#02 究極の鈍感鬼人(夫)
キャラクター紹介
●笠津敬一郎
主人公夫婦の夫。22歳。社会スキル、コミュ力、頭の回転とも高く周囲からも一目置かれる優良株。そして誰もが認めるオープンオタクだが、布教活動やオタ活の押付けはしない地方都市特有のオタク。
●笠津桜子
主人公夫妻の妻。22歳。小柄なうえ童顔の美少女に見えるがれっきとした成人であり2児の母。仕事も家事もテキパキこなすスーパーウーマン。だが実は、隠れオタクにしてプロコスプレイヤー・チェリの正体。
●大岬三会
27歳。芸能事務所「ストライクフォックス」で、チェリが芸能活動する時のマネージャー。チェリをからかうのが好き。チェリの扱いにも長けている。
●笠津馨
61歳。敬一郎の実母であり、桜子の職場の社長であり、桜子の義母であり、桜子の良き理解者。孫が大好き。
●島河千斗
55歳。恰幅のいい男性。チェリを自身が経営する青果市場のイメージキャラクターに指名したクライアント。大らかな性格だが、カタカナ名詞を覚えるのが苦手。
❶夫は出張。妻は・・・?
6月初旬。
4月に行われた長崎県馬鈴薯出荷会議で馬鈴薯の販売金額は高値を推移したものの、5月はそのまま右肩上がりで価格が上がっていったため「高値疲れ」と言われる販売停滞状況に陥っていた。
またこの頃から気温が暑くなってくると煮炊き調理を前提である馬鈴薯は生鮮野菜や生食できる作物と比べ売りが進まなくなる。こうなると馬鈴薯の価格を少し下げたところで買い控え解消にはならない。
また、今まで鹿児島・長崎と産地リレーが続いたが、6月からは静岡・茨木など関東地区山地が本格的に出荷が始まる時期で多くの市場は関東産馬鈴薯の販売にシフトしてくる。そのため価格をあり得ない金額まで下げて在庫を残さない叩き売りのような販売になってくる。
ただ、馬鈴薯の全国価格とは一か所が下がると他の地方産地にも価格影響を与える為、全体的な価格下落が予想され、折角販売が進んでも価格が伸び悩み取扱高が下がってしまう場合がある。
ここから長崎県産は5月ほどの出荷量はないものの、最後まで販売を高く維持したい思惑から関西地域市場への追い込みをかけたい時期である。
JA全農ながさき県のこの職員はその追い込みをかけるため大阪出張をすることになった。
スマホのアラームが鳴り、手を伸ばして画面をタップするが止まらない。何度かタップしてスヌーズ停止を押した。
ノソーっと起き上がり大きく背伸びをする。
「・・・・チョット・・・・早く設定しすぎたか・・・」
午前4時。あともうひと眠りしようか、そう思ったが隣で寝ていたはずの妻の姿が無い。
「・・・・・桜子・・・・もう起きてる?」
敬一郎は2人の子供にタオルケットをかけ直して寝室を出た。
キッチンでは女子中学生らしき人物がスマホにイヤホンをつなげて動画を見ていた。
見ているのは「Jaded」。数人の女子が同僚の主人公を中心に仕事をしながら恋愛バトルを繰り広げるいわゆるハーレムアニメだ。
場面は長期出張で新幹線に乗る主人公を涙ながらに見送るヒロインたちのシーン。
主人公はヒロインたちに笑顔を返して新幹線のドアが閉まるが、発進してヒロイン達が見えなくなった時、壁にもたれて一人涙する主人公。そしてフェードインしてくるエンディングテーマ。ファンなら何度見ても感動するシーンに中学生の感情は最高潮になっていた。
「桜子」
「!!!!!!きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
「ぎょえぇぇぇぇぇぇ!!!」
敬一郎は爆竹を不意打ちでくらったかのような悲鳴を上げてしまった。
中学生・・・・・もとい、中学生に見えた女性は敬一郎の妻、桜子。
「ご、ごめんな。動画見てた?・・・・そして、おはよう・・・」
「う、うん・・・・。おはよう・・・・・け、敬ちゃん(あぁ、心臓飛び出るかと思った~・・・)」
「なんの動画見てたの?」
「あ・・・・・ど、ドラマ・・・・火9の。ま、ママ友が教えてくれてさ・・・」
とウソをついた。桜子もオタクである。
ただ、いわゆる「隠れオタク」と呼ばれる、周りにはいたって普通の人間を装っているタイプの人種である。
そのような人は数多くいるが、桜子が異常なのは夫である敬一郎すらオタクであることを隠している事だ。
また「チェリ」として芸能活動や動画配信で活躍するプロコスプレイヤーでもある事もチェリのファンでもある敬一郎は知らない。
一方、敬一郎は高いコミュ力と物怖じしない図太い神経で仕事ができて信頼される社会人でありながら、仕事の取引先にも有名なほどのオープンオタクである。
笠津敬一郎・桜子夫妻は、片やスーパーオープンオタク、片やスーパー隠れオタクという真逆の性質を持つオタク夫婦なのである。
「朝食、作ってくれたんだ。早かっただろ?」
「う、ううん。大丈夫。早起きは得意だよ。座ってて、みそ汁とご飯よそうから」
「ありがとう。ご飯は自分でするよ」
電気ジャーを開けるとプツプツと米粒が鳴る。炊き立ての美味しそうなご飯の音だ。軽くシャモジで切り返して茶碗によそう。
テーブルにはみそ汁、冷ややっこ、朝漬けがいつの間にか出されている。
隠れてレイヤーとしてキャラを演じる桜子は、同時に良き妻を演じるのも得意だった。仕事や私生活も優等生を演じているが、結果的に桜子の社会的評価はそれなりに高いものになっている。
美味しい味噌汁で食が進んだ敬一郎はご飯をかき込む。
「敬ちゃん。ちゃんとご飯は噛んでね。健康に悪いよ」
「もぐもぐ・・・・ゴクン。う、うん。ごめん」
「慌てなくてもまだ時間あるから」
「桜子・・・・」
「敬ちゃん・・・・」
・・・・・・・・・・・・
見つめ合う2人。
『午前4時30分。朝イチニュースの時間です』
「あ、でも少し急いでスーツ着替えないと」
「そ、そうだね・・・・(ですよね~・・・・)」
苦笑いの桜子は、浅漬けと冷ややっこが食べられた後の小皿を引いてシンクに入れた。
午前5時。笠津家の玄関先には愛車のマツダ2ディーゼルターボに乗った敬一郎と、それを見送る桜子。
「それじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
窓を閉めながら発進したマツダ2を、桜子は手を振って見送った。
「・・・さーって、子供たちの支度をしますか」
背伸びしながら言った時、携帯が鳴った。
「げっ・・・」
発信者の名前を見て嫌な予感がしたものの、しぶしぶ通話マークをタップする。
「・・・・・・・・も、もしもし」
『はーい!チェリちゃーん!おはよう!。今日もカワイイねー!!』
「はぁ・・・・何ですか?敏腕マネージャーの大岬三会さん・・・」
大岬はプロコスプレイヤー・チェリが芸能活動する時の女性マネージャーだ。
そしてチェリの正体が桜子であることも知っている上、隠れてオタ活していることを知る数少ない人物である。桜子の職場の社長であり敬一郎の母、笠津馨と共に桜子の秘密を知る「桜同盟」のメンバーに数えられる。
ちなみに「桜同盟」は大岬が組織した、桜子本人は非公認の秘密共有同名でありメンバーはこの2人のみである。
その大岬が早朝からハイテンションでカワイイねコールしてくるときは、今までの経験から絶対に何か無茶なお願いをする時だ、と直感した桜子。
『朝早くからごめんねー!チェリちゃーん!』
「いや、だから何ですか?今日は・・・」
『さすが察しがいいわね!さすがプロコスプレイヤー!』
「それはどうも!。あとレイヤーにそんな能力ありません・・・・」
『じゃ、さっそく・・・・、コホン』
咳払いする大岬に一気に緊張する桜子。
『この前、京都の企業のイメージキャラクターとしてチェリを使いたいって言ってたクライアントさんなんだけどぉ、その人がね急遽取引先とそのイメージキャラクターを交えて会議したいって言いだしてね』
「・・・・・まさかとは思いますけど、その会議に私もでろ・・・と?」
『そうなのよ~!。どうしてもキャラクターもつれて来いって!』
(はい!嫌な予感的中!!)
