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君に花束を、君に祝福を  作者: 四ノ明朔
序章【未だ白紙の英雄譚】
29/30

十節/7

 併設された駐車場に停まると、藍はエンジンを切る。

 不思議に思いながらも、勇緋は彼女に感謝した。

 

 

「送っていただき、ありがとうございました。じゃあ、おれはここで──」

「いえ、私たちもここで降ります。リリス、降りますよ」

「……え?」

 

 

 状況を飲み込めず、固まっていたリリスは正気を取り戻したのか、身を乗り出して藍に問う。

 

 

「ここはユウヒの家なのでしょう? ならば、わたくしと一条様が降りる必要はありませんわ」

「そうですが、降りなければいけないんです」

「……どういうことですの?」

「聞くよりも、先に見た方が早いですよ。さあ、付いて来てください」

 

 

 疑問が解けないまま、二人は車を降り、藍とともに歩いていく。

 ちなみにだが、リリスはシートベルトの外し方がわからずに勇緋に教えてもらった。

 真面目な雰囲気を壊すような形になってしまったため、少しだけ恥ずかしかった。

 

 マンションのエレベーターに乗り込むと、藍は十と書かれたスイッチを押す。

 機械音が階層を告げ、鉄扉が開かれた。

 外に面する廊下を歩き、とある部屋の前で止まる。

 

 そして、勇緋とリリスに振り返り、ポケットからカードを取り出し、リリスに渡した。

 

 

「……何ですの、これ」

「カードキーです」

「……どこを開けるカードキーですの?」

「一〇〇九号室です」

「……ここ、ユウヒの家ですわよね?」

「はい。御剣さんのご住居はお隣の一〇〇八号室になりますね。ちなみに、私の部屋は一〇一〇号室です」

「……待ってください。理解が追いつきませんわ」

 

 

 リリスが頭を抱えると、藍は何でもないように内容をまとめる。

 

 

「ここは機関が所有するマンションで、機関職員や関係者が入居しています。学園生や教師も例に漏れず、基本はこのマンションに住んでいます。リリス、貴方は明日から神楽高等学園に通ってください。身の回りの世話は私がしますので、困った際はお気軽に声をかけてください。以上です」

 

 

 絶句。

 目を見開き硬直したリリスは、手からカードキーを落とした。

 

 勇緋はそれを空中で拾い、彼女の手に握り直させる。

 錆びた機械のようなぎこちなさで、リリスは勇緋を見上げた。

 

 

「ユウヒは、すべて知っていましたの……?」

「いや、全部初耳だ。とても驚いてる」

「まったくそうは見えませんが」

「すまない。感情が顔に出にくいんだ」

「それは知っていますが……!」

 

 

 拳を握り、わなわなと震わせる。

 怒りと困惑が混ざった表情だ。

 

 

「じゃあ何ですの。わたくしに、学生として振る舞えと?

 生まれてこの方、学生経験のないわたくしに?」

「ですから、そう言っているではありませんか。十五歳でしょう? 何の問題もありませんよ」

「あります、絶対ありますわ! というか、『身分は用意する』ってこういうことじゃないと思いますの!」

 


 リリスは想定外の事態に叫ぶ。

 

 鏡面世界で暮らしていたリリスは、暴れ始めた吸血鬼と、吸血鬼狩りの台頭について調査していた機関と接触し、協力関係を結んだ。

 体力の限界が迫っていたこともあり、一度現実世界に避難することとなったリリスが、現実世界で暮らせるようにすると言ったのは機関であったが、流石にこのような立場になるとは想像していなかったのだ。

 

 

「ですが、貴方の年齢で、日中に外を出歩いている方が目立つでしょう?」

「そうかもしれませんけれど! でも、もっと前に言ってくれるとか……そう、他にやりようはありますわ!」

「色々時間がありませんでした。襲撃されて連絡が取れなくなりましたし」

「それなら仕方ありませんわね! ああ、もう……!」

 

 

 半ばやけになって、話にけりをつけると、乱れた髪を払った。

 

 

「……過ぎた話に、何を言っても無駄ですわね。いいでしょう、やってやりますわ。納得はしていませんけれど。納得は、していませんけれど」

「ありがとうございます。必要な道具は最低限揃えてありますが、私服等は明日にでも買いに行きましょう」

「ええ……わかりましたわ……」

 

 

 疲れきった顔のリリスに、藍はまた一つポケットからものを取り出した。

 それは、携帯端末とその説明書だった。

 

