五節/2
もう『痛み』とは言えない激痛が走る。
紙一重で繋がっていた意識が、千切られるように失われていく。
何も見えない。
何も聞こえない。
何も感じない。
自分は死ぬのだ、と全感覚が訴える。
もう生きられないのだ、と全感覚が理解する。
──けれど、まだおれは死ねない。まだ生きなくてはいけない。まだ、やらなければいけないことが残っている。
だから、立ち上がらなければいけないのだ。
暗闇の中、手を伸ばした。
きっと『そこ』にある光を掴むように。
何も見えず、何も聞こえず、何も感じないけれど、勇緋は確かにそれを掴んだ。
ようやく、掴んだのだ。
心の奥底に隠していたもの。
自身の根幹をなす存在を。
「──〝光りあれ〟」
そう口にすれば、視界が色を取り戻す。
周囲は純白の光が満ち溢れており、勇緋に集まるように揺蕩っていた。
立ち上がり、その光に触れる。
どこか暖かさを感じるそれは、よく知っているものだった。
大丈夫、できる。
拳を握り、その中に意識を集中させた。
「──〝我が王冠よ、清廉潔白に導け〟」
漂っていた光が、拳の中へ収縮する。
一塊となったそれは一直線に伸び、薄い刃を持った剣──太刀を形成した。
「……なんで、それを……!?」
男にとって、今回の件とは、可もなく不可もない普通の依頼であった。
少しきな臭さはあったが、危険は見受けられず、依頼料も不相応に高いわけではない。
依頼主がすべてを語らないことは多々あり、男としても金さえ払ってもらえば気にする必要はなかった。
だからこそ、この依頼を受けた。
『対象の誘拐及び、先行部隊の後始末』なんて、ありふれたもの。
今更失敗することはない、はずだった。
だが、現実はどうだ。
馬鹿な子どもだと思っていた奴が、《遺物》の中でも最大級にヤバい代物の保持者で、なおかつ『死』をものともしない化物だった、なんて。
そして、少なくともあれと関わりがあるということも。
「予想できるはずねーだろ、あのクソアマがよお……!」
抱えていたリリスを後方へ投げ飛ばす。
丁寧に寝かせている余裕はなかった。
前方の彼は、今にも斬りかかってきそうなほど殺気を顕にしているのだ。
しかも、おそらく周りを見れていない。
リリスを巻き込むことを理解しないまま、男を倒そうとするだろう。
「一応聞いておくが……あんた、刀を収める気は?」
槍斧を構えながら、男は尋ねる。
しかし、答えが返ってくることはなかった。
溜息を吐きながら、男は一つ決意する。
「……それなら、俺も抜かせてもらおうか──!」
その言葉を合図に、槍斧の斧頭が崩れるように消え始めた。
槍斧とは仮の姿。
男が持つ武器の本当の姿は、『投槍』だ。
名を、鏡写しの神槍。
世界樹の枝より作り出された、勝利をもたらす神の槍。
その模造品である。
片や、導きの天使の名を冠するもの。
片や、北欧の神が持つ槍の模造品。
それが織り成す剣戟は、想像を絶するものであろう。
雲の隙間から覗く朝焼けを背に、互いを睨み合う。
一挙手一投足、一瞬の隙を見逃さないように。
冷たい風が砂塵を運んだ。
視界から互いの姿が消えた。
──今だ。
踏み込み、刀を振るう。
踏み込み、槍を突き出す。
刃と刃が交差し、それらは互いの皮膚を切り裂く──ことはなく、透明な壁に遮られた。
「……間一髪、ですか」
聞き覚えのない女性の声が、頭上から響く。
攻撃を防がれ、飛び退いた二人の間に彼女は降り立った。
「……何のつもりだ、光の戦乙女」
「その呼び名は嫌いです。藍、もしくは一条とお呼びください」
「やなこった」
黒髪と黒服を風になびかせるその女性は、あの男と知り合いらしい。
仲はそれほど良くないようだが。
勇緋が二人を眺めていると、男は頭を掻き毟り、槍を下ろした。
「ああ、もう。やめだ、やめ。あんたが来たんじゃ仕事にならん。そこのガキ相手も骨が折れるってのに」
「そうですか。しかし、そうやすやすと逃がすとでも?」