「チョット待ってください大岬さん!。私、旦那が今日から出張で、私も仕事だし子供たちもいるし・・・」
『そう、それもわかるだけどぉ・・・・代役立てようにも、周りに色々聞いたら先方は相手を見ないとイマジネーションがどう、とかいう社長さんらしくて・・・・・要は面倒くさい人なのよ』
「そんなの、チェリは別の仕事が忙しくて来れませんって言えるでしょ!?。他の仕事で欠席なんて一般社会ではよくあることですよ!!」
所で気付いただろうか?。普段は優等生主婦を演じ本心は引込み思案な口調がいつもと違っている事に。これは無意識に桜子が「チェリ」に変身している、もとい無自覚に「チェリ」を演じてしまっている状態だった。
こうなってくると桜子はチェリにシフトしたまま職場に行ってしまう羽目になるときがあり、隠れオタクを貫きたい桜子にとっては非常に不都合な事態になってしまう。実はこの性質を知っている大岬このような強引な要求で桜子の「チェリ化」を誘発させる。
大岬がよく使う常套手段であり桜子も(ハメられた・・・)と思った。
『そこを何とかお願い!チェリちゃーん!』
「そんな電話越しに土下座されても」
『いや、そこまでしてないけど』
「うっ・・・・・」
『お願いよぉ・・・・メガ・ドライブのイラスト担当から貰ったサイン入り原画集あげるからぁ!!』
「え゛ぇぇぇぇぇ!!!!????」
とんでもない変化球に驚愕した桜子のダミ声が閑静な早朝の住宅街に響き渡った。
「メガ・ドライブ」とは今、桜子がドハマりしている空中戦艦バトルもののライトノベルである。そのヒロインキャラクターがどれも魅力的で、未だアニメ化していないにも関わらず先日発売されたイラスト担当者による原画集はプレミアがつくほどだった。
もちろん原価集を購入済みの桜子のではあるが、イラストレーターがサインを入れた原価集となれば、そのオタクにとっては至高の宝であることは間違いない。隠していても所詮オタクである桜子。
「ま・・・・まぁ、今日の仕事は特に切羽詰まってないし、代役を立てれる日だから何とかなるし・・・」
『うんうん♪』
「それって今日の昼間ですよね?。遅くても夕方までに帰れるなら行きますよ」
さすがにサイン入り原画集が欲しいとはいえ、最愛の子供たちを蔑ろにするつもりはない。
毎度子供たちの世話を買って出てくれる義理の母の存在があるにしても、こっちの都合で毎回夕飯とお風呂の世話までしてもらうのは、さすがに申し訳ない。
自分が頑張れば何とかなる話なら出来る限りの事はして、子供たちは可能な限り自分が面倒を見る。これは主婦・桜子の信念でもあった。
『ありがとう!さすがプロ!』
「もう・・・・調子いいんだから・・・」
『飛行機の手配は済んでるから、いつものようにスマホで手続きしてね!。では、ヨロ!』
「はい」
桜子は電話を切るなり、スマホの時間を確認して、段取りを頭の中で組み立て始めた。この時すでにプロコスプレイヤー・チェリのお仕事モードに突入しているのだった。
❷そして妻の関西へ。そこで迎えた大ピンチ!
秋桜と梁を保育園へ送り、運転中に携帯のハンズフリー機能で職場の社長であり、義理の母でもある馨に電話する。
「あ、話は三会ちゃんから聞いてるわ~。今日は有給休暇ってことで~。また明日~」
ブチ ツーッツーッツーッ
(すでに話は通してたのね、大岬さん・・・)
同じ秘密共有同盟のメンバーである。そこの所の連携は取れている。
しかし、いきなり休んでも大丈夫なところは、相変わらず女性が働くことに関して寛大な会社だなぁ、と感心してしまう。
だいたい芸能活動は予告もなしに急遽入ることも多く、その日に休み申請をすることは珍しくはないのだが、そこは姑としての家族愛と、社長としての権限が活きている。
また他の社員もそれに関して不平不満を唱えないのは、普段から桜子が仕事を後日に残さない作業処理と、それに対する評価があってこそだろう。
とにかく桜子が乗るスペーシアは大村空港へ向かった。
2時間後。
無事、大阪伊丹空港に到着すると大岬が出口で迎えに来ていた。
エスカレーターを降りながら大岬が見えた桜子は不貞腐れて見せた。
「ごめんねぇ。そしてありがと♡」
「もう!。ちゃんと報酬はいただきますからね!原画集も!」
「ハイハイ。ハイこーれ」
と手渡された原画集を見て一気にテンションが上がり、抱きしめると高揚感はオタクのそれになっていた。
「はぁ♡・・・・・・・」
局地的に光芒に包まれる笠津夫人。
「あ、ココじゃ他の人の邪魔になるから、車に乗りましょ」
「あ、はい」
とたんにチェリの仕事モードに切り替わった。
伊丹空港から会議会場があるホテルまで1時間。
大岬が現地でチャーターしたグランエースは揺れも少なく、移動中にメイキャップする桜子にとっては助かる。
桜子のメイクは基本自分で行う。
今回の衣装を着て、ウイッグを被り、ホテルに到着したグランエースから降りてきたのは、完成したチェリだった。
テレビや動画で大人気のプロコスプレイヤーの登場にフロントでチェックイン待ちの客やホテルスタッフがドヨメキが起こる。
数名が手を振ったので、笑顔で手を振り返すと相手は黄色い声をあげた。
「チェリちゃん、会議は7階ね」
チェリは黙って大岬のエスコートに従いエレベーターに乗る。
この後に桜子にとって不測の事態が待っているとも知らずに。
7階の小会議室。
ここでクライアントとの会議はこの部屋で行われる。
「失礼いたします。遅れて申し訳ありません」
先に大岬が入り、続けてチェリも入室した。
「遅れて申し訳・・・・・・・あ゛!!!???」
衝撃の光景にチェリも予想だにしない声が出てしまった。
小会議室には今回チェリをイメージキャラクターに採用したクライアントらしき恰幅のいい男性。
そして、今朝、玄関で見送った桜子の夫がそこにいた。
(な、な、な、なななな、なんでここに敬ちゃんがいるのぉ!!??)
