十節/5
過ぎ去っていく景色を、リリスが興味深そうに見ている。
それは、初めてこの世界を見たような表情だった。
「これほどたくさんの人間が、一つの街に住んでいるなんて……。それに、これ。電気……で動いているのでしたか。人間の技術は、やはり優れたものですわね」
「……リリス。気になってたんだけど、訊いてもいいか?」
「ええ、どうぞ。ずっと後回しにしてしまっていたようなものですし」
彼女と初めて会ったのは、鏡面世界でのことだった。
あの世界には、基本人間はいない。
いるとしても、現実世界から移動した者だけだ。
リリスは、口振りからしても、その者たちの中には含まれない。
そして、人間でもない。
「……きみは、幻想種。それも、吸血鬼なのか?」
「ええ。補足するなら、純血の吸血鬼でしょうか」
リリスとあの三人が相対したとき、リリスは彼らに『吸血鬼狩り』と言い、彼らはリリスに『純血』や『バケモノ』と言っていた。
それに、彼らに勝利する鍵となった行為も、吸血鬼であるのなら納得がいく。
神秘的エネルギーを回復する手段に、他者の体液を摂取するというものはあるが、非効率的かつ非衛生的であり、あまり取りたくはないのだが、吸血鬼とあらば、それが正式な手段なのだろう。
リリスは、すべての謎を解明するように、今回の一件について語る。
始まりは、今年に入って急に、吸血鬼狩りの勢力が強くなったことだった。
吸血鬼狩りとは、その名の通り、吸血鬼を狩る者たちのことだ。
単独による狩りが多いが、確実に対象を抹殺するため、徒党を組むこともあるという。
また、傭兵が稼業の一つとして行うこともあるのだとか。
吸血鬼には『純血』と『伝承』の二種類がおり、吸血鬼狩りが目標とするのは伝承吸血鬼である。
伝承吸血鬼は、よく語られる吸血鬼そのものであり、わかりやすい特徴を持つ。
これは、名もなき怪異たちが『吸血鬼』という名を付けられたことにより、そのイメージに沿うように変化したからだという。
行うことも伝承そのもので、人や家畜を襲い、血を吸う。
凶暴化すると見境なく殺戮を始めるため、強力な個体になる前に始末するのが基本らしい。
対して、純血の吸血鬼とは、『吸血鬼』と呼ぶのがはばかられるほど、吸血鬼らしくないものたちのことだ。
太陽光を浴びても死なず、流水を渡ることができ、ニンニクも十字架も聖水も効果がない。
唯一それらしいのは、血を吸わなければ弱体化するということ。
しかしこれも、血を吸うことより、生命力を奪うことが主軸のため、特段血を吸う必要はないのだが。
「……じゃあ、どうしてあの時は血を吸ったんだ?」
「手っ取り早いんですの。魔力……神秘的エネルギーの供給と同じですわ。貴方たちは触れ合う表面積の拡大で効率を上げるようですが、わたくしからすれば体内ごと掌握する方が慣れているし、早いのです。緊急時には、おすすめですわよ。一定以上の干渉力があるなら、ですが」
《干渉力》とは、神秘の操作権限の強さを示すものだ。
干渉力の強さは生命が保持する体内神秘エネルギー量に比例し、使えば使うほど弱くなってしまう。
この干渉力があるために、他者の体内で発動するような術式は難しい。
回復術式や他者への強化術式が高等技術と言われるのは、このような事情があるからだ。
勇緋の干渉力が、リリスが大幅に弱体化していたとしても突破できるものだったからこそ、できたということだ。
首筋に噛み付いたのも、体内への干渉をしやすくするためなのだろう。
勇緋は、師から『相手の身体に直接ぶち込みたいなら刺せ』と言われたことを思い出した。
「なら、純血の吸血鬼を討伐する理由って、あまりないんじゃないか?」
「まったく、その通りですわ。純血は、精霊の類いとそう変わらないものなのです。血が足りないからと人を襲うこともなければ、意味もなく人を襲うこともしません。立派な『亜人』ですわ、そうでしょう?」
