四節/2
直後、爆発音とともに扉と壁が吹き飛ぶ。
「……おうおう、ラブコメしてんじゃねーよ」
「してません。至って真面目ですわ」
「見せつけてくれるねえ……」
睨み合う少女と棍棒使い。
先手を打ったのは、棍棒使いだった。
地面を強く踏んだかと思うと、目にも止まらぬ速さで接近し、横薙ぎに棍棒を振るう。
しかし、少女は軽くそれを防いだ。
半透明の盾のようなもので。
「あら、想定より強くありませんわね? 一枚くらいは割ってくれると思っていましたのに」
「……舐めんな!」
怒りを隠さない男が叫ぶと、コンクリートの床が隆起し、槍のように二人へ襲いかかる。
だが、それも少女がただ手を払うだけで破壊された。
「……バケモンめ」
「それ、吸血鬼狩りが言いますの? 貴方が相対しているのは、いつも化物ばかりでしょうに」
「にしても、アンタは格が違えって話だよ。流石、『純血』ってところか」
棍棒使いは手をこまねく。
先までとは見違える力を手にした彼女に、勝てる展望が浮かばないからだ。
あの二人を叩き起こしたとしても、おそらく勝利は不可能。
傷を付けるので精一杯だろう。
仕方がないが、逃亡するしかあるまい。
自身の異能を使用して周囲の瓦礫を集め大塊にすると、魔術を使用してそれを打ち出した。
勿論、これも彼女には防がれる。
しかし、逃げる時間を得るには十分だ。
部屋の外へ飛び出し、未だ寝こけている二人を抱えて走る。
あの二人に、男たちを追う利点はあまりない。
それに、怪我をした少年が側にいる。
追う得よりも、追わない得の方が多い。
だから、逃げ切れる。
そのはずだった。
だが、何だろうか。
この焦燥感は。
まるで、いくら走っても出口に辿り付けないときのような不安感は。
このビルの出口は、すぐそこだというのに──。
男がその理由に気付いたのは、ふと後ろを振り返ったからだった。
少女が、ずっとこちらを見ている。
暗闇の中で、爛々と瞳を輝かせている。
ああ、これは逃げられない。
長年戦場で培った経験が、そう訴えた。
そして、その予想は正しかったのだ。
「──逃がすわけ、ありませんわ」
少女が、彼らに手を向ける。
「──〝雷電よ、撃ち抜け〟!」
あまりにも強い光に、思わず目を細める。
ただ一瞬迸っただけ。
けれど、それは絶大な威力を誇っていた。
二人が立つ位置から直線上数十メートルに渡って、すべてが吹き飛ばされている。
上に見えるのは、二階ではなく三階。
コンクリートの中に入っていたであろう金属支柱は赤熱し、溶解していた。
「……これ、あの人たち死んで──」
「ないですわ。威力は調整しましたし、そもそもあの方々丈夫ですから。……まあ、数時間は目覚めないと思いますが」
数時間どころか、数日寝込むと思うのだが。
そう言いたくもなったが、少年は心の内に押し留めた。
少女は動けない少年を再び壁に預けると、伸びている男たちの方へ向かう。
「今のうちに、彼らを縛り上げてまいりますわ。そのうち、あの人も来ますし、そのときに受け渡します」
「……そういえば、例の『助け』って」
「まだ来ていませんわ。おそらく、わたくしの位置の特定に手間がかかっているのでしょう。ほら、結界が張ってありましたし。それも、今はもうありませんから、すぐに来ると思いますわよ」
「そうですか……」
遠くで男三人を華麗な手付きで縛り上げる少女。
随分慣れた様子だが、今まで何度か経験していたのだろうか。
五分も経てば、簀巻にした男たちを引きずりながら、少女が帰ってきた。
「色々終わったことですし、屋上に行きませんこと? ここは少々荒れていますから」
「行くのは構わないんですけど……階段が……」
少年は、少女が吹き飛ばした場所に位置していた階段に目をやる。
そこは跡形もなく吹き飛んでおり、上階には登れそうにない。