大混乱するチェリ、もとい桜子。
対する敬一郎は喜び驚き、クライアントとチェリを交互に3往復見た。
「君のアニメ好きは有名な話だったからねぇ。あ、こちら今回の取引先の全農ながさき県の笠津さん」
混乱している事を知らずにチェリに敬一郎を紹介する大柄の男性。
その時この男性が即座に市場関係者だということに気が付く。先日の長崎県馬鈴薯出荷協議会に出席していた市場の代表者の一人だったからだ。なのでこの場に敬一郎がいる理由にも合点がいった。
(今回の取引先は全農ながさき県だったのね・・・・クライアントが京都の企業って言うから油断してたわ・・・・)
ちゃんと調べ解けばよかった、うかつだった、という気持ちになる。
実は先日の会議で同席した出島大同青果の代表代理で来ていた女性だとは到底理解していないだろうクライアントが続ける。
「えー、私はよく知らなかったんだけど・・・・キャリーさん?」
『チェリです!』
と見事にハモる笠津夫妻。
(そこ間違っちゃダメなところですよ!!)と心内で突っ込むチェリ。
敬一郎はツッコミはしたものの感激しているのは変わりないようだ。
「いやぁ、まさかこんなところでチェリさんに会えるなんて、感激ですよ!」
「ハハハ、よかった、よかった」
目の前のレイヤーが自分の妻であることに気づかない男と、2人の事情を知る由もないクライアントは、本当に絵にかいたようなアットホームな雰囲気だった。
かたやチェリは何とか笑顔を保てているものの、心の中はライオンに追いかけられているくらい慌てていた。
(ど、ど、ど、どどどどどど・・・・どうしよう・・・・・・)
考えれば考えるだけルツボにハマっていく。
チェリの思考はそっちのけで小会議室では名刺交換が始まっていた。
「京都中央青果株式会社の代表取締役をさせて頂いております、島河千斗です。よろしくお願いいたします」
「芸能事務所「ストライクフォックス」でチェリの担当マネージャーをしております、大岬三会です」
さっきまで興奮していた敬一郎もいつの間にか仕事モードに移行していた。
「JA全農ながさき県、特産課の笠津敬一郎です。よろしくお願いします」
「こ、コスプレイヤーのチェリです・・」
(あはは・・・・敬ちゃんから貰う名刺、2枚目だ・・・)
以前は、長崎県馬鈴薯出荷協議会の時、自分は出島大同青果の人間として出席した時にもらった。敬一郎は桜子とチェリが同一人物と知らないのだから、もちろん当然のことだが。
奇妙な夫婦の名刺交換が終わったところで、全員が席につき会議が始まった。
「この度は当社のコスプレイヤー・チェリをイメージキャラクターに選んでいただき感謝申し上げます」
大岬はチェリが脳内混乱しているのを知るわけもなく、仕事をする。
そして真正面でニコニコしている恰幅のいい男性、京都中央青果の社長も答える。
「当社としても青果業界に距離がある若者の興味を引きたい意向はありましてね。できるだけ若手社員にどんなタレントがイメージキャラクターだったらいいかアンケートをしたんですよ。もちろん、男性アイドルとか、美人の女優さんなどの意見が多かったんですが、最近は昔に比べてアニメを見る人も増えてきているらしくて、そういう人たちを引き込める人材がいないかなぁ、と思っていた所、アンケートで比較的上位に来ていた「チェリー」さんが適任だと思ってですね。あとは私の独断と偏見で決定した形になったんですがね。アハハハハ」
チェリです、とツッコみたかったが驚き疲れで精神的体力は回復していなかったチェリ。
「笠津さんはどうでしょうか?」
島河社長に振られた敬一郎は、4月の出荷協議会のような仕事モードの表情で、桜子は背筋に電気が走る思いがした。
「一ファンとしてはもちろんうれしい限りですが、仕事として考えた時に果たしてどれだけのチェリファンを馬鈴薯ファンとして取り込めるか正直、懸念があります。チェリさんの人気ぶりはもちろん存じていますが、とはいえサブカルチャーの域を超えない存在なので言わば「ニッチェ」のファンを取りこっむことになると思います」
敬一郎はチェリのファンであはあるが、仕事として成り立つのかを考えた時に忖度はしないタイプの、ド真面目な男である。
さらにトーンをあげて話を続ける。
「しかしながらタレントや芸人を使った販売戦略、マネキン(プロの店頭実演者)を使った販促活動も飽和状態となっている今、あまり農産物と関りが薄かったサブカルチャーに興味がある若者の注目を集める良い足掛かりになるのではと考えております。過去には、東北地方のJAで地元のブランド米にゲームを中心に活躍しているイラストレーターがデザインした美少女キャラクターを表紙にしたところ、インターネットを中心に大好評になり一時生産が追い付かなくなったこともあった事例があります。楽観視はできませんが、期待はできなくはない、と思います。」
(うわぁ・・・・・敬ちゃん、完全に臨戦態勢だ・・・・)
今まで何度か仕事モードの敬一郎と出くわしたことがあるが、ほぼタイマン対決で出くわすと迫力がある。
とはいえ、本職は市場の販売担当者である桜子もといチェリ。演技でやっている事とは言え、ハートに火はついた。
「では、チェリ。アナタはどのように考えてるかしら」
大岬の振りに『私のターン』と心内で唱えたチェリ。
「あ、はい。この度は数多くの候補の中からオファーを頂き感謝申し上げます。今までのお仕事で農業や作物に関することに関わった事が余りありませんが、出来る限りお力添えをさせて頂きたいです」
島河社長は感心した。
「へぇ、お若く見えるのにとても丁寧な言葉遣いをされますね。お幾つになられますか?」
「ジュ、17歳です・・・・(本当は22歳だけどね・・・)」
(たしか5年位前もテレビで17歳って言ってなかったっけ?)
正直ツッコミたかった敬一郎だが、仕事としてマジメ表情を崩さない。
チェリも心の中で苦笑いしていた。
(敬ちゃん、心の中で絶対突っ込んでるわ・・・・。5年前も17歳って言ってたの)
さすが心の中までおしどり夫婦だった。
とはいえチェリモードで話を続ける。
「まだまだ若輩者の私ではありますが、食に関してはとても関心を持っています。仕事柄、体形管理に気を遣うのはもちろんですが、健康でなければ十分な活動を行うことはできません。そのような意味でもジャンクフードに偏りがちな私たちの食生活を家庭食に誘導する手段として私の力が少しでもお役に立つのであればと思います」
到底10代(正確には20代)の若者が語るのにはカンペがいるような演説語りにクライアントと取引先(旦那)は感心した表情を浮かべる。
それに味を占めたチェリはさらに続けてしまう。
「また、私も料理をするのは大好きで、特に私が作ったジャガイモのコロッケは子供たちが喜んで食べてくれるんですよ~」
「え?子供?!。そんなにお若くて、もうお子さんもおられるのですか?」
と島河社長。
(シマッタぁぁぁぁ!!!!涙)
思わず桜子モードになってしまっていたチェリは盛大に焦った。混乱した表情で両手は千手観音のように振り回す。
「おおおおお、お姉ちゃんの子供たちが、わ、私の料理を大好きって言ってくれるんですよ~・・・・(く、苦しい言い訳かなぁ?・・・)」
島河社長と敬一郎の表情を要るとどうやら信じてくれたらしい。もちろん姉がいるのも虚偽だ。
敬一郎は(へぇ、お姉さんがいるのか・・・)と、推しの新しい情報(虚偽)に気持ちだけ沸き立った。
「す、すいません。主語が欠けてました…。えーッと、話は戻しますが」
そして軽く咳ばらいをすると切り直す。
(もうこうなったら、とことん突っ走る!)
「ジャガイモは玉葱や生鮮野菜と違い、煮炊きをすることが前提のお野菜なので暑くなってくる今の時期から加熱調理は難しくなります。そこで、えーっと、さんじゅう丸、でしたっけ?」
「はい、さんじゅう丸ですか?。ライマン価(デンプン含有量)は従来の馬鈴薯(男爵など)に比べ少ないんですが、すぐに熱が通るのが特徴の品種ですね」
とナイスパスを出す敬一郎。
「その、さんじゅう丸は熱が早く通るため電子レンジ調理に適していると思います。若者であったり共働き世代の人たちにはとても重宝するのではないかと思うんですよ」
「へぇ、ただのお若いタレントさんだと思っていましたが、ちゃんと馬鈴薯や料理の勉強もされているんですね。まるで馬鈴薯販売をする市場担当者の視線ですなぁ。いやぁ、感心感心!」
(やヴぁ!!つい販売担当の癖が出ちゃった!!)
