十節/6
始まりは、二十年前のこと。
二〇二〇年四月一日。
春の暖かな日差しの下、人々はいつもと変わらない日常を過ごしていた。
だが、それは突如空が割れたことにより、呆気なく崩壊する。
空から襲来する漆黒の怪物──世界喰らい。
見境なく生物を襲い、捕食し、街を破壊していく姿は、まさに人智の外に棲まうバケモノ。
人類は抵抗する間もなく殺され、時には、それらの仲間入りをした。
絶望。
その二文字が浮かび上がった頃、また別の漆黒が姿を現す。
重ねられた正六角形と、その間に輝く四芒星の意匠を肩に掲げた黒衣の集団。
彼らは、常識からは考えられない超自然的現象を起こし、瞬く間に怪物を殺していく。
蹂躙されていたはずだというのに、いつの間にか、立場が逆転していたのだ。
彼らの名は、《世界神秘管理機関》──この世界にあるありとあらゆる神秘を管理し、人類を守護するもの。
約千年前に一度世界が崩壊したときから、ずっと人類史に寄り添ってきたものたちだった。
世界喰らいは、大昔この世界を崩壊させて去っていった。
このままでは、完全に滅びてしまう。
だから、世界各地の神秘に関する組織は、世界を維持するため、大規模な術式を行使した。
現実世界とは異なるもう一つの世界を作り出し、重ね合わせることで、失われた部分を補う。
つまり、鏡面世界の作成、および現実世界との層化である。
その過程に、多くの犠牲を費やしたが、世界は平穏を取り戻した。
現実世界は鏡面世界作成の影響で、神秘的エネルギー濃度が薄くなり、一部を除いた幻想種は、鏡面世界の移住を余儀なくされる。
鏡面世界の存在は、一般人には秘匿され、同時に神秘の知識も徐々に薄れていった。
数か月後、現実世界と鏡面世界、その二つを繋ぐ門の管理を務めるために、機関が設立される。
日本では陰陽寮、中国では道教教団、欧州では騎士団および教会など、各組織の連盟で構成されていた。
その後、機関は神秘を不当に扱うものの粛清や世界喰らいの残党の排除を行う。
決して人類の発展には関わらず、影から見守るばかりであった。
しかし、千年の時を経て、二つの世界を繋いでいた術式が崩壊する。
同時に、世界喰らいが台頭し、機関も神秘の秘匿を構わず、姿を現したのだ。
また、機関が姿を現した理由はもう一つある。
それが、全人類への《異能》の付与である。
世界喰らいが再び現れたとき、人類には特異な力がもたらされた。
人により差異はあれど、誰もがそれを持っていた。
機関の初期対応が遅れたのは、この件が関係していたのだった。
一週間後、事態を終結させた機関と各国は、世界喰らいおよび神秘への対応を決定する。
全世界が固唾を飲む中、発表されたのは、『神秘の管理を機関に一任する』というものだった。
そこからの動きは迅速だった。
異能に関する取り締まりや、世界喰らいへの対策。
《世界改編》と《第一次世界侵攻戦》による被害を受けた地域の復興。
そして、機関に所属するものを育成する学校が設立された。
それらは、治安維持の他に、約十年後に予想される《第二次世界侵攻戦》への備えでもあった。
神秘の中には、未来を予測できる力──未来視と呼ばれる力がある。
未来視を持つ者曰く、『世界侵攻戦は十年に一度起こるものだ』と。
第一次世界侵攻戦の中心地はイギリスで、イギリスの損害は他国と比べても壮絶であった。
世界喰らいの性質上、中心被害地は人口が多い地域に限られる。
だが、それでも候補は多く、中心地へ素早く駆けつけるのは難しい。
中心地の特定を即座に行うことを第一に、機関は次に備える。
初動の動きは、何よりも大切だった。
そうして、十年後。
二〇三〇年八月三十一日。
中国を中心とした、第二次世界侵攻戦が勃発する。
第一次の反省を活かし、機関は戦力を中国に注ぎ、事態の早期解決と被害縮小を目指そうとした。
だが、一つ想定外の事態が起こる。
それが、東京千代田区にて発生した火災──否、放火殺人。
世界喰らいから逃れた市民と避難誘導を行っていた機関職員、合計六六五名が死亡した事件である。
