第一章 深夜の決闘
十一月二日、午後十一時十五分。
深更と呼ぶにはいささか月の低い時刻。
北の丸公園内にある科学技術館の前方の通りを北に進み、段々と日本武道館に近づく人影が一つ。
人影の正体は、明日の文化の日に開催される日本剣道選手権大会に出場を予定している工藤正という名の選手であった。とある理由から、大切な試合の前日だというのに思わぬ深酒をしてしまい、前泊をしている竹橋交差点付近のシティ・ホテルのベッドで横になっていたのだが、何者かにずっと名前を呼ばれるという不思議な感覚に囚われ、眠りが浅くなり、すぐに目を覚ましてしまったのだ。それ以降は妙に目が冴えてしまい全く寝付くことができなくなってしまったので、思い切って夜の街に出向くことにしたのである。
工藤は喉が渇いていた。カラカラだ。浴びるように酒を飲んで一眠りしたからだろう。アルコールがほとんど体に残っていなかったことは幸いだが、明日に控えた試合の重要性を考えれば、これ以上の飲酒は絶対に控えるべきだ。
しかし、今の工藤には、全てがどうでもいいことだった。
水やソフト・ドリンクに用は無い。どこのどんな店でも構わないからそこに飛び込んで、とにかく一刻も早く酒の注文をしたかった。日本酒だろうが、麦酒だろうが、葡萄酒だろうが、火酒だろうが、何でも良い。アルコールが入っていれば、化学薬品でも構わないという酷く荒んだ心境であった。
にもかかわらず、工藤の足は一体どういう訳か、自然と明日の決戦の場である日本武道館へと向かっていた。剣道家としてここには何度も来ているため土地勘が無いわけではない。酒を求めるなら、そのような店が多く軒を並べる神保町方面にでも向かうべきなのだが、自分は何故かこんな所にいる。日本武道館周辺にはほとんど飲食店がない。この時間に明かりを灯すものなど、街灯か、いいところ路上や駐車場に設置された自動販売機だ。その販売機で酒でも売っていれば良かったのだが、残念ながらそんなものは無い。未成年者の飲酒抑制を目的に、国税庁が購入者の年齢確認機能を持たない従来型の酒類自動販売機の撤廃を指導しているためだ。
工藤の職務上、好ましい国の施策の一つであったはずなのだが、今夜だけは酷く鬱陶しく思えてならなかった。自動販売機を見る度に口の端から下品な舌打ちの音が漏れた。
望みの品を手に出来ぬまま、工藤は憮然と歩を進め、とうとう日本武道館の西口玄関前まで辿り着いた。日本にいる全武道家にとって聖地とも言える建造物の頂上に設置された黄金の擬宝珠を、ある種の感慨を胸に抱きながら仰ぎ見た。
正にそのときである。
突然、工藤の背後で、まるで車両同士が高速で正面衝突したかのような重々しい衝突音が轟いて、何の心構えをしていなかった工藤の度肝を抜き、その身を縮こまらせた。
(何事だ!?)