つい、桜子のお仕事モードで、かなり踏み込み過ぎた意見を言ってしまったことにまたも焦るチェリ。
しかしこの後も、さんじゅう丸は他の品種に比べて棚持ちが悪い(足が速い:腐れやすい)ため顧客によっては毛嫌いされる傾向にあり特に関西地区では取引が少ないのでこれから関西地区でのさんじゅう丸販売が販路拡大の重要なポイントになるのではないか、など口走ってしまった。
チェリは話が進めば進むだけ営業トークをしてしまい勝手に反省していた。
島河社長と敬一郎はとても感心し、農業の知識が無い大岬は、一体何の話をしてるんだろう?、と思いつつ相づちだけは打っていた。
❸まだまだ続く妻のピンチ!
この会議は、クライアントである京都中央青果と取引先のJA全農ながさき県が共同で売り出している長崎県産の馬鈴薯を使用したポテトサラダ、チップス、コロッケの売り出しと一緒にさんじゅう丸の調理例レシピ冊子を合わせたセット品のインターネット販売を目的としたもの、という建前はあるが本来はただ取引先とイメージキャラクターの顔合わせが目的である。
しかし予想以上に話が盛り上がってしまったため、当初予定していた30分を大幅に超えて1時間30分にも及んでしまった。
もう時間は正午過ぎ、会議の流れでそのまま同ホテルの和食料亭にて昼食を共にすることになった。
その料亭に向かう廊下の途中。
チェリは大岬に耳打ちする。
「大岬さん・・・・大岬さん!」
「どうしたの?チェリちゃん」
「あの・・・・・全農ながさき県の、担当者なんですけど・・・・・・」
「全農・・・・・・あああ、若いのにすごく知識だしハキハキしてて、なんかオタクって言ってたけど、私が知る限りのオタクとは結構かけ離れた印象の青年よね」
「あれ、・・・・私の夫なんです・・・・・」
「えええええええ!!!!???」
大岬の突拍子な大声に先を歩いていた男性陣2人が、何事かと振り返る。
「あ、ああああ、何でもないです・・・・よ!。私たち、ちょっとお手洗いに行ってきます・・・・ね・・・」
両手を振って無難アピールする冷や汗をかいた大岬。
「そうですか。なら先に席を取っておくので」
と敬一郎は言って、再び島河社長と喋りながら先に行く。
男性2人の背中を確認して、そろってため息をつくタレントレイヤーとそのマネージャー。
「私、今すぐにでも帰りたいんですけど・・・・」
「・・・うーん・・・・気持ちはわかるけど、せめて昼食はお誘いいただいたから無下にはできないでしょ。とりあえずそこまでは、ね」
「ううううううう・・・・・・」
「でもまさかこんな所で大人気レイヤーの旦那様に会えるなんて、思ってなかったわぁ♪」
「私だって、今朝見送ったばかりの夫と、こんなところで会うなんて思ってなかったですよ・・・・・。ヤッパリ私、貧乏くじ引き屋さんだわ・・・」
マネージャーはウキウキ、タレントレイヤーは再びため息をついた。
和食料亭に来ると先に男性陣2人が入っていた畳和室の小部屋に通される。
1基テーブルの左側に男性陣が座っている。
大岬はチェリを先に入らせて自分は4人分の履物を並べるが、さきに入ったチェリはテーブルに置かれていた緑茶セットを見るなりテキパキとお湯を急須に入れ4人分のお茶くみを済ませた。
「あ、お茶は私が・・・」
大岬が言ったころには4人の席にお茶が配膳されていた。
「お茶くみをする姿は大和撫子ですなぁ」
ニコニコ感心する島河社長。
「あ、ああ、お茶くみは嫁入り前のたしなみと親から厳しく言われていたもので・・・・(本当は言われてないけど・・・)」
つい思いついた出任せを言ってしまって自省するチェリ。
(ちょっとやり過ぎたかなぁ・・・・)
と、大岬を見ると、そっちもバツが悪そうな顔をしていた。
(ゴメン・・・私の役目だったわ・・・・)
(スイマセン。癖で・・・)
目線でやり取りするタレントとマネージャー。
(!!)
すると自分をまっすぐ刺さる視線を感じたチェリ。
見えないレーザー光線は敬一郎から放たれていた。まっすぐに真剣な顔でチェリをジーっと見ている。
(け、敬ちゃん・・・・・・なんで、見てるのぉ・・・・・)
青ざめたチェリは泣きそうになりながら、大岬に視線を戻す。
(ここは我慢よ!、チェリちゃん!)
大岬は男2人に見えないようにグッドポーズを出す。
(よよよぉ・・・・・梯子はすでに外されたぁ・・・・)
心の中で涙を流しながら、取りあえず平然を装った。
商談のようなこの手の会議の昼食は、出てくる効率を考えて多くの場合同じメニューが運ばれてくる。
ここは和食料亭らしく4人の前に運ばれてきた天ぷら御膳。
取りあえず気を紛らわすために天ぷらを上品に食べるが、未だ突き刺さる敬一郎の視線にずっと悪寒を感じていた。
隣では島河社長と談笑しながら楽しそうに食事する大岬。
(大岬さん・・・・・へるぷみー・・・・)
しかしチェリの心の声は届かない。
そして、またも刺さる夫の視線に戻すチェリ。
さっきの会議では饒舌だった敬一郎は黙々と天ぷら御膳を食べながら、でも視線はチェリをジーっと見たままダンマリしている。
「あ・・・・・あのぉ・・・・笠津さん?・・・・・」
「あ・・・・スイマセン。さっきからじろじろ見ちゃって・・・・」
喋ると照れる敬一郎に一応ホッとする。
「い、いえいえ。私ってそういう仕事ですから・・・・」
まるで結婚相談所で初めて会う男女のような会話。
・・・・・・・・・・・・。
一時の間が空き、クライアントと担当マネージャーの会話がBGMとして聞こえる。
(よし、ここは思い切って!)