捜査は難航した。
目撃者も、現場証拠も、すべて燃やし尽くされてしまったからである。
──ただ一人生き残った、とある少年の証言以外は。
黒い少女が空を飛んでいた。
彼女が笑った瞬間に、皆が燃えていた。
少年は、何もできずに意識を失い、目を覚ました時にはすべてが終わっていた。
この証言の元、機関は黒い少女を人型の世界喰らいと推定し、捜索を行う。
少年の発言が真実ならば、殺戮なんて生温い地獄が各地で発生する可能性があるのだ。
機関として、それを許すわけにはいかない。
だが、その少女は見つからなかった。
半年に及んだ捜査は打ち切られ、市民にも機関にも苦々しい結果を残し、この事件は幕を下ろすことになる。
五日で終息した第二次世界侵攻戦。
第一次より総合的な被害は少なかったからこそ、その事件だけが目立ってしまっていた。
そう言い終えると、リリスは静かな声で話す。
「……生き残った唯一の生存者。それが、貴方なのですね」
「ああ。この痕は、そのときの後遺症だ。ここだけは、どうにも治らない。……それでも、奇跡のようなものらしけど」
顔の右側を占める傷痕。
勇緋は、それを隠すように髪を伸ばしている。
何も知らないものからすれば、醜くて仕方がないと自覚しているからだ。
勇緋の身体は、機能上の問題は特に残っていない。
右眼も、色が変わっただけで、視力の低下は起こらなかった。
しかし、それは本来ありえない話である。
骨を燃やし尽くすほどの高温の中、五歳の少年が五体満足で生き残ることは、奇跡だとしても無理があるのだ。
だが、現に勇緋は生きていて、四肢も胴体も頭部も、何も問題なく動いている。
皆が首を捻り、頭を悩ませたが、一人でも生き残った者がいたという事実だけで十分だった。
数か月の療養の後、勇緋は母方の親戚に引き取られ、そこで育てられることになる。
そして、現在、神楽高等学園に通うため、東京に舞い戻ってきたのだ。
それまで固く口を閉ざしていた藍が、苦しげな声で言う。
「申し訳ありません。あの時、我々がもっと早く駆けつけられていれば、多くの人々を助けられたというのに」
「いいえ、機関は最善を尽くしました。あの事件が例外だというだけで、他の地域の死者数は格段に少なかった。ただ不運だっただけなんですよ。あなたが気に病む必要はありません。……それに、一条さんは、当時はまだ学生ですよね」
「それでも、機関の人間として、あの事件の遺族と被害者には、頭を下げ続けなければいけないのです。それが、責務を果たせなかったことへの償いなのですから」
ふと、勇緋は彼女の手を見る。
ハンドルを握るその手には、強く力が込められていた。
ふむ、とリリスが腕を組む。
「今年は二〇四〇年……第三次世界侵攻戦が予想される年だとは知っていましたが、今までの二度がそれほど壮絶なものだったとは思いもしませんでしたわ。機関としては、今年こそ人類を守り切るおつもりで?」
「はい、勿論。もう被害を出すわけには行きません。来たる決戦に向けて、万全に備えています」
それは、彼女だけではなく、機関全体での決意なのだろう。
まだ三度目。
だが世界を揺るがす厄災としては、三度は多すぎる。
「そうですのね。一度目が春、二度目が夏。ならば、今年は秋にでも起こるかもしれませんわ」
「そんなことはないと思うけど……」
「そうではない、と言い切れもしないでしょう?」
頬に指を当て、リリスはいたずらっぽく笑う。
そんな彼女の様子に毒気を抜かれ、いつの間にか強張っていた肩を落とした。
「起こらないのが一番だ」
「それはそうですわね。まあ、難しいどころか望みなしでしょうが」
「ノーコメントです」
窓の外の景色は、いつの間にか街中から市街地の端へ移り変わっており、光が少なくなった代わりに緑が多くなっていた。
あと五分足らずで、目的地に着くだろう。
時刻は、午後六時頃。
山の端に夕日が隠れ、赤を追う黒に覆われた空の下。
三人は、勇緋が済むマンションに到着したのだった。