 

「こちらをどうぞ。ご入用のときは、私に連絡してください。使い方は、見ればわかります」

「もうツッコむのはやめますわ。休ませてくださいまし」

「どうぞ。シャワーの使い方は……」

「……教えてください」


 

 消え入りそうな声で、リリスはそう呟いた。

 鏡面世界という神秘で何でもできる世界で暮らしてきた彼女が、神秘の使用を基本禁止され、機械を扱わなければいけない現実世界を生きるには、相当慣れが必要だろう。

 

 カードキーを押し当て、電子音が鳴ると、扉の施錠が解除される。

 

 

「では、私は入浴の用意をしてきます。あとはお二人でお話ください」

 

 

 カードキーを預け直し、そう言い残すと、藍はリリスの部屋に消えていった。

 

 

「……行きましたわね」

「……行ったな」

 

 

 微妙な空気が二人の間に流れる。

 好き勝手やって去っていった藍のせいだ。

 無性にむしゃくしゃするが、あの女に何をやっても今の自分には勝てないだろう。

 リリスは、何度目かの溜息を吐いた。

 

 

「『お話ください』なんて言われても、特に話すことはありませんわ。大体車内でお話しましたし」

「同感だ」

 

 

 しかし、このまま別れるのは、どこかきまりが悪い。

 何か話題はないだろうかと考えて、手すりに身体を預ける。

 スーパーマーケットやコンビニなど、近隣施設が集まる一帯の外側には森が広がっていて、街の喧騒は届きはしない。

 光も、鮮やかなネオンライトではなく、仄かな街灯と店頭の電灯くらいだ。

 

 ふと、闇の中に見えた建物。

 丁度良い話題を思いつく。

 

 

「そうですわ、ユウヒ。人間は、どうして学校に行きますの?」

「どうしてって言ってもな……」

「わたくし、学校なんて行ったことありませんもの。参考にさせてくださいな」

「それは責任重大だ」

 

 

 理由、か。

 改めて訊かれると、答えにくいものかもしれない。

 

 現代人にとって、学校は行って当たり前のものである。

 勇緋のような神楽高等学園の生徒も、同じだろう。

 神楽高等学園は、普通の高校とは異なり、機関職員を育成するための学校だが、高等教育も行う。

 感覚的には、『高校生』と変わりないのだ。

 だから、勇緋が学校に行く理由も、おそらく、普通の高校生とそれほど変わらない。

 

 

「……基本、学校っていうのは、社会に出るために行くものだ。『社会の縮図』と言われるほど、学校は社会を学ぶことができる」

「なら、学校で学ばないと、社会に出られないのですか?」

「いや、そんなことはない。学校で学ばなくとも、社会に出ることはできる」

「では、行くだけ損になりませんこと?」

「逆だな。行くだけ得なんだ」

「『社会を学ぶ』のでしょう? わざわざ学校で学ばなくとも、社会で社会を学べばいい。ただ時間を浪費しているのでは?」

「確かに、それはもっともらしい意見もしれない。けど、学生には社会人にはない不利な条件がある」


 

 「それは?」と、菫色の瞳が勇緋の顔を覗き込む。

 純粋で、透き通っていて、世間の歪みや闇なんて知らない、『学生』らしい瞳だ。

 

 

「みんな、『子ども』なんだ。ほら、子どもは何も知らないだろ? だから、悪い大人に騙されてしまうんだ」

「子どもって……わたくし、子どもじゃありませんわ」

「見た目じゃない、概念的なものだ。社会を知らない人間は、みんな『子ども』だろ」

「人間でもありませんわよ、わたくしは」

「……そうだった」

 

 

 上品に笑うと、リリスは話の続きを催促する。

 その様子は、彼女の言動とは真反対に子どもらしい。

 

 

「悪い大人に騙されると、大小問わず損害が出る。その損害は、これからの人生の──夢を叶える旅路の障害になってしまう。邪魔を好き好んで受ける人は限られるから、『学校に行かない』っていう選択肢を取る人は、自然と少なくなる。要は、利益と不利益を天秤にかけて、利益に傾く方を選んでいる、ということだ」


 

 リリスが深く頷く。

 

 

「……だから、学校に通う。夢を叶えたいから、学校に通うんだ」

「それなら、貴方の夢は何ですの?」


 

 きっと、それは、無邪気な質問だった。

 何も知らないから、何も思っていないから。

 だから、心から出た問いだったのだろう。

 