愕然と背後を振り返る工藤。
日本武道館の西口玄関前には、千鳥ヶ淵をなぞるように大型の駐車場が設けられている。すわ交通事故かと工藤は考えたが、すぐに考え直した。今は午後十一時半近い。駐車場の営業時間はとうに終わっていることに気が付いたからだ。
事実、駐車場には一台の車も見当たらなかった。
しかし、それでは先ほど響き渡った金属同士が深く噛み合ったような低く重々しい破壊音の正体とは一体何だったのか。この疑問に対する答えと思しい存在を、工藤の目はすぐに捉えることができた。
駐車場の敷地をぐるりと取り囲むように設置された電灯に照らし出された二つの人影がそれだった。そして、恐ろしいことに、二つの人影は、各々の手に鈍色の輝きを湛えた銀鉄色の得物を握っているではないか。
工藤は唐突に自らの職業意識を目覚めさせ、不穏な空気を漂わせる二つの人影を注意深く観察し始めた。
一つ目の人影は大層大きい。足こそ短いが、身の丈は二メートル近い。体の厚みも凄いものがある。衣服の内に風船を入れて限界まで膨らませたかのようだ。
身に着けている衣服が妙に気に掛かった。正確な知識こそ工藤には無かったが、テレビや映画などで見覚えだけはあった。くすんだ緑色に見えるそれは国防色、帯青茶褐色と表現されるものだ。三八式歩兵銃や鉄帽、銃剣、背嚢を始めとする個人装備こそ一つも無かったが、無心に一刀を振るうだけなら、むしろ適した装いと言える。
一瞬、軍人の扮装を楽しむ輩かとも思ったが、決してそうではない。巨漢が全身に漂わせている雰囲気は、荒々しさと厳粛さに満ちていた。工藤には自衛隊で働く友人がいるが、その雰囲気とよく似ているものがあったのだ。もっとも、巨漢の放つ方が十倍は苛烈であったが。
(間違いない。生死の境を歩んだことがある本物の軍人だ……)
心中で呟きながら、工藤の足が無意識に数歩後退した。巨漢の全身から立ち昇る炎のような威圧感に気持ちが委縮してしまったのだ。
この恐るべき巨漢と対峙する一方の人影なのだが、反して小柄だ。大層小柄だ。身長は百六十もあれば良いほどで、体重など巨漢の半分も無いかもしれない。服装も実に地味だ。青い生地に白いラインの入ったジャージの上下なのである。ただ、工藤が思わず目を見開くほど、その容姿はとても派手で煌めいていた。
年の頃は十代後半のように見え、その容貌は金髪と碧眼。
眉は太く目付きは鋭い。鼻筋の通った美貌の持ち主であった。まず間違いなく日本人ではないが、その佇まいから自然とオリエンタルな雰囲気を醸し出す不思議な少年であった。
軍人然とした巨漢と異国然とした少年は、互いに刃渡り一メートルは下らない長大な刃物を片手に構え、静かに向かい合っていた。巨漢が手にする剣は柄と鍔にも素晴らしい装飾が施された日本刀であり、一方で少年が手にする剣は装飾など無縁の武骨な諸刃の片手剣であった。
職務上、静止の声を掛けなければいけないはずなのに、工藤は声どころか、息をすることさえままならず、極限の緊張に満たされた二人の剣士の間合の取り合いを凝視するばかりだった。
巨漢が野獣のような唸り声を上げる。岩も容易に噛み砕くだろう頑強な顎が左右に動き、上下の歯が耳障りな軋み音を上げる。両の口端から蒸気のように盛大な白い呼気を吐き、両目は眼前の敵性存在を今にも射殺すように鋭利に輝く。
虎さえ怯む眼光の直撃を浴びながら、何と少年は人懐こく微笑んだ。それを合図としたかのように、巨漢は剣を大きく振りかぶると、雪崩掛かるように少年の頭頂部目指して刃を振り下ろす。転瞬、少年の身体がその場で恐るべき速度で三百六十度回転すると、遠心力を纏わせた剣をもって、巨漢の剣を迎え撃った。
工藤の耳が先刻と同質の衝突音を捉えた。
日本刀と片手剣の刃が深々と噛み合い、巨漢と少年は、互いに全体重をかけて噛み合った刃から火花を撒き散らす鍔迫り合いを展開する。息を止め、胸と肩を張り、相手を押し潰す勢いで体をぶつけ合う。
巨漢が吠え、腰を捻り上半身を強大な独楽のように回転させ、少年を弾き飛ばした。