「ああ、それなら大丈夫ですわ。飛んでいきますから」
「大丈夫なんですか……え、飛ぶ?」
「善は急げですわ。舌、噛まないようにお気を付けくださいまし」
「ちょっと待ってください! 状況の理解が……!」
静止する少年を気にも留めず、少女は彼を小脇に抱える。
そして、ずんずん歩きビルの外に出たかと思うと──跳び上がり、飛び上がりはじめた。
瞬く間に離れていく地面。
この場所に来たときとは正反対の景色だ。
数秒の飛行の後、少女はビルの屋上に降り立つ。
「中と比べると格段に綺麗ですわね。空もよく見えますし」
「……確かに、それはそうなんですけど」
へたり込んだ少年は、そのまま後ろに倒れ、空を見上げた。
いつの間にか空は白んでいて、東と思われる方向から青が侵食し始めている。
あと数十分もすれば、夜が明けるだろう。
「……大変だった、なあ」
「……ごめんなさい」
「気にしないでください。というか、どちらかと言うと、おれから巻き込まれにきたようなものなので……」
隣に座った少女は、少年がぽつりと零した言葉に、申し訳なさそうな反応をする。
状況証拠からすれば、少年がここに来た原因は、彼女が助けを呼んだことだ。
それによって少年は命の危機に瀕し、今も怪我と疲労で動けない。
少女が罪悪感を覚えるのも当たり前だ。
しかし、少年は、別に彼女の助けを無視しても良かったのだ。
幻聴だと思い込んで部屋に帰り、何事もなく眠ることもできた。
それをしなかったのは、ひとえに『誰か助けを求めているのならば、助けたい』と思ったからなのだ。
そこに、少女が責任を感じる必要はない。
それに、きっと、少女を助けなければ少年は後悔していた。
助けられるはずだった者を助けられないのは、自分が傷つくことよりもずっと嫌なのだ。
「……ありがとう、と言うべきですわね」
「……そうですね」
まだ肌寒い風が吹く。
少女の銀髪が、風になびく。
「……そういえば、名乗っていませんでしたわ」
遠い空を見ていた目が、少年に向けられた。
「わたくしは、リリス・ヴィオレット。貴方の名前は?」
「御剣勇緋です。……ユウヒ・ミツルギって言った方がいいんですかね?」
「言われなくとも、わかりますわよ。アジア……それも、日本人でしょう?」
リリスはくすりと笑った。
日本人らしい風貌をしているとは自分でも言い難い勇緋だが、彼女はよくわかっているようだった。
「あそこの方々とは交流がありますの。それに、敬語は要りませんわ。わたくしはこの話し方が癖になっていますから、変えませんが……おそらく同年代でしょうし、気にすることもありませんわ」
「なら、そうさせてもらう。……ちなみに、女性に年齢を訊くのは良くないとはわかっているんだけど、いくつか訊いてもいいか?」
「十五歳ですわ。来年の一月で十六になりますの」
「なら同い年だ。おれは十二月生まれだけど」
「あら、年上ですのね」
「一か月だけ、な」
そんな微妙な距離感の話をして、いずれ来るという助けを待つ。
大体十数分後、太陽が顔を見せ始めた頃。
不意に、屋上の景色の一部が歪んだ。
「やっと来ましたわね! まったく、随分遅……い……」
立ち上がったリリスが歪んだ景色の方を向き、呆れと怒りを露わにしていた。
けれど、それは尻すぼみに消えていく。
なぜなら、現れた人物は──
「おまたせ、お姫サマ?」
──『助け』では、なかったのだから。
◇魔術
贋作神秘の一つ。
主にヨーロッパ周辺地域にて使用される。
世界初の魔法使いである『創造の魔法使い』により体系化され、彼の弟子によって各地に広まった。
詠唱や刻印、形成など、術式の発動方法が多様だが、それぞれが個別の魔術として扱われているため、流派の違いによる派閥争いが存在する。
※〖Material of Blessing〗より引用。