「今回は、お姫サマの回収に来ただけだろ。深追いして後悔すんのはそっちだぜ?」
「……いいでしょう。さっさと行ってください、ヘルメス」
「言われなくとも行きますよ、っと」
状況に理解が追いつかない勇緋を他所に、とんとん拍子で話が進んでいく。
急な乱入者により戦闘は始まる前に終わり、むしろ交渉まで終わってしまっていた。
槍を槍斧へ戻し、肩に担ぐと、男は二人に背を向ける。
「……借りはいつか必ず返す。首洗って待ってろよ」
その言葉を最後に、彼は陽炎のように揺らぎ、掻き消えたのだった。
もう戦闘が行われないことを悟った勇緋は、手の中の太刀を消す。
異能を使い終えたときと変わらずに。
「……何だったんだ」
「それはこちらの台詞ですよ、少年」
未だ気を失っているリリスを姫抱きにした女性が、勇緋の言葉を聞いて振り向く。
鋭い目が、心臓を射抜くように見つめていた。
「貴方は、ここがどこかご存知ですか?」
「……いいえ」
「では、どうやってここに?」
「……わかりません」
「そうですか」
まるでロボットのような、感情のない受け答えをする女性。
警戒を隠せないまま、勇緋は彼女を観察する。
すると、右腕のとある紋章が目についた。
六角形を重ね、その間に十字を入れたデザイン。
それは、この国で知らない者はいないと言われるほど有名な組織の所属であることを表すものである。
「……機関の人、ですか?」
「ええ、そうです。私は世界神秘管理機関実働部所属、一条藍。リリス・ヴィオレットを迎えに上がりました」
ならば、彼女がリリスの言う『助け』だったのか。
ようやくやってきた味方に、胸を撫で下ろす。
「おれは御剣勇緋です。気づいたらここにいて……偶然会ったヴィオレットさんと一緒に行動していました」
「……偶然、ですか。承知いたしました。事情を詳しくお聞きしたいので、機関本部へのご同行をお願いします」
頷けば、藍はどこかへ向けて歩き出した。
「あの、いったいどこに……?」
「『扉』となるものがある場所です。そこからでないと、基本出入りできませんので」
そう言ったきり黙った彼女の後ろを、無言でついていく。
そういえばと今になって勇緋は、自分がいつの間にか歩けるようになっていたことに気づいた。
それどころか、今まで負った傷が綺麗さっぱり消えていたことにも。
原因におおよその予想はついているが、答えを教えてくれるものはいない。
異能に関係するものなのだから、機関の人間ならばと藍に頼ろうにも、今の彼女がその問いに答えてくれる気はしなかった。
仕方がないと諦め、大人しく藍の後を数分ほど追っていると、彼女はとあるビルの窓の前で立ち止まる。
自分の顔を写したそれに手を当て、目を閉じると、次の瞬間、藍の手は窓の中に入り込んでいた。
常識では考えられない光景に、勇緋は目を疑った。
窓を割ったのではなく、窓に吸い込まれるように手を入れているのだ。
しかし、すぐに異能や魔術などの神秘によるものなのだろうと思い至り、平常心を取り戻す。
「御剣さん。私たちが先に行きますので、準備ができ次第、この中に入ってください。心配しなくとも、危険はありませんよ」
「……わかりました」
その答えを聞くと、藍はリリスとともに窓の中へ入っていく。
二人の姿が見えなくなった直後、勇緋も続けて窓に触れた。
ガラスの硬さはなく、水のように覆ってくる。
そこで、ふと、この場所に来たときのことを思い出した。
ならば、同じように帰れるのだろう。
窓の縁に足をかけて、勇緋は飛び込んだ。
◇メタトロン
天使の一つ。
世界の広さに等しいほどの長身であり、三十六対の翼と無数の目を持つとされる。
その姿は、炎の柱とも表された。
『導きの天使』や『契約の天使』など、様々な異名を持ち、神と同一視されることもある。
生命の樹の第一のセフィラを守るとされている。
※〖Material of Blessing〗より引用。