少年は四メートルも後方に飛ばされ、体勢を崩していたためにアスファルトに覆われた地面を後転した。すぐさま身を起こし、顔を起こした瞬間、その顔面目掛けて巨漢が大気を灼き裂かんばかりの刺突を繰り出した。
少年は首を傾げ、これを躱すが、刀の切っ先は少年の頬と耳たぶを掠め、朱線を後方へ走らせる。一方で、死に体となった巨漢の懐に潜る形となった少年が、手にした剣を真横に薙ぐ。巨漢の脾腹を深く切り裂くはずの必殺の一剣は、しかし、その左腕を切り飛ばす効果しか示すことができなかった。
巨漢は上体を大きく逸らしつつ、地を蹴って少年との距離をとろうとするが、少年は振りぬいた剣の遠心力に、軸足と腰そして背筋から瞬時に生み出した回転力を乗せて、追撃の横一文字を閃かせる。少年の剣は今度こそ巨漢を捉え、その腰部を真横に切り裂いた。
巨漢は深い呻き声を漏らしこそしたが、少年との間合いを取ることに成功した後、剣を杖にする形で膝をついた。
少年は残心を取り、巨漢に向かって剣を構え直す。慢心の気配は無い。
「す、凄まじい……」
工藤は額に浮き出た汗を拳で拭い、目前で展開された剣劇に向けて感嘆の言葉を吐いた。
巨漢も凄いが、少年の手際はそれを上回っていた。遠巻きに眺めていた工藤の目にさえ、少年の体捌きは霞んで見えたほどだ。殊に、追撃として放たれた遠心力を乗せた横薙ぎの一閃は、常識を逸脱するほどの鋭迅さを秘めていた。事実、少年の剣は大気を撹拌し文字通りの剣風を巻き起こすと、駐車場の周囲に植えられた樹木の枝葉を揺らして見せたのである。恐らく、直面した巨漢には少年が繰り出した剣撃の実体を把握できなかったのではなかろうか。
巨漢が立ちあがった。残された右手に刀を垂らし、肘から先を喪失した左手をしげしげと眺めた後、少年に顔を向けると恐るべきことに莞爾と笑ってみせた。
「想像以上に腕が立つな。流石は『剣の神子』よ。現世と黄泉の境目で五十年以上練り上げた俺の剣と互角以上に渡り合うとはな……心の臓とて動かぬ幽鬼の身だが、滾る。やはり武闘は快い」
巨漢は、そこで夜天も震わせんばかりの豪笑を放つと、何を思ってか左腕の切断面を地に転がっていた自身の左腕へと向けた。
「戻れ」
正気を疑う指図だが、切断された左腕が何とこれに応え、宙を舞い切断面同士が合わさった風景を見れば、その者こそ自分の目の機能の正常さを疑うだろう。事実、工藤がそうであった。
巨漢は左の腕を振り回し、指の開閉を繰り返している。既に癒着しているらしい。驚くことに、軍服の袖の切り口さえも復元しているではないか。
少年はともかく、巨漢の方は傷口から血の一滴も流してはいなかったことに、工藤はこのときになってようやく気が付いた。重傷と思えた腰部の剣傷さえ、既に癒えているように見える。こちらも一緒に切り裂かれたはずの軍服は復元していた。
工藤は茫然自失となったが、怪奇現象に直面している少年の方はというと、特に驚いた風はない。それどころか、恐れなど知らんとばかりに、奇怪な軍人に対して不敵な笑みまで漏らしているではないか。
「我々の倒し方は心得ていような?」
「もちろん。刀剣により心臓、頸部あるいは頭部の破壊することです」
陰惨な内容の台詞を口にする少年。若年の容貌に反して、その声は錆を含んだように重々しく渋味まで含んでいた。
「その通りだ。それ以外の傷ならば、例えそれが致命傷と思えるほど深いものであっても、十度呼吸する間に消えてしまうぞ。卑怯と思ってくれるなよ? 元より我が身は命の無い身なのだ。この立ち合いとて一夜の夢幻に過ぎんのだからな」
巨漢は軍服の着付けと佇まいを正してから、悠然と少年に対して剣を構え直した。刀身全てから闘気が立ち昇る。見事な気合の膨張と集約、そして充実であった。
「卑怯なんて、滅相もないことです。私は全てを承知でここに参りました。此度の『剣の神子』としての立場を、全力をもって務めさせて頂くだけです。そう言えば、お互いに名乗りを上げていませんでしたね。まずは私から。サービスです。サービス・ホープと申します。流派は辻流」