『あの!』
見事に2人の声は正面衝突する。
急に赤くなるチェリと敬一郎|(もとい笠津夫妻)。
「ど、どうぞ」
「い・・・・いえ。笠津さんからどうぞ・・・」
もう何回も自分の苗字を呼んで違和感すら感じてきたチェリは、何とか平静を保ち敬一郎に先行を渡した。
「あ、はい・・・・。先ほどの会議でも思ったことなんですけども・・・・」
(も・・・・・・もしかして?・・・・・・)
もしかしてバレていた!?と一気に背中に悪寒が駆け巡る。それが表情に出そうになって、我慢の限界に到達しそうだった。
「さっきのお茶くみの所作と言い、なんだか初めて見る感じがしないって気がしてですね」
「あ・・・・あー、そーなんですねー・・・・(もうこれ、ネタバレルートでしょ!)」
「わかった!。ウチの嫁に雰囲気が似ているんですよ!!」
(はい!アウトーーーー!・・・・・・)
チェリは裁判の判決内容を聞かされているような気分になる。
隣の大岬も(これは流石にマズイ・・・)と思い始めるも、助け船を出すタイミング見いだせない。何よりネタが尽きない島河社長の話が止まらない。こっちはこっちで受け答えに苦戦していた。
「チェリさんと実際に会うのは初めてですけど、もしかして・・・・」
「あ・・・・・(もう・・・オワタ・・・)」
もう、諦めることしか選択肢が無い。チェリは意を決した!。
「私、実は、さ・・・・」
と自分の名前を言おうとした瞬間、ドクン!、と突き刺さるような胸の痛みがチェリを襲った。
一気に瞳孔が開き、息もできない。
周りは真っ暗になる。
3人が周りにいたはずなのに、今は目の前に一人の女性が立っている。
その女性は笑っているのに、非常と邪悪を合わせもつ印象が突き刺さってくる。
一体何が起こったのかわからないチェリ。
「・・・・・ん。ちぇ・・・・・」
何か聞こえる。体も揺すられているような感覚だった。
「チェリちゃん!」
「あっ!?」
ドン!と音を立てたような感覚で周りが元の明るさになる。
一体何が起きたのか。
チェリは現実に戻ってきた。
目の前には心配する敬一郎と島河社長、隣の大岬はチェリの手を握っていた。
「チェリちゃん、大丈夫!?」
「あ・・・・・はい・・・・。大丈夫です、よ」
しかし冷や汗は尋常ではなかった。しばらく座りながら意識が飛んでいたらしい。
今朝、飛行機に乗った疲れだろうか?。
「休まなくて大丈夫ですか?」
「チュリ―さん、一旦病院に・・・」
心配する敬一郎と、相変わらずタレントの名前を間違える島河社長。
「だ、大丈夫です。ちょっと飛行機疲れしてただけだと思います・・・・・」
チェリは出来るだけの笑顔で対応する。
「取りあえず、お水飲んで」
大岬が注いでいたお冷を軽く一飲み。ゴクッと飲み込むと喉を通る冷えた感覚がいつもより過敏に感じられた。
それから数分、何度の男性2人は心配するが、部屋は徐々に平静を取り戻した。
「スイマセン。せっかくの会食の場なのに・・・」
「いえいえ、お忙しい所および立てしたのはこちらですから、ジェシーさん」
「申し訳ありません、社長。・・・・あと、名前はチェリです」
笑顔で突っ込む大岬に島河社長は頭をかいて苦笑いする。
そしてふと敬一郎に視線を戻すと、未だ心配している様子。
(やっぱり私が桜子って思ってるんだ・・・)
心配を掛けさせた上に、自分の正体に疑いを掛けられているこの状態。
(本当、何やってんだろう、私・・・・)
自分が情けなくなった。いったい自分はどうすればいいのか。そして今さっきの動悸はいったい何なのか。
チェリはそのまま下に俯いてしまう。
「桜子」
「!!??!!ひゃい!」
いきなり自分の本名を言われ、またドキッ!!とした。
「と言います。ウチの妻」
「あ、ああ・・・そうなんです、ねぇ・・・。可愛らしい名前ですね~・・・(ちょっと!敬ちゃん!釣ってんの!?)」
ビジネススマイルの内側は泣きながら敬一郎を叩きたい気分だった。
(頼むから~、断罪するなら早めにしてぇ・・・・)
「以前、テレビでお見掛けした時に、保育園で子供たちを見る表情が、妻にそっくりで・・・」
この前出演したテレビの話だ。
(・・・・これは完全ネタバレ路線、だよね・・・・)
「自分の妻とそっくりな人だとは、夢にも思ってなかったですよ~」
「え?・・・・・・(あれ?なんか・・・・)」
「世の中にはそっくりさんが3人いるって言いますし」
「ぶっ!!」
チェリは吹き出しそうになった。
(こ、この人は・・・・・スーパー鈍感鬼人だわ・・・・・)
正直、苦笑いを隠せない。
「以前に妻と同じ会議に出たことがあるんですけど、さっきのクライアント会議もその時のニュアンスそっくりだったんで、感心してたんですよ」
「そ、そうなんですね~・・・・(そりゃそうでしょうよ、同一人物なんですから・・・・)」
先ほどからジッと自分を見ていたのはそのためだった、という合点が今ついた。
取りあえず、自分の正体には気づいていない様子の敬一郎に安堵しつつ、鈍感鬼人の夫に呆れるチェリ。ここまで来ると病気じゃないかと疑いさえもした。
もうさすがにマズイ、と思った大岬は話が途切れた瞬間を狙ってとっさに会話の方向転換を行う。
「そういえば、笠津主任さんの奥様ってどんな人なんですか?」
(ちょっと!大岬さん!)
軽くウインクする大岬に恨み節を吐きたくなったチェリ。
敬一郎は、少し赤面しながら温くなった緑茶をグイっと飲み干した。
「妻は・・・・・妻は本当に美人で、可愛らしくて、頼りになって、子供たちに一番の愛情を注いでくれる女性です」
チェリは次々言われる自分の世辞に恥ずかしくて噴火しそうになった。
「それに仕事熱心な努力家で、元々農業に関わりが無い家庭だったのに沢山勉強して、今では長崎市にある青果市場で働く皆から信頼されている立派な会社員だと聞いています」
しかし次には少し寂しそうになる敬一郎。
「アニメオタクな自分もイヤな顔せずに受け入れてくれて、でも時々見せる不安そうな顔を見ると守ってやりたくなるんです」
(敬ちゃん・・・・・・)
しかし次の敬一郎の一言で桜子の感情が一気に高ぶってしまう。
「本当に、自分には勿体ない女性です」
「もったいなくなんかないよ!!」
反射的に大声を出してしまうチェリ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「あ、ああああああ!ご、ゴメンナサイ!」
3人の驚いた顔を見て急に我に返ったチェリは顔を伏せてしまった。
大岬は背中をさすってくる。
「落ち着いて、落ち着いてね」
「ありがとう・・・・」
チェリは軽く深呼吸をするとまっすぐに心配そうな顔の夫を直視する。そしてすぐにほほ笑んで言った。
「たぶん、笠津さんの奥様はそんな事思ってないと思います、よ。・・・もったいないなんて、言わないで・・・・・・下さい」
と、涙が流れていることに気が付いたチェリ。
「ご、ごめんなさい!。人の奥さんの事なんて、他人の私には解る訳無いのに、ですね・・・」
チェリは顔を伏せたまま上げられない。
(私!何言ってんだろう・・・・。どうしてこのタイミングで感情的になってんのよ!。バカ!)
