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君に花束を、君に祝福を  作者: 四ノ明朔
序章【未だ白紙の英雄譚】
20/30

八節/4

 壁に身体を預け目を閉じた青年の首に、勇緋は手を添える。

 


「……生きてる」

 

 

 彼に抱えられた女性も同様に脈を測り、二人とも生きていることを確かめる。

 満身創痍だが、五体満足だ。

 適切な治療さえ受けることができれば、死ぬようなことはないだろう。

 

 彼らを守るように、未だ蹲る世界喰らいとの間に立つ。

 

 手負いの獣ほど凶暴になるという言説がある。

 世界喰らいが思考し生きる生物である限り、この例に漏れることはない。

 

 何度か剣を交えたことでわかったのは、あの世界喰らいの肉は尋常なく硬いということだった。

 勇緋が異能力で作り出す光の武器は、常識外の業物でない限り、並の刀剣よりも切れる。

 しかし、その武器でさえも皮膚に傷をつけることが精一杯で、肉まで切り込むことはできなかった。

 斧のような、重さを乗せて切る類いのものならば、少しは切れるかもしれない。

 だが、慣れない武器を使って、反撃される恐れのある行動をするのは、いささか不安だった。

 

 放っておいても死んでくれるのなら、楽なのだが。

 

 太刀を構え、世界喰らいの動向を伺う。

 頭と膝を抱えて丸まった姿は、まるで天に赦しを乞うているかのようだ。

 痛みに喘ぐ声はぶつ切りで、今にも意識を失いそうな──人間らしい挙動だった。


 勇緋は、察しが悪いわけではない。

 あの三人の護送のタイミングと、世界喰らいが現れても鳴らない警報から、何が起こったかは大体予想がつく。

 だが、対処方法はまったく見当がつかない。

 勇緋が世界喰らいと交戦するのは、今回の件が初めてだからだ。

 

 現在、勇緋が持つ手札は異能のみである。

 光の武器を作り出す力。

 そして、一度死を経たことで目覚めた()()()()

 

 しかし、その力はどちらも決定打にはなり得ない。

 だから、手詰まりなのだ。

 

 待つこと、約三分。

 ようやく、世界喰らいが動く。

 

 それは肩を震わせていた。

 黒い皮膚の破片が、床に落ちる。

 

 瞳も鼻もないマネキンのような頭部に、一際目立つ大きな口。

 人一人は丸ごと飲み込めてしまいそうなその口が、弧を描いていた。

 

 ──笑っている……?

 

 瞬間、とてつもない力が上方からかかる。

 咄嗟に太刀を床に刺し、杖代わりにしようとするが、耐えられず膝をついた。

 

 床に同心円状に伸びるひびが入っている。

 力の中心は、勇緋の立つ場所。

 そして、そのような特定の位置に指定されているということは、作為的なものであることに他ならない。

 

 黒い血が滲むからだで、怪物は勇緋の前まで這いつくばる。

 怪物が近づけば近づくほど、かかる力は大きくなり、身体が軋む音がした。


 雑音のような笑い声の世界喰らいが、勇緋へ向けて手を伸ばす。

 彼は、この場にいる誰よりも体内の神秘的エネルギー量が多かった。

 このからだでも、彼を喰らえば、元通りとはいかずとも、満足に動かせるほど回復できるだろう。

 

 人型特有の知能の高さ。

 本能に任せて戦うのではなく、情報を組み立てて戦う狡猾さを持つ。

 

 だからこそ──『手札を伏せる』という行為が効果覿面(てきめん)だった。

 

 とすん、と軽い衝撃が世界喰らいを襲う。

 胸に突き刺さっているのは、何度も見た白光。

 

 それは、理解できなかった。

 確実に抑えつけていたはずだ。

 人間では、到底動けない荷重をかけていたはずだ。

 だというのに、彼は──御剣勇緋は、動いていた。

 油断し、力が抜けた怪物の胸を貫いていた。

 

 

「……変わらないな、あなたは」

 

 

 勢いなく緩やかに黒血が流れ出し、勇緋は頭からそれを浴びた。

 世界喰らいが彼に覆い被さるような形で捕食しようとしたのだから、避ける間もなく返り血で汚れてしまうのは、当然の帰結である。

 

 手足の先から徐々に塵へと還りながら、怪物は少年を見下ろした。

 赤い髪と赤い瞳。片目だけが白いから、その姿はまるで、全身を血で染めた殺戮者のようで──いや、その通りなのだろう。

 

 彼は、血で染まっている。

 今は、赤ではなく黒だけれど。

 いつか、(あか)く染まる日が来る。

 

 なぜなら、その瞳の奥には──どうしようもないほどに緋色の焔が燃え盛っているのだ。

 彼は、命を奪うことに躊躇しない。

 だから、やがて、ありとあらゆる命を終わらせるのだろう。

 怪物よりも怪物らしく、その焔がすべてを焼き尽くすのだ。

 

 ああ、それは、なんて──。

 

 そこで、世界喰らいの思考は止まる。

 甲高い音を立てて、透明な結晶が転がっていった。

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