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歯科医とヴァンパイアの牙  作者: ぼっちりぼっち
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黒ずくめの患者

花戸(はなと)モモカがやらかしたのは、念願の歯科医デビューを果たしたその日だった。

 



 亡くなった祖父は開業歯科医であり、幼い時分は母の実家に遊びに行くやいなや、祖父の検診を受けたものだった。当初モモカは、遊びに来たのに、口を強制的に開かされたまま、椅子に寝ていなければならないのが苦痛だった。

 しかし、祖父が歯科医であればこそ、同年代の子たちとたくさん遊ぶことができるのだとだんだん分かってくると、モモカは多くの人と出会える祖父の家がたいへんお気に入りになった。

 歯科医院だというのに、祖父の家にはいつも甘いお菓子が用意してあり、それを禁止されることもなかった。いつだったか、祖父に尋ねたことがある。

「どうして他の歯医者さんにはお菓子が置いてないのに、おじいちゃんのお家にはお菓子があるの?」

 その時の祖父の答えを、モモカは今でもはっきりと思い出すことができる。

——歯科医とは、人から食べる楽しみを奪うものではなく、人が歯を大切にしながら美味しく食べられるように、お手伝いをする仕事なんだ。

 歯科医としての哲学を傍らに育ったモモカは、いつの間にか祖父と同じ歯科医を目指すようになっていた。そう、歯科医になるという夢はモモカのルーツそのものであり、年季の入った夢だったのだ。





 その日、モモカは予定より三〇分も早く起きた。朝からしなくても良い掃除をしてみたり、普段はケチって使わないような高い化粧品を使ったり、モモカのワクワクぶりは誰の目にも見て取れた。

 勤務先の大学病院へステップを踏むように入っていく。先輩たちからは「早く歯科医になりたかったんだもんね」なんて半ば呆れたように声を掛けられる始末。そんなあきれ顔にも純度一〇〇%の笑顔で返事をしてしまうほどに、モモカは浮かれていたのだ。

 有頂天なモモカを先輩らは時折心配そうに眺めていたが、そんな懸念を裏切るように、この若き歯科医は滞りなく診察を進めていった。

 時刻は 一九時三〇分。受付を締め切るギリギリのタイミングでやってきた男がいた。診察室にいたモモカは当然、男が入ってきたということは知らなかった。ただ、何となくその時、受付付近の空気が変わったのを肌で感じた。

 しかし、歯科医デビューを大成功させていたこの新人歯科医にとって、曖昧な不穏さなど恐るるに足りなかった。

 気のせいと結論づけたこの不穏さを、事実と認めざるを得なくなったのは、男が診察室のドアを開いた時だった。つまりモモカが実際にその患者を目に映した瞬間だった。

 いくら夜とは言え、まだ夏なのに黒のロングコートを羽織り、襟を立たせ、黒のブーツを履いている。程よく筋肉がついた、いわゆる良い身体をしており、背は一九〇センチを越えている。顔の造りは彫が深めで、なかなか端正なおじさまといった感じである。

 定期検診に来ただけだというのに、なんだか真っ黒なオーラを纏った男だと、モモカはにこやかな笑顔の裏で思った。

とりあえず、新人歯科医は診察椅子に腰かけるように促す。

(この人、でかすぎて椅子からはみでないよね?)

 モモカは少しヒヤッとしたが、何とか男の身体は椅子に収まった。口をゆすぐように伝えて、その隙に急いでカルテに目を通す。

黒森(くろもり)スズト。五〇歳。初診。犬歯のあたりが疼くため、定期健診に来た。)

 この他常用している薬だとか、病歴なんかを確認して、デビュー日最後の診察にいざ取り掛かる。

 が、事件はその男が口を開いた時に起こった。異様に発達した犬歯。さらにその二つともひどい虫歯になっている。本日絶好調なモモカは、この歯に対する救済策が差し歯一択しかないと悟ると、ためらうことなく抜いた。それがいけなかった。

モモカは手先が非常に器用なので、抜き損じることはなく、患者の方も何も問題なく帰って行った。そのはずだった。




モモカがその日の勤務を終えて、先輩たちに挨拶をし、タイムカードを切って帰る。スタッフ専用出口から出た瞬間、視界を真っ黒な布で覆われたような錯覚に囚われた。しかし視界を塞がれたのではなかった。小柄なモモカに被さるように立つ、大男の黒いコートが眼前に広がっていたのだ。さっきの犬歯の患者だ!とモモカは息を呑んだ。

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