こんなことは初めてだった。今まで夫である敬一郎が「アニメオタク」などと言われたり半ばバカにされた時でも、軽く流すことはできていたはずだ。
それが何だろう?。敬一郎本人が言ったからなのか。
『自分にはもったいない』
謙遜する敬一郎の顔がまた浮かんだ。
(もったいないのは・・・・・・・・私の方だよ・・・・・・)
敬一郎は同じオタクなのに、バカにされても全く動じず、でも相手の立場に立って話したりできるコミュ力が強い男であり、周囲が恐れる相手にでも一歩も引かない勇気がある。鉄メンタル、と周囲から言われている強固な精神力を持っている。
そんな相手と自分では、むしろ自分の方が勿体ない。
なのになんでそんなことを言うんだろう。
昔から引っ込み思案で何事にも積極的になれず、自分の個性すら殺してきた。友達なんていなくてもいいと思った時期もあったが、高校時代に敬一郎に出会ってから自分の人生はどんどん変わっていった。
自分を引っ張ってくれた敬一郎に、自分はまだ何も恩返しできていない。
完璧超人の敬一郎と、演技というメッキで自分をなんとか装ってる自分では、明らかに自分が釣り合っていないと思っている。
(どうして・・・・・、どうして敬ちゃんはそんな事、言っちゃうのよ・・・・・)
またも涙があふれて、大岬に渡されたハンカチをさらに濡らす。
「チェリさん!」
ハッと、気づくと何度か敬一郎が呼びかけていたことにようやく気が付いた。
「大丈夫ですか?」
「あ・・・・・・はい・・・・・。すいません・・・」
「い、いえ。こちらこそスイマセン。気に障る事でしたら謝ります・・・」
「いえいえ!。そんな」
「ハイハイ!。もう謙遜のデスマーチはやめましょう!」
大岬がザックリ切った。
「あの、自分の妻の事なのに、なんか・・・・・良かったです」
アハハ、と頭をかきながらほほ笑む敬一郎に、桜子は思う。
(私、何してんだろう。変なこと言ってダンナを困らせてた・・・・・)
いつものように平静を装って流せばよかったのに、それをせずに感情的になって場をシラケさせてしまった。
「でも」
敬一郎はチェリをまっすぐ見て、真剣な表情になった。
「もしかすると、チェリさんが言ったことは実際に妻が思っている事なのかもしれません。夜に電話してみます。・・・・・ありがとうございました」
頭を下げる敬一郎につられて、桜子も頭を下げる。
桜子は今さっきまで刺さっていた心の杭が一気に取れた気がした。
「ま、とにかく食べましょう。せっかくの天ぷらが冷めないうちに。あ、おかわりいるなら注文してもらっても・・・・」
と、静かになった場に耐えられなくなった島河社長。
「あ、いやお構いなく・・・・(あ、この社長さんの存在、忘れてたわ・・・・)」
一番大事なクライアントに哀れみを感じ、すっかり冷えてしまった天ぷらをつつきながら、先ほどの会議の続きを少しだけ行った。
❹やっと帰れる長崎に。・・・・ところが。
「島河社長。本日は有意義な会議ありがとうございました」
「いえいえ、マネジャーさん。こちらこそ無理言って申し訳ない。いやぁしかし、若いのにしっかりしたタレントさんですなぁ。あ、タレントをディスってるわけじゃないんですけどね」
ウォーターサーバーの水が入った紙コップを島河社長に手渡しながら、オジサンが「ディスる」なんて、と愛想笑いをする大岬。
チェリは、ミニタオルで手を拭きながら出てきた敬一郎に同じウォーターサーバーの水を差しだす。
「ありがとうございます」
受け取る敬一郎はさっきの事もあり、少し赤くなっていた。
「い、いえ。こちらこそ、色々お話しできて良かったです・・・・」
「自分もです。テレビで拝見するだけのチェリさんでしたから、今回一緒に仕事ができるなんて夢のようですよ」
ウキウキが止められないのが表情と声のトーンから解った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
『あの!』
またバッティングしてしまった。お互い赤面して俯いてしまう。
「・・・・チェリさんから、どうぞ・・・・・」
「い、いえ。・・・・・敬ちゃ・・・・・(あ、ぶね!)」
そして軽く咳払いをするチェリ。
「笠津さんからどうぞ・・・・」
「あ、はい・・・・。今度の機会でお時間取れたら・・・・次はオタクトークしたいですね」
ニコッとする敬一郎。
チェリは一瞬、ポーっとしてしまうが、気を取り直す。
「あ、はい!。ぜひとも・・・・・・」
チェリは一瞬、敬一郎とオタクトークしたい桜子の夢がかなったようで内心喜ぶが、ハッとする。
(でもそれって、桜子じゃなくてチェリとしてだよね・・・・・)
複雑な気持ちになった。
(よーしだったら・・・・!)
「笠津さん!」
島河社長と次の会議に行こうとした敬一郎を呼び止めたチェリは小悪魔的に微笑む。
「今度の時はオタクトークだけじゃなくて・・・・デート、しましょ♡」
「え・・・・・・・・・・ええええぇぇぇぇ!!??」
目を爆発しそうに大きくして驚く敬一郎に対して、小悪魔チェリはさらに畳み掛ける。
「もちろん、奥さんには、ナ・イ・ショ、ですよ♡」
今にも破裂しそうな真っ赤な顔面の敬一郎に、下をペロッと出してウインクする。
「えへへ。冗談ですよ!」
敬一郎はサキュバスに生気を吸われたミイラにされた気分になった。
「こーら!チェリちゃん。あんまり先方を困らせないように!」
「アイタ!・・・・はーい」
悪戯っぽく笑ったチェリを軽く小突く大岬。
すぐにミイラから人間に戻った気持ちの敬一郎は島河社長を一瞥して、チェリと大岬に向き直る。
「本日は、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします」
「ありがとうございました。奥様にもよろしくお伝えください」
ほほ笑むチェリに、頬を赤くしながら会釈するとその場を離れる男2人。
このあと同じホテル内でJA全農と関西地区馬鈴薯市場部会の馬鈴薯販売会議が行われるからだ。
「さ、私たちも行きましょ、チェリちゃん」
それを言われて、やっと深いため息をついて先に出口に行く大岬に続いた。
行きがけと同様、チャーターしたグランエース内で化粧を落としウイッグを外した桜子に大岬はペットボトルのお茶を差し出した。
「ありがとうございます」
「ああ・・・・新鮮だったわぁ、チェリちゃんの旦那さんイジメ♪」
桜子は口に含んだお茶を吹き出しそうになった。
「って、何言ってるんですか!?」
「えー、結構小悪魔してたじゃなーい?」
「どっかの敏腕マネージャーに毒されたんですよッ!」
赤面しながらジト目で大岬を見る桜子。
「まぁ、まともな人だってことは解って、安心したわ・・・」
急にマジメモードになる大岬。
「大岬さん・・・」
と、ニヤリとする桜子。
「も、いい人見つかるといいですね♪」
「こらー!余計な事言わないでよ!この、幼な妻!!どーせ私は行き遅れる運命よぉ!!」
「いやぁ!首絞めないでぇ!!」
「お、お客さん・・・もうちょっと静かに・・・・」
『・・・・すいませーん・・・・・』
冷や汗をかいた初老の運転手は、まるで女子高生をお客にしたような気分になった。
と騒動しているといつの間にか伊丹空港に到着していた。
グランエースを出発口入口前に横付停車させた運転手は降りてトランクを開け、2人分の荷物をおろした。
車内から降りて来た大岬と、チェリ・・・・・。
「アレ?。さっき乗ってたチェリちゃんは?・・・・・・」
キョトンとする運転手に、すかさずニコニコした大岬が紙袋を渡す。
「すいません。今日の事は忘れてください。これはチップです」
「あ、は、はぁ・・・・」
