破裂する音も怖い。
人の視線や評価、失敗すること、負けること──全部、怖い。
いつだって誰かの後ろを歩いて、なるべく目立たないように生きてきた。
そうすれば、傷つかずにすむと思ってた。
でも、そんな自分に嫌気がさしていた。
高校に入ったら変わりたい。
そう思って、俺は部活に入ることを決めた。
バドミントンを選んだのは、ほんと些細なきっかけだった。
天体観測部もいい。家庭科部も楽しそう。
そう迷っていたある日、石橋くんがぽつりと声をかけてきた。
「バドミントンは?」
彼はそれだけ言って、部活着を持ってさっさと教室を出て行った。
正直、当時は「なんだそれ」と思った。
彼のことをよく知らなかったし、あまり話したこともなかった。
クラスではいつも寝てて、女子にモテて、自分の世界で生きてる感じ。
自分とは住む世界が違うと思ってた。
でもその一言が、なぜか頭から離れなかった。
あの日、勇気を出して見学に行かなければ──
今の僕はいなかった。石橋くんと一緒に練習することもなかったし、彼のプレーを好きになることなんてなかった。
それから毎日、少しずつだけど、バドミントンに向き合った。
練習はきついし、すぐにうまくなるわけでもない。
でもラリーが続くようになったとき、石橋くんがひと言だけ言った。
「やっぱいいな。」
たったそれだけ。でも、その一言が妙に嬉しかった。
本気かどうかはわからない。お世辞かもしれない。
でも、自分を見ていてくれる人がいると思うだけで、胸が少し熱くなった。
──けど、やっぱり怖い。
コートを見ると今の点数は20対13。あと1点でゲームセット──────────つまり負け。
それでも、石橋くんは最後の1点までシャトルを追い諦めない。
もし僕だったら絶望して諦めてしまうだろう。
そんなときだった。
「さっきの質問だけどさ。勝てない相手と戦うかってやつ」
白雲さんが不意に話し始めた。
「私は──戦うよ。たとえ100回やって100回負けたとしても」
その声は静かだけど、強かった。
「だって、負けるのが怖いからって逃げたら、何にも残らないでしょ?
悔しいって気持ちが、次に繋がるんだよ。
『どうして勝てなかったのか』って向き合えば、昨日の自分には勝てるから。
それにもしかしたら101回目に勝てるかもしれないでしょ?」
笑顔で、真剣な目で、そう言った彼女に、思わず息をのんだ。
「例え100回だろうが1000回だろうが諦めない。
私は──
“勝てないかもしれない相手”より、“諦める自分”のほうが怖いんだよ」
その瞬間、俺の中で何かが弾けた気がした。
そうか。
俺はずっと、相手を怖がっていたんじゃない。
負ける自分が、怖かったんだ。
でも、白雲さんの言葉でわかった。
怖がっていい。逃げたくなってもいい。
でも、それでも──戦わなくちゃ、何も変わらないんだ。
「でもついこの間までは私も逃げてたんだけどねー」
と照れながら言った。
「……そうなんだ」
「私をバドミントンに戻してくれたのも石橋くんなんだよ。一緒だね!」
そう言って白雲さんは、笑いながら選手控え室の方へと歩いていった。
小さな背中なのに、不思議と大きく見えた。
あの人は、もう逃げてないんだ。