「そうですね。現在、亜人として認可が下りているのは、獣人、翼人、巨人、小人、一部の妖精の五種族ですが、そのうち純血の吸血鬼の認可も下りるでしょう。……そちら側に交渉する気がある限りは」
「我らが王は、そういうの気にしませんからね……そもそも、純血はわたくし含め三体しか確認されていませんし」
リリスが言うには、純血の吸血鬼は生まれること自体が希少なのだという。
現在は、吸血鬼を統べる『女王』と、長年行方を暗ましている『賢老』。
そして、『乙女』のリリス。
この三体のみが純血の吸血鬼なのだ。
「……わたくしが狙われた理由は、おそらく、そこにあるのです」
前述の通り、吸血鬼狩りは伝承吸血鬼を狩るのが生業だ。
純血の吸血鬼は強力であり、伝承吸血鬼が束になっても勝てない。
伝承吸血鬼にすら苦労する狩人たちは、足元にも及ばないだろう。
だが、伝承吸血鬼が純血に勝らないというわけではない。
多くの命を喰らい蓄えれば、純血に匹敵する力を得ることもできる。
だが、伝承吸血鬼たちには、そこまでして強くなる理由がなかった。
──つい、三か月前までは。
「元日のことです。『女王』が、次代の王に『乙女』を……わたくしを指名しました。同時に、わたくしを殺した者がいれば、それを王にするとも」
「……だから、伝承吸血鬼が暴れ始めて、それに対処するために吸血鬼狩りも増えたのか」
「ええ。そして、吸血鬼狩りは、根本的な原因であるわたくしを討伐しようとしたのです。彼らからすれば、わたくしさえ殺せれば、あとは寿命が残り少ない『女王』の死を待つだけですもの。好機を逃す手はありませんわ」
『女王』は、既に二千年以上の時を生きており、存在が朽ちるのも時間の問題だという。
そこで、次代の王としてリリスを指名した。
吸血鬼の王とは、吸血鬼たちの中で最も強いものでなければいけない。
王としての仕事が、同胞を脅かすものの討伐、及び在り方を外れた同胞の介錯であるからだ。
「わたくしは、万全の状態ならば、それはもう向かうところ敵なしというほど強いのですけれど……流石に三か月も休みなく戦っていれば、疲れ果ててしまいますわ。ろくな補給もできず、魔力も底を尽きかけ、約束していたはずの迎えも来ない……万策尽きたとは、まさにこのことでした」
街灯が差し込む車内。
リリスが勇緋へ顔を向けた。
「……けれど、貴方が助けてくれました。戦う術も、そう持たないというのに。貴方は身も顧みず、わたくしを助けてくれた」
少女の細い手が、少年の手を取り、強く握った。
「ありがとう。ずっと、貴方に感謝を伝えたかった」
潤んだ瞳が、ネオンライトを反射する。
深い紫色は、赤や緑に目まぐるしく映り変わっていく。
暗い車内では、その光はより一層強く感じられた。
「……何も特別なことはしてない。『誰かを救える人になりなさい』って教えに従っただけだ」
逃れようとした手を、彼女はより強く握り締めた。
「でも、貴方が助けてくれたことは、何にも変えられない事実ですわ。感謝は、素直に受け取るべきものですわよ?」
「……わかったよ。どういたしまして」
あまりにも真っ直ぐなその目に、勇緋は堪え切れずに顔を背けた。
「あら、恥ずかしがっていますか?」
「……悪いか。面と向かってお礼を言われる経験って、そうあるものじゃないだろ」
「それは、貴方がまともに受け取ってくれないからではなくて?」
それらしい反論もできず、黙る。
リリスは、それを見て笑っていた。
「そういうところが、貴方らしいですわね。……では、わたくしも訊きたいことがあるのですけれど、よろしくて?」
言葉を口にするまでもなく、頷く。
質問の予想は、既に付いていた。
彼女は、右目の下を指す。
「貴方のその目と、その火傷痕。できる限りで構いません。教えていただけますか?」
ほぼ無意識に、勇緋はそこへ触れた。
あるのは、十年前に負った暗赤色の火傷痕。
そして、色を失った瞳。
けれど、それらは何の問題もなく、身体の一部として機能している。
おおよそ、普通ではありえない『奇跡』。
勇緋は語る。
己の来歴と、傷の正体を。