「もし、今日の事をばらしたら、安全な人生を送れないようにしてやりますからね♪」
満面の笑みの大岬に、運転手は絶句して何度も頷く。
「ありがとうございましたッ!!」
しかし、まるで美少女のような桜子に視線を奪われる運転手。
「中学生だったんだ・・・・」
「22歳ですぅ!。もう!お仕置きしちゃいますよ!」
デレェっと照れる老人運転手。だが背後の「ゴゴゴゴゴゴゴ!」という気迫に驚愕する。
「ひぇぇ!!?」
「安全なぁ・・・・・人生をぉ・・・・・」
運転手は土下座して何度も額を地面に擦り付けた。
空港内は人でごった返していた。平日なのに大都会の空港はすごい、と思う長崎人の桜子。
「ああ、長崎空港が恋しい・・・」
大岬は自動券売機で搭乗チケットを発券して、1枚を桜子に渡す。
「じゃ、行きましょ」
「?」
桜子はうなずくも、ちょっと疑問に思った。
保安検査場を通り、長崎行きの搭乗口があるところまで先行して歩く大岬。
「大岬さん」
「なーに?」
「私、一人で行けますから大岬さんは東京行きの方に行ってください」
「まぁまぁ、いいのよ」
「はぁ・・・・」
なにか裏のある返事を言われ、疑問符しこりが気になる桜子。
今日のように空港で合流して仕事した時は、同じく空港の保安検査場を過ぎてから大岬に長崎行きの搭乗ゲート番号を教えてもらって別れるのが通例だったからだ。
搭乗口近くのに来ると、土産品店を指さす大岬。桜子は首を振る。
自分も大阪に来ていたことがバレるとまずいので、お土産は長崎に帰ってから子供用を買うことにしていた。
「あ、ちょうど席が空いてた。そっち座ろ」
と席に座って、トントンと空席を叩いて桜子を促す。
「あの、大岬さん?」
「なーに?チェリちゃん」
「東京には帰らないんですか?」
「うん。だって・・・」
大岬はチケットでお互いの視線を遮断して、そこからひょっこり顔を出した。
「私も長崎に行くから」
あっけにとられる桜子。
「え?」
「え?」
「えええ!?」
「・・・・ぷっは・・・」
疑問符の押し返しで思わず噴き出した大岬。
しかし桜子は釈然としなかった。
「い、いや、いくら急なお願いとは言っても、長崎まで付いて来てくれなくても・・・・・」
「私がそうしたいの♪」
悪戯っぽく笑う大岬は、舌を出した。
「なーんてね」
「それって?」
キョトンと腑に落ちない表情の桜子。
「相変わらずカワイイね、チェリちゃん」
「もう!はぐらかさないでください!」
「ゴメンゴメン」
パタパタ右手を仰ぐ大岬は、取りあえず座るように促し、桜子はそれに従った。
「チェリちゃん、ウチの事務所に来たことあったっけ?」
言われ桜子は思い出すように視線をあげる。
「えーっと、マンションの一室だったところですよね?」
「あそこね、引き払ったの」
「え?!、じゃぁ、マネージャーのお仕事は?他の子は?!。引き払ったって・・・・社長はどうされたんですか?!」
桜子の質問攻めに冷静な大岬。
「チェリちゃん以外の2人だけど、一人は人気アニメの声優に決まってそのまま大手事務所の引き抜きにあったからもう居ないし、もう一人はあのドラマで共演した大物俳優と出来ちゃって、そう!デキちゃって辞めることになったからね~」
桜子は頭を抱えた。アニメ声優に抜擢された声優志望の女の子はオーディション合格を一緒にお祝いした記憶があるが、大手の引き抜きの件は知らなかった。
2つ目は大手芸能雑誌もまだ知らないようなスキャンダルを軽ーくぶちまけられて逆に精神的にやられそうになる。
「あ、アハハハ・・・・、そんなことになったなんて・・・・。あ、でも大岬さんのお仕事は・・・」
「私は大丈夫よ。ネットワークとノートパソコンさえあればドコでも仕事できるから。最近はリモート会議ばっかりで自宅ですることも多いしぃ。だったら担当するタレントの近くにいた方がいいでしょ♪」
「いやでも、だからって事務所まで・・・、社長を追い出すようなことしなくてもいいような気がするんですけど・・・・」
「チェリちゃん・・・」
「はい?・・・・・・・(何なんだろう、この不敵な笑みは・・・)」
桜子は悪い人からからまれているような気分になってきた。
「ウチの事務所の社長に会ったことある?」
「い・・・いえ・・・・・無いですけど・・・・・」
「芸能事務所「ストライクフォックス」社長、トゥリミート・グレイトケイプ。名前だけは、知ってるっけ?」
「はぁ・・・・確か変わっ・・・・・個性的なお名前の外国の方かなぁっと・・・・」
言葉の綾を口走りそうになり苦笑いする桜子。
(ん?。そういえば、なんか・・・・違和感がある名前・・・・・・のような)
「違和感がある名前のような・・・・・なんて思ってんでしょ♪」
「ん!・・・・・・大岬さん、まさか読心術!?。エスパー!?」
「いえ、魔法少女よ♡」
訳が解らない返しをする27歳の自称魔法少女に呆れていると、大岬はバックからいつもの青いステンレス製の名刺入れと同じような素材の赤い名刺入れを出し、中身を1枚ドロゥする。
大岬はそれを桜子に差し出しながら、頭を下げる。
「初めまして。ストライクフォックス社長のトゥリミート・グレイトケイプ、と申します。よろしくお願いいたします」
桜子は思わず名刺を手に取って、
「・・・・・・は?・・・・」
全く要領を得ない事に思考が停止する。
もらった名刺に視線を落とす。
(トゥリミート・グレイトケイプ・・・・・ん??!)
トゥリ・ミート・グレイト・ケイプ。
「んんんん!!??・・・・・。三・会・大・岬・・・・。三会・大岬!!??」
「えへへ。やっとわかったわね、鈍感チェリちゃん♪」
「は・・・・・ハハハ・・・・・・」
冷や汗の顔半分は引きつっている桜子。
大岬三会。彼女はマネージャーである以前に事務所の社長だった、という隠れステータスにようやく気が付いた桜子。
「つまり~、事務所って言っても実質タレント以外の社員は社長である私一人だけなのよ~。タレントは片手に収まるくらいしか居なかったし、建前上社長の名刺も持っていた方が都合がいいものだから~」
「・・・・・・と、いうことは・・・・?」
「ストライクフォックス、長崎に移転しまーす♪」
大岬はどっから出したのか扇子を広げ満面の笑みで一人盛り上がり、桜子は口を開けたまましばらく絶句していた。
(このスーパーポジティブについていくの・・・・・陰キャの私には自信ないよぉ・・・・)
「あ、もうすぐ搭乗時間だよ~。チェリちゃん!いこ!」
「・・・・この人はナゼにこんな元気なんだろ・・・・」
桜子は頭を抱えながら重たい腰を上げてキャリーバックを掴み、鉛のように重たくなってしまった足を動かした。
午後6時。長崎空港に到着した。
大阪伊丹空港よりはるかに人が少なく本来なら安心感がある郷土空港のはずなのに、さっきからどんよりした気持ちの桜子。
大岬の驚愕の事実がどうというより、そのテンションに相変わらず振り回されているからだ。
荷物を受取り到着ゲートを抜ける。
「大岬さん・・・・・あ、社長・・・」
「やっだぁ、今まで通り大岬でいいわよ」
近所のおばちゃんばりに肩を叩きながら笑う大岬にジト目で応戦する桜子。
「あのー、車で送りましょうか?」
「あ、うん。もとよりそのつもりよ~」
「でしょうね・・・」
もうこのマネージャー兼社長と話をするだけでくたびれてしまう。
取りあえず、駐車料金も会社の経費として大岬が払った。
日差しで暑くなった車内を冷やすためにエンジンを掛けたスペーシアの窓を全開にし、フルオートエアコンも最大出力で働いてもらった。
車内を冷やしている間に、オーディオデッキでナビを起動させる桜子。
「大岬さん。取りあえず、移転先に行かれるんですか?」
