二節/3
息を整えると、少年は再び立ち上がる。
「……よし。あなたは、ここで待っていてください」
「……貴方は、どこへ行くのですか?」
「あの人たちを倒しにいきます。ここで籠城するのも限界がありますから」
そう言って外に出ようとする少年の手を、少女は掴む。
その手は強く、離さないという気概が感じられた。
「無茶ですわ! 相手は殺しの専門家、貴方が戦える相手ではありません!」
「やってみなければ、わからないですよ」
「いや、嫌です。わたくし、約束しましたわ。貴方が無事に逃げるためのお手伝いをすると」
「もう十分果たしていただきました。それに、今からおれは、無事に逃げるために戦いに行くんです」
「なら、わたくしも──」
「それはしません。あなたを守りながら戦うほどの余裕は、多分ありませんから」
「……足手まといですの、わたくし」
「……言い難いことですが」
少女は、少年の手を掴んだまま離さない。
否、離せない。
きっと、離してしまえば、少年はすぐあの三人の元へ向かうだろう。
彼は、無事に逃げるために戦いに行くというが、実際の目的は、どちらかといえば少女を助けるためだ。
無事に逃げるのが目標ならば、わざわざ戦いに出向くより、ここで籠城し、破られたときに戦えばいい。
しかし、それをしないのは、少女に被害が及ぶ可能性が高いからだろう。
だが、あの三人は手練だ。
どこから見ても一般人である少年が、戦って勝てるような相手ではない。
それは、彼自身もわかっているはずだった。
だから、彼は、自分が死ぬと理解した上で、なお無謀にも戦おうとしているのだ。
少年は、震える少女の手を握る。
「……何も、死にに行くわけじゃありません。難しそうなら逃げに徹して、時間を稼ぎます。これでも、武術をそれなりに習ってるんですよ?」
彼が言うことは、おそらく、嘘ではない。
死にに行くわけではないことも、武術を習っていることも。
けれど、本当のことも言っていない。
それは、少女に辛い思いをさせないための、気遣いで。
けれど、少女にとっては、それが一番辛いものだった。
「……ごめん、なさい」
「違いますよ」
「……え?」
少女の顔を覗き込むように、少年は腰をかがめる。
今にも泣き出しそうな少女の目を見据え、彼は言った。
「『助けてもらったときは、ごめんなさいじゃなくて、ありがとうと言いなさい』……恩人からの受け売りです」
「……ありが、とう?」
「はい、そうです。その方が、互いに気が楽ですから」
そして、少年は少女の手を強く握った。
「『必ず帰ってくる』という約束はできません。でも、おれは最期まで生きることを諦めません。……だから、行かせてください」
少年は、嘘を吐くことが苦手だ。
一度吐こうとすれば、雰囲気や表情に出てしまう。
少年の嘘を見破れなかった者は、今まで一人もいない。
だから、これはすべて真実だ。
少年が口にした言葉は、紛れもない真実だ。
少女は、少年の手を離す。
少年は、少女の手を離す。
「……では、行ってきます」
自分より、少しだけ大きな背。
けれど、ずっと大きく感じられる背。
少女は扉が閉じる瞬間まで、それから目を離せなかった。
◇神秘
自然法則を超越した現象の総称。
世界基盤を改編することで起こすことができる。
※〖Material of Blessing〗より引用。