少年はお陽様のように人懐こい笑みを浮かべた。その余りの親しみやすさに、工藤は束の間、自分が直面している事態を失念して思わず少年に手を上げて挨拶の言葉を掛けそうになったほどだ。そして、その笑顔は命懸けで剣劇を繰り広げる相手方の巨漢にも効果を発揮したらしい。
「位牌に記された戒名は知らんが、俗名という奴は盛山又八郎だ。流派は心業一刀流」
応えてから、巨漢‐盛山は、サービスと同種の笑みを浮かべてくれた。
このような笑みを浮かべる男同士が、これから再び真剣を交え、命懸けの勝負に臨まんとしている。いや、このような男たちだからこそ孤剣に全てを捧げ、刹那の攻防の中で命の火花を美しく散らすことができるのだろう。この極めて不可思議で時代錯誤な剣士同士の立ち合いを目撃するに当たり、工藤は甚大な恐怖と深遠な感動の両方によって心を激しく震わせた。
「では、参りましょう」
「応よ」
互いが互いを認め合った快活な笑み一つ。少年と巨漢は、六メートルの間合を保って再び対峙する。
盛山は今までの獣性豊かな気迫を身の内に潜め、諸手で握る一刀に練り上げた剣気を注ぎ込んでいく。構えは八双。立てた剣にその身が吸い込まれていくような剣一心の剣士が取る見事な佇まいであった。
構えの余りの秀逸さに、工藤は思わず溜息を漏らした。
対するサービスは、片手剣を左手に持ち、空いた右手を腰に当て、体は半身。西洋剣術を髣髴とさせる構えだが、防御を主体の一つとするそれと異なり、手の甲は真横を向き剣先は水平ではなくほぼ垂直となり、刃は敵対者の正中線に沿った。特異な構えと言える。
しかし、工藤にとってそんなことはどうでもよくなっていた。
目前の小柄な剣士が全身から発する気迫の凄まじさはどうだ。すでに観戦者となっている工藤においてさえ、肉食『獣』どころか肉食『竜』に獲物として凝視されているかのような圧迫感と絶望感を覚える。瞬きと呼吸さえも忘れていた。石木のように鈍感なものであっても、体全体を悪寒に支配され、心身の平静を喪失してしまうだろう。
しかし、盛山の構えと気迫は揺るがない。胸と腹に蓄えた気力を練り上げてサービスの剣気を真っ向から迎え撃ち、迷いの無い静かな目で敵を見据える。
すると、サービスが目を閉じた。真剣での立ち合いにおいて信じられぬ愚行。盛山は怒気を織り交ぜた殺意を剣に込め、それと同時にサービスが両目を開いた。
瞬間、サービスの体から今までとは比較にならないほどの気迫が噴出し、怒涛の勢いで盛山を襲い、これを呑み込んだ。それでも闘志を保ったことは見事だが、不動であった盛山の構えに糸の細さほどの乱れが生じた。
同時にサービスが動く。アスファルト舗装が粉砕する程の蹴り出し、一足で六メートルの間合いを詰めた小柄な体は、弓弦から放たれた矢のように盛山に肉薄する。
先手を取られた盛山の迎撃。顔面の横に立てた刀を左足の踏込と同時に力の限り前方へと押し出す。狙いはサービスの左側頭部。
気声はなく、剣士たちはただ全身全霊で剣を振り下ろす。斬撃の軌道上にある空気は破裂し、爆音を轟かせる。
極限までに圧縮した体感時間の中で、盛山は勝利を確信した。
(俺の剣の方が速い!)
それは事実。されど、サービスの剣の狙いは盛山の体ではなく彼の振るう刀の峰。
(相対の斬り落とし!?)
驚愕の相を顔に浮かべる間もあればこそ、サービスの剣打を受けて加速した盛山の剣は狙いを逸らし外へと流れる。転瞬、サービスの剣が斬り返しの閃きを虚空に散らす。
二人の剣士は交差し、即座にサービスは背後を振り返り残心を取った。一方の盛山はたたらを踏むようにしてその場で立ち止まると、上下左右に体を揺らしながら、その場でゆっくりと振り向いた。
盛山の首は九十度左に倒れ、自分の肩に乗っていた。
サービスの剣は皮一枚を残して盛山の首を切断してのけたのである。
「……見事」
首が千切れかけた軍服の巨漢は、白い蒸気のようなものを口の端から噴き出しながら、くぐもった声で立ち合いの感想を述べた。すでに刀は鞘に納めている。状況こそ惨たらしいが、盛山の表情は満たされた思いで清々と輝いていた。それを確認して、サービスも剣を引いた。鞘を持っていないため、こちらは剣を納めることはなく、左手で脇に垂らすだけの格好となった。
