あと3日の命
とりあえず話を聞くために、夕食後にモモカの部屋へと案内した。もちろんニンニク料理なので黒森は食べず、部屋の隅で鼻をつまんで待機していた。食べ終わって部屋に向かおうとした矢先、黒森の姿にビクついたモモカを見て「お前、俺がいるのを忘れて夕食に夢中だっただろう」と彼は言い当てた。
食後にすぐ入浴と決まっているモモカだが、お風呂を後回しにして、黒森から話を聞いた。
普段、俺たちは人間の世界のほど近いところにある、ヴァンパイアの世界で生活している。こちらの世界に来るときは、人間からは見えない姿となって、それか人間の姿を取って、人間にはヴァンパイアだと悟られないように生活しているし、世界を跨いで来ることはほとんどない。しかし、今回はヴァンパイアの命とも言える牙の調子が悪い気がしたので、歯科検診に来たというわけだ。
ヴァンパイアの世界に歯医者?いるわけないだろ。ヴァンパイアは共食いの種族。覇権だけを求めて生きていくのだ。自分の敵になろうものなら、親だろうと子供だろうと殺すのがヴァンパイアだ。他人を助ける職業など、あちらの世界に存在するわけがないのだ。
それで、覇権を求めるヴァンパイアの象徴になるものが、鋭く太く、そして長い牙だというわけだ。牙がなくては血が飲めないし、空も早くは飛べないし、コウモリも使いこなせない。人間の数十倍だと言われる力も、いずれ人間と同じくらいまで落ちて死に至る。
そこまで聞いてモモカは心配になって聞いた。
「じゃあ、あなたは今血が飲めないわけですよね」
「ああ、お前のせいでな」
「あの、食事は大丈夫なんですか?」
ヴァンパイアの食事は血。モモカの頭の中にはそんなイメージがあった。しかし黒森は首を横に振る。ヴァンパイアにとっての血は、人間の世界で言うお酒のようなものだという。さらに、食べ物を食べなくても、死んだり空腹に苦しんだりすることはないらしい。
「それに俺は下戸なのでな、元から血は飲まん」
下戸という言葉に少し噴き出してしまったモモカを、黒森は「馬鹿にしているのか」と睨みつける。モモカは気にする様子もなく、
「じゃあ、牙がなくなっても困ることないですね!よかったぁぁ」
とベッドに背中を預けた。しかしすかさず黒森は否定する。
「お前は何を聞いていたんだ。牙がなくなると、血を飲めなくなるだけではなく、ヴァンパイア特有の能力も著しく落ちるのだ。そして三日以内に死ぬんだぞ」
黒森がうつむき、モモカにも分かるように具体的な話をする。
ヴァンパイアの「死ぬ」とはどういうことなのか。彼らは灰になって消えてしまうのだ。それを免れる手段は、ヴァンパイアの誇りを捨てて人間として生きることを受け入れるしかなかった。つまり一度牙がなくなったら、元のヴァンパイアには戻れない。モモカは事の重大さをようやく理解した。その上で抱いた疑問を投げかけた。
「じゃあ、どうして抜いてしまった牙を取り戻そうとしたんですか?一度抜けたら元通りというわけにはいかないのでしょう?」
黒森は少し自信なさげに声を落とす。
「イチかバチかの可能性に賭けようと思った。ヴァンパイアの牙が、戦闘で失われた話は聞いても、治療で失われた前例はない。抜いた後すぐになら、歯科医のお前に元通りにしてもらえるかもしれないと思った」
イチかバチかの可能性を無自覚とは言え、摘んでしまっていたことをモモカは悔いた。
「俺は生まれた時からヴァンパイアだ。ヴァンパイアとしての誇りを捨てたくはない、決して。しかし灰になって消えたいとも思わない。」
そうだ。モモカだって黒森に死なれたら困ると首を縦に振った。歯科医としてデビューした初日に、犬歯を抜いて殺人犯になったなんてまっぴらごめんだ。
「じゃあ私が人間の誇りを教えます。もしあなたが、ヴァンパイアとしてよりも、人間として生きる方が誇らしいと思えたら、それは一番いいことじゃないですか?」
保身という下心から考えた案だったが、これがベストな方法だとモモカは確信した。そもそも、歯科医として、この男の口内環境を良くしようとして犬歯を抜いたのだ。それに一人の人間として、歯の問題ではなくとも、助けられるものなら助けたい。
「それは三日以内に教えられることなのか。ヴァンパイアとして生きてきた俺に」
もっともだ。確信なんてどこにもない。でもそれ以外の道はない。
「きっと」
大きく息を吐きだし、力強く答えた。黒森は、それにしてもひどいガーリック臭だ、と初めて笑顔を見せた。苦い笑顔ではあったのだけど…。