三節〈勇気を手に〉/1
少年は、最上階より二つ下の階──三階に下りる。
四階に居座っていては、男たちが自分を無視して、少女が潜伏する場所へ向かう可能性が高まってしまう。
三階で待ち構えることで、三階、四階、五階、そして屋上と探索箇所を増やす狙いがあった。
劣化してコンクリートが剥き出しになったビルは、音がよく響く。
五感が鋭い少年の耳には、確かに三人分の足音が聞こえていた。
このビルの階段は、構造上、更に上階へつながる階段に隠れ、今登っている階段の上部が見えないようになっている。
そして、人間は、基本上への警戒が薄い。
彼らが少年を『ただの一般人』と思い込み、油断している今、奇襲の警戒への比重は、ほぼないと思っていいだろう。
反響する音を頼りに、三人との距離を測る。
あと十秒もすれば、彼らは姿を現すはずだ。
九、八、七──。
身体に余計な力が入らないよう、ゆっくり静かに息を吐く。
引っ越しやその他の雑務で忙しかったこともあり、人を相手にした戦闘は久しい。
日課は欠かさず行っていたから、身体性能は落ちていないだろう。
しかし、人間たるもの、数日でも戦場を離れてしまえば、『勘』を忘れてしまう。
長年染み込んだ老兵ならともかく、少年は多少訓練しただけの若造だ。
絶好調には程遠い。
それでも、戦わなければいけない理由がある。
脳裏を過るのは、自分を教え導いた師の言葉だった。
「おぬしが武芸を学ぶ上で、いくつかの制約を課す。
一つ、力を誇示しないこと。
二つ、今の自分の技量を正しく認識すること。
三つ、戦場に立つ意味を自覚すること。
四つ、自分の信念に従うこと。
そして、五つ──殺し、殺される覚悟を持つこと」
力には、必ず責任が伴う。
強大すぎる力は、すべてを壊してしまう。
だからといって、弱小すぎる力では、すべて奪われてしまう。
たとえ、守るために振るったとしても、壊してしまえば意味がない。
奪われてしまえば意味がない。
責任は、すべて自身の力に依存するのだ。
強大な力は恐れられる。
弱小な力は蔑まれる。
けれど、正しく力を扱うことができれば、評価は一転し、強大な力は頼られ、弱小な力は親しまれる。
結局は、力の大小よりも使い方だ。
業物でも鈍らでも、それが刃物という事実は変わない。
達人が一度振るってしまえば、切れ味の良し悪し関係なく、ものを両断できるだろう。
物事において最も重要視されるのは、過程ではなく結果。
その力によってもたらされた結末のみである。
だからこそ、力を誇示しない。
一方的に他者に力量を知られてしまえば、やがて身を滅ぼすから。
だからこそ、今の自分の技量を正しく認識する。
意味のない戦いに挑むのは、勇者ではなく愚者であるから。
だからこそ、戦場に立つ意味を理解する。
振るった力は、何がどうであれ責任を伴うから。
だからこそ、自分の信念に従う。
目先の光景に囚われず、戦う意味を忘れず、自分が正しいとした道こそ、正義であるから。
だからこそ、殺し、殺される覚悟を持つ。
この世に悪と断定できるものはなく、互いの正義に相反するものが悪とされ、敵となり、排除するべき障害となるから。
ああ、わかっている。
わかっているからこそ、戦える。
眼下に現れた三人。
距離を空け、警戒しつつ前進しているが、頭上はがら空きだ。
少年は手摺を蹴り、身体を宙へ投げた。
勿論、身体は重力に従って落下する。
だが、その先にいるのは三人のうちの一人──斧使いの男だ。
まず、斧使いの頭を蹴り飛ばし、階段から転落させる。
彼を選んだのは、重量のある斧は咄嗟に振れず、強靭な身体でも不意打ちならば打撃が通ると判断したためであった。
思惑通り、人間の急所である頭部に、数十キログラムの体重すべてを乗せた蹴りを食らった斧使いの男は、抵抗するまでもなく階段下へ真っ逆さま。
あの体勢で身体を打ち付けた場合、即座の復帰は難しい。
少なくとも、次の工程が終わるまでは手出しされないだろう。
少年が着地し、前方へ飛び出すと、事態が飲み込めないままの男は、おもむろに棍棒を振り下ろす。
それは、戦場に長く身を置いているからこその反射的行動であり、思考というプロセスを排除して、常に最善の行動を取るよう身体に染み付いているものだった。
そのため、棍棒の軌道は複雑なものではない。
ただ直線的なだけの攻撃を回避するのは容易だ。
三角跳びの要領で、壁を蹴って跳び上がり、棍棒使いの更に後方にいた剣使いの背後を取る。
「動くな。武器を捨てろ」
そして、彼の首を後ろから絞め、刃を突き付けた。