八節〈闇を裂く光〉/1
ああ、クソ。
オレも運が悪い。
皮一枚で繋がった腕。
頭から流れた血で赤く染まる視界。
下卑た笑い声を上げる怪物に見下されながら、心の中でそう零した。
辻金嗣は、実働部戦闘課に所属する機関の職員だ。
神楽高等学園にて訓練を積み、卒業に機関へ就職。
齢二十にして、序列十二位の座に着いた。
若手の中でも期待の星である。
序列上位者には特別任務が課せられる。
今回の内容は、捕らえられた神秘不正使用者の護送。
本来ならば非番だったのだが、特別任務に休日などは関係ないらしい。
これが、金嗣が序列上位に入って初めての任務だった。
太陽が完全に顔を出した頃、金嗣と、もう一人の序列上位者──十位である手塚輪廻とともに現場に向かう。
今にも崩れそうな廃ビルの屋上。
戦闘の気配が残るそこには、気絶した男三人が転がっていた。
「こいつらっすか?」
「うん、そうみたい」
事前に言い渡された特徴と合致することを確認してから、捕縛用の縄を使って縛り上げる。
この縄には神秘封じの術がかかっており、生半可な術者では抜け出せない代物だった。
彼らを縛り終えると、金嗣は三人のうち大柄な男と細身の男を担ぎ上げる。
勿論、身体強化の術式を使って筋力を上げてからだ。
成人男性二人を担ぎ上げるのは、いくら金嗣が鍛えていると言っても難しい。
小柄な輪廻には、一番背が低く軽そうな男を任せる。
傍から見ると、今にも押し潰されそうだが、彼女も身体を強化しているようで、見た目ほど心配する必要はなかった。
「じゃあ、行こうか」
「そっすね」
そうして、二人は機関が管理している鏡門へと足を運んだ。
《鏡門》とは、現実世界と鏡面世界を繋ぐ扉だ。
神秘的エネルギーの濃度が高い場所にある、ある程度大きな鏡が鏡門となる資格を満たす。
『鏡』となる──つまり、自分を見ることができれば、ガラスでも水面でも何でもいい。
一部の存在は、鏡も神秘的エネルギーも自分で用意して、鏡門を作り出すこともできるらしいが、金嗣も輪廻もそこまで並外れた実力を持つわけではない。
未起動の鏡門を起動させることが精一杯である。
今回指定された鏡門は、現場から一キロほど離れた廃屋の中にある姿見だった。
往路でも思っていたが、この建物を拠点にするのはいささか危険だ。
歩けば床が軋み、家具は少しでも触れると崩れる。
もし襲撃を受ければ、鏡ごと家は崩壊してしまうだろう。
しかし、先輩は首を振った。
『こういうところにあるから、見つけにくい』と。
あからさまに保護していれば、そこに特別なものがあると察されてしまう。
だから、一見何でもない場所の中に紛れ込ませておくのがいいのだ、と。
確かに、廃屋や廃ビルが乱立する中に真新しい建築物があれば、嫌でも目立つ。
余計なことをして勘繰られるくらいなら、自然体でいたほうが良いのだろう。
金嗣より幾分か体内神秘的エネルギーが多い輪廻が、入り口と出口となる鏡門を対応させる。
入り口は、この廃屋の姿見。
出口は、機関の地下三階にある壁一面が鏡の部屋だ。
「おっけー。行っていいよ」
「あざっす」
輪廻が鏡に触れ、無事通れることを確認すると、嗣は男二人を抱えて中へ入った。
一瞬の浮遊感の後、足がコンクリートの床を踏みしめる。
数秒後、輪廻も同じように着地し、護送対象を床に置くと、鏡門を閉鎖した。
一仕事終えたという風に溜息を吐いた輪廻が、これからの動きを確認する。
「わたしたちは、この人たちを防護監視室に放り込めば終わりだね。尋問は別の人の担当だから、その人たちが来るまでは見張りかな」
「了解っす。確か、右側の──」
その時、気絶していたはずの男が動く。
否、蠢く。
視界の端にそれを捉えた二人は、即座に出口を背後にして飛び退いた。
「……先輩。こういうことって、よくあるんすか?」
「……流石にわたしも初めてだよ」
二人がそう言ったのは、その光景を目の当たりにしたからだった。
捕らえられていた三人の男。
彼らは、疑いようもなく人間であった。
一対の手足、平たい胴と丸い頭。
人間としての特徴を不可分なく兼ね備えていた。
だが、今彼らを『人間』と表すには、ことはできない。
これを人間とは認められない。
膨れ上がったからだは、言い逃れもできない異形へ変貌し、辛うじて言語として成り立っていた呻き声は、声とは到底言えない雑音へと成り下がった。
そして、何よりも、闇よりも暗く、海よりも深い黒。
まるで、すべてを飲み込んでしまうかのようなその色は──彼らが世界喰らいと成り果てたことを示していた。