 一瞬の沈黙の後、勇緋は彼女に答える。

 

 

「──世界を守ること、かな」

 

 

 人の身では到底叶えられないほどに大きく、実現不可能な願い。

 荒唐無稽で、無茶苦茶で、不合理的な──子どもみたいな想い。

 それが、御剣勇緋の『夢』なのだ。

 

 だから、彼はどこか子どもらしいのだろう。

 学校に行って、社会を学んで、成長して。

 けれど、子どもみたいな希望を捨てられなかったから。

 その『夢』を持って、ここまで歩んできたから。

 

 だからこそ、御剣勇緋は『御剣勇緋』であるのだ。

 

 淡く薄い唇が、弧を描く。

 

 

「きっと、貴方なら叶えられますわ」

 

 

 その声は、夜闇のそよ風を貫くように凛としていて。

 かき消されるなんてことはなかった。

 あの時のような弱々しさなんて、もうどこにもなかったのだ。

 

 

「さあ、そろそろお互いに帰りましょうか」

「開け方は?」

「こう、でしょう」

 

 

 自信満々に電子ロックを外し、胸を張るリリス。

 それを微笑ましく見守りながら、勇緋は左手を機械にかざし、鍵を開ける。

 

 

「……何ですの、その謎技術!?」

「マイクロチップ。詳しいことは明日教えるよ」

「今教えてくださいまし。気になって夜も眠れませんわ」

「駄目。明日の楽しみだ」

 

 

 むう、とリリスは頬を膨らませた。

 そんな顔をされても、勇緋は意見を曲げない。

 我が強い質であった。

 

 

「わかりました。では、明日は絶対に教えてくださいませ」

「了解。早く寝ろよ」

「貴方はわたくしの母ですか! ……また明日ですわ、ユウヒ」

「ああ。また明日、リリス」

 

 

 そうして、勇緋とリリスはそれぞれの家に帰った。

 

 扉を締めると、オートロックが作動する。

 玄関先の電灯用のスイッチに触れれば、暖色の光が室内を照らした。

 靴を脱ぎ、スリッパを履いて、やけに静かに感じる自室を歩く。

 

 

「……ただいま、みんな」

 

 

 木製の棚の上。

 そこには、伏せられていた写真立てが置かれていた。

 

 映るのは、赤髪の少年と、その両親らしき人々の姿。

 屈託のない笑顔の、幸せな家族写真だった。

 

 目を閉じる。

 目蓋の裏に映る暗闇を眺めていれば、徐々に身体が熱くなっていく。

 

 焔が身を焼き続けているから。

 痛くて、辛くて、苦しくて、哀しくて。

 もう、死んでしまいたい。

 


「……忘れない」

 

 

 けれど、死ねない。

 まだ、何も成していないから。

 まだ、『夢』を叶えていないから。

 

 息が荒くなっていく。

 焦燥、恐怖、あるいは興奮。

 

 熱い。痛い。辛い。苦しい。哀しい。

 でも、それが一番心地良い。

 

 この焔が。

 この傷が。

 自分を、自分らしくさせてくれる。

 

 空っぽで、底なしで何もない自分が、人間らしくなれるのは、きっとみんな(ぼくたち)の怒りがあるから。

 六百六十六人の憤怒が、満たしてくれるから。

 

 中身のない空白を、意味のない仮初で満たして。

 そこに、純白のヴェールをかける。

 ほら、これでもう何も見えない。

 真っ赤に燃える焔なんて、見えやしない。

 


「……赦さない」

 

 

 憎い。

 みんなを殺したあの子が憎い。

 

 憎い。

 あの子がつくった人間が憎い。

 

 憎い。

 人間をつくった世界が憎い。

 

 あの子がいなければ、人間がいなければ、世界がなければ。

 みんな、死ななかったのに。

 誰も、不幸にはならなかったのに。

 

 だから、怒り続ける。

 守り続ける。

 

 いつか、己の手ですべてを壊すために。

 すべてを終わらせ、不幸をなくすために。

 

 今日もまた、どこかが軋む音がする。

 歯車が外れてしまった機械のような。

 壊れかけの機械が無理矢理動いているような。

 そんな、音だった。

 

 目を開ける。

 明るい光が世界を映し出す。

 

 この世界は、夢ではない。

 けれど、ぼくの『夢』は。

 おれの悪夢は。

 まだ始まったばかりなんだ。

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