1話 新しい日常
ガラガラ──
キャリーケースの音が、静まり返った住宅街に少しだけ寂しく響く。
まだ6月だというのにこの暑さ、気が滅入りそうだ。
地図と周囲の景色を見比べながら、懐かしい建物の前で立ち止まる。
何年ぶりだろう。変わらない、少し古いマンション。
「ふぅ……」
深呼吸してから、インターホンを押す。
「はーい」
ドアを開けたのは、50代くらいの女性。
「あらー! いらっしゃい。よく来たね」
「こ、こんにちは」
緊張で声が裏返ってしまい、思わず目をそらす。
「ふふっ」
彼女――白雲さよ子さんは、優しそうに笑って中へと促してくれた。
母の妹、つまり叔母にあたる人だ。
「遠かったでしょ。大変だったわね」
「い、いえ」
「ジュースあるけど、飲む?」
「……いただきます」
ほんのり甘い香りのするジュースが、少しだけ気持ちをほぐしてくれる。
部屋の中を見渡す。
久しぶりに来たこの家はなにも変わらず安心させてくれた。
部屋に案内され荷解きを始める。
郵便で送っていた荷物は既に届いており自然とインテリアに馴染んでいた。
物の位置を決めている時ふと1枚の写真が目に入った。
「これは……」
楽しそうに笑う前の笑顔と、今の自分の顔を照らし合わせる。
あの日々は、もう戻ってこない。
でも──生きているだけで、きっと、それは“幸せ”って呼んでいいんだろう。
私はその写真を机の引き出しの奥深くにしまった。
今日から、私はここで暮らすんだ。
⸻
「ここか……」
翌朝、学校の門の前でつぶやく。
築80年くらいの、どこか趣のある高校。前いた学校よりはるかに大きく、生徒たちの声が賑やかに響いていてそれが逆に少し怖い。
着慣れない制服を直し、校門をくぐる。
職員室はすぐに見つかった。ドアを開けると、眼鏡をかけた優しそうな先生が声をかけてくれる。
「こんにちは。待ってましたよ。」
「今日からよろしくお願いします」
「僕は高橋。君の担任です。よろしくお願いしますね」
「はい」
「じゃあ教室まで案内します。2年生の教室は3階なので少し歩きますよ。」
気を使ってくれているのか、歩いてる間、先生はずっと話しかけてくれた。
ちょっとホッとする。こんな先生でよかった。
「ここが君のクラスです。」
先生が指さした先には、「2年C組」と書かれた教室。
中からは、にぎやかな話し声が聞こえてくる。
私なんかが入っても、いいのかな……
という不安がよぎる。すると先生が、
「大丈夫ですよ。うちのクラス、他の先生から羨ましがられるくらい仲がいいんです。」
と、ぎこちないウインクをして見せた。ちょっとだけ笑ってしまう。
「準備はいいですか?」
私は静かに頷き、ぎゅっと手を握って教室へ入った。
先生が入った瞬間生徒たちは席に着き、ざわめきが止まる。
「昨日話してた転校生です。自己紹介お願いします」
チョークを渡され、緊張で手が震える。黒板に名前を書いていく。
「白雲唯です。よろしくお願いします」
真顔になってしまう。静まり返る教室。
……終わった
そう思ったその時――
「よろしくー!」
「女の子だー! やった!」
一気に声が上がる。あたたかくて、ちょっと恥ずかしいけど嬉しかった。
「白雲さんの席はあそこ、石橋くんの隣に座ってください」
一番後ろの席を指さす。
「石橋くん、手を挙げてもらっていいですか?」
「……ん」
眠たそうな顔の男子が、片手を挙げる。
「お前また寝てたのかよ!」
前の男子に突っ込まれていた。そんな石橋くんの隣に、私は腰を下ろす。
「石橋優也。よろしく」
「よ、よろしくお願いします……」
「うーわ、無愛想~」と周りの子に茶化されていた。
⸻
ホームルームが終わると、すぐに私の机の周りに数人が集まってきた。
「どこから来たの?」
「好きな食べ物は?」
「誕生日はいつ?」
一気に質問攻め。でも、みんな悪気はなくて、にこにこしていた。
なんだか……少しだけ、ここでもやっていけるかもしれない。
⸻
1時間目
「白雲さん、まだ教科書ないよね。石橋くんに見せてもらってね」
「……めんど、俺寝るから使って」
面倒くさがりながらも教科書を貸してくれた。
優しいな。
窓からはいる暖かな光が彼の黒髪を優しく照らした。
─────
お昼休み
パンを買うためにお金を握りしめ購買に向かう。
「確か……こっちだったはず」
曲がり角を曲がると大勢の人で賑わっていた。
「おばちゃん!焼きそばパン一個!」
「メロンパン!!」
…………とてもじゃないが私には無理だ。危険すぎる
「諦めるか」
明日からは台所を借りてお弁当を作って持ってこよう。
そう考えた。
「まだ時間あるし」
教室に戻る途中、学校探検をしようと色々なところに行ってみた。
1年の教室、理科室、音楽室、など新しい所を見つける度、違うところに来たんだなという気持ちがより1層大きくなる。
最後にふらっと体育館によってみることにした。
すると体育館の中から聞き覚えのある音がした。
懐かしい、何万回も聞いた、出した音。
中を覗くと1人の男子がラケットを手にバドミントンをしているところだった。
綺麗に高く円を描くサーブに思わず見とれる。
「綺麗……」
口に出さずにはいられなかった。
「あ、転校生。確か……しろ…しろ……しろくま」
「しらくも、だよ!」
サーブを打ってたのは隣の席の石橋くんだった。
「何してんの?」
私は石橋くんに購買でパンを買えず、余った時間で学校探検をしていたことを話した。
すると彼は少し笑って言った。
「学校探検って、いいもん見つけた?」
「楽しかったよ。この学校は広いから色んな教室があって面白いし」
「そっか」
「石橋くんはなんでバドミントンしてたの?」
「……ん?好きだから」
彼は真っ直ぐな目で言った。
好きだから……
好きだから夢中に、がむしゃらにできる。
「いいな」
という喉の先までてた言葉を飲み込む。
羨ましいと思ってしまった自分少し驚きながらも気持ちを悟られぬようすぐ教室に戻った。