「えーっとね、取りあえずアナタたちのマンションに直行で~。あ、でもその前に~、チェリちゃんのお子様たちのお迎え、一緒に行っちゃおうかなぁ」
「えーっと、なんでマンションに同行するのかは、置いといて・・・」
桜子はジト目を取りあえず通常の表情に戻す。
「子供たちはお義母さんがもう迎えに行って、一緒に帰宅しているそうなので、そのまま帰ります」
「そーなのねー。なら帰りましょ♡」
「なんだかなぁ・・・・」
またジト目になりつつ、窓を全閉して運転を開始した。
「えーっと、新しい事務所は長崎市内にあるんですよね?・・・・・」
マンションに帰ってきて笠津家の部屋ドア前でどんより低いテンションで聞いた桜子。
「そーよー」
大岬はのんきに答える。
「それはどちらに?・・・・」
「えーっと、長崎県長崎市東長崎・・・コチラになりまーす♪」
隣の部屋に促されてい見に行ってみると。
『ストライクフォックス 代表:大岬三会』と書いてある表札が見えた。
「やっぱり・・・・・・(まさか、我が家の隣に移転してくるなんて・・・)」
「お察しの通り~♪。これからよろしくね♪チェリちゃん!」
「・・・・・・・・はーい・・・・・・」
縦筋が入りそうなドンヨリ顔で棒読みする桜子。
事務所が一気に近くに来たことで仕事はしやすくなった。
しかし桜子のテンションは未だ上がらないままだった。
❺そして妻は通常業務に戻る
「あ、もしもし。お疲れ様~」
『お疲れ様~』
パジャマ姿の桜子はやっと一息ついたところで敬一郎からの着信があったことに気づき、電話をかけ直していた。
「懇親会は終わったの?」
『ああ、うん。さっき2次会が終わってさ、3次会のガールズバーにい誘われたんだけど、「家内が怒るから」って断ってホテルに帰ってきたとこ』
「ええぇ、行って来ればよかったのに~」
『え!?、言ってきていいの!?』
「ダメだよ!今更♪」
『ですよねぇ・・・・・』
(ああ、なんか夫婦らしい会話だわ・・・・)
桜子は、このコントみたいなやり取りが実は好きだったりする。
『秋桜と梁は寝た?』
「直前まで2人して走り回って、やっと電池切れしてくれたところ、だよ。もう、大変だったぁ・・・」
『ハハハ・・・・・ごめんな苦労かけるけど』
「そんなこと、言わないの」
『そういえば、今日、コスプレイヤーのチェリと直接会ったんだ』
「へぇ、そうだったんだぁ。どうだった?憧れのコスプレイヤーさんは♪」
あくまで非オタクとして対応する桜子。
『すごく可愛くて、優しくて、若いのに大人のような対応して、もっと「芸能人!」って感じなのかと思ってたから意外だったよ・・・』
「へ、へぇ・・・・よかったね・・・・(もう、敬ちゃんたら♡)」
可愛くて、優しくて、に照れる若奥様。
『そしてさ、桜子の事も話の途中で出てきて「俺にはもったいない」って言ったら、ちょっと怒られてさ・・・・』
「え、へ、へぇ・・・・(いや、怒ったつもりはないんだけどね・・・)」
『そんなことない!、って言われて、さ・・・・・。もしかして桜子はどう思ってるのかな、って思って・・・・』
電話越しだが、敬一郎が酔って頭を抱えて悩んでいる様子が、想像できた。
桜子は、昼間に自分が言った事で敬一郎が悩んでいると思うと、正直申し訳ない気分になった。
あの時の自分は桜子ではなくチェリだった。あそこで、感情的になるのは完全に間違いだったと思う。同一人物だとしても、周囲からすれば赤の他人なのだ。
だからこそ、ここでどうこたえるか迷った。
『あ、あの・・・・・桜子・・・・・・』
「ご、ごめん。何でもない・・・・・」
そして、いつの間にか涙が流れている事に気が付く桜子
(ここで黙っちゃうのは一番ダメ。正解か解らないけど・・・・)
一旦携帯を耳元から話すと、深呼吸してから言った。
「私ね、元々は敬ちゃんと不釣り合いだと思ってたの・・・・。コミュ力高くて何でもできて、鉄の心臓で根性も座ってる。そんな敬ちゃんに私はただ付いて行ってるだけだって・・・・・」
『そんなことないよ。桜子は学生時代の俺を支えてくれたし、桜子が2回もお腹を痛めて大切な秋桜と梁を授けてくれた。桜子が家庭をちゃんと見てくれるお陰で子供たちは健全に育ってるし、桜子が・・・』
「敬ちゃん!」
『!』
「私だって、敬ちゃんのお陰、っていえばきりがないよ。それは・・・・相殺でいいんじゃない?」
『え?』
「お互いがお互いに『自分にはもったいない』って思ってるなら、それは対等な関係だよ・・・」
『・・・・・・桜子・・・・』
・・・・・・・・・・・・・・。
「あー!もう!こんなしんみりした話終わり!。わざわざ電話で話すようなことじゃないでしょ!」
『あ、ああ。うん。そうだね・・・・』
・・・・・・・・・・・・・・・・。
また会話が途切れてしまった。すると敬一郎は話を切り替えてきた。
『あ、そういえばさ・・・・』
「う、うん・・・」
『なんだか・・・・・・桜子に雰囲気が、似てた・・・チェリが・・・・』
桜子はまたも正体がバレたのではないかとドキッとする。
『もしかすると、それでなんか桜子が言ってるように思えたのかな・・・・・』
(私が言ってるように思えたのは、正解なんですよ実は・・・・)
苦笑いする桜子は、ふとイタズラを思いついた。
「じゃぁ・・・・・そのチェリさんと、私。どっちが好き?」
『はひゃ!?』
夫から聞いたことない擬音が飛び出し、吹き出しそうになる桜子。
対する敬一郎は、昼間のチェリたちとの別れ際の事を思い出す。
【今度の時はオタクトークだけじゃなくて・・・・デート、しましょ♡】
【もちろん、奥さんには、ナ・イ・ショ、ですよ♡】
ガシャン!という音が電話越しに聞こえた。
(ああ、これは昼間の爆弾思い出して、何かに頭ぶつけたわね・・・・・)
申し訳ないと思いながら、でも微笑ましくもなった。
『え、えっと・・・・それはもちろん桜子だよ!。だって俺の自慢の妻だから、さ!・・・・・・チェ、チェリは、一ファンとして好きなライクだから!。オレは桜子が好きだよ。好きだよ』
なぜ2回言ったのかはあえて聞かなかった。たぶん、念押しなのだろうと理解したからだ。
「うん、ありがと」
『ああ、・・・・うん。ありがとう・・・・・明日の夕方には帰るから』
「うん、明日も気を付けてね・・・・・・・・おやすみなさい・・・・」
『・・・・おやすみ・・・・・』
電話を切ると、スマホを机に置き、二人の子供が寝息を立てているベットに入った。
天使たちの寝顔を見て、軽くなでるとスタンドを消し、自分も横になる。
「・・・・何聞いちゃってるんだろ、私」
ヒザを抱え、こみ上げてくる想いを抑えた。
(・・・・やっぱり、敬ちゃんとオタクらしい話したいよ・・・・・)
気持ちの起伏があっても桜子が思うことはここから揺らぐことはなかった。
目を瞑ると、そのまま意識は遠のいていった。
# 02 END
第1話ではあまりインパクトがない事に気が付き、慌てて第2話を仕上げてみました。
妻が隠れオタクなら、正体を知らない夫がニアミスしたり接触したりしたときにどうなるのか?、というのを妄想した時に「あ、これって面白いかも」と思った自分がいましたが、これをいかにして面白く表現するかは本当に難しいんですね。
でもマネージャーの大岬に人参ぶら下げられて振り回されたり、意図せず敬一郎と接触してしまう桜子の内心大慌てする様子、夫婦がお互いをどのように思っているのか、などをなんとか表現で来たんじゃないのかな?と思います。
個人的には、大岬に毒されてか正体を知らない敬一郎を釣る桜子の小悪魔っぷりはお気に入りです。
執筆はまだまだ始めたばっかりなので、新入社員のつもりで勉強させていただきます!
加津佐の雪男