「一刀流の奥義、まさかこの目にすることができるとはな……夢どころか、死んだ後でさえ思わなかったぞ。貴様の剣の師からの教えなのか?」
「課された鍛錬により会得した技術ではありますが、直接の指導をしてくれたのは、夢の中に現れて戯れと称して数千回にも渡り真剣勝負に興じてくれた若き武芸者でした。塚原新右衛門と名乗っていらっしゃいました」
「その名には覚えがあるな。若き日の卜伝のそれだ。しかも、夢の中で稽古をつけてくれたと来たか……噴飯ものの冗談話だが、信じざるを得んな。俺自身が冗談のような存在だということもあるが、この目で捉えた妙技が、貴様の話に深い真実味を帯びさせる」
盛山はクツクツと笑い声を立てながら倒れていた首を元の位置に戻したが、今度ばかりは癒着しない。切断面から盛大に白煙のような気体が吹き漏れていく。
「やれやれ。どうやら、お楽しみはここまでのようだな」
盛山は肩を竦めて苦笑し、サービスは人懐こい笑みを浮かべた。
「ご満足頂けましたでしょうか?」
サービスの問いに少しだけ考えてから、盛山は深く頷いた。
「幸甚に存じます。それでは、ご選択をお願いできますでしょうか?」
「最初は故郷へ戻り成仏することも考えたが、貴様のような武人がいるならば、もう少しだけ現世に留まるのも悪くない……どうか、臆病者と笑ってくれるなよ」
そんなことはないとばかりにサービスは強く首を横に振る。それから、その場で膝を着くと、日本武道館の屋根の頂点に設置された黄金の擬宝珠に向けて恭しく片手を差し向けた。
「それでは今後五十年間、現代における武道家の守護神の一柱としての御役目をお願い致します」
「承知した」
この言葉を発した瞬間、盛山の体が光り輝き始めたかと思うと、爪先から光の粒子と化して風に乗るようにして日本武道館の屋根に向かって流れていく。腰まで消え掛かったとき、盛山は手にしていた日本刀をサービスへと差し出した。サービスは片手剣を握っていた手の手首をくねらせると、手品のように自身の得物を消し去り、一礼した後で盛山から差し出された刀を両手で受け取った。
「貴様の名を、最期にもう一度聞かせてもらいたい」
「サービス・ホープと申します」
「希望を供与する者という意味だな」
「この名を付けてくれた育ての母は、『サービス業の星であれ』という意味でつけたそうです」
盛山は顔を天に向け、笑い声を弾かせた。
「愉快な御母堂だ。貴様、幸せ者だぞ」
「はい。自分が人との縁に恵まれていることは、重々承知しております」
「ならば、良い。楽しかったぞ。そして、さらばだ。異国の勇ましき剣士よ」
散り際の微笑こそ見事。盛山は全身を光の粒子と化し、一直線に擬宝珠に吸い込まれていった。
「こちらこそ、ありがとうございました」
擬宝珠に向けてサービスは合掌した上で頭を垂らし、
「汝が魂の旅路の果てに幸多き流転があらんことを」
神妙な面持ちで詩歌を詠うように呟くのだった。
余りに堂に入った姿に、一部始終を目撃していた工藤は改めて金髪碧眼の少年に見入ってしまった。
「絵になる少年だな……」
そのように感心できたのも真剣勝負の殺伐とした雰囲気が駐車場から消失はするまでのこと。夜が持つ本来の静けさが周囲に満ちると、サービスは盛山から受け取った刀を肩に担ぎ、ホクホク顔で駐車場の出入り口に歩み寄った。そこには現時刻では閉店している売店の他、複数の自動販売機が設置されているのだが、サービスは一番端の自動販売機に刀を立てかけた。それから鼻歌交じりで、そこに立て掛けた日本刀を指さしで数え始める。刀の数は、盛山から受け取った物も含めて四振もあった。
「やれやれ、ようやく残り一振になったな。思いのほか濃厚な秋の夜長になったもんだぜ。ねぇ? 貴方もそう思いませんか? 警視庁警備部第二機動隊所属、巡査部長、錬士六段、工藤正選手」
唐突に所属組織と地位、そして名を呼ばれ、工藤はサービスから視線を向けられた。
咄嗟の反応ができず、工藤は鯉のように口の開閉を繰り返すばかり。サービスはそんな工藤の顔を眺めながら、わざわざ小首まで傾げ、愛嬌の増したお陽様のような人懐こい笑顔を満面に浮かべるのであった。